不審物
「いやー、クロの背中は高級ソファーのようだな」
「メリエさーん! リンさーん! 私も乗りたいですー!」
「私も……モフモフに座りたい……」
「コラ。コレットもユユも我儘言わないの。それにいくらやることが無いからって、アタシ達は仕事中だよ」
「(……何か出発前より窶れた気がするんだけど……)」
「(そうか? いつも通りのモコモコフワフワじゃないか。全然問題ないぞ)」
「(……)」
コタレの村を出発して4日目。
交易都市ヒュルまで残り僅かという所まで順調に進んでいる。
順調なのは道程だけであって、自分の疲労度は着実に増しているのだが……。毎晩毎晩遠慮なしに枕にされては尻尾や毛皮をモフられ、肉球をいじり倒されれば窶れもするというものである。これでは自分達だけで移動するのと大して変わらないのではないかと思ってしまった。
道中は野盗の襲撃が一回あっただけで魔物などによる被害は全くと言っていいほど無かった。自分達はもはや慣れっこであるが、他の面々はやはり魔物の襲撃が無いことを不思議がっていた。
しかし元々コタレから王都方面に向かう街道は大きな都市が近くなる関係で見回りも多く、治安がいいという話だったので、皆それ程気にはしていないようだ。
ただ、これは自分にとっては誤算だった。コレットが魔術師見習いということで、道中魔法を見ることができるかもしれないと期待していたのだ。
今まで本格的に魔法を使う人間が近くにいなかったので、この機会に魔法を観察して、それに対するアーティファクトを考えておきたかった。魔物が襲ってくれば見る機会もあるだろうと思っていただけに、まともに見る機会が一度も無いのは残念すぎる。
安全なのは街道周辺だけで、街道から外れると危険度が一気に高まるという話も聞いていたのだが、魔法を見たいという理由で護衛対象の命を危険に晒すわけにもいかないだろう。
普段人が来ない場所は魔物たちの縄張りがあり、ハンターの稼ぎ場でもある。
大きな都市周辺でもそれは変わらず、緊急時などを除いて街道を無闇に外れるということは極力しない方がいいとメリエは言っていた。
天候などにより街道が通れなくなったりすると迂回する必要が出てくるため、比較的安全な街道だったとしても護衛を雇うのは基本なのだそうだ。
「……ん? パーラ殿、走車を止めてくれ」
「え? あ、はい」
小高い丘を登り切ったあたりで、不意にメリエが走車を止めさせた。突然走車が止まったことで荷台の方に乗っていた護衛パーティの面々がどうしたのかと前に出てきた。
「メリエさん。どうしたんだい? 何かあったのかい?」
フェリが全員を代表して疑問を口にする。メリエはじっと前方の街道を見据えていた。
「……あそこを見てみろ」
メリエが指差したのは、丘から見下ろせる街道のずっと先だった。遠くに走車が停まっているのが見える。
「あれは……走車ですね。変なところで停車していますけど」
走車は一台だけだったが、街道の真ん中に停車していた。周囲は草原ばかりで建物や野営場所などもないし、人影も無い。遠目に見える走車は町ではあまり見かけない大型のもので、ほったらかしになっているようだ。
「……どこかの商会か貴族様の走車ですかね。結構大型に見えますし」
メリエは真剣な眼差しでじっと観察し、何かを考えているようだった。
「さて……、どうすべきかな」
「ただ停車しているだけですし、普通に通り過ぎればいいだけじゃないですか?」
「そうですよね。あ、もしかしたら何か用事で止まっているのかも。泥に嵌ったりとかで困っているのかもしれませんね」
フェリやパーラが難しい顔で考え込んでいるメリエに進言する。しかし、メリエはこれを厳しい声音で突っぱねた。
「いいや。絶対に駄目だ。今回のような停止した走車に限らず、道に不審なものを発見した場合は絶対に不用意に近づいてはならない。これは護衛の鉄則だぞ」
「どうしてですか? もし何か困って止まっているなら助けてあげる方がいいと思いますけど」
怒るような口調でフェリ達を嗜めたメリエに、アンナはおずおずと質問する。
「本当に困っているだけならいいんだが、そういう場合だけとは限らないから始末に悪いんだ。いいか? こういう場合は必ず、待ち伏せを疑うんだ」
メリエのこの言葉で自分を含めた全員がハッとした顔つきになる。
なるほど。野盗などが囮として走車を街道上に残し、何かあったのかと無防備に近づいてきた旅人や商人を狙うということか。
無用心に横を通ろうとしたところを走車に火薬を仕込んで爆発させ、一網打尽にするということも可能だ。
「もし待ち伏せているのだとしたら、大規模な盗賊団の可能性もある。少人数で商隊などを狙っても逃げられる可能性が高いからな。大抵、大物を狙う盗賊団は取り囲めるだけの人数がいて、多少の護衛なら罠や数でねじ伏せられるように待ち構えている場合が多い」
