36 火炙り
「儀式……?」
「――満月の日に、女が初潮を迎える」
村長の声がした。村人がざっと両脇に避け、道を開ける。年老いた村長は、驚き戸惑っているアリスとロザリーを横目で睨んだ後、エマの前までゆっくりと歩いてきた。その顔が月光で照らされている。
『ある特定の人物たち』が浮かべる、独特な高揚の混じった笑みを、彼は浮かべていた。歪で、脂ぎって、気味の悪い、気持ちの悪い、吐き気のする、笑顔だ。
「満月も、初潮も、全ては『開く』ということだ。それが重なる日は、新たなる世界への道も大きく開かれている……まさか本当にそのような日がくるとは。私が生きている間に来てくれて、本当に良かった。善行は神に通じるものだな」
その言葉を聞いていた村人たちが、感動で涙をうっすらと浮かべながら、うんうんと頷いている。彼らが胸の前で手を重ね、祈りを捧げ始めたのを見て、エマは自分が卑屈に笑ってしまったことに気が付いた。
「あんたら――……『信者』か」
『信者』にも、穏健派とか過激派とか、いろいろあるみたいだから、警戒は怠らない方が良いね――アリスがそう言っていたことを思い出す。
「最悪。ほんと最悪。胸糞悪い」
エマはそう吐き捨て、ついでに唾をその村長の顔へ向けて吐きつけた。村長は頬にべったりと唾を被った後、それを真っ白な手巾で拭き取り、地面に投げ捨てて言った。
「あなたのような外道が『乙女』となり、我らと共に新たな世界へ行くとは。神とはなんと寛大であることか」
「死ね」エマは叫んだ。「誰が新しい世界なんて行くか! 離せ!」
しかし、叫ぶのは無意味だった。両脇にいた男が、いきなり、ウッドチェアを持ち上げる。ぐらりと揺れ、エマは思わず悲鳴を上げた。全くて可愛げのない、低い声の悲鳴だった。男たちは迷いなく、エマを運んでいく。このまま村の外に運ぶつもりじゃないだろうな――とエマは全身から汗が噴き出るのを感じた。
しかし、予感は外れ、エマは、井桁型に四角く積まれた薪の中に、ウッドチェアごと投げ捨てられた。薪の隙間から、蝋燭を持った村人たちが集まってきているのが見える。
「もっと最悪じゃん……」
生きたまま、焼かれろと?
ぞっとした。あまりにぞっとして、気絶してしまいそうだった。
ふと、どこかから歓声が聞こえてきた。そちらに目をやれば、なんと、村の男どもが、村の周りにあった柵を壊し、それをこちらへ運んできていた。バカみたいな、くだらない歌を歌いながら、その木の柵をエマの方へ放り投げてくる。木の柵は次々に放られ、薪の隙間から見えるものが木だけになってしまった。真っ暗だ。頭上の満月しか見えない。
「クラウド! ロバート!」
思わず叫んだが、村人の歓声によって掻き消される。
「アリス!」
自分がここにいることに、誰か気が付いてくれているだろうか?
しばらくがむしゃらに名前を叫び続けた。けれど、気の狂った村人たちは、それをあざ笑うかのように、大声で歌を歌い始める。ぐるぐると薪の周りを歩き回りながら、歌っているようだ。それはジャックの歌う賛美歌とよく似た調子の歌だった。きっと賛美歌なのだろう。
「カミリエ様のがよっぽどましな神様だよ、今なら心の底から信仰できそうだ」
エマは誰も聞いていないのにそんなことを叫ぶ様に言った。
最悪だ。最低だ。生きたまま、豚みたいに焼かれる? ――ごめんだ!
