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巣立ちの時

 まだ朝というには早い時間。いつもより随分早く目が覚めた。

 まだ暗く、空気もひんやりとしている。母上もまだ丸くなって眠っている。

 今日が独り立ちの日。

 これからは全て自分で決めて自分で行動することになる。

 昨日の寝る前のこと、今後どうするのかを母上と話し合った。


 ◆


「母上。母上はずっとここに住んでいるのですか?」


「ん? いや。ここはクロを育てるために用意した巣だ。クロが独り立ちしたらここを離れ、竜の森の近くに行く予定だ。この近辺は大型の獣や敵が少ないからな。子育てには安全だが、逆に言うと食べられる獲物が少ないという欠点がある。森の奥深くまで行けば十分な獲物を獲られるがあまり効率的ではない。多少身の危険は伴っても獲物の多い場所の方が暮らしていくには丁度いい。まぁクロは敵が少なく自分の食べるものも十分確保できるからこの場所の方がいいかもしれんな」


 そうか。わざわざ自分のために住みにくい場所を選んでくれていたのか。

 母上は自分を一人前と認めてから、坊をつけなくなり、クロと呼んでくれるようになった。大人として認めてくれたということだろうか。母上に認められたのだと思うと、ちょっと誇らしくなった。


「クロは世界を見てみたいのだったな。巣立ち後はあちこち飛び回るのか?」


「いえ。まずは色々な術を磨いたりしたいので暫くこの森の中で過ごそうかと思います」


 術を覚えはしたがまだわからないことや試しておきたいことも多い。

 それに移動するとなると食糧の確保や寝る場所の確保などやる事が増えるため術を練習する時間が減ってしまう。


 まだ身を守るための十分な術を身につけたわけでもないし、強力な獣や竜種がいる場所に紛れ込んでしまった場合自分の身を守れるのか不安がある。

 そのためにもある程度攻撃的な術などの練習や自分にできることを研究したり、道具なども作れないか試したりしてみたいのだ。

 そのためには慣れているこの森が丁度いいのではないかと思った。


「そうか。では私は一足先に竜の森に戻ることにする。明日で一度お別れだな」


「はい……」


「そんな目をするな。別に二度と会えないわけではないし、会ってはいけないという決まりもない。何かあれば竜の森までくるといい。場所は覚えているだろうし、忘れても【竜憶】で調べることも容易だ」


「わかりました」


 そう言って安心させてくれたが、そこで厳しい目つきになり言葉をつけ足した。


「ただし、それは生きていればの話だ。いいか。命を落とせば会うことはできない。何があっても生き延びるのだぞ? 困った事があれば相談にきてもいいし、何かあれば逃げてもいい。命を失うな。私もクロが死ぬことは許し難い。くれぐれも親より先に死んでくれるなよ」


 どの世界でも一緒だ。親より先に逝くほどの親不孝はないという事だ。


「はい。何があっても生き延びます」


「それでいい。そうそう、伴侶を見つけたら必ず一度見せに来るのだぞ?」


「……え?」


 真面目な目つきから一転、ちょっと悪戯っぽい目つきと口調で言ってくる。そのギャップに思わず目が点になった。


「実はな、古竜種は同族としか子を生せない訳ではない。【転身】の術は体を精巧に他の生物に作り変えることができるため、他種族と子を生すことも可能だ。現に人族を伴侶にして子を生した竜もいたしな。クロは人だった時の記憶があるのだから好意を抱くのも人になるかもしれんだろう? 私はクロが選んだなら他種族でも反対はしない。が、どんな相手でもよく見定めろ。騙されて困るのは自分だ。だから心に決めた者ができたなら見せに来ておくれ。翁も喜ぶだろうしな」


 確かに人と古竜が結ばれた記録は残っている。かなり昔だがそこで生まれた子が子孫を残し、竜人種という新たな種族が生まれたのだ。今もこの世界にその種族がいるかは調べてみないとわからないが、【竜憶】にはそんな他種族と結ばれた竜の事が結構多く記録されていた。


「わ、わかりました……」


 まさかこんな話をするとは思わなかったので少しどもってしまったが、母上に見せることには抵抗はない。もしそんな相手が見つかったら一緒に会いに行こうと思う。


「いいか。自分を守るのも大切な者を守るのも全て自分の力次第だ。独り立ちとはいえクロは大分幼い。他の竜であれば親と同じくらいに成長してから巣立つ者も珍しくないのだ。なるべく危険は避け、鍛錬に励むのだぞ」


