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悪意との邂逅

 独り立ちして四日目の朝。今日は風が強く、風に揺られる梢と草葉の音で目が覚めた。


 昨日は曇っていたが、今日は雲も少なく晴れ渡っている。

 まだやや薄暗いが、うーんと猫のような伸びをしてのっしのっしと泉に近づき、ザブンと水に顔を突っ込む。

 冷たい水で一気に目が覚めるのが気持ちいい。


 今日は攻撃的な術の実験をしておこうと考えていたが、風が強いので別な日にした方がいいかもしれない。

 というのも、風が強い中で火の術を使えば燃え広がることも考えられるし、何かを飛ばす術は風の影響で狙いが逸れてしまう事もあるからだ。


 そういった状況下でも問題なく使用できる術を作っておく必要があるので新たな術の研究をしておくかと考える。

 そんな風に思考を巡らせながら強風で流れる雲を見上げつつ、暫くのんびりと明るくなるのを待っていた。


 早朝だが例の狼親子が来るかもしれないと思い、一応周囲の気配を気にかけておいたがそんな様子はなく、風の音が演奏する色々な楽器の音色に耳を傾けて時間を潰した。草木の擦れる音はもちろん、水面を波立たせる音、木の幹を撓らせる音、時折ゴォーという強い風が上空を吹きぬける音などが聞こえ、いつもと違う雰囲気の森の顔が楽しめた。


 大分明るくなり、いつもの朝食の頃合になると朝食にしようと立ち上がって移動する。

 そのまま果物の種を植えてある場所まで行き、いつものように術をかけるとすぐに大きく育ちゴロゴロと実をつける。


 収穫してさあ食べようとしたところで何かの気配を察知した。

 風の音に紛れてはいるが確かに何かが聞こえる。住処のあった山の方角から枯葉を踏むような、何かを引きずるような音が聞こえてくる。

 食べようとした果物をゴソゴソとまとめて置いておき、いつでも動けるように体を浮かせて身構えておく。


(何だ? 動物?)


 狼親子かと思ったがそんな感じではない。数度だけしか会っていないが何となくあの親子の気配はわかるようになった。

 次第に近寄ってくる音に集中しつつも、他に気配はないかと辺りを警戒する。


 賢い動物は群の中で囮となる者が注意を引き、他の者が隙を伺って一斉に襲い掛かるという狩りの仕方をするものもいる。

 前から近づいてくるもの意外に今のところは気配を感じない。

 いよいよ姿が見えるというところまで来た。念のため身体強化の術を使っておく。

 枝葉が揺れ、草木の陰から音の主が姿を表した。


(! ……人間の子供だ)


 それはまだ幼さの残る人間の少女だった。こちらを視界に入れると驚愕の表情を顔に貼り付け息を呑むのがわかった。

 肩口くらいまで伸びた金色の髪の毛はボサボサで汚れているため色褪せて見える。栄養状態が悪いせいかツヤもない。


 瞳は綺麗な碧眼だったが今は恐怖に濁っている。ボロボロの小汚い布一枚だけを着て、裸足。

 手足はガリガリにやせ細っていて、頬もこけている。

 あちこち傷だらけで顔や手足には痣があり顔色も悪い。足を傷めているのか、足を引きずりながら移動してきたようだ。

 健康的ならば割りと美少女だろうなと思うが、今はそんな面影すら感じないほど痛々しい。


「ひっ! あ……う……」


 竜がこちらに気付いているのを見て絶望的な顔をし、後ずさろうとする。

 しかし既に限界近いのかまともに動けない様子で尻餅をついた。


「う……ぁ……」


 必死に後ずさろうとするが力が入らないようで、手足がかろうじてもぞもぞと動く。


(酷い状態だな)


 3mほどの距離まで近づいてみたが、日本では見た事がないような悲惨な外見だ。紛争地域でろくな物資もない状況下で生きている子供のようだった。

 極度の疲労と空腹のためか声もまともに出せず意識も朦朧としているようだが、それでも必死に逃げようと手足を動かしている。


 放っておくのも躊躇われるような状態を気の毒に感じ、怖がらせないようにゆっくりモゾモゾと近寄っていく。

 小さいとはいえ4m以上もある竜に近寄られた少女は、諦めたのか青白い顔つきのままぎゅっと目をつぶり体を強張らせた。


 竜に襲われると思えばそんな対応になるかとちょっと悲しくなりつつも傷だらけの皮膚を癒しの術で治してやった。

 突然体がじんわりと温かくなったことに驚き、つぶっていた目をうっすらと開いて自分の体を見ている。

 怪我が綺麗になくなり、どんなものかと様子を伺ってみるが、顔色は全然良くなっていない。


「う……ぐ……うぅ……」


 傷による苦痛が薄らぎ、竜から襲われると気を張っていたことが少し落ち着いたからか、思い出したようにうめき声を出して、自分の胸のあたりを苦しそうに押さえている。


 空腹のあまり何か毒になるようなものを食べてしまったのかもしれない。この近辺に竜にとって強い毒性を示す食べ物は無かったはずだが、毒には様々な物があり、特定の生物に特異的に作用するものもある。竜には何でもなくても人には毒性があったり、逆に人間は食べられるものが竜には食べられないなどの場合もあるのだ。


 有名なところだと、猫がチョコレートに含まれるテオブロミンという物質で食中毒を起こしたり、犬が玉ねぎなどのネギ科の植物に含まれる有機硫黄化合物によって食中毒を起こすことなどがよく知られている。


 そう思って解毒の術をかけてあげると、ようやく顔色が戻り始める。やはり何かの毒物を摂取してしまっていたようだ。

 しかし、安堵のためか疲労のためかそのまま気絶してしまった。竜に出会った恐怖で気絶……ではないと信じたい……仕方ないとはいえやはり傷つくので……。とりあえず寝顔は安らかになっているし呼吸もしているので大丈夫そうだ。


 このままここで寝かせておくのも可哀想かと、泉の近くまで術で運び、布団代わりにその辺にたくさん落ちている落ち葉を術で動かし体にかけてあげた。布団ほど温かくはないだろうが無いよりはマシだと思う。


