本当の家族
明るい。朝だ。
グーっと伸びをして目を覚ますと、体からカラカラと音を立てて何かが落ちた。寝ぼけ眼で手に取ると自分の鱗だった。また脱皮したようだ。
生まれたばかりの頃に比べると、鱗も大きくなり色や硬さも随分と変わった。
もう慣れたもので剥がれた鱗を集めつつ、すぐにでも剥がれてしまいそうな鱗を手で払ってバラバラと落とす。
今回は牙は抜けなかったが爪が一緒に抜けて落ちた。鱗も爪も既に新しいものが古いものの下にできていて、頭が見えている。
剥がれた爪や鱗をひとまとめにして、いつもしまっている穴の近くに持っていく。ゴソゴソと穴の上の石をどかしてみるともう一杯になっている。仕方ないので隣に3つ目の新たな穴を用意する。
以前は手で掘っていたが、ここで術を試してみることにした。
使うのは物を動かす術。土や石を動かすように集中するとボココココと音を立ててひとりでに地面に穴が掘られていく。
(おーこれは便利)
少しずつ日常生活でも術を使い、色々なことに応用できるようにしてく。
人間が長い時間をかけて文明の利器を作り出し、初めて生活などで利用した時はこんな感慨深いものだったのだろうなと想像した。
母上は既に自分の朝ごはんを探しに出かけたようだ。
今日からは自分で食事を用意しなければならない。ただ、まだどこにどんな食べ物があるのかわからないので、今日のところは昨日多目に採ってきておいた果物を食べる。
先に腹ごしらえを済ませ、この後食べ物がどこにあるのか探しに行くのだ。
母上が今まで持ってきてくれていた食べ物がどの辺にあるのかなどは教えてくれなかった。
それも含めて全て自分で探してこいということだろう。
昨日の残りをムシャムシャ食べ終えると住処を飛び出す。
さて。どこに行ってみようか。
今回は食べ物探しが目的なのであまり他の事に気をとられてしまうのはよろしくない。
いつも食べているのは植物の実だから行くとすれば森か草原かの二択になる。当然どちらも初めて行く場所であるからきっと色々なことに目移りしてしまうだろう。
しかし、自分の好奇心を満たす探索を始めてしまうときっと食べ物なんて探せない。今回はそういった好奇心を押さえ、今後自分が食べていけるだけの食糧確保を優先しなければならないのだ。
とりあえず麓に下りればすぐに探索できる森に行ってみることにした。
ぐんぐんと高度を下げ、鳥のように低空飛行をする。もし探しているのが動物の獲物であれば、姿を堂々と晒しているため警戒されてしまい悪手かもしれないが、狙うのは植物なので別に気にしない。
木の上からでは果物なんて探せないので適当な場所を見つけて降りてみることにする。竜といってもまだ4mくらいの大きさなのでそこまで巨体なのを気にする必要はなかった。
でもやっぱり木が密集していたり岩場などの狭い場所は苦労する。
とりあえず今回はあまり山から離れていない場所に降りて、果物探しをすることにした。
地面に降りると竜の森とはまた違った雰囲気の森だということがわかる。
神秘的な感じという程ではないが、それでも静かで時折吹く風によってザザザザと木の葉がこすれる音が響き、木漏れ日がキラキラと揺らめいている様は息を呑む程に美しかった。
人の手が入っていない森林なんて日本ではなかなか見ることができない。あるがままに創られた森の姿に暫く見惚れてしまった。
おっと。早速目的を見失ってしまうところだった。今回はご飯を探さねばならないのだ。
キョロキョロと辺りを見回す。ふーむ。さすがにこんなに簡単に何かが見つかることは無いか……。
目の届く範囲にはめぼしい物がないのでとりあえず山から離れる形で奥に進んでみる。
ガサリガサリと草木を掻き分け進むと、小さいながらも虫を見つけたりヘビイチゴのように小さな実が生っている草を見つけたりと新たな発見がある。
しかし自分の食料になりそうなものはなかなかない。
ガサガサと歩き回ってようやく竜の大きさから見てもそこそこ大きな実をつけた木を発見した。
いや、この実は木に生っているんじゃなく木に巻きついた別の植物がつけている実のようだ。
母上が持ってきてくれたことのない初めて見る実だったのでまずは食べられるか鑑定しなければならない。
実をじっと見つめて【竜憶】を使う。……うーん、データが無いようだ。
冒険して食べてみることもできるが、今回はなんだかわからない実を口にするのはやめようと決めていた。
別に食べる勇気が無いわけではない。断じて。
