報酬
「───成程な……確かに正式に終戦宣言があったわけではないし、そういう経緯があったのなら高い身分の彼女らが大した護衛もつけずに移動しようとしていた事にも納得ができる。恐らく人数が増える事で目立ってしまうのを避けたのだろうが、今回はそれが裏目に出たということか。
それと、被害も出ていなかった双子山の竜の討伐にかなりの規模の軍まで動かして躍起になっていたのも戦いを有利に進めるための武器などを竜の素材から作ることが目的だったのかもしれん。しかし、聞いた限りでは協力するだけの理由がありそうもないが、その辺はどうなんだ?」
「な、なんだかすごいお話になっていたんですね……」
ヒュルを出発して数時間。
事情を知らないメリエとアンナに、歩きながらあの晩シェリアとしたやり取りの説明をしている。
ヒュルから王都に向かう街道はしっかりと石が敷き詰められ、今まで通ってきた街道よりも綺麗に舗装されていた。道の両脇に延々と畑が広がり、所々に農作業用の小屋が建てられている。畑のずっと向こうには森が見えたり山が見えたりしているが、かなりの距離がありそうだ。
ここから先は変身はせず、人間の姿のまま歩いて行く事にした。揺れる走車に乗らなければならないということもないので変身する必要が無くなったのだ。
街道も道幅が広く今まで以上に人通りが多いし、荷物や人を満載した走車もひっきりなしに行き交っている。
メリエの話ではここから先の街道では魔物や盗賊の心配はほぼ必要無く、街道沿いに宿場も用意されているらしい。さすがに大きな都市と国の中心となる王都を結ぶ街道だけあって、それなりに管理が行き届いているようだ。
やや遅い人の足でも日があるうちに宿場に到着できるようになっているようなのだが、今回も例によって人目につきやすい宿場は利用しない事に決めている。宿場では食べ物の購入などが行なえるそうなので、それだけ利用してあとは野宿をする予定でいた。
別に宿場があってもお金の節約のために利用しないで野宿をする人間は多いらしく、変に思われたりすることはないそうだ。
また夜間でも人通りが多いので、盗賊なども人目を気にしてこの街道周辺に現れることは滅多にないらしい。一応見張りはするが、今までよりも気楽に行なえるので精神的な疲労も少ないだろう。
しかし、天気が少し心配だった。今の所雨は落ちてきていないが、どんよりとした灰色の低い雲が空を覆っており、いつ空が泣き出してもおかしくなさそうだ。雨の中の野宿は場所探しが大変で、雨を避けられる場所に人が集まってしまう。
そうした人間と一緒になると面倒なので、この曇りのまま何とかもって欲しい所である。
いつ雨が落ちてきても大丈夫なように全員で雨避けの外套を羽織り、湿った風が吹く畑の間の街道を歩きつつ今までの事と、これからの事を相談している。
人通りも多いので、話の内容を知られないように注意しながら説明を続ける。
「そこなんだよね。最初はやろうと思わなかったんだけどちょっと思いついたことがあってさ。こうやって旅をしたりしているだけじゃ絶対に手に入らないものを条件に出してみたんだ」
「何を報酬にしてもらったんですか?」
「まだ確実にもらえるって決まったわけじゃないんだけど結構無理を言ってみたよ。もらえるかどうかを王様とかに相談してもらう必要があるから、シェリアさん達が王都に戻ってから交渉してくれると思う。だから治療するかどうかはその交渉次第かな」
「ふむ。で、肝心のモノは何なんだ?」
「まぁどういうものを頼んだかというのと、今後の動きについてまとめて話すね。まず報酬についてだけど───」
◆◆◆
「……そちらが条件を呑んでくれるというのであれば、治療をしてもいいかなと考えてます」
「!! ……その、条件とは?」
「その前にまず治療をするに当たっての大前提として、僕の正体をこれ以上他人に知られるわけにはいきません。特に政治に関わるような人間に知られれば僕の力を目当てに近づいたり、利用しようと手を出してくるでしょう。王女の治療をする際にはレアさんの治療と同じように竜の姿に戻る必要がある。だから誰にも見られる心配が無い状況を作ってもらいたいんです。あ、あと体が大きくなるので広い場所も必要かな」
「……確かに、そうですね……」
