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6 道程

 すぐに背後で門が閉じられ、誰かが深い溜息を吐く。前方には右手に森、左手に野原が続いている。風が吹くのに合わせて、さわさわと木々が揺れた。


「さて……アリス、東に『神の子』はいる。この森を抜けた先だ。もしかして、村に行ったりしたことは……」

「ない」


 アリスが首を横に振れば、ジルが両肩を竦める。がちゃりと金属が擦れる音がした。


「さて、どう進むか。アリスはどう思う?」

「僕は……普段なら、野原と森があれば、森を進む。けど、今は野原の方がいいんじゃないかな……」

「どうして?」


 怪訝そうに声を上げたのはソフィーだ。


「森を抜けた先に村があるのよ。素直に森を進めばいいじゃない。コンパスもあるわ。地図もある……簡単なものだけど」

「でもみんな鎧を着てるだろ? 森の中だったら屍人ゾンビの姿が僕らから見つけづらいし、けど奴らは鎧の音を聞きつけて集まってくるだろうし……それなら野原の真ん中を突っ切っていった方が……」

「いや、森を行こう」


 ジルが言い、迷わず、足を森へと向けた。


「確かにそれも一理あるかもしれないが、野原を通って、屍人ゾンビに囲まれた方が厄介だ。アリスもいつも森を通ってるのなら、森の方が勝手がわかるだろう。森を進む。異論は?」


 ジルが周りを睥睨する。三人がこくりと頷き、アリスも頷いた。


 四人に続き、森に入り込む。彼らも森の入り口は入り慣れているらしく、足取りがしっかりしていた。

 ぐしゃぐしゃと草むらを踏み分けて進んでいく彼らの後を続く。重い金属で踏み鳴らされた地面は歩きやすかった。先頭を進むジルが余計な枝葉を手で払いのけてくれる。


「……ジルたちは南部特区で生まれたの?」

「そうだよ」レンダの明るい声がする。「壁の外に初めて出たのは、十三とかそこらだったかなー」

「そっか、いいね。羨ましいや」


 アリスが素直にそう言えば、前方を歩くソフィーがへぇと興味深そうな声を上げた。


「珍しいわね。外からくる人はみんな、私たちの事を能天気だって馬鹿にするわよ」

「外からくる人がいるの?」

「えぇ。キャラバンが……集団で転々と暮らしてる奴らがたくさんいるじゃない。物資を求めにたまにくるわよ。決して慣れ合おうとしないから、『神の子』を連れて帰るのには協力してくれなかったけど、その情報はくれたの」


 ふん、とソフィーが鼻で笑った。


「外で生まれて外で暮らしてるからって何が偉いのかしら。平穏な場所があるなら、そこで平穏に暮らしててもいいはずよ。こんな時代でもね」

「……それなのにわざわざ外へ出てきてるんだもんな」


 リュートが暗い声で言った。バキ、とジルが足元の枝を踏み折る。


「仕方ないだろう。世界を救う為だ」

「……外には何度か出てるの?」

「うん」レンダが飛び跳ねるように歩きながら言う。「特区の中で暮らす人もね、有志は兵士になれんのよ。兵士と言うか、屍人ゾンビと戦う為の訓練を受けられるワケ。その最終段階として、壁の向こうに出て、ドンパチやったわよぉ。たまに死人が出るの。初めて外に出た時は怖かったなぁ」

「あんたでも怖かったのね。……特区の外で一週間、野宿もしたわ。いつ屍人ゾンビがくるかわからなくてヒヤヒヤした。特区での平和が本当にありがたく思えるわね」


 ソフィーが神妙にそう言うのを聞きながら、アリスは奇妙な気分になっていた。

 自分は生まれてからずっと特区の外にいた。自分が当たり前にしてきたことを、特別なことのように言われると変な心地がする。しかし、反発心のようなものは浮かばず、不思議だな、と思っただけだった。


「それよりアリスの話を聞かせてよ」


 おもむろに、ソフィーが興奮気味な声を上げた。


「今までずっと外で暮らしてたの?」

「そうだよ。外っていうか……そりゃ各地の小さい町や村で休んだりもしたけど」

「でも特区以外の町や村って、ほとんど自治されてないでしょ。ただ市民が肩を寄せて屍人ゾンビにおびえながら生きてるだけって聞いたわ」

「そうだね」

「信じられない。どういう心理状態なんだろう。いつ屍人ゾンビがくるかわからない状況が永遠に続くなんて、私には耐えられないわ……」


 ソフィーは驚きの溜息を吐いたが、すぐに横を歩くアリスがその通りだと気が付いたらしい。すぐに溜息をおさめ、押し黙ってしまう。失礼なことを言ったとでも思ったのだろうか。


「僕には、特区でずっと暮らしている人たちの気持ちがわかんないな」


 素直にアリスがそう言えば、リュートが「だよねぇ」と同情するような声を上げた。


「無事に帰れたら、ゆっくりするといいよ」

「ありがとう」


 そうして、アリスたちはしばらく雑談を繰り返していた。四人は随分と仲が良いらしく、たまにアリスにはわからない身内の話をしては、思い出したように、リュートが謝ってくれた。常に気を遣った発言をしてくれるのがリュートで、気が優しいのだとわかる。