ただ、中には毒のある実などもあるのだ。成長し切った成体の竜ならばある程度の毒にも耐えられるし、仮に毒になっても解毒の術を使えばいいのだが、まだ幼体である自分が強い毒性のものを食べてしまうのは危険だ。解毒の術も集中しなければ使えないので、集中できないような毒を摂取したら命に関ってしまう。
そんな事情から今回は確実に食べられるもののみを探し、食べられないもしくはわからないものには手を出さないでおこうと決めたのだ。
また新たな果物を発見する。さっきの実よりも少し小ぶりだが綺麗なオレンジ色だ。どれどれ今度は……お。これは食べられる。
今回は持ち帰らないでその場で食べることにする。小さすぎて持って帰るのには向かないと思ったからだ。
(うーん。竜になって物を持ち運ぶのが不便になったなぁ)
脱皮で剥がれた鱗も持ち運べるような入れ物などが無いため結局地面に埋めておくくらいしかできない。
こんな小さい実なども持ち運ぶのが難しいので何か入れ物になるような道具が欲しい。
そんな便利な術はないのだろうか……。また時間のある時に調べておこう。
今は食料のこと食料のこと。目的を見失ってはならないのだ。
とりあえず見つけた食べられる実をその場で食べることにする。
大きな竜の体で小さな実を収穫するのはとても骨が折れる。手が大きく爪もあるので採りにくいし、力加減に失敗すると潰してしまうこともある。
ここで便利なのが基本として教えてもらった斬撃を飛ばす術だ。
小さなナイフを飛ばすイメージで実の付け根の茎を切っていく。手は実の下に受け皿として置いておくだけでいい。
ピッピッと小さな斬撃を飛ばしプチプチと実を落としていく。全部採ってしまうのはよろしくないので見えるところ半分くらいにしておく。
結構採ったが両手一杯とはいかない。ザラザラ~と口に放り込んで一口で食べてしまう。
少しすっぱいけどさっぱりした甘みが美味しい。
結構探し回ったが食べられる実がやっと一つ見つかっただけだ。それもお腹一杯になれる程のものではない。
自然の中で食べ物を見つけるのは予想以上に大変なことだった。
多くの動物は常に空腹を感じているという。野生動物にとっては空腹がデフォルトの、つまりいつもの状態なのだ。
現代での日本の生活は食物に溢れ、いつでも腹を満たす事ができる環境だった。好きな時に好きなだけ食べる事ができ、空腹を感じる暇さえないような生活を送る人もいる。
現実の話で、小学校に入学し、給食までの時間で空腹になると体調がおかしいと訴える子どもがいたりする。家庭で空腹感を感じた事が無い程に好きな時に好きな物を食べられる環境だったため、空腹感を体の異常と勘違いしてしまったり、空腹で腹の虫が鳴くと聞いたことも無い変な音がすると訴えたりするのだ。
そこまではいかなくても食について困ったことが無かったため改めて自然の中に生きる厳しさというものを感じた。それと同時に自分のために食事を用意してくれていた母上に感謝の念が湧き上がる。
そんなことを考えつつも次の食べ物を探し回るが、結局今日の森では最初に食べたもの意外で食べられるもを見つけられなかった。
代わりに森の中に泉のような水場を見つけた。結構山から離れた場所にあるが広場のように少し開けてた場所があり、そこに池というか泉というかわからないが透明で綺麗な水を湛えた結構な広さの水溜りがあったのだ。川などの流れ込んだり流れ出たりといった場所が見当たらないので地中から直接湧き出ているようだ。
ここは良いな。
水浴びしたり草の上で昼寝したりしたらとても気持ちよさそうだ。
なかなか見つからない食べ物探しの途中で思わぬ場所を発見し、ちょっと気分が上向いた。
泉の場所を覚えるために広場から空に飛び上がる。
山まではやはり結構な距離がある。食べ物を探しながらかなり歩き回っていたようだ。
二つの山の重なり具合から大体の方角を覚えておき、本来の目的である食べ物探しに戻ることにする。
今度は一度山の方に戻って、草原側を探してみることにした。
一度山に戻ると母上が戻ってきていた。
「どうだ? 食べ物は見つかったか?」
「少しだけ森で見つけましたが、足りないので草原の方に行ってみます」
「そうか。草原は身を隠すものが少ないからあまり山から離れないようにしなさい」
「わかりました。ではいってきまーす」
母上からはやはり食べ物の場所などは教えてもらえなかった。
まぁ期待もしていなかったし今後のことを考えればやっぱり自分で見つけないといけない。
気を取り直して飛び上がる。隣の山をぐるりと迂回し、麓の草原に下り立つ。今回は山からあまり離れないようにしよう。
木があるわけではないので森のようにどこまでも進んでしまうことはなさそうだ。
(さてさて。何かないかな~?)
