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(殺すか? 俺は既に五人殺している。今更一人二人増えたところで大した差ではあるまい)
刻男はそう思ったが、正直気が乗らない。
彼が憎しみを抱いていたのは未刻瑛太一人だ。
瑛太の家族も皆殺しにはしたが、それは彼の血を根絶やしたいという目的があったが故の事であり、目の前の二人にはそういった関係がない。
強いていうのであれば、刻男を捕まえることが瑛太の供養につながるという事だろうが、そこまで間接的な関係になってしまってはさすがに殺意が湧いてこないのである。
そもそも、勝てない可能性の方が高いだろう。
故に、会話に応じる事にした。
「何ですか? お巡りさん」
そう言ったところで刻男は少し後悔した。
もし肉声が割れていれば今のでバレてしまったかもしれないと思ったのである。
が、警官はそちらには気が回らなかった。
むしろ、ここ最近歯磨きの機会を失っていた刻男との話を一刻も早く終わらせたいとしか思わなかった。
故に、
「これ、落としましたよ」
と言って、刻男が知らない間に落としていたライターを返すだけに終わった。
「すみません、助かります」
「気をつけてお帰りになってください」
短いやり取りの後、二人は再び別々の方向に進み始めた。
が、警官の方はその数分後、先程すれ違った男に違和感を覚えた。
(どこかで聞いたような声だったな……)
と思い始めたのである。
しかし、隣の県に大量殺人犯が潜んでいるという事で警戒を強化してはいたが、
(こんなところにいるはずがない)
とも思った。
隣県からここに至るまでの道路や鉄道は重点的に監視しているため、刻男がそれを利用しようものなら既に拘束されているはずである。もう一つのルートとしては雪山を越えてくるというものが考えられるが、今は冬であり山には雪が掛かっている。
いくら逃亡中の身とはいえ、そんな馬鹿なルートを通ってくるとは思えない。
第一、山中を通って来たのであれば多少なりとも汚れているだろうが、先程すれ違った男は小綺麗だった。
(しかし、念には念をいれておくべきだろう)
二人はそう思い来た道を引き返す事にした。
しかし、引き返すのが五分遅かった。
刻男は既にタクシーを捕まえて中部地方を目指している途中だった。
あの辺りは身を隠す事に適しているかどうかは分からないが、日本地図を広げるとちょうど中心にくるので、東に行くにも西に行くにも都合の良い地域ではある。仮にそこに潜伏している事が判明してもどちらの方角に逃げたのかが分かりにくくなるので、正義側を撹乱する事ができ、行動が取りやすくなるだろう。
さらに出稼ぎの外国人も多く、自然、彼等が利用するであろうスーパーなどの施設も豊富にあるはずなので、そういったところであれば彼のような者でもバレずに利用することができるやも知れないという考えである。
移動方法もいきなり長距離を走破するという事はせずに、短距離移動を重ねるという方法をとって、タクシーの運転手の印象に残りにくいようにしている。
その成果もあってか、タクシー会社にも途中で泊まった宿泊施設にも彼の正体はバレる事はなかった。
が、東名高速に乗る直前に捕まえたタクシーでかなり怪しまれた。
高速道路を利用するなら短距離移動をするよりは、むしろある程度長距離であった方がバレないだろうと考えて行き先を伝えたのだが、いささか長距離すぎたのである。
この時、刻男は三ケ日ICで降りるように伝えているが、その間東京から静岡までであり当然鉄道を使った方が安くて早い。
さらに、刻男が乗ったタクシーの運転手は頻繁にラジオを聞いており、そこから公開された犯人の肉声というのも聞いていた。
その声と、後部座席に座った客の声が似ているとも思っている。
(これは怪しいなぁ)
そう思いつつ、バックミラーで客の顔をチラチラ確認していたが、
「お客さん、どこから来たの?」
と、少し質問してみる事にした。
「名古屋ですよ。だからこれから帰ろうかと思ったんですけど、今から行くと夜中になりそうだから、途中まで進んでおこうと思いましてね」
と、刻男は自然さを醸し出そうとしてかえって饒舌になった。
それが運転手の警戒心を尚更強めた。
(だったら、尚更新幹線を使うべきじゃねぇのか? 二時間もかからないで目的地に到着するぞ)
そう思い、
「しかし、ちょっとした旅行気分になれるので私としては楽しいですけど、お客さん的には財布と時間が掛かって大変なんじゃないですか? 新幹線使った方が安いでしょ」
と、運転手は言った。
それについて刻男はどう返そうか少し思案した。
タクシーを使って長距離移動をする理由が思いつかないが、まさか駅の監視カメラから足跡を辿られないようにするためなどと言う訳にもいかない。
そこで、
「風情ですよ。運転手さんも言っていたように旅行気分に浸れるというやつです。新幹線から見える景色と、途中で街へと降りて見る景色じゃやっぱり違うでしょ」
と返したが、これも少し苦しい。
そこまで風情を大切にするのであればタクシーに乗った時点で高速ではなく下道を通ってくれという指示を出してくるだろうし、より費用がかからない電車でも途中下車という方法で同じ事ができる。
(これは黒かもなぁ、何より声が似すぎている)
運転手はそう思い、
「お客さん、すいません。ちょっとトイレに行きたくなったんで次のSAで止まっても良いですか?」
と言った。
すると、すんなりそれは受け入れられた。
(良かった気づいていないようだ)
運転手は安心してSAに入り、駐車場に車を停めエンジンを切るとトイレへと直行した。
そこで、警察に電話をかけた後に車に戻ると先程まで乗せていたはずの客がいない。
(まさか、徒歩で逃げたのか?)
運転手が混乱していると、
「車が無ぇぇ!!」
という叫びが聞こえて来た。
ここで彼は
(こんなところで停まったのは悪手だったかもな……)
と、後悔した。
車から離れる時間が数分程度の場合エンジンをかけたままにする人間がいるが、SAのように停まっている車の絶対数が多いと、そういった車を探すのも多少楽になる。
客はおそらく運転手が電話している間に駐車場を駆け回ってエンジンがかかったままの車を見つけ、それを使って逃げたのだろう。
その翌日のテレビには申し訳なさそうな表情をしている運転手がインタビューに答えている姿が映し出される事となった。