叫びながら身体を捩る。縄は身体を引き千切るくらい強く椅子へ縛り付けてくる。せめていつもの服ならば、短剣だの何だのを仕込んでいるからどうとでもなるのだが、今はくそったれなワンピース一着だ。バタバタと暴れまわる度に血が溢れだすのが何とも言えず腹が立つ。
「お前ら全員殺してやる!」
エマは叫び、暴れまわった。
そして――気色の悪い歌の合間に、ウーウーという声を聞いた。
屍人が集まってきたのだ。火を掲げ、大声で歌って騒いでいるのだから、当たり前だろう。柵のない村に、周囲の屍人は押し寄せるようにやってくるに違いない。エマはそう想像し、ふと、思った。
ロザリー。
脳裏に浮かぶのは、目覚めた瞬間に見せつけられた、優しい笑顔だった。きゅっと胸が苦しくなり、一番初めに零れ落ちた言葉が、
「逃げろ……」
だったことに、エマ自身、驚いた。
「ロザリー、いるなら逃げろ!」
エマは叫んだ。さっきよりもずっと力がこもった。もはや自身は薪の中から逃げることを失念していた。ただ彼女がここにいない方がずっといいと思った。
「ロザリー! 逃げろ! アリス! クラウド! ロバート! 誰でもいい! ロザリーがいるなら逃がせ!」
それは、彼女が『神の子』だから、なんていう理由ではない。
理由など、エマにはもはやわからなかった。ただ、がむしゃらに叫んでいた。
「逃げろ! 逃げろ! 早く!」
必死で叫ぶ。村人の大合唱よりも大きな声で。逃げろと言って彼女が逃げるとは思えなかったが、誰かがその腕を引いて、逃がしてくれればいいと思った。
村人たちが歓声を上げる。屍人が近づいていることに気が付いたのだろう。そして、何かが投げ込まれる音がした。バチバチバチ、と爆ぜる音がする。すぐに火の手があがった。村人たちが、エマを囲んだ薪や木の柵に向かって、蝋燭を投げ捨てたのだ。
薪の下から、めらめらと火が上がっていく。黒い煙が上がり、エマは顔をそむけた。熱気が足元から這い上がってくる。
「ロザリー! 逃げろ!」
それでも、エマはそんなことを叫んでいた。
自分でも、馬鹿みたいだと思った。
それなのに、何故か、ロザリーのことを想って叫んでいる時は、まるで、自分が死ぬことが怖くないような、そんな不思議な感覚がした。
「ロザリー!」
熱さが頬まで這い上がってくる。エマは息を止めた。咄嗟に身体が動くのは、やっぱり死にたくないからか。身体を動かすが、やっぱり縄は解けない。火の手が上がってきて、薪を焼き上げていく。ふともっと近いところから熱気を感じ、振り返れば、ウッドチェアの後ろの脚に火が移っていた。
どんどんと火は昇ってきて、そして真っ白なワンピースの裾に燃え移る。
思わず悲鳴を上げそうになった瞬間――銃声が聞こえた。
乾いた銃声が連発で聞こえ、誰かが叫んでいる声もその合間に聞こえる。村人が戸惑い怒るような声を上げていたが、それも銃声によって掻き消された。
そして、突然、視界が開けた。前方の薪が引き抜かれ、それを始めとして囲いが乱暴に崩されていく。地面に崩れ、燃えていく薪を飛び越えるようにして、エマの隣にやってきたのは、クラウドだった。
「――よぉ、小さなレディ、迎えが遅くなって悪かった」
クラウドはそう言って笑うと、ひらりとナイフを取り出し、ウッドチェアにエマを結び付けている縄を切った。エマは解放されるなり立ちあがると、ひとまずワンピースを払って火を消した。真っ白だったワンピースが、煤のせいで、灰色になっている――けれど、この方が自分には似合う気がした。
「何が小さなレディだ。遅すぎるんだよ、死ね」
「死にかけたくせに減らず口だな」
そんなことを叫び合いながら、二人は薪を飛び越え、火から離れた。