 それにしても何でこんな場所に一人でいたのか。誰かとはぐれた? それにしては酷い状態だった。親と一緒ならばここまでにはならないと思うが……。何かから逃げてきて、保護者とはぐれてしまったとかだろうか。


 考えても仕方ないのでとりあえず少女の横に寝そべり、起きるのを待つことにした。

 術の練習や研究は一時中止にして少女の看病をしてあげることにする。といっても起きるまでは風で飛ばされた布団代わりの落ち葉を戻してあげることくらいしかできないが。


 少女が倒れてから大分時間が経ち太陽が傾き森の木々に隠れそうになる頃、落ち葉に埋もれた体をガサガサと動かし少女が目を覚ました。


「あ……れ?」


 自分の状況が飲み込めていないようで自分の体を触ったり周囲を見たりしていた。

 少女が起きる気配がしたので、起きる前に人間の姿になっておいた。

 起きていきなり竜が近くにいたらまた気絶されたりパニックになったりしそうだったからだ。素っ裸では変質者なので前に回収した服を着ておくのも忘れない。


「大丈夫?」


 とりあえず気付いてもらおうと声をかけてみる。

 突然声をかけてきたため驚いたのか小さく悲鳴を上げたが、こちらを確認するとすぐに落ち着いてくれた。

 何か声を出そうとしているがまだ混乱しているようだった。慌てても仕方がないので緊張が解けるまで気長に待つことにする。


「とりあえず、お水どうぞ」


 そういうと術で水を作り、少女の顔の前に水玉を作ってやる。冷たすぎると胃腸に悪いので少し温めにしておいた。

 一瞬何が起こっているのかと戸惑っていた少女も害は無さそうだと判断したのか、恐る恐るといった感じで宙に浮いた水に口をつける。


 一口飲んで安心したのかゴクゴクと飲み始める。

 見たところ年は12歳くらいだろうか。ガリガリすぎて正確にはわからない。

 顔立ちはまだ幼さを残しているような感じなので多分それくらいだろうと予想をした。


「ぷはぁ……。あの、ありがとうございました」


「どういたしまして」


 緊張を取るためなるべく愛想よく笑いかけてあげた。

 そういったところで少女のお腹がグーっと盛大に返事を返した。


「あ……」


 さすがに恥ずかしかったのかお腹を押さえてばつが悪そうに俯いている。


「お腹減ってるならこれあげる」


 そういってさっき食べようとしていた収穫済みの果物を差し出す。本来なら酷い空腹の状態で冷たい果物などは良くないかもしれない。

 普段は誰も意識していない事が多いが、食べ物を消化するというのは意外と体力を消耗する行為なのだ。病気などで体力が低下している時に日常のものを食べると消化できずに下痢をしたり嘔吐したりしてしまう。なので胃腸が弱っている時は温かく消化に良いものを食べた方が良いとされている。


 しかしこの場にはそんな食べ物がない。かといって空腹のまま放っておいては餓死してしまいそうなほど痩せ細っている。

 やらないよりはマシかと思い、術で果物を冷たさが感じない程度まで温めてあげてから手渡した。


「え……。いいんですか?」


「お腹減ってるんでしょ? 食べた方がいいよ。顔色もまだ良くないし」


「ありがとう、ございます」


 そういって果物を受け取るが、口をつけない。どうしたのか……。


(ああ。そうか皮をむけないのね。手に力も入らないようだし手伝ってあげよう)


 そう思い術で果物をパカっと切ってあげる。突然手の中の果物が綺麗に割れたことに驚いてこちらを見ていたが、「どうぞ」と勧めると果物を食べ始めた。


「慌てて食べない方がいいよ。酷い空腹の時はお腹が弱っているから、食べたいかもしれないけどゆっくりとね」


 そう声をかけてあげると、言われた通りゆっくりと食べてくれた。

 食べ始めたことを見届けると、そういえば自分もまだ食べてなかったと思い出し、自分も果物を食べて腹ごしらえをする。竜だったら丸かじりだけど人の姿なので自分も術で切ってから食べた。

 食べ終わって一段落したところ少女から尋ねられる。


「色々とありがとうございました。あの、あなたは誰ですか? さっきここに黒い竜がいませんでしたか?」


 まぁ至極当然の疑問だ。まだ警戒しているようなので少女から3mくらい離れた場所に座ってとりあえず自己紹介した。


「僕はクロ。キミの名前は?」


「私は……アンナです。助けて頂いてありがとうございました。ずっと何も食べてなくて……」


「どういたしまして。困った時はお互い様だから気にしないで。それでキミはどうしてここにいるの?」


「それは……わかりません」


 どういうことだろう。定番の記憶喪失だろうか。それにしては記憶が無くて取り乱しているという様子はない。


「……じゃあここに来る前はどこにいたの?」


「あの……。町にいました。町の名前は知りません」


「町で何をしてたの?」


 そう尋ねるときゅっと唇をかみ締め、悲しそうな表情を作った。


「……私、奴隷だったんです」


 そう言うとポツリポツリと境遇を話してくれた。

 家族で平穏に過ごしていたが少し前の戦争で住んでいた村が巻き込まれてしまい、その時に両親と姉とは離れ離れになり、自分は戦争奴隷として兵士に捕まったそうだ。

 途中でその時のことを思い出したのかポロポロと涙をこぼした。

 少し落ち着いてくるとまた続きを話してくれる。


「戦争奴隷は国が次の戦争のときなどに戦いに駆り出したり労働者として働かされたりするんですが、私は子供で戦いにも労役にも役に立たないと奴隷市場に売られたんです」


「そう……」


 この世界には奴隷制度があるのか……しかも国公認のもののようだ。人権などが軽視されているような社会制度ということは地球で言うとかなり昔のような感じがする。

 それにしても思った以上に大変な目に遭ってきているようだ。でもそれだけだとここまで来た理由はわからない。


「それで、どうしてここに来ることになったの?」


「町の奴隷市場で男の人たちに買われたんです。その人たちに走車で森の近くまで連れてこられて……」


「森の中に入れられた……と。森で何かしろとかは言われてないの?」


「はい……奥まで行けとしか言われていません。それでお腹が減っていたのと途中で苦しくなったのとで……」


 それで自分に遭って今に至るということか。


「なるほど……」


 これは……どういうことだろうか。わざわざ奴隷を買ってきて意味も無く森に行けなどと言うものか?