「はい!」


 ◆


 そんなやりとりを寝る前にしたのだった。


 朝食を済ませるといよいよ独り立ちだ。

 母上はそのまま竜の森に向かうそうだ。

 卒業式のような気分で嬉しくもあり、寂しくもあった。


「ではな。次の再会を楽しみにしている」


「はい。母上、色々ありがとうございました」


「言っただろう、それが親の務めだ。感謝してくれることは嬉しいが恩に感じることはない。もし恩に感じるなら今度は自分の子に同じようにしてやることだ」


「う……はい」


 思わず涙が出そうになったが、今はぐっと堪える。

 母上とは笑って別れたかった。様々な想いが胸の内を巡る。それでも泣いて別れるのは嫌だった。


 そう言うと母上は優しい眼差しでこちらを暫く見つめ、その後住処を飛び立っていった。

 母上は自分以外にも子を産んで育てた事があるそうで、別れも何度も経験しているらしい。自分も人間だった頃は既に独り立ちしていた身だ。寂しくはあるが、耐えられないわけではない。

 でもやっぱり胸が苦しくなった。

 母上が飛び立った方向を、母上が見えなくなっても暫く眺め続けた。


 山の上の住処をそのまま使ってもいいと言われたが、一応巣立ちなわけだし自分も住処を離れることに決めていた。

 行こうと思っているのは森の中にあったあの泉の場所だ。

 あそこならいつでも種から実を育てられるから便利だし、竜を恐れて獣なども現れないので身を隠すものが少なくても暫くの間は大丈夫だろう。

 何より試したい術もあったので多少獣などが出てきて欲しいとも考えていた。


 母上を見送ったあと、いよいよ自分も住処を離れる。

 住処の上まで飛び上がると、下の住処を見下ろす。

 ここで新たな命をもらい、様々なことを学んだのだ。当初は大きな穴だと思ったが今では少し小さく見えた。


 色々な思い出が脳裏に過ぎった。

 やっぱり寂しさもあったが、いよいよ世界を見にいけるという好奇心というか期待も膨らんだ。

 母上に言われたことや、学んだことを思い返しつつ、自分も自分なりに自分の信じる自分を貫いていこうと心に決め住処を後にする。


 山の上空から泉のあった方に体を向け、そのまま真上に上昇し、翼を広げて飛行の術を切る。

 そうすると高いところから手を離した紙飛行機のようにスイーっと滑空していくことができる。別に普通に飛んでいってもいいのだが、お遊び気分で色々な飛び方を試したくなってしまう。

 風を体中で感じながら翼と尻尾、体だけでうまくバランスをとって目的の方向へ向かう。ちょっと違うかもしれないがスキーやパラグライダーをしているような気分になれてこれはこれで楽しいのだ。


 そのまま泉のある場所まで飛びぐるりと一度上空を旋回し、獣などがいないかを確かめると静かに着地する。

 泉の周辺は相変わらず静かで、綺麗な水を湛えている。動くものの姿はなく、凛とした清涼な空気が辺りに満ちており、ここにいるだけで体中が掃除されてスッキリしたような気分になれる。

 暫くの間はここで色々な術を試したり、研究しようと決めている。


 まず自分が寝られるような場所を用意したい。如何に獣が恐れて近寄ってこないといってもそのまま無防備に寝るのもどうかと思ったので、近くに転がっている大きな岩を術で転がしてきて並べる。かなり巨大な岩だったが星素の量を多くし、一気に動かす勢いをイメージしてゴロリゴロリと転がしていく。


その後、泉の近くの森に生えている小さな苗木を何本か掘り起こして運び、並べた岩の周りに植えると植物を成長させる術で苗木を一気に成長させて視界を遮るようにし、岩と木で周囲を囲んだ即席の寝床を作った。雑だが暫くの間だけなのでこの程度でいいだろう。


 暫定の住処を用意してちょっと休憩すると、お腹が減ってくる。丁度いいので森を散策し果物を取ってきて腹ごしらえをしつつ、種を集めて泉の近くにまとめて植えておく。ちょっとした菜園のようなものを作ろうと思ったのだ。いつでも収穫できるようにある程度成長させたところで日が暮れてきた。


