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1 ユースティア

 気が付くと、知らない場所にいた。


 壁も天井も窓にかかるカーテンも真っ白な部屋で、窓際にベットが置かれている以外、物は何もなかった。アリスはそのベッドに横たわっていた。身体を起こし、カーテンをめくって窓の外を見る。水色に近い青空が見えた。太陽の低さから、まだ朝なのだと分かる。


 しばらくぼうっと水色を見つめていると、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。アリスが答えずにいれば、ノックは繰り返され、しばらくして、遠慮がちにドアが開いた。


「あれ……起きてるじゃないか」


 部屋に入ってきた人物は、アリスを見るなりそんなことを言い、愛想よく微笑んだ。その優しげな微笑みが兄のものと似ている気がして、アリスは冷や水を浴びせられた気持ちになった。


「びっくりさせたかな? 気を失ってしまったから、勝手だとは思ったけど、門の中へ運び入れさせてもらったよ。ここは南部特区唯一の病院――とはいえ大した設備はないけどね」


 まぁ、あるだけましかな、と彼は肩を竦める。

 男性は三十代後半か、四十代ほどの年齢で、栗色の長髪を赤い紐でゆったりと結んでいた。瞳も同じ栗色で、優しく細められている中に、アリスの顔が歪んで映り込んでいた。


「気分はどう?」


 病気の我が子に語りかけるような、そんな気遣いのある口調だった。アリスが何も言わないままでいると、彼は同じ口調で、ゆっくりと尋ねた。


「……亡くなられた方は、お兄さん?」


 アリスは何も答えず、代わりに睨みつけるように彼を見た。亡くなられた方は、だと。殺したのは南部特区の人間に違いないのに、どうしてそう他人事のような言い草なのだろうか。

 その不満が伝わったのか、彼は申し訳なさそうに目を伏せた。


「……事の次第を聞いたときは驚いたよ。いくら屍人ゾンビが恐ろしい存在だとはいえ、あなたのお兄さんはれっきとした人間だ。それを屍人ゾンビと同じように扱い、殺したなんて……」


 彼は青い顔をして首を横に振る。それが心底から悩ましげな口調に聞こえ、アリスは彼への敵意に似た感情が収まるのを感じた。彼は悪い人ではなさそうだ、と直感する。けれども、まだ何も言わなかった。

 また、彼はにこりと気遣うような笑顔を浮かべ、ベットのすぐ脇に近づいてきた。


「ところで、君は……どこかに定住していたの? それとも、集団で転々と?」


 アリスは首を横に振る。


「では……お兄さんと二人で、どこにも定住せずに生きてきた……?」


 信じられない、とでも言いたげな口調だった。不思議に思いながらアリスが頷けば、彼はパッと口を抑え、驚きを隠せない様子を見せた。


「――こういうことをいきなりお願いするのは、しかも今のあなたの状況からすると、とても酷なことなのは、百も承知しているんだけど、」


 彼は早口でそう口上を述べ、ごくりと息を呑んでから、はっきりとした口調で続けた。


「どうか我々に力を貸してくれないか――世界を救うために(・・・・・・・・)


 アリスはまじまじと彼の顔を見た。彼は真剣な顔をしていた。

 二人はしばらく見つめ合った。先に表情を崩したのは相手の方だった。彼は肩を竦め、また微笑むと、子供をあやすような優しい声で言った。


「変なことを言ってごめんよ。先に言うことがあったね。私はユースティア。ユースと呼んでくれ。南部特区の、そうだなぁ、上から数えて二番目くらいの立場にいる、かな?」


 副長とかって呼ばれてるんだけど、と彼――ユースは付け加えるように言った。


「君のお名前は?」


 優しく微笑みながら、ユースはそう尋ねてくる。アリスは首を横に振った。ユースは困ったように眉尻を下げ、それから目を軽く閉じ、淡い溜息を吐いた。


「無理に聞くのもいけないね。日を改めるよ」


 そう言い、ユースは人差し指で自らの頬を掻く。


「その……君のお兄さんは、特区外の集団墓地の方へ運ばせてもらったよ。あのまま放っておくわけにもいかないし。お兄さんは残念なことになってしまったけど、君だけでも無事でよかった。この特区を故郷ふるさとだと思って、ゆっくり過ごして欲しい。落ち着いたらまた話をしよう。もちろん、君が嫌でなければ……ね」


 ユースの言葉には押しつけがましさがなく、かといって突き放す冷たさもなかった。心底から労わってくれているのだとすぐにわかる。


 ――世界を救う、って何だろう。そんなことが頭をよぎった。


 だから、アリスは声を上げた。


「あの、お話、聞かせてもらえませんか」


 ――きっと、世界を救う為に何かをするのは、『正義の心に従うこと』だ。


 そう思いながら声を上げたが、言葉が音を持った途端、アリスは涙腺が熱くなるのを感じた。言葉尻が湿っぽくなり、思わず俯いてしまうと、一瞬は嬉しそうに振り返ったユースも、すぐに心配そうにして眉を寄せた。


「どうしたんだい?」

「……夢の中では、声が出ないんです」


 ユースはキョトンとしたように押し黙った。


「……夢じゃなかった」


 アリスはそう呟くように言い、もう一度、窓の外を見た。

 兄を失って、これからどうやって生きていけばいいのか。さっぱりわからなかった。


                   *


 アリス。推定十六~十八歳。真っ白な髪と真っ赤な目。日に焼けて肌はところどころ赤くなっているが、色白。人形のような顔立ちで、兄の死を知った時でさえ涙も流さず、ほぼ無表情。


「――『世界を救う事』に関しては、協力的ですの?」


 ヴェロニカが脚を艶めかしく組み変えながら言った。ユースはアリスに対する情報を並べ立てていた口を閉じ、うん、と明るく微笑んで答える。


「お兄さんが正義感が強かったみたいだね。正義の心に従えって言われてました、って言ってて、世界を救えるのなら、もちろん手伝いますって」

「あら、何てイイコなの」ヴェロニカは舌なめずりをする。「可愛い。今晩会いに行っちゃおうかしら」


 冗談めかしてそう言い、声は弾んでいるものの、僅かに目が妖しく輝いた。暇だったら本当に行ってしまうかもしれないな、と思いながら、ユースは溜息を吐く。この美しい秘書はやることがあまりにも奔放だ。

 そんなことを考えながら、そのアメジストのような瞳を眺めていると、彼女はおもむろに真剣な表情になり、こちらを見返した。


「それで? いきなりエマたちと組ませて大丈夫なの? アリスくんのお兄さんを殺したの、エマなんでしょう? いくら優しい子でも、兄の仇と組むのは……」

「あぁ、『勇者御一行』と一緒に行ってもらうつもりだよ」


 そう答えると、ヴェロニカはぴたりと動きを止め、瞬きをした。それから淡い溜息が漏れ、その目に侮蔑の色が浮かんだ。


「……本気で言ってるの?」

「つまらない冗談は言わないよ」

「相変わらず、鬼ね」ヴェロニカは手帳を閉じ、ソファーの背もたれに凭れかかる。「アリスちゃん、心折れちゃうわよ」


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