 いや、そもそもこの子が嘘を吐いている可能性もある。が、見た感じ嘘を吐いているような様子は見受けられない。


 とりあえず判らないことは置いておくとして、この子が嘘を吐いていないとすると近くにこの子を連れてきた男たちとやらがいるということだ。小さな少女をこんな状態で一人森の中に追いやるなんてろくな手合いでは無さそうだ。


 ここは安全な森ではない。弱者は狩られる運命にある野生の森だ。竜の自分には他の動物も恐れて近づかないため、何もいない寂しい森と錯覚してしまうがそんなことはない。

 今も息を潜めて虎視眈々と獲物を狙っている生き物がそこかしこにいるはずだ。

 あのままの状態でいたのなら恐らく数日もしないでこの子は命を落としていたはずだ。


「よくわからないこともあるけど、とりあえずどうする? 町に帰る?」


 今後の身の振りをどうしたいか聞いてみる。帰りたいと言ったら町まで送ってあげるつもりでいた。

 さすがに一人で町まではいけないだろうし、仮に町まで行けたとしてもこの年の子が町で一人きりでは生き抜くことも難しいだろう。奴隷だったということから助けてくれる知人などもいそうもないし、行政府や孤児院などで身の振り方が決まるまで付き合ってあげようと思った。


「そんなことより! ここに、さっき竜がいたんです! まだ近くにいるかもしれません! 早く離れないと……クロさんも危険です!」


 慌てた様子でそう訴えてくる。

 うん。知ってる。その竜は目の前にいるから。

 自分がこんな状態の時であっても人のことも心配することのできる心根の優しい少女だった。

 自分の正体を言っても信じないだろうし適当に流すことにする。嘘を言うのも忍びないがこればかりは仕方がないと諦める。


「大丈夫だよ。さっき飛んで遠くに行ったから。それに近くにいたのに何もされてないんだから平気だよ。キミも大分弱っていたからここで少し体を休めた方がいいよ。無理したら死にそうなくらいだったんだから」


「そんな……でも……」


 頭では危険な竜から離れたいけど、言われていることにも一理ある、という感じだろうか。

 そもそもその危険な竜はアンナを襲うつもりも食べるつもりもない。無理をしてでもここで休ませておく方がいいだろう。


 人間の姿になっているとはいえ、竜の匂いや気配を出す自分が近くにいれば気配を察知できる獣たちはよっぽどの事がない限り近寄らないだろうし、少なくとも一人で森を歩くよりは安全なはずだ。


 まだ移動しようと訴えるアンナをどうにかなだめて、今夜は自分が見張っているから体を休めるように言い聞かせた。

 ここは水場も近いし、少し開けた場所なので何かあれば気がつく事ができる。それに自分はここによく来ているため周囲のこともある程度わかる。移動するよりここの方がいくらかマシだろう。いざとなれば形振り構わず竜の姿に戻って逃がしてあげることもできる。そんな考えからここに留まることにしたのだ。


 まだ衰弱気味のアンナには枯葉を布団代わりにしてこんもりと体に被せてやり、まだ明るかったが早めに眠るように言った。


 日が森の影に隠れると辺りが暗くなり、やがて夜の帳が下りてくる。木々の隙間から見える満天の星空は、クリスマスの時期に木を飾るイルミネーションよりも美しい。朝は強かった風も治まり、いつもの静かな森の姿が戻ってきた。

 結局今日は一度も狼親子がここに来なかった。アンナがいたから警戒していたのかもしれないなと予想した。


 竜の自分は肉体強化の術を使えばある程度眠気に耐えることができる。一晩くらいなら眠らなくても全く問題なく活動できるので今夜は見張りに集中する。アンナを連れてきたという人間のことも気になるし、夜は夜行性で危険な動物も動き回るようになる。竜には直接手を出すことはなくても近くにいるアンナなら寝ている間に襲われることも考えられるのだ。


 始めは穏やかな寝息を立てていたアンナだったが、夜になると悪い夢でも見ているのかアンナはうなされて涙を流していた。

 傍に近寄って頭に手を置いてあげると、少し安心したようにまた静かな寝息を立て始めた。

 こんな小さな体でつらい思いをたくさんしてきたのだろう。何とかしてあげたいが自分に何が出来るだろうか。


 母上は教えてくれた。

 姿かたちがどうであれ、相手を想う気持ちは変わらないのだと。

 自分は自分なのだと。


 大変な思いをしてきたこの少女を助けてあげられないだろうか。自分に何かできないだろうか。そう思った。

 竜になって初めて、誰かのために動きたいと思った。

 そんな静かな想いを受け止めるように、水を差すことなく夜は静かに更けていった。



「あ、おはよう」


「あ、お、おはようございます」


「よく眠れた?」


「はい。昨日はありがとうございました」


 翌日、アンナは辺りが明るくなって大分経ってから目を覚ました。

 果物だけだったとはいえ昨日食べ物を食べられたことでいくらか元気そうになった。


 ただ体が汚れており、髪がボサボサだったので朝食の前に泉で水浴びをさせることにした。少し肌寒いがあとで温風を出して乾かしてあげればいいだろう。

 大人用ではあるが回収した着替えの予備もあるので今のボロボロの服から着替えさせてあげたい。


 自分はちょっと離れたところにいるから水浴びをして汚れを落とすように言い、離れた木陰まで行って座り込む。

 暫くすると水に入る音が聞こえてくる。涼しい空気の中、冷たい泉の水に長く浸かると風邪を引いてしまうので手早く済ませるように声をかけると返事が返ってきた。


 5分くらい経っただろうか。上がったと声をかけられたので視線を向けると唇を紫色にしたアンナが歯の根をガチガチいわせながら蹲っている。

 体を拭けるような布などないので仕方が無い。早く乾かしてあげようと風を起こす術を使う。ちょっと熱めの温風を体に巻きつけるイメージでかけてあげると、何が起こっているのかというような表情になりながらも温風に身を任せる。