 しばらく歩き続けていると、ジルがおもむろに立ち止まった。もう一時間は歩いただろうか、とアリスは太陽を見上げながら思った。

 ジルがコンパスを手のひらに出して言った。


「無駄話はしばらく止めろ。どうしても話したいなら声量を落とせ――日が暮れる前に行けるところまで進もう。アリス、先導を頼めるか?」

「ここから先の?」

「安全な道とか、よくない道とか、あるだろう。この先には行ったことがない」

「それは僕も……」

「でも、歩き方はわかるだろう?」


 自分に何が出来るのだろう。そうした不安が顔に浮かんだのか、ジルは安堵させるようにアリスの肩を叩いた。


「大丈夫だ。いつも通り歩いてくれればそれでいい」

「……わかった」


 目の前にはひたすらに緑が広がっている。まだそう茂みも険しくなく、顔を上げれば太陽が見えるのが心強かった。アリスは目の前の茂みを掻き分け、進んだ。



 それにしても、鎧の金属音はやけに耳につく。

 いつもなら茂みを掻き分けながら、周囲の音に耳を澄ますのだが、今は、金属の音とまばらな足音だけが鼓膜を叩く。そのさらに遠くで屍人ゾンビが呻いていようが、風の音と紛れて聞き零してしまうだろうとアリスは思った。


 歩き方はわかるだろう、と先導を託されたが、何をすればいいのかよくわかっていなかった。いつも、兄の後ろを着いて進んでいただけなのだ。とはいえ、もう進むしかあるまい。アリスは不安をおくびに出すこともなく、案外にけろりとした顔で進んでいた。


 ――そして、ちゃんとそれを聞きとった。


 アリスがぴたりと足を止めれば、後ろの四人も立ち止まる。その時点で金属の音がガチャガチャと鳴る。その上にレンダが声を上げた。


「どうした?」

「静かに」


 ――という自分の声でさえ、うるさく思える。アリスは顔をしかめた。


 ウーウーという、さっきまで遠かったはずの呻き声がどんどん近づいてきている。アリスは木の幹に身を隠そうとして、ふと後ろを振り返った。四人はじっとアリスを見ている。彼らは隠れようにも鎧が邪魔だろう。


「……屍人ゾンビが近くにいる。もう少し先」


 そう言えば、緊張感が高まるのが感じられた。ごくりと誰かが息を呑む音が聞こえる。


「……何匹だ?」


 ジルが低い声で問うた。呻き声はかなり近くなっている。アリスは耳を澄まし、人差し指を上げた。一人だ。

 ジルは腰に吊るしていた剣を引き抜いた。後ろで、各々も自らの武器を握る。その内のソフィーとリュートが拳銃を持っていたため、ジルが片手を挙げて制した。その通りだとアリスは思う。屍人ゾンビ一人に対して拳銃を用いるのは、かえって他の屍人ゾンビを呼ぶ可能性がある。彼らは音に敏感だ。


「アッ」


 野太い悲鳴が上がる。リュートだ。彼は右腕で斜め前を指差した。彼が差した方を向けば、そこに全身で体当たりするようにして枝葉を掻き分け、進んでくる屍人ゾンビの姿があった。


 肌はところどころ青色じみたり、紫色じみたりしていて、半ば腐っている。目も片方が落ち、腕もあり得ない方向に降り曲がっていた。右足がぐるりと奇妙にねじ曲がったまま、斜めに身体を揺さぶるようにして、それはこちらへ駆けてくる。駆けると言えども非常に鈍い動きだ。


 ――普段ならば、身を隠し、後ろから後頭部を叩き潰す。あるいは遠方に石を投げ、そちらに意識を向けさせてから逃げる。屍人ゾンビはけして目が良くない。隠れてしまえば、見つけ出すのに時間がかかる。


 しかし、今は異なった。アリスが行動する前に、ジルが屍人ゾンビに立ち向かい、その大きな剣を振り上げていた。


「死ね」


 吐き捨てるような声と共に、ジルは迷いなく大剣を振り落とす。ゾンビの頭蓋骨は真っ二つに切り伏せられた。同時に青緑になった血が噴出する。


「ジル――」


 ジルは真正面から返り血を浴びた。

 ぞっとして叫んだが、振り返った彼は平然としている。血は鎧にべったりと付着したものの、彼自身は気にもしていないようだった。


 あれだけちゃんと装備をしていれば、返り血を浴びようが、肌に付くことがない。したがって感染しないのだ。そう気が付き、アリスは胸を撫で下ろした。


「お見事」

「これしきのことで何を言う」


 ジルは言いながら剣を振って血を飛ばし、鞘に戻した。言葉はあっさりしているが、声自体には嬉しそうな響きがあった。


「私たちは優秀なの」えへん、と胸を張ってソフィーが言う。「だから縮こまってないで、もっとどんどん進んでくれていいのよ」

「駄目だよ、安全第一じゃないと……」


 すぐさま、リュートが小さく背中を丸めながら言った。その背中をレンダがバシッと叩きつける。


「あんたはもっと堂々としなさいな」


 そうだね、とリュートは答えながらも、さらに背中を丸くした。

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