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崩壊

 身体強化の星術によって加速された思考認識の中、最初にその変化を視界に捉えたのは老執事の背後から攻め寄せてくるオークの一匹が振り上げている棍棒だった。


 持ち主が気付く間もなく持ち手の部分から静かに崩れ、オークの手からこぼれ落ちる。しかし、崩れ去った棍棒の持ち主は一瞬で起こったそのことに気付いてすらおらず、棍棒が無くなった自分の手をそのまま握り締めてこちらに向かってきている。


 それを皮切りに、魔物の持った武器が、鎧が、装飾品が、身につけた様々な物が、持ち主が気付くこと無く、静かに崩れ出す。

 まだこの薄暗い小部屋で起こっている異常な事態を把握できた者は自分以外にはいなかった。


「こんな武器でも隙間にならば通す事は可能。人ならば触れただけで死に至る劇毒、竜ならばどうでしょうかね」


 自分に猛スピードで迫ってくる老執事が突き出す武器の先を見つめていると、いよいよこちらにも変化が顕れ始めた。

 自分に当たる直前、アイスピックのような武器の先端、輝きを消すために黒い塗料が塗られた切っ先から音も無く、崩れ落ちていく。


 老執事の武器は自分を傷つける事はおろか、仕込まれていたらしい強力な毒を自分の体に届ける事すらできなかった。切っ先の無くなった木の柄が虚しく鱗に当たり、カツンという乾いた音を耳に残した。


 そんな老執事からの攻撃に特に何も反応することなくその場に佇む。今興味が在るのはそんなどうでもいいことではない。細部に至るまで何が起こっていくのかを見逃すまいと意識を傾けている対象は、進行して行くこの星術だ。


「!? これは!?」


「何だこりゃあ!?」


「ギィィィ!!」


「アォォォォン!!」


「ク、ク、ク、クロさん……洞窟が……」


 痛打を与えるはずだった武器が自分に届くことなく、先端から崩れ落ちて行く様を見て誰も気付く事無く静かに忍び寄ってきた変化にまず老執事が気付く。

 遅れること数瞬、すぐに後ろで控えていた女も自分の身につけた装備が崩れだしたのに気がついたようだ。魔物達も自分の武器が、装備が、そして今居る洞窟全体が変化し出したことで一匹、また一匹とパニックになり始める。


 アンナは突然混乱し始めた魔物に困惑し、次いで術の影響によりその姿を変え始めた周囲の様子に言葉も無くただただ驚愕している。

 女が操っていると思われる大きなオークなどの首輪をした魔物だけは相変わらず何の反応も示さず、受けた指示通りこちらに向かってこようとしているが、それもパニックを起こした周囲の魔物に阻まれる。


 初めは小さな変化ばかりだったが、やがてそれは激しさを増していった。

 最初は小石が転がり落ちることから始まり、やがて亀裂を生じ、全体が崩れ出す山津波のように、発動した星術はその影響を拡大していく。


 息巻いて向かってきていた魔物達は、自身の立つ岩と土の地面が崩れだしたことでバランスを保てずに足をとられ、その突進を止める。

 不安定になった足元により体勢を維持できず倒れ込む者、崩れた地面に呑み込まれる者、支柱が崩れたことで天井が落ちて潰される者、逃げ出そうとするが出入り口が埋まっているのに気付き更に混乱する者。


 右往左往する魔物に影響される事なく、術は進行していく。

 まるで物が何千年、何万年という膨大な時間の中で風化してゆく映像を高速で早送りしながら見ているかのような、術を使った自分ですら目を見張る光景だった。


 ───何者も、逃れることはできない。


 この洞窟で発動した星術は、以前母上が話してくれた術の一つ。

 星術の中でも上位に入る、周囲に対して驚異的な影響力を発揮する術。


 ───環境を改変する星術。


 初動が遅く、無生物にしか影響を及ぼすことができないため間接的な攻撃手段ではあるが、生き物と星素の影響を受けにくい物質以外の全てをイメージした環境に近づくように変質させていく。