メリエの説明を聞く面々の表情には、次第に恐怖の色が浮かんでくる。メリエ以外はまだ駆け出しの初心者だし、自分やアンナもそれ程大規模な盗賊を相手にしたことはない。
自分も不安といえば不安だが、いざとなれば全力を出して街道周辺ごと更地にしてしまうこともできるのでそこまで危機感はもっていなかった。
「フェリ、そっちのパーティ全員でこの走車の周囲を警戒してくれ。止まっている走車に気を引かせ、その隙を突いて横合いや背後からいきなり襲撃してくる場合もある。パーラ殿、少しずつ走車を進めてくれるか? この距離だと遠すぎて細かい部分が見えないからな」
「了解! 皆、気を抜いたらダメだよ! コレットとアタシで背後を、ユユとシーナで右と左を見張っておくれ!」
「わかりました。ゆっくり進みます」
「(クロ、止まっている走車の周囲が見えるところまで行ったら教えてくれ。そこで一度止めて観察する。ポロ、何か異変を感じたらすぐ知らせてくれ)」
「(わかりました)」
「(らじゃー。アンナ、アーティファクトの用意をしておいてね)」
「(はい。大丈夫です)」
メリエは的確に指示を飛ばすと、自分からサッと降りてポロに跨った。
全員で気を引き締め、メリエを先頭にして少しずつ進む。
なだらかな丘を下る道の周囲は背の低い草が生える草原だった。自分でも周囲の気配を探ってみたが特に異変は感じられない。二日前に雨が降ったが、土の街道はぬかるんでいるということもないので、車輪が泥に嵌ったというわけでもなさそうだ。
丘を下って暫く進むと止まっている走車の様子が見えてくる。走車の前側には走車を引いていたと思しき馬が二頭横たわっていた。よく見ると馬の周囲に血溜まりも見える。
走車は荷車ではなく、箱型でバスのような人が乗る走車だった。貴族とかが馬に引かせて走るもののようだ。
「(ここからならある程度見えるよ)」
「(よし)パーラ殿、また停車してくれ。フェリ達はこのまま周囲の見張りを。背の低い草ばかりで身を隠せないだろうと思っていても、穴を掘って身を潜めている場合がある。魔法での襲撃にも注意していてくれ」
走車を止めて再び前方に止まっている走車を観察する。
馬は倒れているが、人間は見当たらない。メリエは走車だけではなく、その周囲の草地や街道の先も見ていた。
「(何かに襲われたようだが、襲撃したものはわからないな。クロ、ポロ、何かおかしい気配などはあるか?)」
「(ここからだと距離がありすぎて気配まではわからないね。この走車の周囲には変な気配は感じないよ)」
「(私も同じく)」
「(じゃあ……。セオリー通りいくか)」
メリエは暫く観察し考えた後、フェリ達に提案した。
「パーラ殿とフェリ達はここで待っていてくれ。私とリンで前の走車の状態を確認してくる。問題がなさそうなら合図を送るから、そうしたら進んできてくれ。もし待ち伏せだったら私達を無視して来た道を戻れ。こういった場合は長距離を追いかけてくるということは殆ど無いはずだ」
「そんな! 大丈夫なんですか!?」
「私やリンが大丈夫かどうかは問題ではない。依頼主のパーラ殿とこの走車が大丈夫かどうかが問題なんだ。護衛の仕事で最も優先すべきことは護衛対象の安全だ。そのためには仲間を見捨てるという選択肢も視野に入れておく必要がある。今後も護衛の仕事を請け負うなら覚えておくといい。まぁそうならないようにする知識、実力と危機察知能力を鍛えればそんな窮地は滅多に無いさ。仲間を見捨てるのは本当にどうしようもない最後の最後だ」
それを聞いた面々は一様に表情を強張らせる。
しかしメリエの言うことは正しい。仕事としてお金をもらっている以上、依頼主の安全は自分や同業者の命を賭してでも守らねばならない。それが護衛という仕事だ。
身を挺して守るのはこうした危険な世界だけではなく、現代の地球でもあった。ボディーガード、スペシャルセキュリティと呼ばれる人や警察のセキュリティポリス(SP)などがそうだ。そうした仕事をする人間はいざというときは自分の体と命を使ってでも対象を守る訓練をしているそうだ。
「まぁ私達も簡単にやられるつもりは無いさ。身の危険を感じたら逃げてくるし、野盗程度なら遅れを取るつもりも無い。それに今回の場合は待ち伏せの可能性はかなり低いと見ている」
「それはどうしてですか?」
「まず場所だ。ここは待ち伏せするには向いていない。周囲が開けていて視界が通るし、迂回しようと思えば草原を迂回することもできる。常套手段としては迂回ができず、視界も悪い場所で待ち伏せるものだ。森や山間部とかな」
確かにそうれはそうだ。遠くからこうして見えてしまっては相手に警戒されるし、不意打ちには向かないだろう。
