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王国に潜む闇

 ◆◆◆


「……ええーと……王女って所謂(いわゆる)、その国のお姫様のこと……ですよね?」


「はい。その考えで間違いありません。……なぜ王女の治療をお願いしたいのか、少し長くなりますがその理由をお話します。……クロさんはこの王国が戦争をしていたということをどこかで聞き及びではないですか?」


 どこかで聞いた気がする。確かメリエが話してくれたんだったか……? うーん、よく覚えていないし、詳しく知っているわけでもないので知らないということにしておこう。


「いいえ、この国に入ってまだ時間も短いですし、この国に入る前は未開地にいましたから人間の国のことは知りません」


 それに生後半年だしね。


「そうですか。ではその辺りからお話します。この国、ヴェルタ王国は今から10年ほど前まで隣国と戦争をしていたということになっています。なぜ『なっている』という表現をしたかというと、多くの民は10年前に終結したと思っているからです。しかし実際は終結したわけではなく現在も続いています。大規模な戦いはここ10年起こっていませんが、国境付近では半年ほど前まで小規模ながら小競り合いが起こったりもしていました」


 成程。

 アンナが奴隷となったのは最近だ。戦争が10年も前に終結していたのなら、今の時点でアンナのような子供が戦争奴隷として売られているのはおかしい。


 勿論、他国での戦争で売られてきたという可能性も無いわけではなかったが、移動手段の限られるこの世界ではあまり現実的とはいえない。戦争中の国であれば人間の出入りは厳しく統制されるだろうし、魔物の跋扈する危険なこの世界を、食料などの物資を多量に消費してまで長距離移動してくるというのも考えにくい。


 散発的な戦いしか起こらないため国境から離れている土地までは戦争に関する情報が行き渡っていないか、不安を煽らないために国が情報操作をしているか、考えられるのはそんな所だろうか。そうした情報不足と大きな戦いが起こっていないこともあって遠く離れた一般の人間には終結したと思われているのだろう。


「1年ほど前までは越境しての軍事行動や、逆に領土侵犯による戦いがあったりしていたんですが、停戦に向けての外交活動でそれもこの1年は無くなっていました。しかし、ここにきてまた大規模に戦いを進めようとする動きが王国内で現れはじめたのです。その流れを生み出している者が一部の貴族や軍部の中にいることがわかってきました。

 元々、現国王は戦争反対の意思が強く、このまま停戦まで持っていこうと外交を進めていたのですが、ある事件を切っ掛けに戦争の拡大を言うようになっていきました。それが3ヵ月ほど前に起こった王女であるセリス様の暗殺未遂です」


 シェリアは悔しそうな表情で視線を足元に落としながら話し続ける。


「王女暗殺は敵対国による工作であるという見方が強まった事で、娘である王女を溺愛していた国王は怒り、停戦を破棄してでも報復しようと考え始めました。それを待っていたとばかりに周囲の戦争推進派の人間が国王を焚き付け、また大規模に戦いを行なおうと準備を始めたのです。……クロさんが治療して下さったレアは、王女が毒を盛られた現場に居合わせ、侍従に化けていた刺客が逃げようとした所で毒水をかけられてしまったのです。歳が近く公爵家の子ということもあり、レアとスイは懇意にさせて頂いていて、よく話し相手に誘われていましたから……」


 レアの顔と目の火傷の原因はそれか。毒水が顔にかかるとはどんな理由なのかと思っていたが、事故ではなく人為的にかけられてしまったということのようだ。


 刺客側も見られた以上はその場で殺すか、目や口を封じて他者に自分の情報を漏らされることを防ぐ必要がある。目を潰せば自分の顔を見て犯人探しをすることもできなくなるし、似顔絵なども描くことはできなくなるので自分の情報を漏らされる危険を減らすことができる。


「しかし、レアを傷つけた刺客の調査を王宮側の調査とは別に進めていったところ、他国の者ではなくヴェルタ王国内の有力貴族が差し向けた可能性が高いことがわかってきました。刺客には逃げられてしまい、本当に他国から送り込まれた者なのかも調べることができていません。しかし他国から送られたとなると説明できない事がいくつか出てきたのです。その事実を夫が会議で指摘したのですが、不可解な点が在るにも拘らず強行に敵国からの刺客と断定されてしまいました。