 初日なので術の練習は後日にし、まずは生活環境を整えることに集中した。

 さすがに疲れたので今夜は早めに眠ることにしたが、寝る場所が変わったせいか疲れているはずなのになかなか眠りにつけず遅くまでモゾモゾとしていた。


 翌日、雲が流れる心地よい空。天気も上々で清々しかった。山の上だった頃に比べるとやはり雲は多く感じる。そのうち雨も降ることがあるのだろう。

 昨日作っておいた菜園モドキの場所まで行くと、ある程度育てておいた果物の苗に再度術をかけて成長させ、今日の分の朝食を収穫する。

 清々しい朝の泉の畔で食べるといつもの果物も何だか味が違って感じるようだった。


 朝食を済ませていよいよ術の研究を始める。

 が、その前にやりたい事があった。

 竜になってから自分の顔を一度も見ていないので見てみたかったのだ。

 水面を揺らさないように静かに泉に近づくと、水面を覗き込む。


(おお。これが竜の自分か)


 水面に映った竜が見える。水面が揺れてやや見にくいが母上似の顔立ちだった。黒い虹彩が爬虫類のように縦に割れた瞳孔を形作っているが、つぶらな黒い瞳とまだ幼さの残る竜の顔が水面に映っている。自分的には怖い顔というよりは愛嬌のある顔のように見えた。頭には(たてがみ)のように何本かの角が生えており、目つきを鋭くして凄めば威厳のある竜の姿になれそうだが、普通にしていると何だか小動物的な愛くるしさを感じる。まだ子供だからだろうか。


 そいえば人間に変身しているときはどんな顔だったのだろうか。人間だった頃の自分をイメージして術を使っているので、それと同じような顔になっているのだろうと勝手に予想したが実際はどうなんだろう。


 そう思い【転身】で人間の姿になってみる。

 人間に変化したことを確認し、同じように水面に顔を映してみる。すると予想したのとは違い、日本人とは全く違う顔立ちをした人間になっていた。


 割と中性的な顔立ちである。目だけが竜のときと同じで瞳孔が縦に割れている。人間だった頃と同じで黒髪黒目ではあるが、日本人というより西洋人の顔立ちに近い気がする。髪を伸ばせば女性と間違われそうだった。自分で言うのもなんだが結構イイカンジの顔ではないだろうか。少なくても不細工ではない……と思う。しかし、今は髪がボサボサで汚らしく、素っ裸なので難民か浮浪者のようだった。


 今まで見る事ができていなかった自分の顔を確認したので、今までできていなかった水浴びもしておくことにした。

 そういえば人間の姿がちょっと汚らしいのは竜の姿が汚いからだろうか。

 確かめるために人間の時の汚れ具合を少し覚えておき、竜の姿で水浴びをしてみることにした。


 竜の姿になるとジャブジャブと泉の深い場所まで入って行き、ザブンと潜る。

 擦って汚れを落とすのは無理なのでとりあえず水中で体を動かして流し落とそうとしてみることにする。

 黒い体でどの程度汚れていて、どの程度汚れが落とせたのかイマイチわからないがそれはどうしようもないので適当に。


 潜っていて気がついたのだが、水中で目を開けていると普通なら水で視界がぼやけてしまうが、竜の目だとそれがなく水中でもクリアにものを見ることができた。また結構長く潜っている気がするがあまり息苦しく感じない。かなり長く息を止めていることができるようになっているようだった。


 しかしやはり水浴びは気持ちのいいものだ。何と言うか気分的にもさっぱりとできる。今まで必要に感じなかったから水浴びはしていなかったがこれからは定期的にやろうと思った。


 気の済むまで水浴びをしたところで、岸に上がって【転身】を使ってみる。

 人間の姿になったが、水浸しで寒かった。寒さを堪えつつも自分の汚れ具合をチェックする。髪もある程度綺麗になりボサボサではなくなったし、皮膚の汚れなども若干落ちているように感じる。


 水に濡れて変身すると人間状態でも濡れていたことや、竜の汚れが落ちると人間でも綺麗になることから、竜の状態がある程度人間の姿に影響を与えると考えてよさそうだ。

 ということはもしかしたら逆も考えておく必要があるかもしれない。人間状態での体の変化は竜の体にも変化を与えることを考えた方がよさそうだ。今度実験してみよう。


 それにしても寒い。竜のときは気にならなかったが人間の姿では寒さも暑さも人間と同じように感じるようだった。竜が風邪をひくのかはわからないが寒いままでは嫌なので星術を使って温風を自分に吹きかけて乾かしておく。

