35 満月の夜の乙女
同日に前話(34 生と死の狭間)を投稿しています。未読の方は、そちらからどうぞ。
そして、クラウドに起こされたロザリーは、少し言い辛そうにしながらも、はっきりと、言った。
「ごめんなさい、私もわからないの」
「……何で?」
ベットの上で丸くなりながら、ロザリーに尋ね返せば、彼女はあえて軽く話すように、肩を竦めて、微笑みながら言った。
「ないんだよね、子宮」
エマは言葉を失った。居心地が悪そうに壁にもたれていたクラウドもぎょっと両目を丸くした。ロザリーと共に目を覚ましたアリスだけが、何を考えているのかよくわからない顔で、ロザリーを見ていた。
「子宮が……ない?」
ややあって、エマがもう一度尋ねれば、彼女は少しだけ頬に紅を差しながら、俯いて言った。
「うん。それに関わるようなものも、何も、ないの」
彼女はにこりと優しい笑みを浮かべ、穏やかに述べる。
「私は死ぬ為に生まれてきているから。そんなもの必要ないって、神様が判断したんだと思う」
彼女はそう言いながら、ウッドチェアから立ちあがった。絹糸のような金髪をなびかせながら、エマを方を見つつ、扉の方へ近づく。
「村の女の子に聞いてみましょう。一緒に行くわ」
「……」
エマは何も言えないまま、ベッドから降りた。気持ち悪さに吐き気がしそうだった。腰が痛いのも、やけに眠いのも、このせいなのだろうか。月に一度くらい、リルベルが憂鬱そうに腹や腰を抑えていた時があった。自分とは無関係だと思っていたが、まさかこんな時に来るとは。
ロザリーと共に空き小屋を出ると、太陽が森へ沈み込んでいくのが見えた。あと一時間もすれば、世界は闇に落ちるだろう。そんなことを思っていれば、ロザリーはこちらに真っ白な手を差し出した。
「手なんか繋がないよ、子供じゃあるまいし」
エマはその手を払い、適当に歩き出した。
すぐそこで、ロバートと、彼に肩を抱かれている女性を見かけた。女性はニコニコと笑い、随分と気安げにしている。
「あぁ? どうしたんだ」
ロバートがこちらに気が付き、ふと目線を向けてくる。下心見え見えの愛想笑いがそっくりそのままこちらに移され、エマは吐き気がした。
「お前なんかに用はない」
そう吐き捨てれば、ようやくロバートの視線がいつものものに戻る。しかし、エマは彼から目をそらし、彼の隣で微笑んでいる女へ向けた。
「なぁ、ちょっといいか?」
「どうかしましたか?」
微笑みを浮かべたまま、女性が首を傾げる。エマはロバートがいるのもお構いなしに、素直に言った。
「初潮が来たんだ。どうしたらいいかわかんないけど、あんた、わかる?」
ロバートが尻尾を踏まれた犬みたいな声を出した。それが下卑な笑い声に変わる直前、ロバートに肩を抱かれていた女性は、彼を突き飛ばすようにして、エマのすぐ目の前までやってきた。そしてなんと、その両手を包み込むようにして握り込んだ。
「初潮が? きたの? 今? 初めて?」
強く強く確認するように、女性が言う。その目に奇妙な色が混じっているような気がした。
「あ、あぁ、そうだけど」
初潮なのだから、初めてに決まっている。それなのに、女性は「本当に初めてなのね?」「今、来たのね?」と何度もしつこく尋ねてきた。それにエマがそうだ、そうだ、と頷き続けていれば、次に女性は満面の笑みを浮かべて見せた。
「とってもめでたいことだわ! こっちへいらっしゃい、この満月の日に、この村で初経を迎えるなんて、運命に違いないわね」
何が運命なのか、エマにはさっぱりわからない。けれども女性は嬉しそうにそう言い、エマの手を引っ張って歩き始めた。もともとどうすればよいのか迷っていたエマは、とりあえず、その女性に付いていくことにした。その後ろをロザリーがのこのこと付いてきて、それで少しだけ安心してしまうのが、自分でも憎い。
ただ、ポカンとした顔のロバートだけがそこに残されたのは、いい気味だと思った。
女性は、エマを村長のところへと連れて行った。真っ白な髭を生やした、年老いた男は、最初は胡乱げにエマを見ていたが、女性が
「満月のこの日、この村で初潮を迎えた乙女です」
と、大仰にエマを紹介すれば、すぐに顔色を変えた。
「それはめでたいことだ。村の者にも通達しないと」
ニコニコと笑みを浮かべながら、村長はそんなことを言った。
――ただ村にやってきた女が初潮を迎えただけで、それほどめでたいのだろうか。
この村の慣習なのかもしれないが、エマには容易には理解できなかった。さっきエマの腕を引いていた女は、すぐさま飛び出して、村の住人へ事の次第を伝えに回っている。代わりに他の女がやってきて、二階へ誘うと、エマだけを部屋の中へ入れようとした。
「服を着替えたりしないと。あなたは廊下でお待ちになって」
女がそう言うので、ロザリーは素直に廊下で待とうとしていたが、エマはそれを許さなかった。警護相手を廊下に放り出しておくほど、エマは馬鹿ではない。
エマが頑固として譲らないのを見ると、女はロザリーも部屋の中に入れてくれた。なんという変哲もない部屋だった。エマは中心の椅子に座らせられた。座った瞬間、また血が出て、気持ち悪かった。
「これに着替えて」
女はどこか興奮したような面持ちで、真っ白な洋服を差し出してきた。
「……血が出てるのに、白?」
エマも不思議に思って尋ねれば、彼女は大きく頷いた。
「えぇ。これがこの村の儀式なの。どうか従ってくれますね? あなたがここで初潮を迎えたのも、きっと運命なのだから」
「……まぁ、断る理由もないけどさ。あんた喋り方変じゃない?」
「儀式の前だから、緊張しているだけですわ」
「あっそ」
エマは渋々洋服を受け取り、着替えようとして、思わず顔をしかめた。
その手渡された洋服は、なんと純白のワンピースだったのだ。どう考えても、ロザリーのような美少女に似合う、清楚なデザインの服だった。これを着なければならないなんて。エマは気が滅入った。腕は手首まで覆うデザインなので申し分ないが、裾が膝丈なのがさらに嫌だった。このまま村の外に出ることになったら、と思うと、あまりにも無防備すぎる。
とにかく、今晩だけ。今晩だけこれを着て、その間に、きっと血が付いてしまっただろうズボンを洗おう。そして明日には着替えよう。そう言い聞かせながら、エマは着ているものを脱ぎ、そちらに着替え直した。
「髪も整えましょう――」
「触るな」
寝たり着替えたりしたせいで、髪は随分乱れていた。女はそれを直そうと手を伸ばしてきたが、エマはすぐにそれを払いのけた。視界の端で、ロザリーがうずうずと目を輝かせてこちらを見ている。エマが仕方なく頷けば、彼女は嬉しそうに微笑みながらやってきて、エマの髪を結び直し始めた。
「一つ結びにしてよ。少しは大人っぽく見えるだろ」
「あら、でも、可愛いわよ。二つで結ぶの」
エマのせめてもの願いを却下し、ロザリーはすいすいとツインテールを作り出し始める。しかも今回は凝っていて、髪を何度も引っ張られた。
「何してる?」
「三つ編みを作ってるの。編み込んで結ぶのよ。可愛いわ」
ロザリーは本当に楽しそうだった。人の髪をいじって、何が楽しいのだろう。エマは溜息を吐き、足を組み直した。真っ白な布地の下から、傷だらけの膝頭が現れる。純白の綺麗なワンピースを着ようと、中身がこんなならナンセンスだ、とエマは胸中で自嘲した。
*
夜は闇に落ち、村は宴の喧騒に包まれた。
村のあちこちの小屋からウッドテーブルが引き出され、そこに豪華な食物や酒が並んでいる。村人たちは彼らが持っている中で一番上等そうな衣服に身を包んでいた。宝石などの高価な装飾品はないが、布地などを上手く切って縫い合わせ、女性ならドレスのように、男性ならタキシードのようにも見えた。
エマは驚いた――まるで、ずっと前から準備していたようだ。