 次第に水が乾き、震えも収まり気持ちよさそうにしている。

 くすんでいた金髪が輝きを取り戻し、思った以上に美しく見えた。まだ痩せ細ってはいるが栄養をつければかなりの美少女なのではないだろうか。


 とりあえず裸のままでは色々とまずいことになるので着替えを渡してあげる。かなり大きいがあとで調整してあげよう。

 一段落し、朝食を食べようかというところでアンナが恐る恐る聞いてきた。


「服まで用意してくれてありがとうございます。あの……、クロ……さんは、魔術師様なんですか?」


 人間で魔法を使う人は魔術師と呼ばれているのか。

 さてどう答えたものか。とりあえず術は使っているので肯定しておくことにして詳しいことは伏せておこう。

 星術は古竜しか使う者がいなくなったと母上は言っていた。下手なことを説明すると正体がばれてしまうかもしれない。尤もアンナがそんなものがあると知っている可能性も低そうだったが。


「そうだよ。でも気にしないで普通にしてて」


「あ……はい。わかりました。魔術師様は怖い人が多いのでちょっと不安になってしまって」


 人間の魔術師は怖いのか。話しぶりからすると魔法の威力などが怖いというよりは人間性が怖いというような言い方だ。

 魔法が使えるというのは、自分が力ある選ばれた人間だと思ったりして傲慢になるのかもしれない。よくそんな小説やゲームがあったなと人間だった頃のことを思い出した。

 自分にそんな気持ちは微塵も無い。力に驕るなと口をすっぱくして教えられたし、力に驕れば身を滅ぼすのは自分になるのだ。


「そうなんだ。僕はそんな気持ちは全然ないから緊張しなくていいよ。それより朝ごはん食べよう」


「はい。ありがとうございます」


 術で果物の成長を早めるところを見ると目を見開いて驚いていた。驚いて固まっているところに果物を手渡し、昨日と同じように術で切ってあげる。


「ごめんね。僕は果物しか食べないからこれ以外の食べ物がないんだ」


 きっとこの位の子供なら肉とか米とかが食べたいだろうなと思い、果物しか出せないことを謝っておいた。


「いえ、こんな美味しい果物を食べたの初めてです。私には十分すぎます。村で家族で生活していた時も甘い物なんて滅多に食べられませんでした」


 やはりというかなんというかあまり裕福な暮らしではなかったようだ。


「そう言ってもらえると嬉しいよ。まだ種はたくさんあるし育てるのも楽だからたくさん食べてね」


 そう言うと二人でいただきますをして朝ごはんにする。アンナは緊張が解けてきたのか昨日よりもたくさん食べていた。

 食事を終えてのんびりした時間を過ごしているとアンナが聞いてきた。


「あの、クロさんは見ず知らずの私にどうしてここまでしてくれるんですか?」


 どうしてって、誰でも死にそうな女の子が目の前にいたら助けると思うのだが。


「苦しんでいるのを放ってはおけないよ」


 苦笑いしながらそんな答えを言うと、珍しいものを見るような視線を向けられた。そんなに変なことを言っただろうか……。

 何でそんな目を向けるのかという表情をしたことが伝わったのか


「あ、ごめんなさい。家族以外で私の周りにそんな優しい大人の人なんていなかったから……。何だか不思議な感じがして驚いちゃって」


「気にしないでいいよ。そうだ。僕、この森から出たことがないから、良かったらアンナが知っている外のことを話してくれない?」


 時間は有り余っているのだし、話のネタにもなるのでそう持ちかけてみる。


「あ、私が知っていることで良ければ。ただの村娘だったので知っていることはそんなにありませんけど」


 そう前置きしつつも村での生活や両親のこと、姉との事などを一生懸命語ってくれた。

 住んでいた村は名前も無く、小さな村だったこと。村では6歳くらいから働き手として見られ、麦のような作物を家族で育てていたこと。両親は優しく家族仲も良くて毎日が幸せだったこと。ただお姉さんとはよく喧嘩をしていたこと。


 大変な生活を思わせるが、それを語る表情に悲壮感はなく、これがこの世界の当たり前なのだろうかと思いながら話を聞く。

 ずっとアンナに語らせっぱなしでは可哀想なので、自分の境遇も多少嘘を織り交ぜつつ話したりした。

 母上とこの森で生活していたこと。母上が魔法を使えてそれを教えてもらったこと。食べ物を一人で用意できるようになったのでつい最近独り立ちしたこと。


 言葉を交わすうちにアンナの緊張感も無くなり、自然な笑顔を見せてくれるようになった。とてもつらい体験をしているはずなのに泣き言を零す事もなく、こちらの話しに笑顔を作ってくれる。家族や自分の行く末が心配であるはずなのに自分の立場を受け止め、健気に振舞う姿を見ると胸に込み上げてくるものがあった。


「僕は独り立ちをしてから特にやることもないし、歩けるようになったら町まで送るから早く元気になってね」


 笑顔でそう言うと申し訳無さそうにして俯いてしまった。


「あの、良かったら……迷惑じゃなかったら……クロさんと……一緒にいさせてくれませんか?」


「え?」


 思わずそう聞き返してしまった。


「何だか、クロさんと話していると楽しくて……とっても優しいお兄さんができたみたいで嬉しくて……それに……」


 そういうと少し顔を赤らめて上目遣いで言葉にしようかどうしようか悩む様子を見せる。そんな様子を疑問に思い顔を覗き込むとバッと顔を上げ慌ててまくし立てた。


「えっと、その、た、助けてもらった恩も返したいので一緒にいられたらなと!」


 その勢いに一瞬のけぞってしまった。

 別に恩とか気にしなくていいのに。まあ話し相手がいてくれるのはこちらも嬉しいのだけど、正体のことがなぁ。


「そ、それは僕も嬉しいけど、でもいいの? こんな正体のわからない怪しい男と一緒にいるのは……」


 言い終わる前に言葉を被せられた。


「怪しくないです! クロさんはとっても優しくしてくれました! その辺の大人なんかよりずっと信頼できる人です! ……(それに格好良いし頼りになるし)」


 最後だけ声が小さくてよく聞き取れなかったが随分と信頼されたようだ。キラキラとした澄んだ目を向けられると断りにくい。


「んー、わかったよ。じゃあよろしくね」


「はい!」


 何だか妹ができたような気分になった。やはり信頼を向けてくれたり慕ってくれるというのは嬉しいものがある。ただ自分のことで嘘を吐いているという後ろめたさが心に付き纏った。