 恐らく、戦争推進派の貴族の何れかが穏健派である王を焚き付け、戦いを再燃させるために王女暗殺を行なったのではないかと思います」


 ……戦争は、実際に戦う当事者にとっては災厄だが、関係の無い第三者にとってはそうではない場合がある。特にそうした直接的な被害を受けにくい権力者や商人には……。


 戦争を行なうには途方も無い物資や資金が必要となる。拠点を構築するための建材や道具、戦うための武器や装備、食糧、燃料、人件費、医療品、後ろを取られないための他国への根回しに使う資金など数えればキリが無いほどにカネが消費される。それが戦争をしている間中、常に消費され続ける。

 文字通り国がひっくり返るほどのカネが動くのが戦争だ。


 全ての物資を自国だけで賄えるということは、余程の超大国でもない限りまず無理だ。つまり直接戦争に関係の無い他国や実際に被害を受けない者達からすれば、そうした物を売るチャンスとなる。物の需要が増え、いつもの数倍の値段で売れにくかったものが飛ぶように売れる。まさにゴールドラッシュのようなものだ。


 恐らく国境近くに領地を持たない貴族や豪商、他国の商売にパイプを持つ貴族、治療費をお布施として巻き上げる教会などにとっては自分達が富を得て力をつける絶好の機会だと思っているのだろう。

 ……その影で苦しみ、死んでいく人達を省みる事もせず……。


 仮に戦争で自国が敗北したとしても、責任を取るのは国の向かう方向を決めてきた王と上位の貴族になることが多い。

 完全に占領して併呑する場合でも、下位の貴族まで処断してしまっては民のまとめ役がいなくなり、敗戦国を支配統治する際に支障が出る。領土や富を接収されることもあるだろうが、土地はともかく溜め込んだ富を隠すことはこの世界の文明レベルならそこまで難しくは無いはず。自分の身は危険に晒さず、甘い汁だけ吸おうという薄汚い連中の考えそうな事だ。


「レアの話では見た記憶の無い従者だったそうです。しかしセリス様は年若くても聡明で思慮深い方でした。戦時下ということもあり、もし見知らぬ相手であるのなら無防備に自室に入れたり、出されたものを口にしたりはしないはずなのです。

 にも関わらず自室での休憩の際に部屋に入れ、出されたお茶を口にしたことを考えるとセリス様も知っている者か、もしくはセリス様が警戒心を持たないように話ができる人間だったはず。セリス様はまだ成人していないので諸外国の人間の目に触れることはあまりありませんでしたから、他国の人間がセリス様の身の回りのことを調べるのは容易ではないでしょう。となるとセリス様に近しい者からの入れ知恵が無ければ、このように近づいての犯行は難しいはずなのです」


 成程。確かにシェリアの言う事が本当だとすれば、他国から送り込まれた刺客ではなく、内情を知る人間が送り込んだ刺客と考えた方が納得できる。もしくは王女を知る重鎮の中に情報をリークする裏切り者がいるかだ。


 戦時下であるなら間諜に対しての対策も平時に比べて強固にしていなければ機密情報を持っていかれることになる。それも国の中枢で様々な情報が集まり、更にはトップである王がいる王宮だ。他国の人間が入り込む余地が無い様に警備は厳しくしていなければおかしい。


「幸い口にしたところで異変に気付き、多量に呑み込まずすぐに吐き出したことで命は助かりました。しかし、レアに使われた毒水とセリス様が口にした毒は違うもののようで、毒に倒れたセリス様は今も眠ったまま目を覚ましていません。王宮付きの典医や魔術師、教会から派遣された治癒術師が治療を行なっていますが、使われた毒の正体がわからないため解毒できず、ヒーリングの魔法で眠る王女の体力を維持するのが精一杯なのです」


 この世界の科学技術で毒の正体を探るというのは容易な事ではないだろう。しかし星術の解毒であればそんなものは関係ない。生きてさえいれば問題なく解毒することができるはずだ。

 だが、これは自分達にとっては色々な意味で、かなり危険なことであるのは間違いない。


「昼間に込み入った事情があると言ってお話できなかった、私達を攫った人間についても、恐らく王女暗殺に関わる人間の手の者ではないかと思います。先程お話したように私には嘘を看破する『真実の瞳』があります。そして公爵夫人ということで王や王女にも頻繁に会う事がありましたし、暗殺を謀ったと思われる貴族達に会うこともあるんです。

