序
雨ざらしの公園の、滑り台。
雨音は不協和音となって、冷たく残酷に響く。
子らの笑い声も絶え、死んだように沈黙する遊び場の景色は、そこに横たわる男の表情に似ている。滑り台に仰向けになって嵌っている中年男の屍体は、行儀よく両の手を組み合わせ、雨に打たれている。
ーー、遊具の柩に眠る、聖者のような屍体だ。
私はこれから、私のために死んだこの男について語ろうと思う。涙を流すのは、語り終えた後でもいいだろう。いや、それもダメだ。〈語り終えたまさにその時〉こそ、私の本当の闘いが始まるのだから。
時間が止まったような公園で、私は傘をさして佇む。薄桃地に水玉の模様が浮かぶお気に入りの傘をくるくる回し、男の死を弔う。弔いの儀式は静謐であるべきなのだ。誰にも邪魔をさせない。たとえ、相手が善良さを装っていたとしても。
誰もいない公園の脇道を、腰の曲がった老婆が買い物籠をぶら提げ通り過ぎていく。老婆の陰からまた別の人間が現れる。大人が一人……。制服姿の私を不審に思ったのか、雨合羽を着た警察官が自転車で近づいてくる。
人の良さそうな街のお巡りさんだ。善良な市民と正義の公僕が睦まじく会話を始める。
「やあ、お嬢さん、高校生かな? こんな雨の夕暮れ時に公園で遊んでいると、風邪を引きますよ」
私は何も答えない。肩に掛けたスクールバッグの感覚を確かめる。ジッパーはわずかに開いている。
「それに、最近はこの辺りで妙な事件が続いていますからね。猟奇的な事件が」
警察官は微笑みながら自転車を止め、私とさらに距離を縮める。さすがに滑り台の屍体に気づくだろう。しかし、気づいているはずなのに、警察官は笑顔を絶やすことなく私の眼の前に立ち塞がった。そしていきなり私を拳で殴りつけてきた。
「イッ! たいなぁ……」
重い礫をぶつけられたような鈍痛が、左頬に広がる。
——風船か……、ビンゴだ。
くる、くる、と水玉模様の傘が宙を舞う。夕暮れ時の雨の中、寂しい公園を彩る私の薄桃色の傘は永遠に中空で舞い続けるのかもしれない。そうであれば、どんなにいいだろう。どんなに美しく、この悲しみで濡れる街を癒すだろう。
私は蹌踉るふりをして左肩のバッグに手を突っ込み、錐とセロハンテープを取り出した。偽警官、すなわちバルーンは、おそらく知っている。雨の中でテープの粘着力が弱まり、この格闘に有利であることを。しかし、私はこれまで何度も何度も訓練を積んできたのだ。そんな小癪な計略に引っ掛かることはない。
私は蹴りを相手の脛に入れ、体勢を崩した瞬間を狙って背後に回り込んだ。遅い。最も奴の濡れていない場所は、レインコートのフードに隠された頸だ。フードを剥がし、透明なテープを貼り付けてから力一杯、刺す。
——錐で、思い切り、突き刺す。
バルーンは断末魔のような叫び声をあげ、途端に萎んでいった。ゴムの焼けたような匂いが、鼻先を掠める。バルーンの顔はシワだらけになり、小さく小さく警察官の制服の中に潜り込んでいく。まるで臆病なカメが甲羅の中に首を引っ込めるように。
やがて偽警官の制服、制帽、警棒、拳銃とレインコートだけが私の足元に残った。
しかしバルーンを操っている本体の〈カラクリ屋〉を倒さなければ、根本的な勝利とは言えなかった。私はすぐに周囲を睥睨し、少しでも動きのある物体を確認した。しかし、もう敵は逃げ去ったようだった。
考えられるのは……、偽警官が現れる直前に歩いていた老婆か。
風船に命を吹き込むことのできる唯一の存在が、カラクリ屋だった。私たちはそう呼んでいるが、学者によっては現代の魔女だという者もいる。人類にとって、奴らが敵なのか味方なのかは分からない。しかし一つだけ分かっていることは、〈私にとっての〉敵であることに違いはなかった。
「お父さん……」
私はそっと屍体を抱き上げる。すっかり痩せて、軽くなっていた。お父さん……。滑り台に嵌る、雨ざらしの父親を目の前にして、私の決意は固まった。奴らに復讐しなければならない。
——これから私が語ることは、過去から始まる。私の物語の前に、父の物語があるからだ。彼が死に至るまでの記録を残しておく義務が、私にはある。
険しい山を登るための、列車のスウィッチバックのように、私の記録は行きつ戻りつするだろう。山の頂を目指して。 【to be continued】