 いつか正体を知った時にこの子はどうするだろうか。その時を考えると恐怖という暗闇が自分の心に入り込んでくるようだった。


 その後も他愛の無い話をして笑いあったり、お互いの質問を交換し合ったりして過ごした。

 そんな風に談笑し、緩やかに時間が流れていく。

 まだ元気に歩き回る程には回復していないアンナのことを考え、今日ものんびり過ごそうと決めたのだった。


 しかし、二人で穏やかな時間を過ごしていると何かの気配が近づいてくるのを察知した。アンナがここに来た方向と同じ方角だ。


「アンナ。何か近づいてくる。ちょっと離れてて」


「え!?」


 草木を踏み分ける音が複数。動物の足音じゃない、時折金属がぶつかるようなガチャガチャといった音も混じっている。

 気配に集中し様子を伺っていると、アンナが離れるより前に音の主が姿を見せた。開けた泉の広場に入り込んだのは六人の大人の人間。


 この世界に生まれて、初めて見る人間の大人だった。だが、どこか違和感を感じた。日本で生きていた時の大人とは違う。日本の人たちはどこか余所余所しく、他人に無関心な人が多かった気がする。しかし目の前にいる人間はこちらをベットリと絡みつくような視線を向けて興味津々といった感じだ。何と言うか不愉快な視線だった。


 年は20台から40台くらいの間だろうか。旅人のような装備を持ちつつも戦いに使うような鎧や武器をそれぞれ持っており、刺々しい威圧するような雰囲気を醸し出している。


(なんだ?)


 そう思ったがふと思い当たった。アンナが言っていた男たちではないだろうか。


「ん? なんだ? エサがまだ生きてるぞ。おい小僧。そのちっこいガキは俺たちの奴隷だ。こっちによこしな」


「おかしいな。遅効性とはいえ毒が大分回っているはずだが……」


 やはりそのようだ。だが聞き捨てならないことがあった。


「あんた達どちらさま?」


 そう誰何する。気になることもあるが確認しなければならない。何をしにここにきているのか。


「俺たちはギルドから派遣されたハンターだ。ギルドの依頼でこの森の調査にきてんのさ」


 そういいながら自分の得物であるかなり大きな両手剣に手をかける。見れば筋肉が発達し丸太のような腕でがっちりした体つきをしている。軽鎧を身につけ、重そうな両手剣を背中に背負い、更に腰に一本の片手剣を装備しているのに重量を感じさせない軽い足取りで近づいてくる。この男がリーダーだろうか。


「黒髪か。珍しいな。どうしてこんなところにいる? 竜が目撃されたのは最近だが竜がいなくてもここには危険な魔物や獣が出るんだぞ。近隣に村などなかったはずだがな」


 そう話しかけてきた男は武器らしきものを持っていない代わりに背中に杖を背負っている。中肉中背で腰に袋を提げ、ローブのような服を着ているが旅慣れた感じだ。目に何か暗いものを感じる嫌な視線をこちらに投げかけている。


 他の四人は言葉は発しなかったが、こちらを見てニヤニヤしている。弓を装備した男が二人と、大きなバックパックを背負った男がいる。一番後方に盾と片手剣を持った男がいて背後を警戒しているようだった。


「ここらにいたんならお前も見ただろう。双子山にデカイ竜が棲み付いてるんだ。それを仕留めにきたんだよ」


 ……なに?

 竜を仕留めにきた?

 つまり自分や母上を仕留めに来たということか?

 考えを巡らせ、黙っていると更に言葉を続けてくる。


「先日大型の竜はここを飛び去って戻ってくる気配は無くなったが、小型の竜がこの森に潜伏している可能性が高いんだ。おい。もし見かけたならどこで見たか教えな。俺らの獲物だ」


 そう言ってニヤニヤ笑いながらこちらを見据えるリーダーと思しき男。その視線をアンナに向けると更に言葉を続けてきた。


「全く。奴隷市場で役立たずだからって二束三文で買えたのはいいがエサにもなれないとはホントに役立たずなヤツだな」


 それを聞いたアンナはビクリと震え、恐怖を顔に貼り付けて怯えている。恐らくここに来た時にアンナにあった殴られたような痣はこいつらの仕業だろう。


「おい小僧。ソイツは竜をおびき寄せるための大切なエサだ。どうやったかは知らんが見たところ解毒しちまったみたいだな、余計なことしやがって。飛竜にも効く遅効性の毒は高いんだぞ。せっかく毒に侵されたこいつを喰わせて楽に仕留めようと思ったのによ」


(……な……に?)


 一瞬自分の耳を疑った。


(……今……こいつは何と言った?)


 こんな少女に毒を飲ませた? この子を喰わせて竜を仕留める?

 男の言葉を頭で理解した瞬間、自分の中に何かどす黒いモノが込み上げてくるのを感じた。


 アンナと一緒にいた時間は短かいが、それでも素直でいい子だということくらいはわかった。自分は何も悪いことをしたわけではないのに奴隷にされ、家族と離され、こんな森の中に一人で放り出される。夜に悪夢を見るほど辛いはずなのに起きているときは泣き言も言わずに健気に振舞っている。


 そんな子に死に至る毒を飲ませて竜に喰わせる? 一体この子がそこまでされなければいけない程の何をした?