それに襲った時に、自分達の手に負えない手練が護衛にいた場合などではすぐに逃げなければならない。そんな時に視界が開けていては逃げ切れなくなる。
「それにここは交易都市ヒュルからも近い。普通は逃げられても、そう簡単に助けを呼べないような場所を選ぶものだ。何かあったと察知されれば都市から衛兵や騎士団が来てしまうからな。だから、もし襲われたのだとしたら盗賊などではなく、魔物ではないかと思う。しかし、そう予想しても相手が裏を掻いてくる場合もある。色々な可能性を考えておくことが重要だ」
「な、なるほど……。勉強になります!」
「そしてもう一つ。ここまであからさまに怪しいと思われるような状況を作って待ち伏せはしないだろう。待ち伏せるなら、何人かが走車の乗員に化けたり、怪我人を装ったりして誘き寄せる方が相手への警戒感を薄れさせることができる。これでは疑ってくれと言っているようなものだ。もし待ち伏せだったとしたらまだ場数を踏んでいない素人盗賊だと思うな」
「確かに……」
フェリはリーダー役として知っておかなければならないことを色々と知っているメリエに素直に感心している。そしてそれを自分のものにしようと真剣な表情でメリエの説明を聞いていた。他の面々もメリエの言うことを噛み砕きながら何をするべきかを考えているようだ。
かく言う自分もメリエの説明に聞き入っていた。こうしたことと無縁だったから今後のことを考えると学んでおくべきだろう。
「よし。じゃあ私達で確認してくる。私達が離れても周囲の警戒を怠らないでくれ」
「了解!」
「お気を付けて」
メリエとポロの後を自分とアンナが追う。移動しながら身体強化をし、更に竜の爪の強度も上げておくことも忘れない。
走車に近寄ると血の臭いが漂ってきた。倒れている馬は既に息絶えているようだが、血は乾いていないし、まだそれ程時間は経っていないようだった。
動物好きのアンナは事切れた馬を気の毒そうに見ていた。
「(クロ、ポロ、周囲に何かの気配は感じるか?)」
「(特に何も。ただ走車の中からも血の匂いがしてる)」
「(気配は感じませんが……匂いがします。これは……オークのものではないかと)」
オーク……アスィ村で死体なら見た記憶がある。人とブタの中間のような外見をした群で行動する魔物だ。ハンターや傭兵にとってはそこまで脅威ではないそうだが、筋力が強く数が多いと危険だ。また大きな群には上位種がいて、これはかなり危険らしい。
「(オークか。街道まで出てきたオークにでも襲われたのか……。確かに足跡もあるが……だとしたら腑に落ちない点があるな……。走車の中も見てみるか)」
メリエは周囲に敵影がないことを確認すると、走車の側面についている扉に手をかけた。鍵はかかっていないようで引くと音も立てることなくスムーズに開く。
メリエと一緒に中を覗いてみたが、向かい合う形で腰掛ける革張りの椅子があり、床に鎧を着た人間が横たわっていた。
「(護衛の騎士か? 息は……ダメだな。既に息絶えている。……走車の持ち主がわかるようなものは無いか……)」
メリエは中を確認してめぼしい物は無いと判断すると、もう一度外側をぐるりと回って何かを探しているようだった。
「(ふむ、貴族の走車だろうとは思うのだが、紋章や旗などは見当たらない。随伴の護衛や走車も見当たらないし、お忍び用のものかもしれんな)」
「(他に人がいないのは魔物に馬を襲われて動けなくなったから、走車を置いて町に助けを求めに向かったとかかね?)」
「(それもあるかもしれないが、足跡が草原の方に続いている。周囲に魔物の死体が無いことから考えると連れ去られたか、魔物を追いかけたのかもしれないな……。とりあえず周囲に気配がないのなら通り過ぎても大丈夫だろう)」
走車の持ち主のことは気になるが、こちらの最優先事項はパーラと走車を無事にヒュルまで送り届けることだ。
メリエはパーラの走車に向かって大きく手を振った。それに気がついたのか、停車していたパーラの走車がこちらに向かって進み始める。
「(ご主人。足跡のある草原の方向から気配を一つ感じます)」
「(魔物か?)」
「(匂いは違いますね。血の匂いがしています。動いている様子はありません)」
「(僕とアンナで見てくるよ。怪我をしているならパーラ達が到着する前に草の中で治療できると思うし)」
「(わかった。こっちは街道の警戒をしておく。何かあったら知らせてくれ)」
「(了解。アンナ行くよ?)」
「(はい。大丈夫です)」
襲撃現場を見て怖気づいていないかと心配したが、よくよく考えればアンナはこれ以上の惨状を目の当たりにした経験が在るのだった。あまり思い出させるようなことをしたくはないが、人命がかかっているかもしれないのでそうも言っていられない。
足早に痕跡を追いかけた。