周囲には、すでに屍人が集まっていた。少し離れたところで、屍人に食われている村人の姿が見える。彼らは痛みに叫び声を上げながらも、胸の前で手を組み、祈り続けていた。見れば、燃え上がる薪の周りにいる村人も、恐れたり、逃げ出そうという様子は見えず、祈りのポーズをとっていた。
屍人に食われれば新しい世界に行ける、幸せになれると本気で考えているのだろう。
吐き気を覚えながら、エマはクラウドに尋ねた。
「ロザリーは?」
クラウドの黒い目が意外そうに見開かれ、こちらを見た。
「アリスとロバートに言って、先に逃がしたよ。俺たちもとりあえず逃げよう。じゃないとこいつら共々死んじまう」
「そうか」
エマは短く答え、辺りを睨みながら、走り出した。その隣を、すぐにクラウドが付いてくる。武器を持たないエマの代わりに、拳銃を握り、冷静な目で周囲を確認している。
「それにしてもアリスもロバートもクソだぜ。少しは俺を見習えっての」
進行方向にいた屍人の頭を撃ち抜きながら、クラウドがそんなことを言った。
「ロバートがクソなのは知ってる。アリスは?」
「俺が指示するまでぼーっとしてやがんの。あいつ、よく一人で特区まで帰ってこれたよな」
クラウドは溜息を吐きつつ、また発砲する。
屍人の数は異常に多い。建物の間を走り抜け、森を目指しているが、少なくとも前方に六体はいた。昔、この村で生活していた者も混じっているのだろう。
クラウドが発砲し、無事に倒したのは二体だけだ。他のは避けた方が早いと二人とも判断した。エマはスカートの裾を翻しながら、屍人の脇を難なく掻い潜り、完璧な装備をしているクラウドは、屍人を蹴飛ばすようにしながら、突き進んだ。
地面を蹴って駆け、スカートが風にはためくのを感じていれば、すぐに森に着く。エマが先に森の茂みの中へと飛び込めば、すぐそこにアリスたち三人も待っていた。
アリスとロバートは拳銃を引き抜き、その間でロザリーが真っ青な顔をしている。しかし、彼女はエマに気付くと、パッと顔を明るくした。
「エマ、無事だったの!」
「俺様のおかげでな」
ふふん、とクラウドが鼻を鳴らす。何だか腹が立つが、実際、その通りなので反論は出来なかった。
ロザリーは嬉しさのあまり、両手を広げてエマに飛びつこうとしてきたが、エマは彼女を押し返し、言った。
「とりあえず、ここを離れよう。次々と屍人がくるから」
「あぁ……でも、厄介だな」クラウドが顔をしかめる。「お前、その格好はやばいだろ」
エマは頷いた。ただのワンピース一枚なのだ。首元も曝け出しているし、靴は履いているとはいえ、ワンピースの下は素足だ。ちょっとしたことでも怪我をするし、感染する可能性もぐんと上がる。ここに『神の子』ロザリーがいなければ、死を覚悟していたところだ。
「でも荷物を取りに戻るわけにはいかない。進もう」
エマはそう言い、無表情で突っ立っているアリスの背中を叩いた。走り出せ、という意味を込めていた。アリスは頷くような動作をすると、茂みの中を突き進んでいく。ロザリーの腕を掴み、エマはその後を続いた。すぐ後ろに、ロバートが、荒い吐息を漏らしながら、付いてきた。
――ロバートのやつ、いつもより、息が上がるのが早くないか?
エマがそう気が付いた、その時だった。
ぐっ、と後ろに引き込まれるような感覚があった。
あれ? と思った時には地面に引き倒されていて、ロバートがその上に乗りかかってきた。彼の目はあらぬものをみているようであり、その唇からは白い泡が溢れている。
――だめだ。トんでる。
奴には何が見えているのか。それはわからないが、ロバートは懐から短剣を抜くと、それでエマの首を突き刺そうとした。流石に素早い動きだった。もう一方の手で腕を抑えつけられていたから、エマには防ぐ手立てがなかった。
「は……」
そんな声が漏れ、それが最後の言葉になるかと思った瞬間、クラウドがロバートの腕を両手で掴み、叫んだ。
「アリス! ロバートを撃ち殺せ!」