 この洞窟でイメージしたのは、砂。

 自身を中心に術が影響を及ぼさない対象を定め、それ以外の全てを風化させ砂に変えていく。


 今回使った星術はかつて大砂漠で生き、砂竜と呼ばれた古竜が編み出したもの。

 その古竜は元々あった砂の砂漠に棲み付いたのではなく、星術を使って広大な岩石砂漠を自分の棲み易い砂の砂漠となるように環境を作り変えた。それを模倣したものだ。


 自分やアンナの持っているアーティファクトやカバン、道具などが砂になって崩れてしまわないように対象から除外し、それ以外の周囲に在る全ての無生物を対象とし、砂へと変質させる。

 効果範囲は索敵の術で確認した、このオークの巣周辺の地下一帯全て。半径にして数百m、高さ数十mという膨大な体積を対象に指定してある。


 ここにオークの巣が残っていてはまた街道に出て人を襲うだろうし、オークを全滅させてもこの穴に他の魔物が棲み着く可能性もある。砂となって洞窟が崩れ去れば、ここに魔物が棲み付く事はなくなるはずだ。

 後の事も考え、オークも巣穴もその他の魔物も、この星術で全て一網打尽にする。


 砂竜のようにこの術に適正のある古竜が使用すれば大陸規模で砂に変えることができるが、適正の無い自分ではそこまでの規模で術を使うことはできない。

 それでもこの術の最大効果域にはまだ余裕があるのがわかった。その気になれば都市や国といった規模で環境を激変させることができるだろう。そうすればもう、人はその土地で生きてはいけなくなる。


 都市の周囲を砂漠で埋め尽くせば、それだけで人間は死に絶える。食糧や水が手に入らなくなるだけで人は簡単に、それこそ僅か数十日で滅んでしまう。また、そんな回りくどいことをしなくても都市そのものを砂に変えて住処を奪い、砂で呑み込んでしまう事も可能だ。

 直接的に壊滅させることも、間接的に破滅させることもできる、危険な星術。


 人間も環境を作り変えることができるが、古竜の使う星術によって引き起こされるそれは、最早規模が違う。広範囲を短時間で劇的に作り変えてしまうそれは、人間から見れば自然災害に近い類のものだろう。


 また、この環境を変化させる星術で変えられるのは何も地形だけではない。気温を変化させたり、天候を操ったりもできるし、大地や大気に存在する星素の量を変化させることで特定の生物に有利な環境を作る事もできる。

 しかし、忘れてはならない。無闇にそれをすれば影響は自分にも跳ね返ってくるということを。


 かつて環境を作り変える術を使用した古竜達は他にもいた。

 荒地を巨木犇めく大森林に変えた者、大陸を削り海に変えた者、海底を隆起させ自分だけの島を作リ出した者、地の底深くに広大な地下世界を作り出した者、雪と氷に閉ざされた極寒の地域を作り出した者、溶岩の流れる灼熱の谷を作り出した者、誰にも侵せない峻険な山を作り出した者、宇宙に近い高空に浮島を作り出した者。


 環境を作り変えた古竜達の多くは術の危険性を理解していた。やりすぎれば自分も滅ぶ事になるということがわかっていた。

 この術を使った砂竜も、あくまで元々生命の少なく、砂の砂漠の環境に近かった岩砂漠だけを砂に変え、それ以上の改変は行わなかった。


 そうしなければ自分の食べる物も他の動物も竜の仲間も全てが環境の変化で死に絶えることになる。

 もしそれを理解せず、思うが侭に環境を作り変えれば、この世界は既に存在していないのではないかと思えるほどに強力な星術だ。

 【竜憶】には後先考えず環境を変えた愚かな古竜が居た記録も残っていたが、危険を察した他の古竜によって殺され、環境も元に戻されたらしい。


 だからこそ、実験をしておかなければならなかった。

 どのくらいの規模で、どのくらいの影響力があるのかを知る必要が在った。

 切り札とする以上、それを使いこなせなければただの自爆技だ。同じ古竜に殺されるような愚か者にはなりたくはない。


 幸いな事に今いる場所の上は荒地。地下が砂になることで地上では地盤沈下や陥没が発生しそうだが、多少地形変化があるとしてもさほど影響は無いだろう。地表付近まで全て砂に変えるのではなく、地下の一部分だけを砂に変えているので周辺が砂漠化してしまうことはないはずだ。もしそうなりそうなら今度は土に変える術で元の状態に近づければいい。