ガサリガサリと草をかき分けて食べ物を探すが、相変わらず動物は見かけない。母上は一体どうやって十分な獲物を捕っているのか……。前に竜の森から帰ってくる時には上空から獲物を見つけて急降下して捕っていたけど空を飛んでも殆ど動物なんて見えないのだが。
そんなことを考えながら草原を探し回っていく。
すると見覚えのある実を見つけた。
(おお。これは母上が採ってきてくれるスイカボチャ! こんなところに生えていたのか)
数は少ないがやっと食べられる実を見つけた。
スイカなどの瓜のように地面からツルを伸ばして実をつけているが、まだ熟していないのか大きさが小さい。いつも食べているものの半分くらいの大きさしかなかった。
他に大きいものはないかと歩き回ってみる。しかし、この近くにはなかった。そんなに都合よくはいかないか……。
今回は見つけた小さめの実を一つ採って我慢することにした。
(うーむ。いつもこんなに大変な思いをするのはなぁ。今度種から育ててみようか……)
今日のところは草原の奥にまではいかず、そこで切り上げることにした。思った以上に時間を使っていたらしく、既に日が傾き始めている。
住処に戻ると母上が待っていた。
「おかえり。どうだった? 食べ物は取れたか?」
そう聞かれて今日見つけられたものと、探すのが難しかったことを話した。
「生きるというのは簡単なことではないということだな。皆そうやって自然の中で生きる難しさを学んでいくものだ。クロ坊だけが苦労しているわけじゃないからな、気落ちすることはないぞ」
「はい。明日は違う場所を探してみます」
「どうしても困ったら言うといい。手助けできることはしよう」
「はい。ありがとうございます」
そんなやり取りをし、夕方になるまでは術の練習をする。やはりまだ2つの術を同時に使うのは成功していないから練習を怠るわけにはいかない。
「そろそろ【転身】の術も教えねばな。自分自身で必要なだけ食糧を集められるようになったらそちらの練習も始めよう」
それからは食べ物探しが日々の中心となった。
◆
食べ物を探す事が日課となって数日が過ぎた。
最初こそなかなか見つけられずひもじい思いもしたが、母上に泣き付くことなく自分の力で何とかしている。
食料を探すのが思った以上に大変だ。そう思うと親のありがたさが改めて実感できた。人間だった頃も子供の時は食事が出てきて当たり前、お金を出してもらえて当たり前、それが親なんだと勝手に思っていた。
しかし現実はそうじゃないのだ。食べ物もお金も勝手に湧き出てくるものではない。苦労して働いて手に入れてくれていたのだ。
母親はこんな苦労をしていつも自分に食べ物を運んでくれていたのか。竜の母上だけじゃなく、人間だった頃の母さんにも今更ながら感謝の念を抱いてしまった。
自分で仕事をするようになってそんな苦労があることはわかっていたはずなのに……などと思ってしまった。
自分は結構な量を一度に食べている自覚がある。あの大きなスイカボチャを今では一回で8個近く食べることができるようになっている。なので量が少ないのは辛かった。
最初は少ししか見つからなかったが何度か場所を変えて草原を探し回るとたくさん生えている場所が見つけることができた。もうそのまんま、スイカやカボチャのようにゴロゴロと地面に生っているのだ。
当初は取れる場所が近いし、たくさんあったので遠慮なく美味しく頂いていた。
手を使って収穫するのは思いの外難しかったので、ここでも術を使って採るようにした。斬撃を飛ばす術を使い、ツルの付け根をプチンプチンと切断してから物を動かす術でこちら側にゴロゴロと引き寄せて収穫する。
しかし、いくらたくさんあるとはいえ毎日のように採っていると、次第に数が減ってくる。少し遠くまで行けばまだありそうだったが、早朝の空腹の中、果物を取るために何十分もかけて薄暗い空を飛ぶのは骨が折れる。
