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12 ジャンキー・イン・ザ・ダーク

 ふわふわと身体が浮いている心地がする。どうしようもなく心地よかった。一人掛けのソファーに身体を埋めながら、その果てしなく気分のいい夢に浸る。空を飛んでいるみたい。空なんか、飛んだことないけど。

 とんでもなく気持ちいいのに――そんな気分を台無しにするように、酷い音を立てながら、部屋に誰かが入ってきた。


「エマ、ねぇか?」


 ぐにゃぐにゃと歪んでいる視界の中で、男もぐにゃぐにゃと踊っている。エマも両手を振って踊るような仕草をしながら、首を横に振った。


「ない。使い切ったところだ」

「ケッ……せっかく戻ってきたのにシケてやがる」


 ぐにゃぐにゃに歪んでいて、目では判別できないが、声音からそれがロバートだとエマは確信していた。

 視界の端から何か飛び出してくる。あれはゾウか? ゾウが踊っている。小さなゾウだ。何頭も連なって、長い鼻を揺らし、大きな耳をバタバタと振りながら歩いている。エマはその行進に合わせて鼻歌を歌った。歪んだロバートがそのゾウに踏みつぶされて床に転がっている。良い気味だ。エマはけらけら笑いながら、ソファーの上で身体を跳ねさせた。その拍子にソファーが後ろに倒れてしまう。エマは背中に衝撃を受け、もう一度跳ね上がりながら、天井と睨み合いをした。そこには大きな人の顔があって、エマは首を横に振る。ぼすん、と倒れたソファーの上に落ちた。

 そういうのは、要らない。

 エマがそう思えば、人間の顔が消えた。エマは目を閉じる。そこは大草原だった。広々とした野原を、エマは誰にも邪魔されずに走る。びゅーん、びゅーん。体力の限界なんかない。引き止める鬱陶しい声もない。風が吹き抜けていく音だけが聞こえる。自由だ。エマが歌い始めた時、また扉が開く音がした。


「うわ、不健康」


 人間の声に、草原から、一つの汚い部屋へと意識が引きずり戻される。それが嫌で、エマは抵抗する為に、ぶんぶんと両足を振った。それを見て、部屋に入ってきた女が肩を竦めている。


「いい加減にしなさいよ。また吸ったの? 屍人ゾンビにやられる前に自滅するのがオチね」


 呆れたように言いながら、女はエマに近づき、倒れたソファーを起こそうとした。しかしエマはもう一度夢に戻る為、それを拒む。暴れられると、女の腕ではエマごとソファーを戻すのは無理だ。彼女が諦めようとした時、後ろから屈強な腕が伸びてきた。


「リルベルの言う通りだ。ロバートもエマも、程度を考えろよ」


 気さくな口調で言いながらも、彼はあっさりとソファーを起こしてしまう。座る形に戻されたエマは、ぐにゃぐにゃと潰れていた視界が少しずつ戻っていくことに気付いた。同時に気分が落ち込み、いつもの苛立ちが蘇る。


「……あっそ」


 エマは吐き捨てるように言い、自らの懐に手を差し込んだ。しかし、そこにはもう何もない。さっき最後の一つを吸い切ったのだとエマは思い出して、さらに憂鬱な気持ちになった。


「そういえば、アリス、一つも血ィ浴びてなかったみたいだぜ。薬も必要ないって検査結果が出てた」


 褐色の肌の男――ジャックがサングラスを押し上げながらそんなことを言う。エマはまだぼんやりしている頭で、アリスという青年の事を思い出していた。

 勇者御一行、だか何だか、大層なあだなで呼ばれていた仲間を失い、この南部特区に逃げ帰ってきたのが一昨日のこと。昨日いっぱい、屍人ゾンビに感染していないかどうかの検査を受けていたはずだ。血液感染ならば薬を打てば五分五分の確率で助かる。しかしその薬も貴重なものだから、もう間に合わない人間には打てない。薬の無駄打ちを避ける為の検査でもある。その検査の間に、間に合わなくなる人間も多々いるらしいが、それもそれで作戦の一つなのだろう。それくらい貴重なものなのだ。上の人間は、自分たちがそうなった場合に備えて、それを残しておきたいのだから。

 エマはそこまで考えて息を吐く。心地の良い倦怠感はもう抜けきっていた。ソファーのひじ掛けに肘をつき、エマは不機嫌そうに尋ねた。


「それで? 部屋で泣き喚いたりでもしてるのか、あいつは?」

「それがねぇ」リルベルが苦笑いした。「なんか、散歩にいったらしいよ」

「散歩」


 エマは思わず繰り返す。ジャックが肩を竦めた。


「特区を歩き回ったことがないから、って、けろりとした顔で街に出たらしい」


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