 もしそれで犯行が露見するとなれば、加担した貴族達は私を排除する事を躊躇(ためら)わないはず。それを危惧した夫が私達を王都から遠ざけるために、レアの療養という名目で昔から懇意にしていたアルディール伯が治めるアルデルに行くよう手配してくれました。しかし、ヒュルまでは夫と一緒だったのですが、夫はヒュルで軍務があったためそこで別れることになり、その動きを察知され手を回されたのだと思います」


 確かに思い通りには使えないとはいえ、シェリアの嘘を看破する能力は脅威だろう。仕掛けた側からすれば王の前で嘘を見破られる危険があるということだ。そんな人間が近くにいるとなれば内心穏やかではいられないのは想像に難くない。


 実際、オークの巣で対峙した二人も穏健派がどうとか騎士団がどうとか口にしていたし、その点も考えるとシェリアの予測していることはかなり真実に近いのかもしれない。

 しかし、これに関わるのは大きなリスクがある一方で、自分達には何のメリットも無い。手を貸す理由が無いのだ。


 まず下手に首を突っ込めばこの国の政争に巻き込まれることになるのは当然として、敵対している側から付け狙われる事になり兼ねない。仮に正体を隠したまま治療を行なうとしても、一度襲われた状況では王女周辺の警護は厳しいものになっているはずだ。いくらシェリアが高い身分で王に面識があっても、王側からすると自分は得体の知れない存在である。そんな自分を簡単に王女に近寄らせるとは思えない。


 そうした問題を押さえて王女に近づき、治療ができた場合でも、自分のことが王に知られてしまう危険性がかなりの確率で付き纏うことになる。正体までは知られなかったとしても王宮付きの魔術師や医者がお手上げになっている毒を治療したとなれば注目されることになるのは自分でも予想できる。


 簡単に考えただけでこれだけのリスク要因があるのに対して、この治療で得られるものは殆ど無いと言っていい。


 褒美としてお金を出されても自分には十分なお金があるし、権力や地位など必要ない。むしろそんなものをもらえば要らぬ責任まで押し付けられ、この国に縛り付けられる可能性もある。

 それに税金で賄う国庫から褒賞を出したり、権力や地位を与えようとすれば、なぜそうした褒美をもらえるのかを周囲に知らしめる必要も出てくる。自分のことを大声で広められてはたまったものではない。


 他に考えられるのはそうした表立ったメリットではなく、シェリアや国王、王女などとの繋がりが得られるということだが、これも自分には必要ない。国家という枠組みの中で生きる人間であるならば、こうしたつながりは財産となるのかもしれないが、殆ど人間と関わらなくても生活していける竜の自分からするとそんなものはあっても無くても変わらない。


 むしろその繋がりを利用して、人間側が自分の力を利用しようとしてくるということも考えられるためデメリットになり兼ねない。政治家なんて腹に一物抱えているのが当たり前のように思うし、一度助けたらずるずると二度三度と利用される未来が容易く想像できてしまう。


 厳しい目付きで考え込む自分を、シェリアは縋るような目で静かに見つめている。


「……どうかお願いします。聡明な王女が無事目覚め、毒を飲まされる前のやり取りをはっきりさせることができれば、他国からの刺客ではなく、戦争推進派の人間が差し向けた刺客ということが証明できると思います。もし証明できなくても愛する王女が目覚めれば国王も頭に上った血が下りて冷静な判断ができるようになるはず……そうすれば戦争に向かおうとしている王も踏みとどまる選択ができるはずです。どうか……」


「……先程も言いましたが、今回レアさんを治療したのは僕達にも利点があったからです。ですが王女の治療には全く利点がありません。(むし)ろ僕の正体が知られてしまうという危険が大きいでしょう。酷い言い方かもしれませんが、あなた達人間の国の都合で僕や仲間達が危険に晒される可能性が高いということです。僕からするとそれは到底見過ごせる事ではありません」