森の方の探索にも毎日出かけていてそれなりに食べられるものを見つけられるようになってきてはいたが、やはり同じような理由で他の果物も日に日に採れる量が減り、遠くまで探しに行かなければならなくなっていた。
それにもう一つ懸念している事がある。今はまだいいがもし季節があり、それによって果物が採れなくなるとなれば問題だ。
通常植物が実をつけるのは夏から秋にかけてが多い。植物は動物に実と一緒に種を食べてもらうことで種を遠くまで運搬させ、新たな場所で育っていけるようにしているのだ。当然動物が活発に動き回る時期に合わせて実や種をつけることが多いはずである。
無論全ての植物がそうではないが、季節があるとすればそんなサイクルを持っている植物が多いことが考えられる。
生まれて4~5ヶ月ほどが過ぎていると思うが生まれた頃のように強い日差しもなくなり涼しくなっている。紅葉などはしていないがやはり気候が変化していると考えておく方がいいと思った。
仮に季節が無かったとしても植物が常に実をつけているということは無いだろうと考えている。
どちらにせよ食物の安定供給を考えていく必要性を感じずにはいられない。命に関るのだから当然だ。
そう考えると予想以上にこれはまずい状況になりつつあるのではないか。何かいいアイディアが湧けばと【竜憶】を検索してみる。
すると便利な術を発見した。
植物を成長させる術だ。
こんなこともできるのかと感心してしまった。
早速、術を試す為に食事で食べた果物から種を取っておく。が、地味にこれが難しかった。いつもは種など気にせず飲み込んでしまっていたが、竜の体の大きさで口の中にあるゴミ粒のように小さい種を綺麗に選り分けるのは大変だった。
せっかく苦労して集めた手前、食べられる部分を残したくはない。かといって手を口に突っ込んで種を取り出そうとすると自分の割とシャレにならない鋭さの爪で口の中や舌を傷つけてしまいそうで怖い。
結局、食べる前に果物を爪で割り、潰さないように小さな種を取り出すことにした。
まずは食事を済ませ、その後に取り出した種を使って術を試してみる。
母上に術を試したいと断ってから、住処の端っこ、いつも自分の剥がれた鱗などを貯めている場所の丁度反対側のあたりに種を植えてみる。ここが邪魔にならない場所では一番日当たりが良い。
あまりいい土壌ではないが少しでも土が柔らかくなればと思い、爪でガリガリと地面をほぐしながら浅く穴を開け、集めた種をパラパラと入れて土を被せる。
(よし。じゃあやってみよう)
星素を種を埋めた辺りに集め、星素を栄養源に植物が成長していくイメージ。
暫く集中すると、ポコポコと小さな芽が出てきた。
やった! と思ったら10cmも育たないうちに全て枯れてしまった。
(あら……)
星素の量が合っていなかったのか。
その後何度か試してみるも、やはり10cmくらいで枯れてしまう。
(なぜだろう……)
他の果物ではどうだろうと、木に生っているちょっとすっぱい果物でも試してみることにする。
同じように食べる前に種を取り出しておき、同じように植えて術をかける。
結果。少しだけ芽を出すがやはり枯れてしまう。
どうも星素の量とかが原因ではなさそうだ。日は当たる場所だし植える場所か土に問題があるのだろうか。
ここは山の上だし生育環境が合っていないだろうことはわかるが、どの芽も少し顔を出してから枯れていく。
(……あ)
あるではないか。植物に必要な物がもう一つ。
水だ。
生まれてから水を見ることすら殆どなかったから完全に頭から抜けていた。
次は術を使って土に水をかけ、それから成育の術をかけてみる。
(……おお!)
