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翌朝、刻男は目覚めると同時にパソコンを立ち上げてニュースを見た。
無論、昨日の事が気になったためである。
案の定、事件の事が記載されていた。
そこには、『帰省中の一家、惨殺され放火される』というタイトルが振られており、画像が添付されていた。
瑛太の家は屋根が落ちるほどに焼け落ちており、犯人の検討は今の所ついていないという点では安心する事が出来たが、殺人事件認定はされてしまっているので油断は出来ないだろう。
さらに読み進めていくと、彼の背筋を凍りつかせるような事が書かれていた。
空き家を使ったかもしれないという事や、恨みによる犯行かもしれない事、さらには犯人のものと思われる足跡が見つかったなどの情報が、ところせましと並べられていたのである。
(昨日の今日でこれか、逃げ切れるだろうか……)
と当然、不安を抱かざるを得ない。
ただ、娘の死体の損壊が一番酷いという事もあって、彼女への恨みを持つ者による犯行かもしれないなどとも書かれていたので、
(穴がないわけではない)
という希望も彼は抱いていた。
どちらにしろ、犯行現場から近いこの場所にいつまでも滞在するわけにはいかないだろう。
(いっそのこと海外にでも高飛びするか……)
それは、この犯行を計画した時から考えていた逃走経路の一つではあった。
ただそれを選択した場合、荷物やある程度の纏まった金を用意しなければ出国の際に怪しまれるのでそれらを用意する時間が必要になり、さらに、国内に凶器となったナイフやその他に使った道具を残さざるを得なくなるというデメリットが発生する。
アパートには逃走の際にと思って用意していた荷物があり、金銭についてもバイトで稼いだので前者はどうにかなりそうだったが、刻男にとっては後者の方が重要だったため、彼はこの逃走経路の案を採用したくはなかった。
が、一度国外に出てしまえば逃走経路を大幅に拡大できるというメリットもある。
悩んだ末、刻男は
「空港に行くか」
そう決めて、支度をすべく自らのアパートへと向かった。
アパートには一泊しかしなかった。
犯人が自分だとバレた場合、すぐに警察の張り込みが始まると思ったためである。
事実、翌朝の早朝に彼が荷物をまとめてアパートから出ようとしたところ、窓から覆面パトカーらしき車が少し離れたところの路上に見えた。
まだ午前四時二十分ほどである。五時になったら突入してくるのかもしれない。
(早い、もう勘付かれたのか)
仕方なく彼はその車が停まっている大通りの方へは出ず、フェンスをよじ登って裏から脱出した。
裏は民家である。
(あれが覆面パトカーであれば、俺が部屋を出た事を確認できたはずだ。俺をマークしているのであれば追ってくるだろう。違えばまたここを登って戻ればいい)
そう思っていたのだが、どうやら前者であるらしく、フェンス越しに足音が聞こえた。
この分では普通に路上を走って行くのはまずいだろう。
そこで、刻男は路上には出ず、家から家へと移るようにして徐々にアパートから離れて行った。
その内の一件の庭に気づかれないように潜伏し、そこの住人が仕事や学校などに行って家がからになった時を見計らい、窓を音もなく破ってそこに転がり込んだ。
そこの冷蔵庫から食べられそうなものを取り出して、それを食べながらテレビをつける。
すると、刻男の起こした事件の事が報道されていた。
見ると既に名前と顔が割れている。
刻男としては最善を尽くしたつもりだったが、どうやら、空き家に彼の毛髪が残っていたり、足跡から靴の購入履歴を辿ったり、瑛太の現在と過去で関わりのあった人間に聞き込みをした結果刻男が恨みを抱いていた事が分かったりと証拠になるものはいくらでもあったらしい。
この分だと空港はおろか、近くの駅を使う事もままならないだろう。
(まだ二日くらいしか経っていないのになんてスピードだ……)
刻男は歯噛みした。
そのまましばらくテレビで情報収集をしているとその家のインターホンが鳴るのが聞こえた。
インターホンのカメラ越しに、誰が来たのかを確認して見るとこの家の住人ではなく警察だった。
(まずい)
刻男はその家からマスク数枚、革靴、スーツとワイシャツをいくつか盗むと、そのまま入って来た窓から裏庭へと出て、再び庭から庭へと移るという方法で移動して行った。
途中、庭で植物に水を与えている老婆や、無職でずっと家にいるらしい青年に見つかりかけたため、屋根を伝って行こうかとも考えたが、既にヘリが飛んでいるためそれは難しいだろう。
一応、見つかった際の脅し文句も考えてはいたが、それを使う事がないまま小さな路地に出た。
靴にやや泥がついている事を除けば、現在の刻男はマスクをつけたスーツ姿の中年男性というどこにでもいそうな姿であるため、このまま大通りに出て駅に向かってしまっても案外気づかれないかもしれない。
しかし、警察はこの靴を見て一目で怪しいと判断するかもしれず、職質された場合、荷物の中には血のついたナイフも入っているため、あまりそういう気分にはなれなかった。
とりあえず、まずはナイフと今履いている靴を処分する事が先決だろう。
そう考えると、小道の側溝の蓋を持ち上げて、その中にそれらを捨てた。
こういったものは普通であれば、ゴミ捨て場に捨てるか、池などに投げ入れるか、地中に埋めてしまうのがセオリーだろう。ただ、それらの方法を取るよりは、こういう中途半端な方法で処分する方がかえって見つかりにくいのではないかという判断である。
そして先程盗んだ革靴に履き替えると、駅へと向かった。
電車に乗って向かう先はとりあえず北の方角である。
空港は既に張り込まれている可能性が高いので諦めざるを得ないが、もう直ぐ冬が訪れるので、山に潜伏すれば自然、雪が行方を眩ましてくれるだろうという寸法だ。
さらに、犯罪者は現場に戻るという一般論を考えれば、しばらくの間、捜査は現場とアパート周辺に絞られる事が考えられる。
この作戦は上手くいったらしく、彼が北国へと到着して直ぐに入った飲食店のテレビでは、まだ、彼のアパート付近を捜査している警察の様子が映し出されていた。
刻男がどこへ向かったのかを予想する特集が組まれているところを見ると、彼が北へ向かった事も今のところ知られていないらしい。
ただ、彼にとって不都合な事もあった。
凶器と靴が発見されてしまったのである。
見つかるまであと数日は稼げるものと踏んでいたがどうやらそうもいかないらしい。
さらにテレビには空き巣に入った家の様子が映し出され、そこから盗まれたものや、現在の刻男の服装を予想するラフ画、近所の住民へのインタビューが次々に流れていく。
(警察の動きを逐一敵である俺にも流してくれるのはありがたいが、この徐々に近づかれている感覚は不安にしかならんな)
そう思いつつ食事を終えると、金を払って店から退出した。
外国人の店員が多い店であれば、そもそもモンゴロイドの見分けがつかないだろうという理由でそのような店に入ったのだが、それが功を奏したのか通報はされていない。
その後、家電量販店へと赴いて手動で充電できるタイプのラジオを購入すると、その後行方を眩ませた。