「そして次に、治療の報酬として〝情報〟をもらいたいと考えています」
「情報?」
「ええ、そうです。シェリアさんは王女の治療を、僕はその見返りとして情報を得る。そちらからの一方的な〝お願い〟ではなく、お互いに条件を出し、双方が合意して成るので、これは〝契約〟ですかね」
普通に旅をしたりしているだけでは手に入らないモノ。それは機密を含めた王国が管理している情報だ。
丁度良いことに今自分達が求めている地図や地理に関する情報も、メリエの話では国が管理しており、戦時下という事もあってかなり大切な情報として一般人では知ることができないようになっているらしい。
また噂話ということだったが、竜人種に関する情報についても国や教会が何か隠しているという話をメリエがしていたのを思い出した。もしかしたら自分が知る以外にもそうした国が公開していない情報の中に何か手がかりがあるかもしれない。
更にこの世界の人間達の歴史や生い立ち、地球との違いなどといった情報がまとめて得られるかもしれない。この世界の事を知りたいという自分の興味を満たす意味でも国が管理している情報を得るというのは魅力的に思えた。
普通なら自分のような存在が見ることのできないような情報でも、誰にも治せなかった王女の治療と引き換えであれば許可してくれることも十分考えられるのではないだろうか。
王女を眠りから覚まし戦争を回避することと、国家に保管されている機密を含む数多の情報を自分に渡す事。天秤にかければどちらに傾くかは正直な所わからなかったが、頼んでみる価値はありそうだった。
それにやはりシェリアの覚悟と人助けをしたいという想いに応えたいという気持ちも少なからずあったので、明確に線引きされた契約という対等な立場になれるなら協力してもいいだろうと思った。
ただし、一方的に力を貸すだけでは相手がつけあがる可能性もあるので、お互いにリスクを負う対等な立場だという一線ははっきりさせておかなければならない。施すだけでは自分にも相手にも善にはならないだろう。
レアのことといい、今回のことといいちょっと甘すぎるというか、行き当たりばったりすぎるという気もしないでもないのだが、悪事ということでもないしこちらの事情もしっかり汲んでくれるならいいだろう。ただメリエ達に相談せず決めてしまう事にだけ少し後ろめたさがあった。
安易な気持ちでは決して無いのだが、ここ最近は面倒事に対して結構自分から首を突っ込んで行っている気がする。心のどこかにバレてもどうにでもなる力があるという驕りが出てきているのかもしれない。これは少し自制を心がけるかメリエやアンナと相談するクセをつけるべきだろうか……。でもなるべくなら母上が言ってくれたように自分の気持ちに正直に在りたいという思いもあるし……うーむ、難しいところだ。
「……具体的にはどのような情報を?」
「地理や歴史、事件の記録などの色々な情報が欲しいんです。ヴェルタ王国が保管している全てのそうした情報を閲覧できる権利を報酬としてもらいたい。別に知り得た内容を誰かに漏らしたりすることはないです。単純に自分の興味と仲間の人探しのためですので。
もしそれが可能であるなら協力してもいいと考えています。ちなみにこれ以外の報酬は必要ありません。お金も地位も、そして貴女の命も」
静かな声音で条件を告げ、シェリアを見つめる。これを聞いてシェリアは考え込んだ。
まぁここで答えを出すことは無理だろう。そもそもシェリアがそうした情報を持ち出す権限があるかもわからないし、持ち出すにしても許可は必要になる。
「私一人の一存では決められないのですが、猶予をもらうことはできますか?」
「構いませんよ。シェリアさんだけの判断で決められる事ではないとわかっていますしね。多少時間がかかってもいいので王様に掛け合ってもらえます?」
「わかりました。しかし、それには一つ問題があるのですが」
「それは?」
「はい。いくら私が公爵の妻で貴族の立場にあるとしても、私個人からこのようなことを直接国王に言上する事はできないのです。私の夫で公爵であるシラルなら立場的にも可能だと思うのですが、そのためには夫にクロさんのことを知ってもらう必要が出てきてしまいます」
「あー、成程」
それもそうか。