スイカボチャの芽が大きくなり葉が茂ってくる。
これはやったか、と思ったら花をつける前にまた枯れてしまう。
どうやら一気に成長させるには最初にあげた程度の水では足りないようだ。
かといって成長し切るまで水を与え続けるのも結構難しい。2つの術を同時に制御するのはできるようになってきたが細かな制御が必要な術となると大変だ。労力に結果が見合わないというか、それなら遠くまで探しに行く方がいいかもしれないと思ってしまう。
ということは元々土に水が豊富に含まれている場所で行う方がいいかもしれない。
そこで閃いた。
良い場所があるではないか。
以前森で見つけたあの泉だ。
翌日、残しておいた種を持って泉まで飛ぶ。
泉は以前と変わらず綺麗な水を湛えている。足元をよく見ると動物のものらしき足跡があった。他の動物たちもここを水場にしているようだ。
とりあえずそれは置いておき、実験を開始する。
なるべく水に近い湿った土の場所を選び、穴を掘って種を植える。
術を使って植物を育てていくと、今度は枯れずにニュルニュルとツルが伸びて葉が茂る。その後無事に実をつけるところまで成長した。途中、受粉させてやる手間はあったが普通に草原を探すよりも圧倒的に効率がいい。
とりあえずこれで種がある限り餓死の心配はなさそうだ。
安堵の息を吐いて育った果物を平らげると、住処に戻った。
母上に今日のことを話し、食べ物はこれから何とかなりそうだということを告げると
「よくやったな。食糧を独力で確保できるようになれば巣立っても生きていけるようになれたということだ。これでクロ坊も一人前だな。よし、明日から【転身】の術の練習をはじめよう」
と、嬉しそうに褒めてくれた。
今後季節などの変化で食べ物が手に入りにくくなる心配がある以上まだ完全に安心はできないが、ひとまずの達成感と褒められた嬉しさをかみ締めて今日は眠りにつこうとした。
そこでふと思ってしまった。
農業をしてる竜ってどうなの?
自分のしていることは手法は違えど農業と呼べるものではないだろうか。これまた猛々しい竜がそんなんでいいのかとちょっと考えてしまい、微妙な気分で眠りについたのだった。
「では今日から【転身】の術の練習をしよう」
いよいよ4つの基本の術の最後、【転身】の術を教えてもらう。
食事が終わった後、母上と向き合った。
「【転身】の術は姿を変える術だ。竜の姿は不便な事が多い。体が大きく目立つため敵に発見されやすく、クロ坊も体感したと思うが獲物を探す時も大きな体は不利になったりする。他にも巣や縄張りを決める際や移動の際にも巨体では不便なこともあるだろう」
確かにそれは感じていた。まだ4m程しかない自分でもそれなりに不便を感じるのだ。
木々の間を移動する時は体をぶつけるし、広い場所でなければ着地もできない。巨体を維持するために食料は多く必要になるし何より目立つ。目立つことはいいこともあるが動物の獲物を探す時は欠点でしかないだろう。
形振り構わなければ木を薙ぎ倒して歩き、木を踏み潰して着地することもできるが動き回るたびに自然破壊をしていては森が可哀想だ。
「【転身】は竜の肉体を解き、別の体に作り変える術だ。他の動物をイメージし、自分の体をイメージした動物などに変化させる。本来この術は食べ物を探す時に様々な動物を見て観察し、自分が変身するためのイメージを獲得する必要があるため、独力で獲物を取れるようになってから練習するのだ。竜よりも体の小さい動物に変身しておけば身を潜める時や狭い場所に入るときなど様々な場所で有利になる」
なるほど。擬態をもっと高性能にしたようなものか。
◆
(……さて……敢えて黙っていたが、どうやら気付かなかったようだな)
◆
「この【転身】の術は注意することがいくつかある。まずこの術は一度使うと解除するまで永続的に効果が続く。通常星術は使用している間中、星素の制御や供給を行っていなければならないが、この術はその必要がなく一度変身できれば解除までは気を遣わずにいられるということだ。一部例外はあるがな」
なんとまあ便利な術だ。変身の間ずっと星素の制御をしなければならないというのはかなりの手間だ。気を抜いたら姿が戻ってしまうとなれば他のことに集中するのも難しくなる。敵から逃げたり息を潜めて獲物を待ち伏せするとき等は集中しなければならない。
そんな心配をせず姿を変えておけるというのはかなり便利に思えた。
「そしてこの術はイメージした対象の大きさを逸脱した変身は行えない。例えば竜のように巨大な虫や逆に虫のように小さな竜にはなれないということだ。最後に、自分の生きた時間を誤魔化すこともできない。例えば成体となった私が幼体の動物に変身したり、まだ子供のクロ坊が大人の動物になったりすることはできないということだ」
ふんふん。これまたどんな原理かはわからないが大きさには制限がつくらしい。最初に術を考え出した竜が決めたのだろうか?
