53 唯一の人
「は? 死ね」
――エマは、絶好調だ。
昨晩は本当に疲れていたのだと思う。ルイヴィスたちに対して、そういう類の暴言を吐くことはなかった。
ロザリーは困り果てながら、エマのその様子を眺めていた。
空は明らみ、すでに朝になっている。昨日は沈んで消えた太陽が復活し、東の空で輝いている。雲一つない、薄い青色が一面に広がっていた。何とも心地よい日だが、エマはその中でぶすっとした顔をして次々と罵声を吐いている。
ロザリーたちが寝ている間に、キャラバンは村に辿り着いていた。その柵の中で荷車は止まり、キャラバンの人は村で食料を得たり、村人と交流したり、夜通し起きていた人間は荷車に乗り込んで眠ったりと自由に過ごしている。
「そんなに嫌かい?」
ルイヴィスが柳眉が寄せながら笑った。彼女としても、そこまで拒否されるのは意外だったのだろう。
「何でさっき知り合ったばかりのお前たちと一緒に旅なんかしないといけないんだよ」
「エマ、そういう言い方は駄目だよ。ルイヴィスさんは私たちのことを気遣ってくれてるんだよ」
「いや、絶対裏があるね」
エマは唇を尖らせ、ぎろりと睨みつけながら言う。あまりにも警戒心が強い。
しかし、ルイヴィスはそんな態度には慣れているようで、にやりと笑いながら両腕を組んだ。
「何かするつもりなら、昨日、あんたたちがすやすや寝てる間にしてるさ。そうは思わないかい?」
言い返せないのか、エマは押し黙る。ルイヴィスは楽しそうに両目を細めると、今度はロザリーを見た。
「随分と尖っていて、扱いに困る子だね。あんたも大変だろう」
「私は、そういうエマが好きですから」
「あら、良い娘だ」
ルイヴィスはにこりと笑う。
「この子にはどう接すればいいのかな?」
「子供扱いするなよ」
エマが不機嫌そうに言う。ロザリーは笑いながら答えた。
「根は優しい子なんです。だから暴言はあんまり気にしないであげてくれませんか?」
「わかったよ」
ルイヴィスは微笑み、頷いた。ちょうどその時、遠くの方から村人がルイヴィスを呼ぶ。彼女は「ごめんね」と一言言い置くと、そちらに走っていった。
彼女が遠ざかった途端、エマが勢いよく肩を掴み、ぎろっと至近距離で睨み上げてきた。
「根は優しいだと? よく言えるな」
その唇がにやりと歪な形を描く。
「私はリルベルを切ったし、クラウドも見捨てた。アリスも死んでるかもな。それのどこが優しいんだよ」
「全部私の為だわ」
ロザリーがそう答えると、エマは初めて気が付いたかのようにハッと息を呑んだ。それから舌打ちをする。
「思いあがるなよ」
「思いあがってなんかないわよ。ね、髪がほつれてるわ」
そう言い、ロザリーは手を伸ばして、エマの髪を結び直した。幼さを助長させるその髪型に、もうエマが文句を言うことはなかった。
ねぇ、と声を掛けながら、ロザリーは背後からエマを抱きしめた。エマは抵抗するように身体を動かしたが、ロザリーの腕が僅かに震えているのを見て、すぐに逃げるのを止めた。
「……何?」
「しばらくルイヴィスたちと一緒に進まない?」
「どうして?」
「勉強したいの。外の世界での生き方を」
「私が教えるよ」
「あなただけに迷惑をかけるのは嫌だし、それに、あなたの知らないことだってあるかもしれないでしょ?」
「……まぁ、それは一理ある」
エマは渋々と言うように頷いた。
ロザリーはさらに両腕に力を込め、自分より背の低いエマに縋るような、同時に包容するような気持ちで言った。
「あの人たち、私たちのこと、何も知らないのよ」
「……そうだな」
「私のこと、『神の子』だって知らないのに、優しくしてくれるの。とってもいい人だわ」
「あっそ」
エマは不機嫌そうに言う。ロザリーは思わず笑ってしまった。
「あなたは、私が『神の子』って知ってるのに冷たかったけど」
「悪かったね」
「だからあなたは特別よ」
不意打ちの様に言えば、エマは押し黙る。
助けてくれるのなら誰でもいい、という訳じゃない。自分にはエマが必要だった。
『神の子』という役目を捨てて、たった一人の娘としての命を獲得した、今の自分。その罪はあまりにも重いだろう。けれども、それを、エマは全て知っている。その大犯罪の片棒を、自分以上にたくさんのものを捨ててまで、担いでくれている。
幸せだと思った。この人に会えて本当に良かった。だからこそ、エマにだけ頼るのではなく、ちゃんと生きたかった。
