地上へ
暗闇に閉ざされ、少しの時間が流れた。
もう砂の音も洞窟が崩れる音も聞こえない。聞こえるのはアンナや眠る三人の息遣いだけ。
暫くは油断せずに周囲の気配に集中していたが、何かが動く気配なども確認できなかったので大丈夫だろう。
星術で出した膜は数百トンという重さの砂がのしかかってきていても破れたりする事は無かったが、術の制御をしているため動く事ができず膜の外は全て砂で埋め尽くされてしまった。
現状は砂場に埋められたガラス玉の中にいるような感じだろうか。
長くも短い時間、操作していた星素を元に戻して術を終結する。やはり膨大な量の星素を扱わねばならないため、精神的な疲労感も他の術に比べてかなり大きいものだった。更に広大な範囲に対して術を使う場合はじっくり集中できる状況でなければ難しいだろう。攻撃手段として使う場合は星脈の近くで使うか、有効範囲を良く考える必要がありそうだ。
環境改変の術が無事終わった事を確認したので、暗闇と静寂に閉ざされている防護膜の中にマッチのような小さな火を灯して明かりを出した。
「ふぅ。アンナ大丈夫?」
アンナは自分にしがみ付きながら呆然と事の成り行きを見守っていた。視界が砂で覆われ静かになった今も唖然とした表情のまま固まっていたが、小さな橙色の明かりが灯った事で意識を引き戻し、声を出した。
「あ……こ、こ、これってクロさんの使った術なんですか?」
「うん。生き物以外を砂に変える術だよ。これでオークの巣穴になっている洞窟も砂になって崩れたから、またあの街道にオークが出たりすることもなくなるんじゃないかな」
「あ……そう、なんですか……。あ、はは……本当にクロさんって伝説に出てくる古竜だったんですね……」
「……えー……それってやっぱり強く無さそうに見えてったってこと?」
「あ! いえ! そういうんじゃなくて、こんなにすごいのは初めてだったからというか、えっと」
失言をしたかとしどろもどろになるアンナに冗談半分のジト目を送りつつ心の中で落胆する。
……まぁ竜らしくないのは自分でもわかっていたけど、こういう反応をされるとちょっと悲しいものがあった。
今までも色々と常識の範疇を越えた術などを見せてきたが、ここまでの規模の術は使ってこなかったのでアンナには少し変わった飛竜くらいに見えていたということだろうか。
ここ最近は生まれたばかりの時よりも古竜としての自己存在を随分と自覚してきていたので、誇り……というか、古竜としてのアイデンティティみたいなものが自分の中で随分と定着してきていた。
別に力を誇示したいわけではないが、やはり竜といえば誰もが思い描く強い存在でありたいとは思うわけで、少なくとも正体を知っても自分を慕ってくれるアンナからは頼りになる強い存在として見てもらいたいと心の底では考えていたのだ。
自分で思っている程アンナには古竜として見られていないのかなぁと思うと物悲しく感じたのだが、よくよく考えるとアンナの周囲に基準となる古竜なんていなかったのだから自分がその基準になっているわけだし、仕方ないのかもしれないと思い直した。というか、そう思うことにした。
詳しく内容を聞いたことはなかったが、御伽噺や伝説で語られていた古竜のことをアンナは知っているようだった。しかし、それも結局は他者の脚色などが入っているフィルター越しの認識でしかないのだから、それと自分を比べるのもどうかと思う。
やはり今の自分といもので判断してもらいたかった。
やや微妙な気分になりつつも、いつまでもこの地の底に居るわけにもいかないので外に出る準備をすることにした。
「こんなところで話しててもしょうがないし、とりあえず外に出ようか」
「どうやって出るんですか?」
「んー、ちょっと大変だけど膜を出したまま穴を掘りつつ飛ぶ術で上昇すれば出られるよ」
「わかりました」
気を失っている三人もこの膜の中に入っているのでこのまま上昇すれば全員問題なく外に出られるはずだ。
防護膜に物を動かす術、そして上に昇るための【飛翔】と一度に3つも術を使うことになるので大規模な星術を使用した後の疲弊した精神状態ではかなり大変だが、休み休み行けば問題ないだろう。いつまでもこんな気の滅入る暗闇の砂の中には居たくない。
一度明かりを消して術に集中し、物を動かす術で砂をかき分けながらゆっくりと上昇していく。速度が遅いのと暗闇で周囲が見えないのもあって動いているのかいないのかよくわからなかった。
アンナもどんな状況かよくわからないので、暗闇の中まだ目を覚ましていない三人を気遣いつつも不安そうにしがみ付いている。
暫くは何事もない暗く静かな時間が続いたが、やがて変化が現れた。
膜の外に砂の壁とは違う景色が広がったのだ。
「あ! クロさん外ですよ!」
「お?」
アンナが変化に気付き、上に向けて指を指しながら明るい声を出したのだが、外という感じではなかった。今はまだ日も高い時間帯のはずだが、膜の外に広がる景色は暗い穴の中のものだった。
「あれ? ここって……」
「んー、たぶんだけど一番初めに見たあの大穴だね」
アンナが外だと思ったのは、地下鉄トンネルのような長大な洞窟だった。術の影響でかなり崩れているがまだ原型を留めている。