 風を起こす術を使ったところで違和感を感じたが、なんだったのかよくわからなかったのですぐに記憶から消えていった。


 水浴びも済んだところで今度は術の練習に入る。

 まずは【転身】で調べておきたい事があったのでそのまま人間の姿で実験を行う。

 調べておきたいのは人間の姿の状態はどの程度のスペックがあるのかということだ。


 今後生活する上で何かと人間の姿になって行動することもありそうなのだが、普通の人間と同じような能力なのかそうではないのかを確かめておきたかった。

 そういうことで人間の姿のまま色々と体を動かしてみた。


 結果、まず筋肉や骨などは竜並みの強度や力がありそうだということがわかった。本気でジャンプすれば数mも飛び上がることができたし骨折するようなこともなかった。また石を握り潰すほどの力も出せた。


 しかし皮膚はそれなりで鱗のような強度はなく、竜の力で物を殴ったりすると皮膚が裂け血が出てしまうし痛みも人間だった頃と同じように感じた。石を握り潰してみた時は割れた石の破片で掌が血まみれになり、かなり痛かった。ちなみに血の色は普通に赤だった。

 体力も竜並みでかなり動き回ってみたが息が切れるということもなかった。ただ、裸足で動き回りすぎて足の裏がボロボロになってしまった。


 最後に人間の姿で星術が使えるかどうかを試してみる。

 結論、一応使えはするが、どうも竜の時に比べると星術の制御が難しい気がする。単純な術ならば問題無さそうだが、星術を大量に使うような術や制御が難しい術を使う時は訓練するか、竜の姿に戻った方がいいように感じた。


 さっき温風で自分の体を乾かしたときに感じた違和感はこれだった。温めた弱い風を起こすだけだったので人間の姿でも使うことはできたが、竜の時に比べ星素の制御が難しかったから違和感を感じたようだ。


 そんなこんなで人間の姿で調べたいことは一通り調べ終えたところで一度食事にする。

 やはり物を食べる時は竜の方がよかった。あまり汚れを気にする必要もないし、鋭い牙で硬い物もムシャムシャといける。

 竜になった当初は困惑し、体に慣れずに四苦八苦していたものだったが、自分も竜の姿に慣れたものだなぁとしみじみ感じた。


 食後、今度は【転身】を応用した姿になれないか試してみる。

 具体的には、竜と人間の中間のような姿だ。

 竜の体は強靭で頑丈、空も自在に飛べるし攻撃用の爪や牙もあり星素の扱いも十分に行えるが大きすぎて不便な点も多い。


 逆に人間の体は小回りが利き、通常の人間よりは高い身体能力を備えているが星素の扱いが難しく攻撃を防げるような鱗もないし爪や牙もなくなってしまう。

 武器を持てばいいのかもしれないが自分は武術の経験も無ければ剣を振ったこともない。仮に武器を持ったとしてもまともな運用はできないような気がした。


 母上との話の中に出てきた竜と人の子供、いわゆる竜人というものの存在を思い出し、竜と人の中間の姿もイメージ次第で変身できるのではないだろうかと思ったのだ。

 そう考え実際試してみることにした。


 基本の体格は人間で爪や鱗など竜の特徴をイメージに組み込む。ある程度イメージが固まったところで【転身】を行ってみる。


(おお!)


 できた。

 体格は人間のまま、指の数や関節なども人間と同じ。しかし皮膚は関節などの動きを阻害しない程度に鱗に覆われ、竜の爪も生えている。牙も一応生えているようだが口の形は人間のままなので噛み付きなどには向かないように思う。頭はそのまま髪の毛だったが、顔には頬の辺りまで鱗が出ている。背中側には翼が生えて折りたたまれており竜と同じように動かせるようだった。尾てい骨の辺りからやや細めだが2mくらいの竜の尾が生え、これまた竜の時と同じように自在に動かせる。


 しかし翼はあったが空を飛ぶのは無理だった。星素の制御が難しく、翼が自由に動いても浮かび上がる事ができなかった。そうなるとこの翼は邪魔になる。攻撃手段などで何かに使えないか今度研究しておこう。いや、翼が無いイメージでもう一度【転身】をすれば消えるだろうか。どちらにしても今度試してみよう。


 半竜半人の姿はどこぞの変身ヒーローになったような気分だったが、よくよく観察すると翼と尻尾が見えない正面から見た感じは竜人というより魚人のような感じに見えるかもしれない。

