休息
「……んあ?」
翌日、ベッドから体を起こして目を擦る。
まだ半分眠っている頭を回して薄暗い周囲を見ると、ベッドに寝ていたメリエも隣に寝ていたはずのアンナも居なくなっていた。
「あれ? ……あー」
ベッドの上で胡坐をかきながらぼんやりと記憶を手繰ると、明け方のことを少しだけ思い出した。
確かメリエに揺り起こされて何かを言われた気がする。
何だっけ……。
「……そっか。まだ眠そうだから早いうちに訓練場に行くって言って二人で出て行ったんだ……」
二人が目覚めても自分が起きそうも無かったので、気を遣ってくれたのだった。
朝のことを思い出し、やっと意識がはっきりとしてきたので立ち上がって窓の鎧戸を開ける。日は既に中天に近いくらいの高さにまで昇っており、朝食の時間はとっくに終わっていそうだった。
昨日はそれだけ疲労していたんだなと思いながら、窓から入る気持ちのいい風を暫く堪能した。
アンナとメリエが戻る前に一人で昼食に行くのもどうかと思ったので、空腹をひとまず我慢することにし、今のうちに新しくアーティファクトの作成をしておくことにした。
昨日の戦いで精神に影響を及ぼす攻撃に対抗するためのものを用意しておこうと思ったのだ。
まずは顔を洗ってさっぱりとし、荷物から鱗を何枚か取り出してきて椅子に腰掛け、早速形を変えていく。
今までの癒しの術が込められたアーティファクトは身体的な部分を癒すようにイメージして術を込めてある。今回も同じように癒しの術をベースにアーティファクトを創るが、イメージは肉体ではなく精神を正常に戻すようなイメージで術を込める。
これで精神に影響を与える攻撃をされてもある程度は耐える事ができるはずだ。ポロの分も含めて四つ創ると、まだ戻ってこないアンナやメリエより先にポロに渡しておこうと考えて部屋を出た。
「(おやクロ殿)」
「おはようー……って時間でもないか」
ポロは小屋の窓から顔を出して外を眺めていたようだ。暇なときはこうして時間を潰しているのかもしれない。
「(疲れは取れましたか?)」
「珍しく寝坊したよ。少し前まで寝てたから大分体も軽くなったかな」
「(そうですか。ご主人達は訓練場に行きましたよ。昼食前には戻ってくると話していました)」
「じゃあもうすぐ帰ってくるかな。その前にポロに渡しておきたい物があるから持ってきたんだ」
「(何です?)」
「昨日戦った相手が精神を攻撃するタイプの術を使ってきたから、今後のことを考えてそれに対抗するためのアーティファクトを創ったんだ。だからポロにも付けておいてもらおうと思って」
「(ほほう)」
ポロには身体強化と癒し、それから電撃カウンターのアーティファクトを常時つけてもらっている。他の物は状況に応じて着けたり外したりしているが、今回の物は常時着けておいてもらった方がいいだろう。
ポロの首に新しく首輪として装着する。
「はい。これで幻術系の攻撃もある程度防げるはず」
「(こうも簡単に分析されて対策を打たれるとは……相手からすると恐ろしいでしょうな)」
「んーまぁねぇ」
それはそうかもしれない。イメージ次第で様々な事が可能な星術を込めて自由にアーティファクトを創れるというのは、多少の効果減衰はあれどかなり便利なものだった。
しかし使えるものは有効に利用し、安全を確保するのは優先事項だ。ずるいとか卑怯とか考えるのは無駄なことである。
「だけどこれも完璧ってわけじゃないと思うんだよね。必要になったらその都度改良していくよ。戻ってきたらアンナやメリエにも渡しておかなきゃ」
「(おや、噂をすれば……戻ってきたようですよ)」
自分には気が付かなかったが、ポロは鼻をスンスンと動かし、何かを感じ取ったようだった。
「わかった。じゃあちょっと行ってくるね。後でご飯も持ってくるから」
「(わかりました)」
ポロの小屋を出たところで、二人を見つける。二人もポロの小屋に来るようだった。
「あ、クロさーん!」
アンナもこちらに気付き、駆け寄ってくる。アンナは何かを両手で抱えていた。
「お帰り二人とも。アンナ何持ってるの?」
「これ! これ見て下さい!」
アンナは胸に大事そうに抱えていたものをこちらに見せる。両手でがっちりと抱えていたのは動物だった。
「訓練場から出たらこの犬がずっと私達の後を付いてきたんです! 気が付いて手招きしたら擦り寄ってきたのでお昼ご飯をあげようかと!」
フンフンと鼻息荒くまくし立て、ズイっと抱えていた動物を見せてくるアンナ。メリエがそんなアンナの後から補足をしてくれた。
「クロからもらったアレで話しかけてみたんだが、何も言わないんだ。でもこちらからの意思は伝わっているようで大人しくしてくれている」
アンナが抱えている動物は犬ではなかった。もしやとは思ったが……まさかこんな手段で?
「とっても可愛いですよね! 尻尾も毛並みもフワフワ! クロさんの狼姿にも負けていませんよね! あ、犬って何を食べるんでしたっけ?! ポロと同じものでも平気でしょうか!?」
「ちょ、ちょっと落ち着いてアンナ。それ犬じゃないから」
「ほえ?」
「それは犬じゃなくて狐だよ。メリエは知ってるでしょ?」
「キツネ? 犬ではないのか」
あら。見たことが無いのか。
結構メジャーな動物だと思っていたのだが、この世界ではそれほど知られているものではないのかな?