一人、エマより少し若そうに見える、年頃の少女が、頬を膨らませ、エマを睨んでいた。
「何?」
村長の小屋から出てきたばかりで、喧騒に呆気に取られていたエマが、その視線に気付き、尋ねれば、彼女は顔をしかめながら言った。
「その服を着るのは、私だったはずなのに」
――なるほど、とエマは納得した。もうそろそろ初潮を迎える少女がいるから、儀式の準備が進んでいたのか。
「さぁ、飲んで、食べて、素敵な夜にしてください」
エマの着替えを手伝ってくれた女性がそう言い、浮足立った様子で喧騒の中へ混じっていく。
「凄いわね。お祭り騒ぎ」
ロザリーが感心した様に言う。一応、ロザリーの村でも宴はあったらしいが、エマは参加していなかったし、どんなものだかわからない。しかし、彼女の目の輝きを見れば、それはこれほど豪勢ではなかったのだろうとすぐに検討が付いた。
ロザリーが宴を知らないのなら、せっかくだし、付き合いくらいしてやろう。
エマはそう思って、ぼうっと突っ立っている彼女の手を引き、手ごろなテーブルに近づいた。
村の宴は立食式で、酒を片手に、テーブルを囲むようにして、村人たちは立ち、そのテーブルの上の食べ物を指でつまんで食べている。テーブルの上には蝋燭が立っていて、それと満月の光だけが光源だった。村人たちは赤い光で照らしあげられながら、うきうきと楽しそうに言葉を交わしている。
「なんか食べれば」
ロザリーに言えば、彼女は小さく頷き、周りの人に会わせるようにして、よく焼かれた肉片に手を伸ばした。たっぷりと汁の溢れた肉で、非常に美味しそうだ。ロザリーは小さなかけらを掴むと、口に放り込み、うん、と嬉しそうに笑う。
「美味しい」
本当に美味しそうな口調だった。それを聞き、エマも手を伸ばし、食べてみる。珍しい味がした。思わず声を上げれば、隣でそれを貪り食べていた男が笑いながら声をかけてくる。
「豚の肉だよ、美味いだろう」
「豚なんていたんだ」
「俺の家で育ててたやつさ。こっちが年寄り豚の肉で、こっちが子豚の肉さね。食べ比べしてごらん」
自分が育てた豚を、美味しいと言って食べてもらえるのは嬉しいらしい。ニコニコと微笑みを浮かべながら、男は皿を差し出してくる。ロザリーが歓声を上げながら、その皿を食べ比べ、素直な感想を述べた。
それを聞きながら、エマは少しだけ違和感を覚える。
――年寄り豚の肉と、子豚の肉。
言われてみれば、テーブルの上にはたくさんの豚肉が並んでいるし、首を伸ばして見れば、他のテーブルにもたくさんの肉が乗っている。野菜や果物も所狭しと並んでいて、エマにはあるだけ並べたように見えた。
こんな宴をして、これから先、この村の生計は成り立つのだろうか?
エマがそんなことを思っていると、自分を呼ぶ声が聞こえてきた。見れば、宴の中心に大きなウッドチェアが置かれていて、その両脇で女がエマを手招きしている。
「エマ様、こちらにいらっしゃいませ」
エマ様。呆れるような呼び方だ。素直に行くのを躊躇ったが、周りにいた村人が――そしてロザリーまでもが、行け行けと催促してくるので、エマは豚肉を口に入れたまま、その椅子の方へ歩み出た。
「ここにお座りください」
言われるままに椅子に座る。ギシリと木の軋む音がした。ちょうど頭上で満月が輝いている。
満月を見上げている暇もないまま、ウッドチェアの周りに人が集まってきた。彼らはエマの前に一人ずつ膝を着くと、皿や杯を差し出してくる。
「私が育てた果物でございます。どうぞ召し上がれ」
言われるままに、小さな黄色の実を食べた。見た目よりも水っぽく、新鮮な甘みがした。
「俺が狩ってきた鳥を揚げました。美味いですよ」
唐揚げだ。食べると文句なしに美味しい。余計に腹が空く。
「野菜を焼きました。甘みがあって美味しいです。どうぞ」
少し焼き過ぎじゃないか、と思いながら、口に放り込む。草にしか見えなかったそれは、噛んで見るとシャキシャキと良い食感で、独特な甘みがあった。