 天井から砂が流れ落ちる音を聞きながら、術で起こる変化を観察して分析を行いつつ、敵対者達の動向も油断無く見守る。


「これは一体何が!?」


「やっべぇ! 冗談じゃねぇぞ! 触媒や生贄、言霊や鍵言も無しにこんな魔法が使えるってのか!?」


 老執事は自身の攻撃手段が無力化されたと悟ると、すぐさま混乱する魔物達の隙間を抜けて壁際にいた魔獣使い(テイマー)らしき女の下に駆け寄った。


 老執事が自分から離れた時を見計らい、自分の周囲に高空に行く時に使った外界から遮断する膜を展開する。これで自分が砂で崩れた天井に潰される事もないし、砂で埋もれて窒息する事もない。アンナや保護した人間もこの中に入れて安全を確保する。


 既に様々な部分にまで影響が出始めていた。老執事が背中にしまっていたサーバーもスーツのような服と共に砂に変わる。魔獣使いの女が座っていた椅子や履いた靴や武器、気を失っている三人を縛り上げていた縄や高級そうな衣服、洞窟を支える壁や支柱、全てが砂になって崩れていく。


 影響を受けていないのはアンナの持っている服や預かってもらっているアーティファクト一式と改造したカバンなどだけ。制御の方は問題なくできているようだ。


 術の影響が広がるに連れて自分が入ってきた竪穴も砂になって崩れ始める。強固に押し固めた土壁もこの術の前では意味が無かった。

 自分に向かって砂が瀑布のように流れ落ちてくるが、星術の膜によって阻まれ、膨大な砂煙を上げながら膜の表面を滑り落ちていく。


 崩れていくオークの持った装備品などを見ていて気付いた。元は生物であった革製品や木製品なども無生物として扱われるようで、周囲の岩などと同じように砂に変わっている。死亡して素材になり、道具などに加工されたものは無生物として扱われるということだろうか。

 ということは小規模で使えば武器破壊の術としても利用できそうだ。初動が遅いという欠点をどうにかしなければ戦闘中には無理かもしれないが。


「物を砂にしてしまうなど、信じられません……。しかもたった一匹で……これが古竜の使う魔法……人間種の魔法や獣術、精霊術などには無い魔法体系……」


暢気(のんき)に分析してる場合かよ! 逃げんぞ!」


 叫ぶ女が何かをしようとしているが、持っている装備品や道具は砂となって崩れ去り殆ど裸同然の状態だ。

 使役していると思われる魔物たちも多くが砂に呑み込まれて姿が見えなくなっている。入り口は既に崩れ去り、自分が入ってきた竪穴も膨大な量の砂が流れ落ちてくるため、生身でここを登って脱出も不可能だろう。肉体一つで脱出する方法でも持っていない限り逃げることは叶わない。


 床は流砂のようになって魔物を呑み込み、天井も崩れて僅かに残っていた魔物を数百トンに達する砂が押し潰し、生き埋めにしていく。

 光源となっていた鉱物も砂に変化して洞窟内の薄暗さが増し、更に舞い上がる砂煙で視界はもう殆どゼロと言っていい状態だ。どっちを向いても最早暗闇と砂しかない。


 やがて敵対していた人間二人の声も聞こえなくなり、暗闇と砂に包まれた星術の膜の中には枝葉が風に揺られて立てるような、秋雨が降り続く夜のような、ザザザザという砂の音と、洞窟が自重に耐え切れず時折大きく崩れる地鳴りのような音が聞こえるだけになった。

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