33 するべきことを
起き上がったエマは、しばらくじっとロザリーのことを見ていた。その目が僅かに揺れた後、殺意に似たものを込めて、アリスをぎろりと睨みつけた。
「あんた、何してんの?」
刺々しい口調でそう言われ、アリスは驚いた。
「何って、見張りを……」
「そうじゃなくてさあ」
エマは投げ出すような口調で言った。随分と苛立っているらしく、わしゃわしゃと髪を掻きながら言うので、その二つの結び目が歪んでいく。
「ミー……何とかっていう女を助けたいから、ロザリーを特区に連れて帰らなきゃいけないんじゃなかったっけ?」
「ミーシャ? うん、そうだよ」
「ロザリーが屍人になったとしても連れて帰るんだろ」
「それが約束だから……」
「だったら何でここで私なんか待ってるんだよ」
「それはロザリーが、」
と、言いかければ、エマは舌打ちした。
「お前は自分で考えるってことを知らないのか? ずっと思ってたけど、誰かの言うことにウンウン従ってるだけだな。道案内をしろってユースに頼まれたくせに、ぼーっとするばっかりでさ。正直、お前なんかいてもいなくても変わんないよ」
それには反論できなかった。
ユースはミーシャを人質にしてまで、自分をこの旅へ参加させたかったようだ。けれども、アリスは自分がそれ相応の活躍をしているとは思えなかった。
エマは溜息を吐き、頭を振る。
「これじゃ、お前の兄さんも死に損だ」
「兄を悪く言うな」
咄嗟に言い返せば、エマは今までになく冷たい目で睨みつけてきた。
「いい加減にしろよ。お前の兄さんはもうとっくに死んでんだ。泣きついたって喚いたって生き返ってお前を助けてくれるわけじゃない」
――ぐさり、と心臓に鋭いものが突き刺さった気がした。
全くもって、その通りだった。唇を噛み、俯けば、エマはようやく矛をおさめたようだった。彼女は唾を地面に吐き捨てた。少しだけ、血が混じっていた。
おろおろして二人を見比べていたロザリーが、そっとエマの髪に手を伸ばす。エマは何も言わず、ロザリーが髪を直すことに嫌がる素振りも見せなかった。
「……それで、これからどうする?」
脅すような口調で、エマが尋ねる。
「特区に戻るしか、ないだろ」
アリスは答えた。
今度こそちゃんとしろ、とエマは静かに言った。アリスは頷くしかなかった。
エマとロザリーを連れ、アリスは特区の方角へと歩き出した。屍人の声も、動物の声も聞こえなかった。風が吹いては、木の葉を揺らす音がした。時刻は朝方で、後ろから少しずつ太陽が昇ってきている。まだ空は白く、空気も朝特有の冷たさが残っている。
「他のみんなは大丈夫かしら」
ひどく心配そうにロザリーが言った。振り返れば、まるで自分が傷ついたかのような、切実そうな表情をしている。その隣を歩いているエマが、あっさりと答えた。
「こうも音沙汰がないなら死んでるんじゃないか。特にリルベルは単体だと弱いからな」
「そうなの? でも、あなたはリルベルさんのこと、信頼しているように見えたけど」
ロザリーがそんなことを言うので、エマだけでなく、アリスも驚いてしまった。
リルベルは仲間内の中でも、一番常識のある人間だろうとアリスも分かっていた。だからこそ、エマは何かと口うるさく言われるのを嫌がっているようだし、相性が悪いと思っていたのだ。
「信頼? 馬鹿じゃないの」
エマが思った通りの事を言うような口調で言う。
「あれ、違ったの? 私の勘違い?」
「……確かに、腕は信用してるけど」
微妙に言い直しながら、エマは答えた。
「あいつは一番の狙撃手だからな。あまり敵に回したくないよ。人間同士の戦争よりも、屍人と人間が戦う方が活発な時代で良かった。もし敵だったら、真っ先に両目を抉らなくちゃ。遠くから撃ち殺されたら堪ったもんじゃない」
「そういう冗談は、笑えないわ」
ロザリーが深い溜息と共に答える。大真面目に話を聞いていたアリスは頷きそうだったが、ロザリーがそう言うので、慌てて顎を引くのを止めた。
「あとの三人だって、心配だわ」
「ロバートはどうでもいい」
エマは恨みのこもった口調でそう言ってから、すぐに、
「クラウドもどうでもいいか」
と、本当にどうでもよさそうに付け加えた。
「まぁ、ジャックだってどうでもいいし、リルベルもどうでもいいな」
興味のなさそうな口調に、ロザリーは眉をひそめる。