 ……知っている。

 自分はこの男たちがアンナに向けているものを知っている。自分に向けているものを知っている。

 地球では人間だけが持っていたもの。

 人間だけしか持つことのできないもの。



 それは、純然たる悪意。



 自分の利益のためなら命を命とも思わない。どんな残酷なことでも平気でやってのける。それを見ても何も感じない。

 個と知性を獲得した瞬間から人間についてまわる、生物として異質な、仄暗く歪んだ意思。


 多くの生物で同族を殺したり排斥したりといった行動は行われている。しかしそれは種を尊重しより強い子孫を残したり、種が絶滅することなく生き残っていけるようにするために行っている場合が殆どだ。

 だが人間だけが違う。種のためでも周囲の環境のためでもない。ただ個のために行い、自己の満足のために生み出される意思。


 自分と同じ命をまるでその辺に落ちている石のごとく投げ捨てられる。そんな人間が放つ悪意。


 地球にもいた。毎日のようにニュースや新聞を賑わせる残酷な事件の数々。人間だった頃はそれはテレビの向こうのどこか遠い場所での出来事だと錯覚していた。でもそれは違う。手の届く場所にいる身近な人がそうである可能性だってある。


 母上は言った。人間は何を考えているかわからないと。

 その通りだ。自分の隣で笑っているその人が平気で他人を傷つける人間かもしれない。全ての人間がそうである可能性を持っているのだ。


 人間だった頃はテレビの向こう側でしか見た事がなかった、そんな人種。それが今、目の前にいる。小さな少女にその吐き気を催すような悪意を向けている。

 そして自分と母上にも。


 生物が生きる以上、食べるために他の命を奪うことは必然だが、こいつらの行動はそうは思えない。

 どの生物も身の丈にあった獲物で満足し、腹を満たしている。だがこいつらは違う。欲望に目を濁らせ、身の丈を越える利益を他者の命を使って得ようとしている。命をまるで道具のように。


 許せなかった。

 許すわけにはいかなかった。

 母上に教えられたこと。自分は自分でいて良いのだということ。その自分がしたいと思うこと。


 助けたい。自分は手を差し伸べてあげられるようになりたかった。

 だから手を差し伸べる。この小さな少女に。


 自分を聖人君子だとは思わない。自分が正義だとも思わない。だから世界中の困っている人を助けることはできないと理解している。

 それでも。そうだとしても。自分の目の届くところ、手の届くところにいる自分が助けたいと思う相手くらいは救いたかった。


 人間だった時にはできなかったこと。しかし、そう在りたいと望んだこと。今ならできるのだ。救えるはずなのだ。

 怯え震えている彼女に「大丈夫だ」と、「自分が助けてやる」と、「だから心配するな」と言えるはずなのだ。言えるだけの力が、今の自分にはあるのだ。



 だから助けたい。

 向けられる、あの悪意から。



「あんた達。何も言わずに帰ってくれない? 彼女を置いて。人としてそんなことをして許されると思っているのか?」


 感情を殺した声と表情でそう問いかける。


「ケッ。ムカつく小僧だな。許されると思うかだと? 思ってねぇよ。そうだな、これがバレりゃ王国の奴隷管理法違反で俺らはブタ箱行きだ。だが安心しろ。目撃者はいない。お前を殺せば万事解決。そのまま毒入りのガキを竜に喰わせて仕留めりゃ俺らは英雄だ。誰も咎めはしねぇ」


 そう言うと周りの男達がニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる。誰一人としてアンナを庇おうという表情や意思を見せることは無かった。


「……そう。残念……」


 この言葉と態度で、こいつらをここから帰すわけにはいかなくなったと意思を固める。ここで帰してしまえばその悪意をまた他の誰かに向けるだろう。


「それより覚悟はできたか? ついでだからお前も死体にして竜のエサにしといてやるよ。逃げられると思うなよ。こっちはプロだ。森でお前みたいな小僧を仕留めるなんてその辺の魔物を狩るより楽な仕事だ」


 そう言いながら一歩間合いを詰めてくる。


「アンナ。これ、持っててくれる?」


 ひとまず男を無視して、着ていた服を脱いで裸になる。服を丸めて、怯えるアンナに手渡した。竜の姿になると服を破いてしまう。


「え……? あ、あの……」


「アンナはそこで座ってて。できれば、目をつぶってて」


 助けたいと思ったアンナの目を見て、優しく笑いかけながら静かな声音で伝える。

 アンナは困惑しながら服を受け取り、裸の自分を見て顔を赤くすると視線を逸らした。


「……気でも狂ったか?」


 表情を消し、静かに男達に視線を向ける。


「良かったね」


「あん? 何言ってんだ?」


 身体強化の術で肉体に力を漲らせる。


「あんた達、運がいいよ」


 力を貯めるように腰を落とす。

 雰囲気が変わったこちらを見て男たちが一瞬で身構える。

 かなりの場数を踏んでいるのかそういった変化に敏感に反応し、臨戦態勢を整えたようだ。

 だが、関係ない。


「俺がその」


 命を奪おうとする以上、自分の命も奪われるかもしれないと考えるのは自然の中では当然のことだ。相手は自分の命を奪おうとしてきた。こちらが命を奪っても咎められる謂れはない。



