冒頭 兄との約束
兄との約束。
その一、正義の心に従うこと。
その二、意味もなく人を傷つけないこと。
その三、人を殺さないこと。
――その四、兄に逆らわないこと。
兄は死なない。そう思っていた。
「お願いします……兄に薬をください、このままでは屍人になってしまいます……」
少年、アリスはそんなことを繰り返し叫ぶように言っていた。黄金色をした太陽が二人の背中を焼き、高くそびえる門に濃い影を落とす。門の前には全身を鉄の鎧で包んだ男が数名立っていて、誰もが二人を驚いた顔をして見つめていた。とはいえ、彼らは分厚い鉄面を付けていたので、そんなことを二人が知る由もない。ややあって、男の一人が少年に答える。
「彼は屍人の血を被ったのか?」
「いえ、噛まれました」
そうアリスが言うと、男たちは顔を見合わせた。
「南部特区には薬があると聞いたんです」
アリスは必死になって続けた。肩を貸している兄は、既に虫の息である。屍人に噛まれた肩口からの血は未だ止まらず、指の先は次第に青紫染みてきている。
「屍人にならずに済む薬があるんでしょう、完全に屍人にならなければ間に合うんだと……」
「残念だが、渡せない」
男の一人が首を振る。ガチャガチャと金属が擦れあう音がした。
「あれは血液感染の場合のみ、しかも五分五分の確立で効果を発するものだ。噛まれたのなら無意味だ」
「でも、効くかもしれないじゃないですか!」
「無意味だ。さぁ、諦めてその兄を殺せ」
「……え?」
アリスが聞き返せば、男たちは門を背に、手にもった槍の先をアリスとその兄の方にちらつかせながら、低い声で言った。
「屍人化する前に殺さないと……。そいつが屍人になってしまったら、肌を晒している君が一番危ない。早く殺すんだ」
「何を言ってるんですか」
アリスは驚いて言い返しながら、ぎゅっと兄の肩を抱き締めた。兄はそれに応じるように、アリスの肩を抱き返してくる。けれども、もう弱々しい力だった。美しい顔が真っ青になり、血の気が失せてしまっている。
「兄さん……僕、どうしたらいい」
「……薬がもらえないなら仕方がない。ここを離れよう」
枯れ果てた声だった。それでも兄は優しく微笑んでいる。アリスは微笑み返し、そうだね、と囁いて門から一歩、二歩と距離を取った。もはや兄は自力では歩けず、半ばアリスに引きずられる形になっている。アリスは唇を噛み締め、兄を支えながら、尋ねた。
「――兄さん。兄さんは、死なないよね?」
「もちろん」僅かな笑い声がアリスの耳朶を撫でる。「お前を置いて死んだりするものか」
「屍人にもならないだろ?」
「あぁ」
これからも二人でやっていこう、と兄が言った。
――その言葉が聞こえたのと、銃声が聞こえたのはほぼ同時だった。右肩がずしりと重くなり、アリスは兄に押し倒れるような形で地面に転がった。顎を強かに打つ。呻きながら飛び上がり、アリスは銃声が聞こえた方向――背後を振り返った。
そこには、少女が立っていた。片手で拳銃を持ち、その銃口をこちらに向けている。その危険な代物よりも、アリスが目を惹かれたのは、彼女の目つきだった。
まるでゴミ溜めを見るような目だ。
アリスは息を呑みながら、傍らに倒れ込んだ兄の背中を揺さぶった。
「兄さん、だいじょう……ぶ……」
アリスが揺さぶるままに、兄の身体が揺れる。反応がない。ふと、うつ伏せになった彼の顔の下から、真っ赤な血が流れ出ているのが見えた。被弾したのか、と思い、慌てて兄の身体を仰向けにひっくり返し――アリスは絶句した。
兄の真っ白な額に、どす黒い色をした風穴が開いていた。
そこからダボダボと真っ赤な液体が溢れだし、すぐ下にある眼窩に垂れていく。
眼球が血に溺れても、兄は痛いとも何とも言わなかった。
いつものように困ったように眉を下げてから、優しく微笑んで見せるようなこともなく、彼は驚いたように両目を見開き、口をぱっかりと開けて、そのまま静止していた。
アリスは兄の最期の表情を見ながら、地面に尻餅を着き、そしてもう何も言わなかった。
たった二人で生きてきた少年アリスが、たった一人で残されてしまう、そんなお話です。
ノリは軽く、展開はダークに進んでいくと思います。R15描写も入ります。
前作『上弦の月は夢を見る』(https://ncode.syosetu.com/n4993eb/)(男装女子が男社会で喧嘩を売りまくってる恋愛小説です。よければこちらもお楽しみください!)をお読みいただいてからこちらに来られた方は、面食らってしまうかもしれません(笑)
十数万字は書き溜めているので、修正しつつ、こまめに更新出来たらよいなと思います。
どうかお楽しみいただければ幸いです。
よろしくお願いします。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました!