7 『信者』
アリスの不安を嘲笑うように、大きな問題もなく五人は進んでいった。しばしば屍人には出会ったが、それのほとんどが単体であったし、ジルやレンダが剣で薙ぎ倒していった。
アリスといえば、ジルと相談し合いながら道程を選んでいくくらいで、それも大体はジルの意見を採用していた。
――僕、何で着いてきたのだろう。
アリスはそんなことを思いながらも、一応は先頭に立って歩いていた。
そうするうちに日が暮れてくる。橙色の日差しを浴びながら、アリスは四人を振り返った。
「そろそろ野宿する準備をしたいんだけど……」
「あれ何?」
レンダが前方を顎で示そうとして、ガシャガシャと金属音を立てる。その音にもすっかり慣れてきた。アリスは振り返り、目を凝らす。木々の隙間から、もう少し先に進んだところに何かが見えた。
「建物だ。コンクリートの」
「森の中に?」
アリスが驚いて言えば、ジルが怪訝そうに言った。それから自らも目を凝らすようにして前方を見、ううむと唸るような声を上げる。
「確かに建物だな。何の建物だろう」
「工場じゃない?」ソフィーがそれほど不思議そうでもなく言った。「危険物を扱う工場なら森の中にあっても不思議じゃないわ」
「町から離れすぎてない? 特区から一日近く歩いたのに……」
「三十年前には車が使用されていたのよ。それに、特区以外の町が――おそらくもうとっくに廃墟になってるでしょうけど、この近くにあるんだと思う」
リュートが不思議そうに尋ねたが、ソフィーはあっさりとそう答えた。
「危険物か……」
ジルが渋るような声を出した。野宿よりは建物の中に入った方が休まるし、獣に襲われる確率もぐんと落ちる。けれども、危険物を作っていた工場かもしれない、となると話は別だ。
「アリスはどう思う? あの建物に向かうか、野宿するか」
「ジルはどう考えてる?」
「……とりあえず工場かどうか確かめたい」
「じゃあ、そうしよう」
アリスが頷くと、ジルも頷き、今度は彼が先導して歩き始めた。
近づいて見れば、その建物は長方形の箱をそのまま置いたかのような、質素なデザインの工場らしきもので、奥行きが広かった。そんな建物にびっしりと蔦が巻き付いている。アリスは耳を澄ませてみたが、あの独特の唸り声は聞こえてこない。
レンダがガシャガシャと音を立てながら、建物の方に近づいていった。入り口は大きく、錆びついたシャッターが閉まっている。彼女がそのシャッターに手を掛け、上に引っ張ったが、なかなか開きそうになかった。
「何の工場かなぁ」
レンダはそう言いながらも、まだシャッターを押し上げようとしている。きょろきょろと辺りを見渡しながらソフィーが歩いていった。
「壁に文字らしきものは見えるけど、錆と蔦でよくわかんないわね」
「まぁ、ひとまず周りに屍人はいなさそうだし、中に入ってみてもいいんじゃない?」
リュートが僅かに明るい声を出す。それと、シャッターがギギギという固い音を立てて押しあがったのはほぼ同時だった。
「やったぁ」
レンダは嬉しそうな声を上げながら、そのままシャッターを押し上げていく。残りの四人もレンダの近くへ集まってきた。レンダは腰のあたりまでシャッターを押し上げ、そこで手を離すと、様子見をすることなく、中に入り込んだ――と同時に奇声が聞こえた。バコン! と固いものを叩く音がする。レンダの悲鳴に近い声が上がった。
「レンダ!」
真っ先に中へ飛び込んだのはジルだ。アリスも続いて中へ飛び込めば、レンダが尻餅をついており、その目の前に、太い木の枝を握り締めた男が立っている。男は司祭服らしき、紺色の衣を着ていた。禿げ上がった頭が目につく。彼は顔を真っ赤にし、興奮状態にあるようだった。
「反逆者は出て行け!」
「いきなり殴りつけてきて、何!?」
レンダは怒ったように叫びながら、ぴょんと立ちあがる。
工場の中には、既に五、六人の先客がいた。誰もが司祭服を着ており、広い部屋の中心に円を作って座り込んでいる。工場の中は埃っぽく、窓から差し込む光によって塵が舞っているのが目視出来たが、一目見て危険そうな機械などは見当たらなかった。すでに活動を終えて錆びついた機械たちが、建物の両脇に避けられ、朽ちている。
「……あなたたち、神の……」
ついでシャッターをくぐってきたソフィーが、舌打ちのような音を立てた。
――厄介だ。
兄に、「出会ったらすぐに逃げろ」と教え込まれたものがいくつかある。そのうちの一つが、彼ら『信者』だ。彼らは屍人になることが神の思し召しだと考えており、屍人になることを待ち望んでいる。それだけでなく、屍人を殺す者を恨み、果ては『信者』でない人間をも屍人にすることを使命としている。アリスは反射的に逃げ腰になり、シャッターをくぐってきたリュートとぶつかった。