 魚人間……深き者……クトゥルフ……うっ頭が……。

 鱗などの耐久性も竜のものに近く、これなら人間の姿で戦ったり身を守ったりできそうだった。


 試しに半竜の姿で岩を相手に格闘してみる。

 ガヅンと竜の力で岩を殴っても痛みはそれ程感じず、岩をカチ割ることができた。爪を使って切りかかると硬い岩をザックリと切り裂けるし、体を回転させる要領で遠心力をかけ、尻尾を横薙ぎに叩きつけると岩をバラバラに砕く事ができた。


 我ながら恐ろしい……下手なことをすると軽く人も殺せてしまいそうだ。余程の事がない限りはこの姿になることはないかもしれないけど、いざという時のために力加減は覚えておこうと思った。


 太陽も中天を過ぎて結構経った。時間的には午後2時頃くらいだろうか。

 色々やって疲れてきたので休憩がてら今日はもうのんびりしようと思い、竜の姿に戻る。


 前々からこの綺麗な泉のほとりで昼寝でもしたら気持ちよさそうだと考えていたので、のんびり日向ぼっこでもしようと考えた。

 泉の近くの草っ原で、脱力した猫のようにでろんと寝そべってウトウトしながら日向ぼっこをしていると不意に声をかけられた。


「もし。竜殿」


 突然声をかけられガバっと飛び起き、思わず身構えてしまう。

 視線を向けると、泉の広場の境目あたりの木の陰に生き物がいてこちらを伺っていた。声の主は大きな狼のような獣だった。体長は3mを越えるほどもあり、綺麗な灰色の毛並みをしている。目は鋭く水色の瞳が竜に怯む色を見せずこちらを見つめている。


(くつろ)いでいるところを申し訳ない。宜しければ水場を使わせてはくれませんか。この近辺には他に使えそうな水場がないのです」


 少し緊張を孕んではいたがはっきりと意思を伝えてくる。少し高いが男性の声音だった。イケメンボイスである。


「えと……。どうぞどうぞ」


 初めて【伝想】で竜以外の生き物と意思疎通を行った。ある程度意思がはっきりとある生き物とは意思疎通ができることはわかっていたが、実際体験するとなんとも不思議な感覚だ。

 別にここを縄張りにしているわけでもないし独り占めする気も全くないので逆匍匐前進をしてズルズルと移動し、水場近くの場所を空けて譲ってあげた。

 ふと思ったが、竜以外で初めて言葉を交わす相手は狼になったのだ。ちょっと感慨深いものがあった。


「感謝致します」


 そう言うと狼の後ろから柴犬くらいの子供の狼が2匹と、話をした狼より少し小さい大人の狼が出てきた。どうやら家族連れのようだ。話をしてきたのは父親の狼だろう。声も男性のものだったし。


 普通ならよっぽどのことがなければ襲われる危険を冒してまで竜と関ろうとする獣などいないし、仮に関ろうとしても目には恐怖や警戒の色が表れる。この親狼の目には警戒の色はあっても恐怖の色はなかったように感じる。

 恐怖よりも水を確保して家族を守ろうとする意思が強かったのか、そこまで切羽詰った事情があったのか判断はできなかった。


 歩いて泉に近づいてくるところを眺めていたが、よく見るとあちこち傷だらけだった。他の獣と争ったのかとも思ったが父親狼の後ろ足の付け根あたりに矢が刺さっているのを見て違うとわかった。

 ……人間と争ったのだろうか。

 余程のどが渇いていたのか、子供の狼はむせるほど慌てて水を飲んでいた。

 よく見ると子供の狼も背中や手足に血が滲んでいるところがある。


「その怪我はどうしたんですか?」


 そう声をかけると親狼がこちらに視線を向けて一瞬怪訝そうな目をしたが答えてくれた。


「山向こうの草原を移動している際に、人間の群と遭遇して攻撃されました。追いかけてはこなかったのですが家族の安全のため森まで逃げてきたのです」


 やはり人間だった。ゲームなどでよく登場するゴブリンのような道具を使う人型の獣かとも一瞬考えたが違ったようだ。


「なるほど。人間ですか」


「はい。元々は草原で狩りをして生きていたのですが、ここ最近人間がよく現れるようになりまして、草原を逃げ回るより暫くは森にいようかと思ったのです。しかし森に入ってみたものの水場がなかなか見つからず困り果てていたところです」


