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Ⅳ 疑念

 捜査本部となった会議室の窓の外は雨で煙っていた。

 所轄の中野北署は戦前に建てられた洒脱な洋館を改装したもので、赤煉瓦の外壁は所々剥げ落ちていた。この、古色蒼然とした建築物の内部はしかし、雨の日はかび臭く、刑事たちの顔色は鬱々としていた。


「今日の捜査状況はどうだ」

「も、申し訳ございません。いまのところ犯人に繋がる証拠は皆無であります」

 言いながら、若い刑事はこうべを垂れる。同時に長机を叩く音が帳場の方々に響く。

「はあぁ〜? こんなっさい事件ヤマで、何の手掛かりも得られませんとか、あり得ねえだろ! お前ら、ガチでやる気あんのかよ⁉︎」


 捜査主任官の怒声で一気に緊張が昂まる。

「チッ」津乃峰ユウは誰にも聞こえないくらいの小さな音で舌打ちをする。やりづらいな、という仕草で部下の葛城に目配せする。

 主任官の鴻巣こうのすゴンザは現場主義を貫く生え抜きで、定年間近にしても気迫に衰えはなかった。帳場は、静まり返っている。

「……、ったく。ほかに報告はないのか」

「はい、主任官」

 津乃峰が右手をまっすぐ挙げる。


 コの字型の上座の中心に主任官、その右隣には津乃峰が座しているので、ゴンザは首を右に捻らなければならない。昔、担当した事件で頸椎を損傷しているので、ゴンザにとっては辛い動きではあった。ましてやこの雨だ。しかし、周囲に悟られぬよう、強気で右の女を睨む。

 生え抜きのゴンザにとっても苦手なタイプだ。

 というよりも、過去に、彼女くらいの年齢の部下を殉職させた経験があるから、こういう時どうしたらいいか分からない。


「目撃情報によれば、女子生徒の水嶋チヒロが破裂するように爆発したとのことですが、鑑識の結果、指紋もDNAも採取できていない状況です。両親から調書を巻いたところ、事件前の二日間は自宅に帰っていない。それなのに……、まったく不可解なことに周囲の誰もが水嶋チヒロを目撃している」

「そこまでは分かってる。で、つまるところ何を仰りたいのですか?津乃峰警部補」

 ゴンザは首を元に戻し、津乃峰の顔を見ずに訊いた。

「まあ、そう結論を急かさないでくださいな。報道でもご存知の通り、我々警視庁は所轄を越えて広がる謎の失踪事件を調べている中で、今回の事件に遭遇したわけです。東京中の不可解な失踪事件は点在していますが、それを線につなげる作業が我々の仕事なんですよ」

「そんなこと、言われなくても重々承知してますよ」

 ゴンザは徐々に苛立ち始めている。彼の貧乏揺すりが始まったことで、若手刑事らの緊張感はさらに昂まっている。

「親が届けを出していなかったこともあり、水嶋チヒロの失踪については我々も知らなかった。だが彼女は姿を現した。その間隙を埋める作業が第一なわけですが……、どうも引っかかるんです」

「何が?」

「誰もが目撃している人物は、実際には其処そこに存在していない。これは常識的には大いなる矛盾です。とすると考えられるのは、例えばホログラムのような道具を何者かが使用した可能性がある。でも、物的証拠は何もあがってこない……。そこで……、鴻巣主任官、怒らないでくださいね」

 ゴンザは腕を組みながら黙っている。今にも爆発しそうな顔を部下たちに向けている。

「あなたは、幽霊の存在を信じますか?」

「ぬあにぃ⁈」パイプ椅子を後ろに倒してゴンザは立ち上がる。今度は身体ごと右を向き、津乃峰を見下ろす格好となった。「所轄が担当する程度の事件で、わざわざ本庁からお見えになったんだ。こっちもあんたを丁重に扱いたいよ。でもよ、ふざけたことをほざくんだったら、出て行ってもらいますよ!」

 ゴンザの広いひたいには血管の筋が浮き上がっている。息も荒い。

「こっちは一ミリだってふざけちゃいませんよ。〈幽霊〉は比喩に決まっているでしょう? 周囲の誰もが催眠状態に陥っていて、共同の〈幻覚〉を見ていたというケースは過去にいくらでもあるんです。ま、鴻巣主任官はお化けなんて信じるような繊細さはないみたいですが」

 津乃峰が舌を出しながら両手を持ち上げ、幽霊の真似をする。

「き、貴様ぁ! つ、の、み、ねぇ、殺す!」

 長机の上の茶碗が床に落ちて割れる。ついに鴻巣ゴンザがブチ切れ、津乃峰に掴みかかった。それに対して津乃峰が護身術で相手を倒そうとすると、葛城が割って入る。


 あとは祭りのような状態がしばらく続いた。

 いつものお約束だ。

 こうして警察組織ギルドは結束を固めていくのだ。真の敵を追い詰めるためのギルドの結束は、市民の安全と安心を守るためには欠かせない。


 しかしこうした騒擾にあっても、津乃峰は別のことを考えていた。彼女の恩師、隱郷サイガのことを。あの事件の日、すれ違うサイガに、ついに声を掛けることができなかった。何故かは分からないが、怖かったことだけは覚えている。彼は昔と変わらない姿で、〈幽霊〉のように其処に現れたのだ。


 ーー、捜査本部の外は雨。

 刑事たちに揉みくちゃにされながら、津乃峰ユウは窓の外の冷たい雨を想像する。


 私は、雨の冷たさに気づかぬとも、人の魂の温度ぬくもりに気づくことの方が大切だと思って生きてきた。雲を裂くような夕日のつよさを理解できぬとも、それを見るあなたの優しい眼差しには気づくことができる、と。でも今は、あなたの心に触れることが怖い。何故なら私の中で、ある疑念が頭をもたげ始めているのだから。あなたがこの事件に深く関わっているのではないかと。


 のちに津乃峰ユウは、その時の気持ちを、そう娘の私に語って聞かせたのだった。

【to be continued】

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