「(お前、ライカか?)」
「(……)」
【伝想】で意思を飛ばしてみたが、メリエが言った通り返答は無かった。近付いて顔を覗き込んでみてもプイっと顔を背けられる。
毛色は黄土色と白で、ピンとした三角の耳の先だけ黒くなっている。毛並みはフワフワで綺麗だが、尾は一本で体の大きさも普通の狐のサイズである。特に吠えたりする事も無く、大人しくアンナの手の中に納まってされるがままになっていた。
人間に変身できるのだし、自分と同じように他の姿になれてもおかしくはないが、気配は普通の動物で姿に違和感も感じない。昨夜は意思疎通は行なえていたし、返答が無いのはどういうことなのか。
昨夜のことはまだメリエやアンナに詳しく説明していない。伝えたのは幻獣種と戦って勝ち、王都の中では手出しをされる心配はなくなったということだけだ。
妖狐のことを細かく伝えた訳ではないので、関係があるかもしれないとは思っていないだろう。いや、仮に伝えていても姿を見たことがないのなら気づくことはできないか。
狐は人間に慣れると人間の生活圏でも平気で歩き回るようになるというし、野良狐が居ても不思議ではないのかもしれないが……やはり偶然とは思えない。
「(ライカ?)」
「(……)」
やはり返答は無い。姿や気配ではわからないし、返答が無いとなると昨日の妖狐なのか違うのか判別が難しい。一応幻術の対策はしてあるのでそれに惑わされるという心配はないはずだが。
もしかして管狐のような使い魔的な存在か? 自分達の様子をこの狐を通して観察するということなのだろうか。
「犬ではないんですか……見た目は似ているんですけどね。あ、でも太くて大きい尻尾は今まで見たことのある犬とは違いますね」
「一応犬に近い動物だからね。ただ生活形態は犬とは違う所があったはず」
「へぇ。クロさんは相変わらず色々知っていますね」
といってもそこまで詳しいというわけではない。
ほかに犬との違いで知っていることといえば、あまり群たりせず夜行性だということくらいだ。
しかし、一つ有名なことは覚えている。
「アンナ。狐に触ったら必ず手を洗ってね」
「? どうしてです?」
「狐は危険な病気を持ってることがあって、人間にうつるかもしれないんだよ」
「ええ!?」
病気と聞いたアンナは狐を抱えたまま固まった。
逆にアンナに抱えられている狐は今までの無反応から一転し、耳をピクピクと動かして牙を剥き、こちらを睨んでいる。唸り声などは上げていないが怒っているようだ。
そう。狐と言えばエキノコッカス。
医療が発達した現代日本であっても治療が難しく、感染したまま放置してしまうと致死率90%以上という危険な寄生虫だ。割と有名なのではないだろうか。
まぁ全ての狐が持っているというわけでもないし狐だけが保虫しているというわけでもない。日本の野生の狐で保虫しているのは北海道方面に生息する狐だけで割合も40%くらいらしいのだが、近年は本土の犬などからも感染が確認されているのだとか。
ちゃんと駆虫していて、ネズミなどを食べないようにしている飼い狐ならいいが、野性の狐の場合は触る時や糞便に注意しなければならない。
こちらの世界でもエキノコッカスがいるのかどうかはわからないが、わからないからといって命の危険があるかもしれないのに放置はまずいだろう。
この世界では外科手術の技術などありそうもないので寄生虫に罹ったら致命的だと思われる。癒しの魔法もあるが、病気や寄生虫まで完治できるものなのかはわからない。自分の星術でもまだ病気まで治せるのかは試していないので予防しておくに越したことは無いのだ。
寄生虫なんて言ってもわからないだろうし、一般に浸透している病気という表現を使うことにした。
「野生の狐はネズミとかを食べるんだけど、その時にネズミが持ってる病気が狐にうつったりもするんだ。綺麗に見える狐でも病気は目に見えないから必ず手を洗って病気のモトを洗い流さないといけないんだよ。病気を持っている狐に触った汚い手でそのまま食事をしたりするとうつっちゃうからね」
「コラァ!! 聞いていれば好き勝手に言ってくれる!! 私はネズミなど食っていない!! 見ろこの美しい毛並みを!! 毛繕いや手入れだって毎日欠かさずしているし病気に罹ったことだって生まれてから一度も無い!! 変な言い掛かりはやめてもらおう!!」
「「……え?」」
突然アンナの腕の中の狐が大声を張り上げて手足をジタバタと動かした。それを聞いたアンナとメリエは思わず狐に視線を集めた。
「やっぱりライカじゃん……」
「……あ……う……えーと……」
気配もしっかり隠し、【伝想】での受け答えもせずに恍けていたようだが、声は少女の時や妖狐の姿の時と同じだ。やはりライカだった。
狐は怒り顔から一変し、目を白黒させて困ったような顔をした。動物にしては表情豊かである。
さすがにこれでは取り繕いようが無いと思ったのかアンナの腕の中でモゾモゾと体を動かし、バツが悪そうに視線をさ迷わせている。
幸い走厩舎の近くにはほかに人はいなかったので、アンナやメリエ以外には大声は届いていなかった。
「あー、二人にも説明するから、とりあえずポロのところに行こうか……」
呆けているアンナとメリエを促し、狐を抱えたままポロの小屋に戻った。