 確かにこの森はかなり奥の方まで入らないと川はないし、山の近くではここ以外の水場はまだ見かけていない。小さな湧き水程度ならありそうだが、大型の獣が使えるような場所はここくらいかもしれない。


「別にここは縄張りではないので自由に使ってどうぞ。それとその怪我は放っておくと病気になるかもしれないので治しますよ」


 そう提案すると驚きに目を見開いた。親が怪我をしていては狩りもままならないだろうという思いと、矢が刺さったままでは気の毒に思ったのだ。


 日本で生きていた頃も矢が刺さった野鳥などが見つかる事件が稀にニュースになっていて、とても可哀想に思ったことがある。食べるためではなく悪戯の類で傷つけられる動物を見ると心が痛んだ。


「なんと。古竜様でしたか。御心遣い感謝致します。ですが、宜しいのですか?」


「気にしなくて大丈夫です。痛みは我慢して下さいね」


 そう言うとまず物を動かす術で矢を抜いてやる。一瞬だが痛みで顔をしかめていた。抜いた矢は三分の一程が刺さっていたようだ。(やじり)は金属のようだったが詳しくはわからない。矢はその辺に捨てておく。その後子供も親もまとめて癒しの術をかけてやると毛に血は残ったが傷は塞がったようだった。子供の狼は何が起こったのかと体を見て慌てている。


「有難うございます。助かりました」


 そうお礼を言ってくれた。当初よりも警戒の色が薄れた気がした。どんな相手でもお礼を言ってくれるのは嬉しかった。自分が役に立てたのだという満足感が沸いてくる。


「こう言うと失礼ですが、竜の方々は皆気性が荒く恐ろしいものだと思っておりましたが、そうではないのですね。水がなければと思う一心で決死の覚悟で声をかけたのですが……」


 やっぱり他の生き物から見た竜はそういう感じのようだ。今まで殆ど動物とかに出会わなかったことからも避けられているというのは判っていたから今更ではあるが、ちゃんと言葉で伝えられると改めて実感する事ができる。


「どうでしょう。自分が特殊なだけなのかもしれないので他の竜ではどうなのかわかりません。ただ自分は他者を無闇に攻撃しようとは思わないのです」


「そうですか。重ね重ね有難うございます。先程の御言葉に甘え、暫くはこの近くに居させて頂こうかと思います」


 その後暫くは泉の近くで(くつろ)いでいたが日が暮れる前になると再度お礼を言い、泉を離れて行った。竜の近くは安全だが逆に獲物になる動物も近寄らないので肉食の獣だと離れないと生活できないのだろう。


 それにしても人間が近くにいるのか。一度見に行ってみるのもいいかもしれない。どんな生活様式なのかも装備や服装などを見れば判断できるかもしれないのだ。

 明日は警戒しつつも草原の方に行ってみようかと考えながらその日は眠りについた。


 翌日、分厚い雲で日が差していないが、明るくなってきたことで目が覚める。

 朝食に昨日植えておいた果物を成長させて食べると、昨日考えたように今日は草原まで行ってみることにする。


 ついでなので他に食べられそうな果物があれば採ってこようかと考える。いつも同じ味のものでは飽きてしまうのだ。

 狼の親子が来るかもしれないと思っていたが、出かけるまでには一度も姿を見ることはなかった。


 空に飛び上がり、二つの山の方を目指して飛ぶ。

 山の反対側に広がる草原の上空に入る前に人間らしきものがいないかを山頂付近から観察してみる。

 しかし、そんな影を見つけることはできず、草原は静かな様子で他の動物なども遠目には見ることはできなかった。


 とりあえずあまり草原の奥には入り込まないようにしようと思い、森と草原の境目を暫く飛んでみることにした。

 暫く飛び続け、山から結構離れた位置まできた。


(お?)


 新たな食べ物を探すついでに上空から森と草原を観察していると、森の中に見慣れないものを発見した。

 何だろうかと思い、旋回して様子を(うかが)うと何やら人工物のようなものが落ちているのが見える。

 しかし、木が密集していて降りる場所が無い。グルグルと旋回してやはり無理そうだと判断し、少し離れた場所にあった木が(まば)らな位置に下り立った。

 さっき見つけた何かの場所まで行くには歩くしかないが、このまま移動するのはちょっと面倒である。


 竜の体で森の木々の間を通り抜けようとすると、木の間が狭いのであちこちぶつけてしまうのだ。

 人間だった頃の感覚で歩こうものならガツンゴツンとぶつける。

 殆ど痛みは感じないとはいえ、何度もぶつけ動きを阻害されるとさすがにイライラしてくる。


 最初に竜の姿のまま移動した時はそのせいでストレスが溜まり、最終的には戦車よろしく草木を薙ぎ倒しながら突っ走ったことがある。

 その時に来た道を振り返ってさすがにコレはまずいと思った。動くたびにこんな状況を作っていてはここにこんな事ができるナニカが潜んでいますよと言っているようなものだ。後をつけられたりして寝込みを襲われても困るし、人間のような存在がいたらまずい。