誰かの命を踏みつぶして、生きると言う事を『選択』したのだから。
「エマ、」
「何?」
「私をあの村まで殺しに来てくれてありがとう」
「物騒だな」
エマはそう言いながら――物騒なのはいつだってエマの方だと思うけど――ロザリーの腕を擦り抜け、鬱陶しそうに身体を払った。それが照れ隠しのようなものだと、ロザリーにはわかる。
向こうから、ルイヴィスがまた駆け戻ってきた。彼女はエマを見て、いたずらっ子のような笑みを浮かべる。
「さてさて、この頑固者にどう話しかけようかな」
「頑固者じゃない」エマは溜息を吐いた。「いいよ。ロザリーがついていくって言ったから、私もあんたたちと一緒に行く。あんたたちの仲間に入れてくれ」
「あれ。随分とあっさり陥落したね」
ルイヴィスはぎょっと目を丸くした後、ふふんと笑ってロザリーを見た。
「扱い方をわかってるんだね」
「そういうのじゃないです」
ロザリーは慌てて首を横に振った。そういう言い方をすれば、エマがまた機嫌を損ねてしまう。
しかし、エマが暴言を吐く前に、ルイヴィスは褐色の指をエマの鼻先に突き出した。
「言っておくけど、あたしたちの家族になるなら、人に嫌なことを言うのはおよし。あたしはあんたたちの親代わりだからね、そんなこと、許しゃしないよ」
「親代わり?」
エマがさっと顔色を変えた。それはロザリーも同じことだった。
そうさね、とルイヴィスは頷く。
「あたしたちは家族だよ。よろしくね」
「家族だなんてあほらしい」
エマが首を横に振って言った。
「ただ一緒に行動するだけだよ」
「まぁ」ルイヴィスは呆れたように笑う。「よくもそこまで傲慢な態度がとれるもんだね」
「悪いけど、私はあんたたちの助けなんか必要ないから。あくまでも対等な関係だ」
「わかったよ」
反抗的な子供をあやすように、ルイヴィスは片手を挙げてそれを認めた。
――家族かぁ、とロザリーは思った。
自分の知っている家族は、自分を殺そうと必死だった。そんなことを思い出し、ずきりと胸が痛む。
母親を裏切った。父親も裏切った。村の人みんなを裏切った。それどころか、この島に住む人みんなを裏切った。
エマが何かに気付いたようにこちらを見た。その真っ赤な目がぎろりとロザリーを睨む。
ロザリーが裏切らなかったのは、その目だけだった。
――実際に、ルイヴィスがエマを対等な存在だと認めたのは、エマが村に入り込んできた屍人を一撃で切り伏せた時だった。
村の入り口でバタリと倒れた屍人の頭をブーツの底で踏み潰し、エマはその死体に唾を吐く。村人を避難させようとしていたルイヴィスは呆気に取られてエマを見ていた。
「……あんた、飛び道具も使わないで、返り血も浴びずに、屍人倒せるのかい」
エマは短剣の血を振り落とし、こくりと頷いた。
「凄いねぇ……」
ルイヴィスが感心の溜息を漏らす。少なくとも、彼女たちキャラバンにとっても、エマは有用な存在だと認められたようだった。
男たちが、屍人の死骸を引きずって森の奥深くまで捨てに行っている間、エマとロザリーはキャラバンからの歓迎を受けた。
ちょっとした歌を歌ってもらったりだとか――
たくさんの子供たちの名前を聞いて何とか覚えようとしたりだとか――
狩りが得意な女性や、料理が得意な男性や、それぞれの得意分野の話を聞いたりだとか――
このキャラバンはどのように動き、どのように生活しているのかだとか――
単純な歓迎の儀式から、生活の詳細に至るまで、二人はキャラバンの話を聞いていた。
もちろん、その話をただ村の中でやったわけではない。ルイヴィスは村長たちと交渉し、何やら物々交換をしているようだった。
村から村へ物を運び、あるいは技術を伝えることで、このキャラバンは生活を成り立たせているのだとタッタが言った。
「簡単に物資が手に入って、のんびりできるのは特区だったんだけどね。あんなに大きな街が滅んじゃったのね」
実際は、まだ滅んではいない。ただ、街の中に屍人が入り込んだというだけだ。迅速に排除が出来れば持ち直すことは簡単だ。とはいえ、あれだけ大勢の人間が住む特区の中で、感染も考慮に入れた際に、迅速な排除などが可能なのかどうか。
――ロザリーが穴に飛び込んで死ねば、一瞬で解決する話だった。屍人は滅び、感染した人間からもその毒は消え去る。
ロザリーは目を伏せる。でも、私は生きたいのだ、と胸中で囁いた。