「……それも、重々承知しています。私共の身勝手な頼みである事も、私の言葉を証明する手段が無い事も、この件で古竜様がたに迷惑をかけてしまう可能性があることも……。ですので、その代償と言葉の証明の証として、私の命を……捧げます。不足であるなら国王からも代償を差し出すよう掛け合います。どうか……お願いします」


 命……つまり自分の存在そのものを賭してという事だ。

 一部の人間の私利私欲によって起こされる戦争を止めるというのは大切な事かもしれないが、自分の存在をかけてまでやらなければならないことなのだろうか? そうした考えとは無縁に、現代の日本で生きてきた自分には、己の命までを犠牲にして臨もうとするシェリアの考えがわからなかった。


「……なぜあなたはそこまでやろうとするんですか? 確かに国に仕える立場である人間だし、王女を治したいと思うのは理解できます。が、僕にはあなたが命を懸けることに値することなのか、正直わかりません。そうした責任は普通、国王が背負うべきものだ。そのために国王という肩書きで玉座に座っているのでしょう? あなたが命を、今後の自由を失えばレア達はどうするんです? 親が居なくなるというのは子供にとっては大きな事です。子を不幸にしてまで成し得るべきことなんですか?」


 国のために人生を捧げる。確かにそれは尊い事なのかもしれない。しかし、やはり自分には理解できなかった。

 人間だった頃、自分は社会の部品でしかないということを思い知らされた。

 代替の利く、体のいい存在。それが自分を取り巻く世界が、自分に与えた価値だった。


 そのせいか、国や社会のために何かをしたいと思うことは少なかった。自分を部品としか見ていない国や社会が嫌いだった。

 これは偏見なのかもしれない。自分が勝手に不幸であると思い込んでいただけなのかもしれない。しかし、そうは思っても、結局死ぬその時まで、その認識を拭う事はできなかった。


「……前の戦乱では多くの民が命を落としました。私はまた戦禍が拡大し、多くの人が不幸になることを止めたい。確かに私はこの子達の母であり、何よりも大切な存在だと思っています。いつまでもこの子達が成長していくのを見守りたいと思っています。しかし、私は一人の母である前に、貴族の末席を汚す人間なのです。力無き民のために、尽力する責務を負う者。貴賎結婚でしたが、夫は私にそう教えてくれました。だから、私も夫に倣い、命を賭してでも民の血が流れるのを止めたいのです」


 ……正直、すごいと思った。

 責任……。自分はどうだっただろうか。人間だった頃、そこまで真剣に自分の責任について考えたことがあっただろうか?


 責任とは立場のある人間が負うものだけではない。全ての人間が生きる上で大なり小なり責任を負っている。それは自分に対する自分の在り方だったり、親としてや家族の一員としてであったり、他人や社会との関わりであったりと、それぞれの生活や価値観で違うものだが、誰でも心の中に何らかの責任を感じて生きているはずだ。


 簡単なものなら自転車に乗る事だって責任が発生している。自転車に乗る人間は『自転車に乗る責任』を負わなければ自転車で町中を走ることはできない。

 自転車を使う人は、徒歩の人とは違う交通ルールを守る責任が生まれ、事故を起こせばその責任を問われる事になる。

 同じように些細な責任は身の回りに溢れている。


 しかしシェリアのものは大きさが違う。そして国や他者のために自分の命を懸けてそれを果たそうとするのは並大抵の覚悟では不可能だろう。自分ならそこまではできないだろうし、しようとも思わない。

 きっと誰かが何とかしてくれる。そう無責任に思いながら我関せずを決め込む気がする。ましてや見ず知らずの人間のために命を投げ出せるかと言われれば否としか答えられない。


 そこまでの覚悟で臨むシェリアの気持ちに答えたいという思いは少なからずあった。全ては無理でも、誰かのために手を差し伸べる……そう在りたいと願った自分の姿とシェリアの姿が重なる。

 しかし、やはり簡単には承諾しかねる内容だ。自分にとっての優先順位は自分やアンナたちの安全。この件に関わる事で生まれるであろうリスクは到底見過ごすことはできない。


 リスクに対してのメリットはほぼ皆無。どうすべきかと黙考していると、ふとある考えが(よぎ)った。

 ……そういえば……一つあるかもしれない。王に恩を売ることで得られるメリットが。リスクを冒すだけの価値が。

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