「竜だ」



 一瞬前まで自分の足が乗っていた地面を陥没させ、言葉と同時に飛び掛る。

 距離は10m以上は離れていたが竜の力なら一足で十分な距離。目標は一番自分に近いリーダー格の男。狙うは攻撃の起点、剣に伸ばした腕。


 一秒にも満たない、男に飛び掛るまでの時間で竜の姿に変貌する。

 男は呆けた顔で立ち尽くし、動かない。

 驚きと圧倒的強者の威圧感。場数を踏んでいたとしても所詮は竜と人。大型の獣ですら身を竦ませる竜が発する攻撃的な意思による圧力。

 人間離れした者か、常にそんな生死の境に身を置いた者でもない限り、必然の結果。


 鋭い爪のついた腕で、男の剣を抜こうとしている丸太のように筋肉が発達した上腕を掴み、握り潰す。

 骨が砕ける感触と肉が潰れる感触が伝わってくるが、嫌悪感は感じない。

 男が苦悶の表情で口を開ける。悲鳴を上げようとしているのだろう。だがそれすら許さない。

 男の上腕を掴んだ手とは反対側の手で、男の顔面を掴む。声を上げようとしていたが万力のようにきつく顔面を掴みあげられそれすらできなくなる。


 隣にいる男達が呆然とリーダー格の男の方に振り向こうとする。

 振り向き終わる前に、着地の勢いを利用して掴んだ男の頭を地面に叩きつける。

 土を抉り地面を砕く感触と共に何かが潰れる感触。

 確認はしない。そのまま隣にいる弓を持つ男に視線を向ける。


「ひっ」


 歪んだ表情。自分が狩る側だと思い込んでいたがいつの間にか狩られる側になっていたと悟った、絶望の表情。

 関係ない。ここは野生だ。この男達は命を奪うつもりで来ているのだ。それが逆転しただけの話。

 弓を持った男に合わせた視線を不意に切る。見逃そうと思ったわけではない。

 そのまま体を半回転させ、遠心力の乗った尻尾を男に叩きつける。


「ごぇっ!?」


 薄い金属の胸当てのようなものをつけていたが、硬い竜鱗に覆われた尾と激突した瞬間、小さな火花を見せその下にある男の胴体ごと大きく陥没する。

 激突の勢いで数m後ろの木まで飛ばされ、木と衝突し潰れたトマトのようになって動かなくなった。

 二人仕留めた。ここまで5秒も経っていない。残るは四人。


「くっ! くそぁっ!」


 弓を持った男が苦し紛れといった感じで矢をつがえ、こちらに放ってくる。が、竜の鱗は貫けない。胸の辺りに当たり、ガキンという小さな衝撃と共に矢が地に落ちる。咄嗟に目を狙うほどの技量はないようだ。

 筋肉を(たわ)ませ、弓を持った男に飛び掛る。


「────っ」


 背後で魔法使い風の男が何かを叫んでいる。が、今は標的の男に集中する。

 男に手が届く直前、何か壁のようなものに手が当たったが気にせず手に力を込めて男に伸ばす。透明な膜のようなものを突き破る感触が伝わるが、そのままの勢いで男の胸を服や装備ごと爪で切り裂く。そのまま仰向けにくずおれ動かなくなる。残りは三人。


「くそっシールドがっ」


 そう言ったのは杖をこちらに向けた魔法使い風の男だった。どうやら魔法で弓の男にシールドのようなものを出したようだった。それをあっさり突破され悪態をついている。


 魔法使い風の男に気を取られそうになったが、バックパックを捨てて逃げ出そうとする男とそれを追いかけようとする盾をもった男が視界の隅に映った。

 逃がさない。逃がすわけにはいかない。ここで見逃せばアンナのような犠牲者を増やすことになるだろう。こういった手合いは喉元を過ぎれば熱さを忘れるのと同じで、この恐怖を忘れればまた同じ事を繰り返す事が多い。


 星素を集めイメージする。出すのは斬撃。大木を両断する程の強さで放つ。

 しかし予想外な事が起こる。男達の背中に向かって飛ばした斬撃は、周囲の大きな木は軽く切り倒しているのに男たちが身につけた金属製の鎧のような防具は切り裂けなかった。しかし衝撃は伝わったようで逃げようとした二人はもんどりうって転がり、倒れこんだ。その上に切り倒された大木が折り重なるように倒れ二人は下敷きになって押し潰される。これで残るは一人。


「りゅ、竜語魔法……?」


 魔法使い風の男は既に戦意を喪失したのか杖を落とし呆然としている。視線を向けると「ひっ」という悲鳴をあげ懐に手を突っ込む。

 何かしてくる。

 そう判断してそうはさせないと男に飛び掛かった。

 男が取り出したのは小さな白い石。それをこちらに投げつけた。

 自分に当たる直前、石が光を放ち視界を奪う。


(目潰し!?)


 強烈な光に目を焼かれ、視界が白く塗りつぶされる。視覚で男を捉えるのを諦め、他の感覚で気配を探る。

 何かが走って離れていく音。

 ここで逃がすことはできない。音の方向に向かって飛び出す。


「あ、ああああああああ!!」


 聞こえてくるのは絶望の叫び。

 大木をも薙ぎ倒す竜の頑丈な体で繰り出される体当たりをまともに受けた男は数mは転がり、大きな木に激突して動かなくなった。


 暫くすると視界と静寂が戻ってくる。

 周囲に他に誰かいないかと気配を探るが何も感じることはなかった。

 緊張を解き、静かにアンナのところまで戻る。予想も覚悟もできていた。


「あ……あ……」


 アンナは竜の姿でいる自分を見て恐怖に濁った視線を向け座り込んでいる。

 わかっていた。正体がバレればこうなるであろうことは。

 でも、悲しかった。助けたいと思った相手にこんな目を向けられるのが。

 静かに【転身】の術を使って人間の姿に戻る。


「服、持っててくれてありがとう。大丈夫?」


 そういって震える手に持っていた服を取り、袖を通す。返事はなかった。


「ごめんね。隠してて。明日になったらどこかの村か町まで連れて行くよ……」


 涙が込み上げてきた。悲しい気持ちを堪え、俯いて震える声でどうにかそう伝える。


「あ、あの!」


 大きな声に驚き顔を上げてアンナを見ると何かを決意した顔でこちらを見据えている。


「助けてくれて有難うございます! クロさんは命の恩人です。怖がってしまってごめんなさい!」


 そういうとバッと頭を下げる。


「最初はびっくりしましたけど、私を助けてくれたのは事実です。傷を癒してくれた時、食べ物をくれた時、話を聞いてくれた時、クロさんの優しい気持ちが伝わってきました。今も怖い人から私を庇ってくれました。とても嬉しかったです!」


 その言葉を聞いて、自分の心の中に何か暖かいものが灯るのを感じた。

 ああ、伝わった。

 人間じゃない自分だけど、人間の少女に届いた。


「私の気持ちは変わりません。一緒にいさせて下さい。お願いします!」


 そういって金色の髪を振り乱してもう一度頭を下げるアンナ。でもどうして?