 というわけで【転身】を使って人間の姿になる。

 蜃気楼のように星素が体の周りに集まると竜の輪郭が解け、人間の形になる。相変わらず素っ裸だからとても恥ずかしいが一番動き慣れていることと、手が自由になるためとても重宝する。


 ただ走り回るだけなら犬や狼、猫などの動物の方がスピードが出せそうなのだが、大きさの違いや体の作りの違いで慣れない部分も多いため、転んだり何かにぶつかったりしてしまいそうで、やはり人間の方が都合がいいように思う。


 どうせ誰もいないとわかってはいるものの露出狂のような姿でうろつくのはさすがに抵抗があった。

 ……葉っぱで隠すことも考えたが……逆にもっと恥ずかしいので開き直るようにしている。これに慣れてしまわないようにしなければ……。


 何かの気配がすることは無かったが念のため警戒して近づく。

 木陰に身を潜めながら近寄るとなんだか甘いような腐ったような変な匂いがしてきた。

 目的の場所に近づくとそれが視界に入った。


(うっわ……)


 人間の死体だ。

 あたりには木箱やら荷物やらが散乱し、上空からはそれが見えていたようだ。

 死体の数は3つ。どれもかなり腐敗が進み正視に堪えない有様だ。何かに襲われたようで手や足が無いもの、内臓が無くなっているもの、首から上がないものと酷い状態だった。

 うつ伏せに倒れており、幸いこの位置からは表情などは見えなかった。荷物を捨てて何かから逃げようとしたのか離れた場所に荷物が転がっている。この距離からだと性別の判別すら難しい。


 一瞬母上が食べたのだろうかとも考えたが、状態を見るとそうではないようだ。

 母上なら牛サイズの獲物でも殆ど丸呑みにできてしまう。それよりも小さい人間の手足だけを狙ったり内臓だけを狙う意味はない。


 とりあえず何かに襲われて息絶えたということぐらいは判るが、何に襲われたのかまではわからない。食べられたような後があることから人間ではなく獣の類ではないかと思うのだが専門家でもないので判断が正しいかもわからない。


 狼の親子が言っていた草原に現れるようになった人間だろうか。

 いや、最近になって増えてきたと言っていたからこの死体は違いそうだ。

 詳しくはないから断定はできないが、死後10日以上は経っていそうな状態だ。最近になって増えてきたという話とは合致しない。

 もしかしてこの人たちを探しに来ているのか? それならばありえそうな気がする。(もっと)も確認する手段がないからどうすることもできないが。


 さすがに竜の体になって様々なことに耐性がついてきていたがこれ以上近寄るのは無理だ。

 竜にも感染するかはわからないが腐乱死体からは疫病が発生することもあるし、吐き気を催すような死臭がしているため、気持ちが悪い。


 とりあえず死体はどうすることもできないので放置しておくとして、荷物の方が気になった。

 死体に近寄らないように迂回して、手近なところに転がっている大きなリュックのような荷物に近寄り中を確認してみる。


 中に入っているのはサバイバルセットのようなものだった。

 テントのようなものと干し肉や干し果物、何かの動物の胃袋のようなものでできた水筒、ナイフに包帯などの治療道具、何かが入ったビンが数本と着替えが何枚か入っている。


 その中でも着替えに目が止まる。竜の時は気にならないが人間の姿になっているときは基本素っ裸なので着替えがほしかった。

 着替えを広げてみると、綿のような手触りの袖の長いワンピースのような服だった。こんな森の中や草原を歩き回る服ではなさそうなので商人かなにかの売り物とかかなと予想してみた。