「最後の注意点だが、これには補足しておく事がある。クロ坊はまだ知らないだろうが、生き物は時間の捉え方が違う。もっと判りやすく言うなら生きる時間の長さが違うのだ。例えば虫。多くの虫は酷く短命だ。短いものではクロ坊が生まれた時から今に至る頃は寿命を迎えるものもいるくらいだ」
今で生まれてから大体半年くらいの時間だろうか。半年の寿命はちょっと短い気もするが、地球の昆虫は一年くらいの間に卵から孵り、成長し、子孫を残すと死んでいくものもいる。この世界では更に短命な虫もいるということだろうか。
「【転身】の術はな、自分の成長度合いを変身した対象の時間に置き換えて姿が変化するのだ。難しいか? そうだな、さっき例えた短命の虫で考えてみるといい。【転身】でクロ坊がさっきの短命な虫に変身したとしよう。実際に生きた時間で考えると虫ならもう死の間際まで生きた老体になってしまう。そうではなく幼体のクロ坊が変身した場合は、変身してもまだ卵から孵ったばかりくらいの幼体の虫に変身するということだ」
(うーん。子供が変身しても子供にしかなれいし、大人が変身しても大人にしかなれない。そしてそれは種族が違っても時間に関係なく成長度合いが変身した種族の成長度合いに合わせられるという事かな?)
つまり、もし今人間に変身しようとすると、生まれて半年の赤ん坊になるわけではなく、少なくとも自分で物を食べ、走り回れるくらいには成長した姿に変身するということだろう。
余談だが、人間の赤ん坊は他の動物に比べかなり未熟な状態で生まれてくる。
他の動物であれば生まれてすぐに立ち上がり、自ら母親のところまで行き母乳をもらったり敵から逃げるために走り回ったりするものもいる。特に天敵に狙われる草食動物に顕著だ。そうしなければ天敵のいる野生では生き残れない。
しかし人間はそうではない。生まれてすぐに立ち上がって走ることなどできないし、大人と同じものは食べられない。感覚も内臓も未発達な状態で母親から生まれるのだ。
それは人間の進化の仕方に原因があるといわれている。人間は知性を発達させてきたため脳が飛躍的に大きくなった。脳が大きいということは頭が大きいということだ。
もし生まれてすぐに走り回れるほどまで母体内で成長してしまうと、大きくなりすぎた頭により産道を通り抜ける事ができなくなる。また頭が体積を取るので肉体をそこまで成長させるほど母体のスペースに余裕がない。そんな理由でかなり未熟な状態で生まれてくるのではないかといわれている。
竜は卵から孵った段階で自分で動けたし、食べ物も大人が食べるものと同じものを食べる事ができている。人間で言うなら5~6歳くらいの姿で生まれてくるのと同じくらいだということだ。
「言葉で理解するのも難しいだろう。実際に術を行って試してみるといい。星素は体内に集め、体全体を意識して変身したい動物をイメージする。術を解く時はイメージの必要はない。心の中で【元身】と唱えれば良い」
◆
(恐らく、これでわかるだろう。クロ坊は生まれた時から凄まじい速度で知恵を獲得し、一度見ただけで術を覚えた。それだけなら稀なことと片付けることもできたが、不可解なのは本来知りえるはずの無いことを知っていること……。
普通なら一度火や水を見ただけでそれを真似て術を行うなどできない。火の熱さを体験し、水の感触を確かめ、やっとそれでイメージが追いつくようになる。クロ坊はそれを初めから知っていたかのようにイメージし、術を成功させている。
クロ坊は果物ばかりを食べている……生きた動物を殆ど見た事がないはず。飛ぶ時も動物たちは我らを恐れ隠れる……クロ坊は恐らく動物をじっくりと観察したことなど無いだろう。敢えてそれを指摘しなかったが……このまま試してもし成功すれば……私の知り得ない何かが垣間見れるか……。
杞憂ならばそれはそれでいいしな)
◆
早速、教えられた術を試そうと準備をする。
イメージするのは一番長い時間を過ごしてきた人間。手足の様子も体の構造も観察などする必要がないくらいに知っている。