元々あったと思われる長大な洞窟は術の対象に指定していない。まだ術の特性や注意点も把握できていないためあまり大規模に術を使うのは危険だし、この長大な穴が何のためにあるものかもわからないのに壊してしまうのもどうかと思ったから対象から除外していたのだ。もしかしたら何かの移動用の通路だったりするのかもしれない。
オークの巣の範囲にかかっていた一部は術の影響で崩れてしまった。一応全体が塞がっているということはないので、歩いて出ようと思えば出られたかもしれない。
しかし今回はこのまま上に向かって掘ることにした。動けない三人を連れて移動するのは手間だし、崩落の危険などもありそうだ。それなら動かずに術だけで上昇できる方がいいだろうということでそのまま術で上を目指す事にした。
「下手に動いて崩れても大変だからこのまま掘り進もうか。もうちょっと待ってね。半分以上は上がってるからもうすぐだよ」
「わかりました」
また暫く暗闇と砂と土を掘り返す音だけになるが、それも僅かな時間で終わりを迎える。
今度こそ膜の外には大空が広がった。安堵の息を吐きながら【飛翔】の術を解除した。
外に出て足元がしっかりしている場所を選び、周囲の安全を確認する。地中に潜っていた時間は1時間も経っていないはずだが何だか久しぶりに感じてしまう。
地中の圧迫感というか、閉塞感がそう感じさせるのかもしれない。
「ふわー。出られましたねー。一時はどうなる事かと思いました」
周囲に魔物などの気配がないことを確認して膜の術も解除すると、新鮮で気持ちのいい風が頬を撫でた。
アンナも狭く暗い場所から出られたことで、グーっと伸びをした後に横たわる三人の様子を見るためにしゃがみこんだ。
こちらはまず初めに術の影響がどの程度地表に現れているのかを確認しておくことにした。
周囲の荒地を見渡してみるとやはり所々で陥没や地割れが発生しているがそこまでボロボロという程ではなかった。地表から10mくらい下のあたりから砂に変わっているはずなので地表は土と石のままだ。水捌けの良い砂の地層ができた以外には大きな影響はないだろうと思うが、地質学の専門家でもないので今後どうなるかはわからなかった。
せっかくなので時間が経った後に与える影響についても調べてみる事にする。
大きな変化が出てしまっていたらその時にでも土に戻せばいいだろう。アフターケアではないが、そのうちに見に来る必要がありそうだ。
次に救助した人間の状態を確認することにする。薄暗い中、魔物に囲まれていたので怪我の有無などの細かな状態を把握できていなかった。
薬品などで眠らされているなら解毒する必要があるし、外傷によって昏倒しているなら治療しなければならない。
「さて。捕まっていた人の状態はっと……」
「きゃあああ! ストップ! クロさん見ちゃダメです!!」
明るい場所で状態を確認するために振り返ろうとしたところで、アンナが猛スピードで突っ込んできた。
そのまま素早く目に両手を被せてくる。竜の状態でもまだ体長はそこまで大きくないし、屈んでいたのでアンナでも十分自分の顔に手が届いた。
「あぎゃぁぁぁぁ! あだだだだ! アンナ指が目に入ってる! 目がぁぁぁぁ!」
アーティファクトによって身体強化されたアンナ渾身のタックルから繰り出される無自覚な目潰しにより、悲痛な悲鳴を上げながら竜の体をグネグネとよじって身悶える。小さな少女により竜が苦しめられるという一般人から見れば割とあり得ないような光景ではなかろうか……。
そうだった。
自分の術でアンナの持っているカバンなどの道具や装備以外は全て砂になっている。つまり捕まっていた三人の女性の服も縄も持ち物も全て砂になっているため、今は素っ裸の女性三人が横たわっているのだった。
竜の体の見た目は爬虫類の蜥蜴に似ているのだが、爬虫類のように目に瞬膜はついておらず瞼の中はそのまま眼球なのだ。
瞬膜とは一部の爬虫類や魚類、鳥類などが目に備えている器官で、第三の瞼とも言われている透明か半透明の膜である。
通常の瞼を開いた状態で瞬膜を閉じると、眼球が透明な膜で保護されるため、水中や風の強い環境でも目を閉じることなく活動することができる。水中で生活する種や飛行する種では発達している器官である。
瞬膜があると目に水や砂が入ったり、多少なら目に物が入ったりしたくらいで視界を奪われるということがなくなるのだが、残念ながら古竜にその器官は備わってはいなかった。
つまり古竜でも目は弱点になり得るという事である。
強力な癒しの術が使えるため目を負傷しても失明することは殆ど無いのだが、戦闘中に視界を奪われれば致命的な隙となる可能性があるため用心しなければならないのだ。
「ぐぬぉぉぉ……」
「ああ! ごめんなさい、慌てちゃって……でもクロさんもちょっとデリカシーに欠けていると思います」
ウルウルと涙を滲ませながら痛みを堪える。竜の体でも涙は普通に出てくるのだ。
そんな自分を見て謝りながらも苦言を呈するアンナは、口を動かしながら手早く改造カバンをガサゴソとあさり、着替えの予備と旅用の外套を取り出していた。
アンナと同じくらいの背格好の少女二人にはアンナの予備の街着と旅装束を羽織らせ、20台半ばくらいの女性にはサイズが合わない為、旅用に買ってあった外套を上にかけていた。
どんどん逞しく、そして自分に対する遠慮が無くなっていくアンナさんである。初めて自分を見て怯えていたあの頃が懐かしい。人の順応性の高さというものの凄さを垣間見た気がした。
喜ぶべきか、悲しむべきか……。




