15 旅の仲間
「こっちよ」
艶やかな声で言うのは、ヴェロニカ、という女性だ。ユースの秘書で、『悪党』と面識のある人らしい。
女性に特別な関心のないアリスでさえ、目を引かれてしまうほど、ヴェロニカは美人だった。灰色がかった、紫の髪をゆったりと流し、アメジストのような瞳に曲線を描いた睫毛が細長い影を落とす。グラマラスな体型をしていて、彼女自身も自らのスタイルを誇っているようで、身体のラインがよくわかる、ぴったりとしたワンピースを着ていた。その上、顔立ちは気品があり、まるで彫刻のような、完成度の高い美しさであった。彼女に付いて街中を歩いていけば、すれ違う男性がみんな鼻の下を伸ばして振り返るのが分かる。
彼女は雪のように白い腕を伸ばし、街の外れにある、半壊した建物を指差した。建物を建て直す余力がないのか、最上階には継ぎはぎの大きな布が掛けられており、それが屋根代わりとなっている。二階までは建物として成立しているようだ。びっしりと蔦が巻き、壁に煤や汚れが付いていて、少なくとも外壁を掃除しているようには見えない。よくよく見てみれば、この町はずれの界隈はそのような建物が多く、彼女が指差した建物の前に着くころには、周りにはガラの悪そうな人間しか歩いていなかった。アリスが前に街中で見かけたような、麻薬のせいで異様に痩せ細った男女もあちこちに見える。この一帯が、そういう場所なのだろう。
「この建物の中に、その人たちがいるんですか?」
「そうよ。ついてらっしゃい」
ヴェロニカは真っ赤な唇で半弧を描き、美脚を伸ばして建物に近づいた。そこの小さな扉を、彼女はノックもせずに開く。一階には誰もいなかった。元は何かの事務所だったのか、だだっ広い部屋に、いくつかのデスクが並んでいて、椅子があちこちに捨てられている。壁には本棚があったが、埃で汚れていて、本を手に取りたいとは思えなかった。正面に階段があり、上階に伸びている。
ヴェロニカはゆるやかなウェーブのかかった紫髪を揺らしながら、その階段へと歩いていく。高いヒールを履いているが、全くぶれる様子のない足取りは、どこか神秘的だった。アリスはぼんやりと辺りを見渡しながら、彼女の後をついていく。
階段を上がると、すぐに扉があった。ヴェロニカはその灰色の扉を軽く叩く。
「私よ」
彼女はそう言えば、部屋の中からガタン! という何かが倒れるような音がした。笑い声のような音が聞こえた後、扉が内側から開かれた。
「思ったより、早い到着だったわね」
そう言って微笑んでいるのは、緑色の髪を持った女性だった。豊かな緑髪を高い位置で一つに結び、ゆったりと垂らしている。目も明るい緑色で、その色合いにリュートを思い出したが、しかし、彼よりもずっと強気そうな目元だった。彼女はアリスを見つけると、にこりと愛想よく微笑む。
「こんにちは!」
「こ……こんにちは」
――悪党? とアリスは不思議に思った。
少なくとも彼女は愛想よく、礼儀正しく、快活で、明るくて、人が良さそうに見えた。しかし、彼女に招かれるようにして部屋に踏み込み、アリスは息を呑んだ。
確かに悪党然、とした様子だった。
部屋の中には、その緑髪の女性以外に、四人の人間がいた。部屋の中は埃と何かの煙とが混じって灰色染みていて、僅かに、死臭に近い匂いもした。こちらを一斉に見た四人分の目は、どれも鋭く、到底歓迎されているようには思えない。
その中に、ふと見覚えのある顔を見かけた。サングラス越しに目が合い、彼は白い歯を見せる。その白さが褐色の肌に映えた。
「よぉ、前にも会ったな、少年」
気さくに手を挙げる彼は、確か、ジャックとかいったか。髪型は相変わらず、真っ黒の髪をオールバックにしていて、さらに、サングラスを付け、煙草までくわえていて、黒革のジャケットを羽織っているので、相当に柄が悪く見える。
「顔見知り?」
その隣にいた青年が不思議そうに言う。整った顔立ちの青年だった。地毛なのだろう黒髪と、黒い眼をしていて、爽やかな印象がある。彼は薄い唇の端を上げると、アリスに微笑みかけた。
「よろしく! 初めまして。俺はクラウド」
「よ、よろしく。僕はアリス」
「うん。覚えた」青年――クラウドは微笑んだまま言った。「イイ顔してるね」
「へ?」
「ま、俺の方がずっとイイ顔してるけどな」
「え?」
「あんた、それが言いたいだけでしょ」
冷ややかに言い放つのは、緑髪の女性だ。彼女は気を取りなおすように笑顔を浮かべると、自分の胸に手を当てながら言った。
「あたしはリルベル。よろしくね」
「よろしく……」
「それで、あそこのソファーで寝てるのが……」
「知ってるだろ」
ソファーに座っていた少女が、嘲笑うように言う。小柄で、乾いた血のような赤茶けた髪と、同じ色をした瞳。首に巻いたスカーフに顔の半分を埋めており、そのあまりにも目つきの悪い三白眼がこちらを睨んでいる。
「……エマ」
アリスがそう言えば、兄を殺した少女――エマは目を細めた。笑ったのか、さらに睨んだのか。