目を閉じて集中し、人間をイメージする。
まるで蜃気楼に包まれたかのようにグニャリと竜の輪郭がぼやけ、体が小さくなる。
全身真っ黒だった色が肌色になり手も足も人間のものに変わる。
四つんばいの姿勢で首を振って自分の姿を確認する。立ち上がるとちゃんと二足歩行もできる。
ぺたぺたと顔や頭も触るがちゃんと皮膚になり髪の毛もある。鏡が無いので顔つきはわからなかった。
身長は140~160cmくらいだろうか。13~15歳くらいの少年の姿になった。しかし両手両足の爪はなぜか黒いままだ。マニキュアをしてるような感じになっている。
全裸だったが鱗や尻尾が残っていることもなく無事変身できているようだ。
できたと思い、思わず笑顔で母上を見上げる。
一緒に成功を喜んでくれるかと思ったが、母上は驚愕の瞳で固まっていた。
「クロ……お前、人間に遭った事があるのか……?」
その言葉を理解して自分の笑顔が凍りつくのがわかった。
そうだ。どうして遭った事もない人間をイメージして寸分違わず術を成功できる?
そんなことは不可能だろう。最初から人間を知っていなければ。
【竜憶】で人間を調べても姿形まで鮮明に知識として得られるわけではない。せいぜい特徴や生活形態、過去に人間と過ごした竜でも細部まで観察したような記録は残していなかった。
術のことなどすっぽりと頭から抜け落ち、その場に崩れるように座り込んだ。傍から見ると巨竜にすごまれて動けないでいる人間のように見えたことだろう。
隠すことはできないと判断し、竜の姿に戻るとそこで生まれた時に前世の記憶があったことをゆっくりと打ち明けた。
別な世界で別な生を送っていたこと。それが突然終わったこと。気がついたら竜となって卵の中にいたこと。
隠していた申し訳なさから話している途中で涙がこぼれる。
母上は最初こそ驚いてはいたものの黙って最後まで話を聞いてくれた。
「そうか。ようやく疑問に思ってきたことの理由がわかったな」
母上は怒ることも咎めることもしなかった。ただ納得したという感じだ。
母上は人間にあまりいい感情を持っていないだろうということは今まで話をしてきて感じていた。
自分がその人間だったということが知られたらきっと嫌われるだろうと思い、気付かれない限りは黙っていようと決めていたのだ。
「母上は人間だった自分を嫌いにならないんですか……?」
「私はお前が私の生んだ卵から出てきたところを見ている。クロ坊が私の子であることに疑いようがないし、クロ坊にどんな記憶があろうと私には関係の無いことだ。お前は私を母として慕ってくれていた。嫌う理由がない。ただ疑問に感じていただけだ」
母上はそういってくれた。
思わず涙が溢れた。
心の中に常にあった隠し事をしているという後ろめたい気持ちが静かに氷解していく。
どんな術が成功して、褒めてもらったときよりも嬉しかった。
自分の全てを受け入れてくれたことがたまらなく嬉しかった。
人間だったときにこんな気持ちを感じたことはなかった。
そうだ。そうだった……。
自分が母上のように他人を受け入れてあげられるような人間になりたい。そう思って生きてきたはずだ。
結局それはできずに命を落とすことになった。
自分ではできなかったことを母上は自分にしてくれた。
人も竜も関係ない。
母上は自分の尊敬できる、立派な母だった。
他者を受け入れることができる強さを持った素晴らしい存在だった。
「クロ坊がどう思っていようと、お前が私の子であることは変わらない。これまでも、これからもな。私はお前がどんな存在であっても自分の子として見ている。それも変わることはない。それが親というものだ。親は無条件に子を受け入れ、愛してやるものだからな。気に病む必要などない」
「母上……ありがとうございます。かくじでいてごべんなざい……」
母上の言葉にまた涙がこぼれた。
涙を零して泣くなんて、誰かの前で泣くなんて、どれくらい振りだろうか。