 着てみると裾が長く引きずってしまうが着られないことはない。裾の部分はあとで切り落としてもいいだろう。

 下着もなくこれ一枚だけを着るとスースーしてイマイチ心もとないが素っ裸よりは大分マシである。

 男性用なのか女性用なのかよくわからないが自分が着るとちょっと汚れた照る照る坊主のような感じになる。


 着替えに満足すると、他にも落ちている物があるので確認してみる。

 落ちていたのは片手持ち用の剣と直径50cmくらいの丸い盾、ナイフ、帽子、肩掛けカバン、木箱があった。


 肩掛けカバンの中身は何か液体が入っているビンが数本と硬貨のようなものが入った革袋、あとは金属性のプレートのようなものが入っている。木箱の方はリュックのときと同じで食糧などの日用品が数日分は入っていた。

 死体もカバンのようなものを持っているが近寄りたくないので放っておくことにする。


 剣やナイフは、切れ味抜群の爪や術が使える自分には必要ないしかさばるので置いておく。盾も竜鱗の方が頑強だ。帽子も必要ないし(しらみ)などがいるとうつるかもしれない。食糧類はいつから放置されているかわからないので安全を考えて手を出すのは止めておく。治療道具もこの程度の物なら術で直してしまう方が早い。


 残るのは硬貨のような物と金属プレート、そして何かの入ったビンだ。硬貨のような物は見たことの無い紋様が入っており恐らくお金ではないかと予想できるが、この金属プレートはなんだろう。表も裏も何も書いていない。やや長い長方形で厚さは数mmくらいのタロットカードのようなサイズだった。

 用途がわからないが持っていってもかさ張るものでもないのでとりあえずもらっておく。


 最後に何かが入ったビンだ。ビンは栄養ドリンクの入ったビンくらいの大きさで透明、やや青みがかった液が入っている物とやや緑がかった液が入っている物とがある。一本だけ毒々しい赤色の液が入っている物もあった。


 これは薬の一種か、毒薬の一種だろうか。ラベルも何もないので判断できない。尤もラベルがあったとしてもこの世界の文字は読めないので何かはわからなかったと思うが。【伝想】は意思や言葉はわかるようになるが文字は無理だ。

 【竜憶】には竜の知識は収められていても、人間の文化の知識なんて入っていないから調べられないし、飲んだり触ったりするのも危険だ。もしかしたら狩りで(やじり)などに塗って使うような毒かもしれない。


 何かはわからないがこれも一本ずつもらっておくことにする。中身が役に立たなくても入れ物のビンは役に立ちそうだし、そんなに大きい物でもないのでかさ張るということもなさそうだ。いらなくなったら捨てればいい。


 今まで入れるものがなかったのでカバンなどの入れ物が嬉しい。これで前の住処に置きっ放しになっている自分の脱皮した鱗や牙などを持ち運ぶ事ができる。遠くに行く時にはお弁当代わりに果物を入れて持ち運ぶのもいいかもしれない。

 亡くなった人達には申し訳ないが、いい拾い物をした。カバンを前足の指に引っ掛け落とさないようにしてから飛び上がる。


 結局その後、人間が見つかるかとまた上空から草原を観察したが見つけることはできなかった。

 日が暮れる前に山を目指して飛び、山の住処跡に降りると鱗や牙を回収しておき、その後泉に戻った。

 帰ってくると珍しくリスのような動物が泉の近くにいたが、竜の姿を見て慌てて森の奥に逃げていってしまった。

 怖がらなくてもいいのに。今度見かけたら育てている果物を分けてみようか。あ、でも近寄れないのか。


 間もなく暗くなるかという頃に例の狼親子が泉に現れ、大きな鹿のような動物を仕留める事ができたと報告してきた。

 どうも竜の縄張りの獲物を獲ってしまった手前、ちゃんと報告するべきだと思ってわざわざ言いに来てくれたようだった。


 律儀だなと思いつつ、自分は果物しか食べないから獲物については気にしなくてもいいと言うとこれまた驚かれた。

 やっぱり竜はどんな世界でも獰猛な肉食獣のようだ。


 果物しか食べないということと温厚な相手だということがわかったからか、子犬のように可愛い子供の狼も近寄ってお礼を言ってくれた。

 大したことはしていないがやはり感謝されるのは嬉しかった。人間の姿で会えるなら撫でて遊んであげたいのだが……人間に傷つけられた手前、それは無理だろうと考えた。


 そういえば【転身】の術で人間以外の生き物に変わった事はまだなかったので、今度狼に変身できるか試してみようと思った。

 そうしていると暗くなり、狼親子も森に戻っていったので自分も持って帰ってきた荷物を土の中に埋めてその日は眠りについた。

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