「……俺たちはここで一休みしたいだけだ。一晩だけ共にさせてもらえないか」
ジルが僅かに緊張した声で言う。アリスは驚きながら、その背中に飛びついた。
「駄目だ、いけない、それには賛成できない」
小声で言えば、ジルの方も小声で怪訝そうに言った。
「どうしてだ。この中は外よりずっと安全そうだ。野宿するよりずっといい」
「でも『信者』は危険だ」
「そういう偏見はいけないぜ、アリス」
ジルはそう言い、アリスの肩を叩く。そして自らの兜を脱いだ。木の棒を握り締め、憎々しげにこちらを見ている男に頭を下げる。
「頼む。一晩だけでいい」
「ジル!」
「……一晩だけなら、いいでしょう」
すると、男はあっさりと木の棒を下ろし、笑顔さえ浮かべて見せた。そして踵を返し、部屋の中心へと戻っていく。中心で輪になって座っている『信者』たちはこちらを見ていたが、やがて歓迎するような優しい笑みを浮かべると、輪の中央に向けて手を合わせ始めた。神に向けて祈っているのだ。
「良い人たちじゃないか」
ジルは安堵したように息を吐く。アリスは信じられない思いだった。
「駄目だ。別のところへいこう」
「どうして? ここは安全だわ。絶好の寝床よ。見て」
ソフィーは言いながらシャッターを指差す。
「入り口はシャッターで塞がれてて、ちょっとやそっとじゃ突破できない。窓は高い位置にあるから外から侵入できないし、でも中からなら、あの作業用通路を使えば届くから出られる。壁も厚いし、少しくらい騒いでも外に声は漏れなさそう。それから、あちこちに非常用出口があるから、正面のシャッターから侵入されても、色んな場所から逃げられるわ」
「別の扉から入ってこない……?」
リュートがこわごわと尋ねる。ソフィーが肩を竦めた。
「後でもう一度確認しておきたいけど、ざっと見た感じ、どこも鎖がかかってるから、あれを切らない限りは開かないわよ。それに頑丈そうだし、どの扉からも一斉にゾンビが飛び込んでくるってことはないでしょ……どうかしら? 私の見立ては」
「……そうだね。僕も、『信者』がいなければ、こんなに絶好の場所はないと思う、けど、」
アリスは付け加えようとしたが、それより前にジルが手を打っていた。
「じゃあ決まりだ。もう日も落ちる。ここで一晩を明かす」
そう言いながら、彼はシャッターを閉じた。他の面々も了解、と口々に答え、『信者』からは距離を取りながらも、部屋の内側へと入り、座り込む。まだ納得がいっていないのはアリスだけらしかった。アリスはシャッターを閉じ終わったジルに駆け寄った。
「よくないと思う。兄さんから言われたんだ、『信者』と会ったらすぐ逃げろって……」
「アリス、大丈夫だ。特区の中にも『信者』はいたが、みんな話せばわかる奴だった。全ては偏見が問題なんだよ」
「でも……」
ジルが深い灰色の目をこちらに向けてくる。それが軽蔑の色を含んでいるように見え、アリスは思わず言葉を呑み込んだ。
「これは決定事項だ。……どうしてもというなら相談するが、実際に、『信者』の被害を受けた経験でもあるのか?」
言い切ってから、言い方が厳しかったと思ったのか、ジルは優しげな声で尋ねてくれた。
しかし、そう言われると、アリスは困った。
「……いや、ない」
ややあってそう答えると、ジルは微笑んで頷いてくれた。
「なら大丈夫だろう」
「……わかった。でも、一応、近くに屍人がいないかだけ見てくる」
「着いていこうか?」
ジルは閉じたばかりのシャッターを押し開けながら尋ねる。アリスは首を横に振った。
少しだけ開けられたシャッターをくぐり、もう一度外に出ると、さっきよりも日が沈んでいた。東の空がもう紺色に染まり始めている。西の空は赤く、西から東へと視線を動かしていくと色のグラデーションが目に楽しい。アリスはこの時刻の空が好きだった。
森の中に戻り、耳を澄ませながら、工場の周りを一周する。鎧の金属音がないだけで、ずっと安心する心地があった――そして奇妙な音を捉えた。
アリスがガサガサと茂みの中を移動するたび、遠くの方で何かが蠢くような音がする。振り返ったが、何もない。ウーウーという屍人の声も聞こえない。獣だろうか。
そんなことを思いながら茂みを進んでいると、ふと、遠くの方から、蠢きが凄い勢いで駆け寄ってきた。立ち止まり、懐の拳銃に手を伸ばす。野犬だと厄介だ。そう思いながら息をひそめていれば、その蠢きはすぐ近くまでやってきた。後方の茂みが揺れ、そしてその間から何かが飛びだしてくる。
兎だった。
アリスは溜息を吐き、拳銃から手を離すと、また茂みを歩き出した。兎はアリスに驚いたように方向を変えると、別の茂みの中へ飛び込んでいった。
特区、は南部特区のことです。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。