人前で泣くなど恥ずかしいと思われる年であったはずだが、この時はそんなことを考えることもできず、止め処なく涙が流れた。
「そしておめでとう。これでクロはいつでも独り立ちできるな」
そうだ。これで独り立ちの準備が終わったのだ。
思えば母上には色々なことを教わった。
人間であったときの何倍も濃い時間だった気がする。
空虚に生きていたあの頃とは違う。
そして最後に教わった、どんな姿でもどんな命でも、大切なことは同じだということ。
結局はその者の心次第。
どんな存在になったとしてもそれは変わらないということ。
人も竜も変わらない。自分は自分だということ。
それを教えてもらった。
生きていくためのどんな術よりも大切な事を教えてもらった気がした。
それ以来、母上との距離が一層近くに感じるようになった。
本当の家族になれたような気がした。
それと同時に近づいてくる巣立ちの時が余計に寂しくなった。
そのせいか、今日は母上の近くで眠った。
※※※
「ここが竜の巣? 全然そんなのいないじゃん」
「竜の巣〝かもしれない〟だ。それを調査するのも仕事の一つだ」
「で? 竜が出たらどうするんだ?」
「仕事は監視だ。命を危険に晒す必要はないだろう」
「話によると一匹は幼竜かもしれないんだろ? だったらチャンスじゃないか。仕留めれば国が莫大な金を出すって話もある」
「先発隊は俺たちだけだし、横取りされる前にやっちまおうぜ」
「国も偵察部隊を放っているという話だがな……」
「目撃情報によると、この双子山の山頂付近から飛び立ったらしいが……巣に乗り込むのは得策じゃない」
「確かに二匹同時に相手にしていたら命がいくつあっても足りないな、飛竜ではなく古竜だという話もある」
「マジかよ! そんなの偵察と監視だけでも割りに合わねぇじゃねーか! 竜語魔法は国を滅ぼすほど強力なんだろ? バレたら一環の終わりだぞ」
「だから巣に近づくのは危険だというのだ。この山は隠れる場所も少ない。それよりも森や草原に潜んで様子を伺う方がいいだろう。竜も食事のために森か草原に出てくることは十分に考えられる」
「運よく親と子が離れてくれればチャンスもあるかもしれないな」
「飛竜ならばそうだが、万が一古竜なら離れたといっても油断はできんぞ。古竜なら幼くても竜語魔法を使えるだろうし、知能も高い。未知の魔法で隠れた我々を察知してくるかもしれん」
「そんなこといったら監視も何もできないじゃないか」
「まあな。しかし敵対的な行動を取らなければ無闇に襲ってこないかもしれんだろう。現に竜を確認できる程近づいた連中は生きて帰ってきている」
「単純に腹が減ってなかっただけかもしれんがな」
「やめろよ。縁起でもない……」
「とりあえず二班に分かれよう。森の中で監視する班と草原で監視する班だ。いいか、今回はあくまでも監視が任務だ。先走るんじゃないぞ」
「へーへーわかりましたよ」
「期限は10日、それを過ぎたら一度合流し、後発隊に監視任務を引き継ぐ。何かあったら〝音〟を放て。〝音〟を確認したら一度集合する。危険を感じたら撤退しろ。草原や森には魔物や獣がいる、あまり派手に騒ぐと感づかれる恐れがある。その点にも注意しろ」
「別に倒してしまってもかまわんのだろう?」
「変な気を起こすな。そっちのメンバーに竜を討伐した経験があるほどの者はいるのか? 飛竜であっても並大抵の相手ではないぞ。成体ならば一匹で都市を壊滅させることもできるという話だ。幼体でも騎士団を派遣しなければならない程だと聞く。それを相手取って責任をもてるのか?」
「ちっ。わかったよ」
「よし。ではいくぞ」
「……おい。エサはもってきたんだろ?」
「ああ。一応安いのを仕入れて持ってきてるぞ」
「仕込みは?」
「それも問題ない。走車の中に入れてある」
「よし。もしやれそうならエサを使って仕留めるぞ」
「……本気か? 竜に効くかはわからないんだぞ?」
「大丈夫だ。以前その方法で飛竜を仕留めたって話がある」
「……わかった。いつでも出せるように準備しておく」
「んじゃ、いきますかねっと」