「どうして……。僕竜だよ。一緒にいたら怖いでしょ……」


「関係ないです! あの温かさは、お父さんやお母さんがくれた温かさと同じでした。どんな姿でも関係ありません! クロさんの優しさはお父さんお母さんと一緒です。だから怖くありません!」


 アンナは息を荒げ涙を流しながら必死にまくし立てた。


 同じだ。

 母上の言っていたことと同じ。

 人も竜も関係ない。相手を想う気持ちは同じ。

 そう思っていたこと。でも不安だった。伝わるのか疑問だった。


 でも、そんなことはなかった。

 ちゃんと伝わっていた。 

 自分は竜だからと半ば諦めていた自分が可笑しくなった。

 思いは届かないだろうと思っていた自分が滑稽に思えた。


「……ありがとう。アンナ。これからもよろしくね」


「はい!」


 二人で笑い合った。

 自分は救えたのだろうか。救えるのだろうか。この温もりを守れるのだろうか。

 自分を守ってくれたこの温もりを、自分の心を満たしてくれたこの少女を。

 その問いに答える者はなく、強い風が森の中を木々を揺らしながら吹き抜けていった。



  ※※※



「報告を聞こう」


「はい。放っていた諜報部の〝草〟が戻りました。大型の竜は詳しく調査できる前に山を飛び立ち、その後戻ってくる様子はありません。よって大型の竜が飛竜だったのか古竜だったのか判断できませんでした」


「まぁあの大きさの竜だ。飛竜でも古竜でも手を出すのは危険極まりない。逆に山を離れてくれて良かったと思うべきでしょうな」


「ですな。万一怒らせてしまえば周辺の被害も甚大なものになったでしょう」


「ふむ。して?」


「はい。小型の竜はその後、森の中に居を移したようで山に戻る様子はありませんでしたが、森に下りたことで少ないですがいくつか新たな情報を得る事ができました」


「確かギルドの調査隊も森に潜伏していたのではなかったか?」


「はい。そのことも含めて報告いたします。まず森に下りた竜は大きさが5m程。色は当初の報告通り黒色。定期的に森や草原の上空を飛びまわっていましたが、ギルドと諜報部双方の偵察隊には気がつかなかったようです。その後数日は森の中にいたようですが、〝草〟の者も住処としている場所まではまだ特定できていません」


「確かにデルノの森はかなり広大だ。深域ではないとしても派遣した人数では全てを監視することは不可能でしょうな」


「ええ。森には大型の獣や魔物も潜んでいますからな。手馴れた者達でも長期間潜り続けるのは難しいでしょう」


「はい。ただ、ギルドから興味深い情報が上がってきました」


「ほう。それは?」


「ギルドの調査隊の一パーティが全滅したそうです。ギルド独自の調査では原因が、どうも例の竜によるものではないかという情報がきています」


「なんと。竜に手を出したのか」


「竜と事を構えられるほどの使い手だったのか?」


「ギルドに登録されている情報では中堅程度の実力者のようです。六人構成のパーティでバランスは取れておりなかなかの実績も上げていました。素行はあまり良くなかったようですが実力は調査隊に選ばれるだけはあったようです。しかし飛竜相手に真っ向から挑めるほどの者達ではありませんね」


「どういう経緯で竜と事を構えたのだ?」


「……我々が放った〝草〟がかなり遠方から遠見の魔法でその様子を観察していただけではっきりとしたことは申せないのですが……」


「それでもよい。わかる限りのことを話せ」


「わかりました。確認できたのは人間の姿をした何者かが、森の奥に入り込んだ調査隊といくつか言葉を交わしたあと、突然黒い竜に変貌して調査隊に襲い掛かり、瞬く間に六人を殺したということです。会話の内容はわかりませんし、遠見の魔法なので戦闘の詳しい様子や容貌などは確認できていないとのことです。が、本人は確かに黒い竜だったと証言しています」


「なんと人が竜に?」


「この報告を正しいものとして考えると、新しい可能性が浮かび上がってきました」


「それは?」


「まず飛竜である可能性はなくなりました。が、新たな可能性が出てきました。竜魔法を使うことのできる古竜か、【竜化(ドラグナイズ)】を使える竜人種かです」


「竜人種は消された種ではなかったか?」


「はい。表向きは既に絶滅したものとなっていますが、実際はそうではありません。森の民であるエルフ同様、エルフ共の守る森の奥地で集落をかまえているという話があります。また隣国のいくつかで竜人を捕獲し【呪縛】によって軍に組み込んでいるという情報が未確認ながら出ています」


「竜人を軍に……。竜人は一人であっても軽く魔法部隊一隊分の実力を持っているという話ではなかったか?」


「ええ。私どもも実際に目にした事がないので過去の文献の情報になりますが、【竜化】していない状態でも強靭な体を持ちかなり強力な魔法を扱えるためなかなかの戦力を有していたようです」


「これは、更に詳しい調査が必要ですかな」


「ええ。許可を頂けるなら〝影〟をつけたいと思うのですが、如何致しますか?」


「しかし、まだ住処や容貌も特定できていないのだろう? 〝影〟をつけるには些か情報が足りなさ過ぎるのではないか?」


「確かに。暫くは〝草〟に調査をさせておく方がよいかもしれませんな」


「ふむ。新たな情報が出るまでは諜報部に任せよう。念のため暗部に〝影〟の準備もさせておけ。竜人なら捕獲を試みる。それから、古竜だった時のことも考え周辺の都市に軍の配備もしておく。幼体だとしても危険度は変わらない。対策を怠るわけにはいかん。軍からは討伐隊を編成しておけ。必要ならば討伐も視野に入れておかねばならん。ギルドにもその旨を伝えておけ」


「はっ」

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