国王が授けた爵位を持っているのはあくまでもシェリアの旦那さんの方だ。一応その家族も貴族にはなるようだが、直接国王に物申すには立場的に問題がありそうだ。貴族社会のことはよくわからなかったが、シェリアがそう言うならやはり難しいことなのだろう。
それに『真実の瞳』の一件から考えると、シェリアが無事に王都に戻ったとなれば戦争推進派の貴族達はシェリアの動向に目を光らせる事になるはずだ。一度狙われたからには護衛も今までよりしっかりと付くとは思うが、そうであっても国王に何か言おうとすればそうした連中も黙ってはいないだろう。安全を考えるならシェリア自身が表立って動くのは得策ではないのかもしれない。
「そういうことならシェリアさんの旦那さんには教えてもいいですよ。ただし安易に僕の正体が知られるようなことを口にしないように念を押しておいて下さい。国王に掛け合う時は十分注意してもらう必要がありますね」
「わかりました。……よかった。レアの目のことも夫には話さなければと思っていたので……ありがとうございます」
「あ、そうそう。丁度いいのでこれは言っておきます。もし僕達の情報が漏れて僕達にちょっかいを出してくる人間が現れた場合、僕は何よりも仲間を優先させてもらいます。万が一情報が漏れ、僕や仲間を利用しようと手を出してくる人間が現れたら都市や城を破壊してでも排除させてもらいますし、どんな立場の人間であっても命の保障はしません。あ、正体がバレちゃってもあなた方に報復したりはしませんので、その辺は心配しなくてもいいですよ。
それともう一つ。さっきも言いましたがこれはあなたからの〝お願い〟ではなく〝契約〟です。まだ成立したわけではないですけど、僕とシェリアさんは対等な立場ですからそこまで畏まらなくていいですよ」
まぁ関係のない人間を思いっきり巻き込んで暴れることはしないと思うが、手を出してきた連中は遠慮なく叩きのめしてやるつもりだ。例えそれがこの国の王であっても、危害を加えたり利用しようとした場合には遠慮するつもりはない。
「……わかりました。……あ、ですがクロさんの望む報酬を国王に要求する際にはクロさんのことをある程度話さなければならないと思うのですが、それはどうしたら?」
「んー。確かにその辺は教えないと話が進まないか。なるべく真実をぼかして言ってもらえば大丈夫かな? 僕はそういう駆け引きってあまり得意じゃないので適当に誤魔化してくれると助かります。ただ詮索はしないようにだけ念を押しておいて下さい」
国王に何も教えず治療させろと言うのは確かに無理そうだ。それでなくても外部の人間を警戒しているだろうし、正体だけ上手く誤魔化してくれればある程度の開示は仕方が無いだろう。その辺はこっちで考えるよりもシェリア達に考えてもらった方が良さそうだ。
「では、それも考えてみます。条件と報酬についてはまず夫と話し合わなければなりません。国王に切り出すタイミングを誤れば、戦争推進派の貴族達に握り潰されるだけではなく、国王からも裏切り者と見られてしまう可能性もあります。慎重に事を運ぶ必要があるでしょう」
「今の所欲しいものはそれしかないので、報酬の方は変える気はないですけど、もし条件とかが難しそうなら言って下さい。僕の方でも手がないか考えてみますので」
最悪の場合は国王の許可なんか無視して強引に治療し、事後承諾で報酬を要求するという方法もないわけではない。この場合は話がこじれる可能性が高いので最終手段にしたいところだ。
「わかりました。最終的な決定はクロさんの意見も聞きながら決めたいと思いますので、王都の屋敷で夫を交えて話し合う場を設けたいと思います」
「そうですね。どうやって動くのかを打ち合わせておかないと動くに動けませんし。まぁ当分は僕にできることは無さそうですし、今後の動きだけ決めたらそちら任せになると思いますけど」
正直な所まだまだ不安要素は多いのだが、ここからはシェリアの頑張り次第だ。これから治療までは自分にできることはあまりないだろう。この国のことを理解しているシェリアに頑張ってもらうより他に無い。
シェリアもそれをわかっているのか、了承を得られたという安心感とこれからが本番だという緊張感が表情に表れていた。