「そう、エマ。それで、その、そこの男が……」
リルベルは歯切れ悪く、エマの隣にいる男を指差す。その男は床に座り込み、胡乱な目でアリスを見上げていた。若干、焦点が合ってない。これとよく似た目をアリスは見たことがあった。
「こいつ、さっき、キメたばっかだから、今わけわかんない状態だよ」
エマがそう言いながら唾を吐く。男のすぐ前にその唾は落ちたが、男は微動だにもしない。四十代後半くらいの、中年の男性だった。頬の肉がこけ始めている。
「え……と、大丈夫なんですか……?」
アリスはヴェロニカを振り返って言うと、彼女はにこにこと微笑んだまま首を傾げた。
「最近はさらに酷くなったみたいね。まぁ、腕の方はあるから心配しないで。彼はロバートよ。ロブちゃんって呼んであげて」
「そう呼んでんのお前だけだろ」
ジャックが小声で言うが、ヴェロニカはそれを聞きとり、まぁっ、とわざとらしく声を上げる。
「酷いこと言うのね、意地悪しちゃうわよ」
ジャックは首を振り、煙草の煙を吐いた。
ふふん、とヴェロニカは肩を竦めてから、アリスの隣に立って言った。
「彼らが、正規の兵士じゃないけど、腕の立つ子たちよ。どうぞよろしく頼むわね」
ヴェロニカはアリスの肩に手を回し、顔を近づけてそう言った。思わず頷けば、頬に柔らかい感覚が落ちる。接吻されたのだ、と気付くのに時間はかからなかった。アリスが平然としていると、彼女はヘェと楽しそうな声を上げる。
「慣れてるんだ? 可愛らしい顔に似合わず猛獣ちゃんなのかしら」
猛獣? とアリスが首を傾げれば、彼女はくすくすと肩を震わせる。
「いやぁ、でも、話が通じそうな男が来てくれて良かった」
窓枠に腰かけながら、ジャックが言う。その唇から煙草の煙が吐き出された。その隣に行き、窓の外に目をやりながら、リルベルが肩を竦める。
「そうね。他の男はみんなこんなのばっかりだし」
「まぁ、麻薬中毒と、眩しい程のイケメンだしな」
クラウドが髪を払いながらそう言うが、誰も反応しない。しかし彼は気にしていないようで、満足げに微笑んでいる。冗談を言ったつもりではないらしい。
「ジャックは男好きですもんね」
笑いながら、ヴェロニカがジャックの方へ近づいていく。ジャックは大げさに眉をひそめた。
「男好きじゃない、女が苦手なんだ。近づくな」
冷ややかな、酷い言い様である。隣にいるリルベルは呆れたように溜息を吐き、何故かヴェロニカは歩幅を大きくしてさらにジャックへと近づいていく。距離が一メートルほどに縮まると、ジャックが窓枠から降り、首を横に振った。
「近づくなってば」
「ダメって言われるとやりたくなる。それが人情でしょう?」
ヴェロニカはエイッと言いながら、ぴょんと前に飛び、ジャックの目の前に行く。妖艶な女性が、そのように可憐な動作をするのはなかなかにギャップがあって可愛らしい。けれどもジャックは咄嗟に後ろへ飛びのき、再び距離を開けると、煙草を踏みつぶしながら言った。
「やめろ、吐き気がするだろ」
あまりにも失礼な言い分だ。しかし、ヴェロニカは意に介した様子がない。
「吐いてもいいのよ」
「俺が嫌だ」
「意地悪言わないでよ、いいでしょう?」
ヴェロニカがまた近づく。ジャックは避けようとして、そこにエマが座っているソファーがあることに気が付いた。慌てて逆へ逃げようとして、先回りしたヴェロニカと鉢合わせする。
その途端、彼は自分の口を片手で覆った。
「ヴェロニカ! そこまで!」
リルベルが呆れたように叫び、ヴェロニカとジャックの間に割って入る。ヴェロニカは楽しげな笑い声を上げ、踵を返してアリスの傍へ戻ってきた。
ジャックは片手で口を抑えたまま、天井を見上げている。
「大丈夫?」
リルベルが溜息交じりに問いかける。ジャックは首を横に振ると、力が抜けたようにその場でしゃがみ込んだ。
「吐きそう……」
絞り出した言葉はそんなものだ。ヴェロニカがけらけらと笑っている。
「あの子、女性恐怖症なの。あんまり近づくと吐いちゃうのよ」
――そんな風には見えなかったが。
現に、リルベルはすぐ傍で介抱している。アリスの疑問に気が付いたのか、ヴェロニカは微笑んだ。
「リルベルだけはと・く・べ・つ」
「変な言い方しないでッ!」
小声だったのにも関わらず、しっかり聞き取ったらしいリルベルが吠える。その頬が少しだけ赤く染まっていた。
「あーあー、薬欲しいなぁ」
その騒動をよそに、ソファーに座ったままだったエマが退屈そうに言う。その隣では、相変わらず中年の男、ロバートが焦点の合わない目で座り込んでいるし、そのさらに横では手鏡を取り出したクラウドが自分の顔を嬉しそうにじっと見つめている。
顔の赤みを誤魔化すように、わざとらしくジャックの背中を叩いていたリルベルが、しみじみと言った。
「あぁ……話が通じそうな人が来てくれて本当に良かった」
アリスは首を傾げた。