「そんなことってないでしょう。ね、心配よね? アリス」
ロザリーはそう言いながら、にこにこと微笑んでアリスの方を見た。アリスが答える前に、エマが噴き出した。まるで、エマに聞くより、アリスに聞いた方がよっぽど馬鹿だと言いたげな様子だったので、さすがのアリスもムッとした。
「心配だよ」
そう言えば、エマはにやにやと意地悪そうな笑みを浮かべながら、言った。
「へぇ? 何が心配なの」
「みんなが死んでないかどうか。怪我してないかどうか」
「ふーん。何で心配なの?」
「何でってそりゃ……意味もなく死んだり傷ついたりするのは、よくないことだって――」
兄さんが言ってたから、と言おうとして、アリスは言葉を呑み込んだ。少しだけ考えて、アリスは小さな声で言った。
「思う、から」
「その通りよ」
ロザリーが共感するように頷く。その隣で、エマが嘘を見抜くような目をしてアリスを見ていた。もう笑ってはいない。心臓のあたりがひやりとした。アリスは前を向き直り、口を閉ざした。
しばらく歩き、太陽が頂点に達した頃。ふと、今までとは違う匂いがしてきた。景色もずっと森が続くものの、その端々にある特徴を捉え、アリスは立ち止まった。
「どうした?」
エマが低い声で尋ねてくる。アリスは答えた。
「この先に、村があるんじゃないかな」
「どうしてそう思う?」
「ほら、ここら辺の草むら、踏み分けられた跡がたくさんある。向こうの方では木がいくつか切り倒されてるようだし、それに……」
「それに?」
エマは溜息を吐きながら問うた。最後の理由は、エマだって気が付いているだろう。アリスはそう思いながら、鳴る腹を抱えつつ言った。
「美味しそうな匂いがする」
かくして、もう少し歩いて行けば、そこには村があった。ロザリーがいた村よりも、もう少し小規模で、若干廃れた村だった。広々とした田畑などは見当たらず、ちょっとした農作物を家の周りや空き地で拵え、それで生きながらえているらしい。村の周りを太い木の枝を組んで作ったような簡易な柵が覆ってある。木の陰から首を伸ばして見たが、見張りのような姿は見えなかった。随分と不用心な気がするが、この良い匂いからして、昼餉の為に、一時的に席を外しているのかもしれない。
「さて、真正面から行って、歓迎してくれるのかね」
エマが小馬鹿にするような口調で言った。さぁ、とアリスは答える。
「ほら、また頭を使ってない」エマはすかさず厳しい口調で言った。「お前も考えろ、警戒されない登場の仕方をな」
「……普段、こういう村には見張りがいるから、普通に挨拶をしに行ったけど。話をして、警戒を解いた」
「残念だが、その見張りがいないんだ。いきなりズカズカと入り込んで、警戒するなと言う方が無理だろ」
「あ、」ロザリーが手を打った。「村の前で、ごめんください、って叫ぶのは?」
「屍人も一緒にごめんくださいすることになるぞ」
エマが言えば、ロザリーはそっか、とどこか恥ずかしそうに俯いた。
「良い案がないなら、村を迂回するのも手か」
「それは賛成できないね」
アリスは、エマの肩口の傷を見ながら言った。血は止まったようだが、白かったハンカチはすっかり赤く染まっている。怪我をしたままで長距離を歩くのは、想像より遥かに体力を使う。
「野宿より村は安全だ。まだ昼だけど、明日の朝くらいまで休ませてもらえるなら、これは凄くありがたいことだよ。どうにかして村に迎え入れてもらおう」
「やっとまともなご意見だ」
エマは口笛を吹いた。馬鹿にされているような気がしたが、アリスは何も言わなかった。
もう一度、木の陰から首を伸ばし、村の方を見て――アリスは驚いた。村の中心部から、男が、若い女の肩に手を回しながら、こちらの方へ近づいてきたのだ。彼らは村から出ることはなく、柵の近くまでやってくると、二人きりで何やら話し込んでいる。どうやら、男の方が女にしつこく話しかけているらしい。女は笑って手を振り、距離を取りながらも、まんざらではなさそうだ。――アリスが驚いたのは、そんな光景ではなくて、その、男の姿にだった。
「……ロバート?」
アリスがそう呟けば、アリスの頭に顎を乗せるようにして、エマも木の影から身を乗り出した。そして、耳元で舌打ちをした。
「死んでなかったのか。残念だな」
本当に残念そうな口調だったので、アリスは何と言えばいいのかわからなくなった。