「私の渾身の料理です。私の腕は村一番ですよ」
さっきの草のような野菜で、何かの肉が巻かれ、それごと焼かれている。これは美味しいだろうな、と思いながら食べれば、野菜の甘みと食感、肉の旨みが混じり合い、何とも言えず美味しかった。思わず二つも三つも食べれば、皿を差し出してきた女性は光栄そうに頬を赤らめた。
「穴が開く前から作っていた特製の酒です。一口目をあなた様に」
杯に真っ白な酒が並々と注がれている。一口飲むと、ピリピリとした痺れが舌先で起こり、苦みが広がる。エマはあまり好きではなく、すぐに突き返した。
「こちらは果実をもとに作ったお酒ですわ」
ささ、と渡された杯を口直しに飲めば、甘く、さっきの黄色の果実の味が口内に広がった。それとアルコールが良い塩梅で混じり合い、ほろりとした熱が胸に起こる。
――それにしても。
皿や杯は次々と出され、エマの胃もだんだんと苦しくなってくる。儀式の中心といえど、こんなに接待を受けて大丈夫なのだろうか。
それに、ただワンピースを着せられ、飾り立てられただけで、特にこれといった処置をしてもらえなかった。料理や酒を口にしながらも、たまに気味の悪い感覚が下腹で起こる。思わず身を捩れば、だらりと血が垂れていくのがわかる。
せっかくの真っ白なワンピースが、きっと赤で汚れているだろう。
エマは不安だった。何だこれ、と思っていた。
――その不安を、警戒心にまで引き上げられなかったのは、初潮という出来事に際し、半ば思考停止していたからかもしれない。
不安が警戒になり、疑問が疑いになった時には、もう手遅れだった。
エマは次々と差し出される皿に、「要らない」と答え続けながら、アリスと談笑しているロザリーを遠目に眺めていた。並べられた豪勢な料理を、アリスも初めて目にするらしく、二人で子供のようにはしゃいでいる。いや、はしゃいでいるように見えるのは、ロザリーがアリスの周りできゃいきゃいと飛び回ったり笑ったりと目まぐるしく動いているからで、アリス自体は目を丸くしたり、ちょっとだけ笑ったりするくらいで、ほとんど無表情だった。相変わらず気味の悪い奴だ。
クラウドは見当たらず、ロバートといえば、また別の女の肩に手を回し、いろいろと話しかけているようだ。かなり酒を飲んでいるようで、顔が赤黒くなっている。そのままアルコール中毒で死ねばいいのに、とエマは思いながら、また「要らない」と言った。
そして、それはその時に起こった。
途中から、両脇に屈強そうな男が立ち始めたことには、エマは気が付いていた。こいつらは何をするんだろう、とぼんやり思っていたのだが、ずっと押し黙り、ただ立ち続けていただけの男たちが、急に動いた。
動いた、と感じたのと、縄が視界に入り込んだのはほぼ同時だった。えっ、と驚いたのもつかの間、その縄は腹に食い込んだ。そのままウッドチェアに縛り付けられてしまう。
「は? 何して――」
エマは驚いて尋ねようとしたが、男たちは黙ったまま、また縄を回し、今度はエマの胸辺りを、腕ごと椅子に縛り付けた。
明らかにおかしい。これは拘束だ。
エマはぎょっとしたが、周りの村人は固唾をのんでそれを見守っている。エマが拘束されることを知っていたのだ。エマは両足をぶんぶんと振り、肘から先の腕を振って縄を解こうとした。しかし、それは異常に固く結ばれていて、エマが身体を震わせても、ウッドチェアごと揺れてしまう。動けば動くほど、縄は胸や腹に食い込み、苦しくなった。
「どういうつもりだッ!」
エマが叫べば、ようやく、アリスやロザリーも異変に気が付いたようだった。彼らはエマがウッドチェアに縛り付けられていることに気が付くと、助けに来ようとこちらへ駆け寄ってきた。が、数歩先に進んだ時点で、近くにいた村人がそれを遮った。
「儀式だ」
右隣にいる男が興奮で声を上擦らせながら、そう言った。




