誤算
「(……クロさん……何だか周りの人の視線が気になるんですけど……)」
「(あ、やっぱりアンナもそう思う?)」
アンナの姿も自分の姿も最初は問題無さそうだと思っていたのだが、村に近づくと異変に気付いた。人目に触れる場所まで移動すると何やら注目を集めてしまっているようなのだ。
「(今のアンナの可愛さは飛び抜けているしねぇ。みんなアンナを見てるんじゃない?)」
からかい半分で黒猫アンナを見ているのだろうと言ってはみたものの、実際はそんな感じではなかった。擦れ違う人や遠目にこちらを見ている人は、一様に怯えと驚愕の表情を顔に貼り付けている。可愛いアンナを見てこんな表情はしないだろう。
他の人が連れている従魔や疾竜のポロがいた時はこんな反応をする人は見かけなかったのだが、アンナを乗せた自分が近づくと小さく悲鳴を上げて離れる人や、周囲の人と小声で何かを話したりする姿が見られた。
そんな周囲の様子にアンナはからかいの言葉を気にする余裕もないようで、不安そうに尋ねてくる。
「(私というよりも……クロさんが見られていませんか?)」
「(うーん……そうだね。何でだろう?)」
「(わかりません。私は気がつきませんでしたけど何か変な所があるんですかね?)」
歩きながら再度体を確認してみたが、やっぱり見た目は大きな狼で、周囲の人間が驚愕する要因になりそうな部分は見当たらない。少し大きな体が目立っているのかと思ったが、自分より大きな従魔だっているのだし……。
「(僕達だけだと原因はわからないね。早く合流してメリエに聞いてみよう)」
「(こんな風に注目されると居心地が悪いですね……)」
アスィ村で竜の姿になっていた時にこんな視線に晒されていた自分はある程度慣れているが、そうではないアンナは好奇の視線を浴びるというのは居心地が悪いようだ。アンナも開き直れればいいのだが、原因がわからないとそれも難しい。
どうしようもないので足早にメリエと合流するために村の入り口付近に向かった。
「(あ。いたいた。メリエーポロー)」
「メリエさん、お待たせしました」
メリエとポロは準備万端の様子で、村の入り口で雇い主と思しき人と走車の前で話をしている所だった。走車の近くに他の護衛らしき人は見かけないのでまだ来ていないのだろう。ポロは通行の邪魔にならない場所で寛いでいた。
メリエは自分とアンナがどんな姿になっているのかは知らないのでこちらから話しかけて知らせなければならない。一応アンナの顔はそのままだし良く見れば気がつくと思うが、知り合いをじろじろ見るというのも変に思われてしまうだろう。
「お。着いたようだな───」
振り返り様に紹介でもしようとしたのか笑顔で視線を向けてきたのだが、メリエがこちらを見て硬直する。
フフフ。さあどうだ。私めがプロデュースした渾身の黒猫アンナは。
メリエも今のアンナの姿を見て、その愛らしさにさぞ驚いてくれることだろう。
───と、思っていたのだが、硬直したメリエの視線はアンナではなく自分に向いていた。笑顔だったメリエまで周囲の人間のようにこちらを見て驚愕の表情になってしまった。
「(……あれ?)」
「メリエさん? どうしたんですか?」
アンナは自分の背からするりと降りるとメリエと雇い主らしき人に近寄る。自分はとりあえず通行の邪魔にならないポロの隣まで移動して伏せの姿勢で大人しく待っていることにした。お行儀良くお座りで待ちたかったのだが、背中の荷物が落ちてしまうので座れなかった。
「あ? ああ。……すまない。何でもない」
アンナの問いかけで視線を動かし、どうにかいつも通りを取り繕おうと首を振るメリエ。アンナの変身した姿を見ても以前のような感情を露わに飛びつくといったことも無かった。
近寄るアンナよりもポロの元に移動する自分を目で追ってきていたので、これはやはり自分に何かあると見るべきだろう。気付かない部分で何か見落としがあるのだろうか。
「あー。えっと、まずは紹介しよう。彼女が今回の依頼主のパーラ殿だ。パーラ殿、彼女が私の友人で今回の旅に帯同するリンだ」
「その、初めまして。リンです。よろしくお願いします」
アンナは今回も偽名を使おうということを事前に決めておいたので、メリエはその名前で紹介してくれる。丁寧にお辞儀をしているアンナだったが、パーラさんはどこか上の空といった感じだった。
依頼主のパーラさんはかなり若い、というかアンナと同じくらいの年齢に見える少女だった。背中まである茶髪を三つ編みにまとめ、商売用なのかエプロンに似た前掛けを付けている。顔立ちも幼く、まだあどけなさが残るためとても商売人には見えない。両親の手伝いかとも思ったが、護衛がつくとはいえまさかこの年の少女一人で旅をさせるということもないだろうし、やはりこの子が雇い主のようだ。
「……え? あ! すいませんびっくりしちゃって。パーラです。道中よろしくお願いします。あの〝竜使い〟のメリエさんが私の依頼を受けてくれるというだけでも信じられなかったのに、まさか更にご一緒するのが影狼を従える程の魔獣使い様とは思わなくて……」
何やら随分と恐縮している様子だ。メリエはともかく、歳はアンナと同じくらいだし、それにこちらが同行させてもらう立場である。なのでそこまで畏まらなくてもいいと思うのだが、そういう性格の子なのだろうか。それとも魔獣使いがそうした畏敬の対象なのだろうか。考えてみたが情報が足りず、どちらかはわからなかった。
アンナはアンナで過剰に持ち上げられ居心地が悪そうに苦笑している。
どうしてそんな対応になるのかと首をかしげていると、メリエが指をこめかみに当てながら【伝想】を使ってきた。
「(クロ……、またとんでもないものに変身してきたな。影狼なんかになるなら疾竜の方がまだ目立たないと思うぞ)」
「(影狼って何? この姿は以前森で会った灰色の狼の姿を真似して色違いにしただけだよ?)」
「(灰色の狼……草原狼か? ということは知らずにその姿になったのか……。そういえばクロはまだ生後一年経ってないし生まれもデルノの森、北限にいる魔物は知らなくて当然か。
クロが今変身している姿は影狼という魔物に酷似しているんだが、ここに来るまでに周囲の人間の様子はどうだった? 何かおかしいと感じたか?)」
「(あー……。変な目で見られていたかも……)」
「(やっぱりか。影狼はずっと北の未開地に生息している疾竜よりも危険な魔物だ。攻撃的な上に特殊能力を持ち、ギルドが危険対象に指定していて、公表されている魔物としての討伐難易度もレベル7クラスだ。そんな魔物を従えられる魔獣使いは以前話したランカークラスの実力者くらいだろうな。というより、私はそんな魔獣使い見たこともないぞ)」
なんと……。知らなかったとは言えこれはまずいのではなかろうか。注目を集めないために【転身】では竜以外の姿にしているのに目立ってしまうということだ。目立ちすぎると今後の旅に支障が出てしまうかもしれない。
それを聞いたアンナは事態の重大さからか、苦笑したまま固まってしまっている。アスィ村よりも大変なことになってしまうかもしれないので当然といえば当然か。
「(ど、どうしよう……)」
「(どうしようも何も、どうしようもないだろう。ここまで来てしまっているのだし、今から戻って姿を変えてくるのは不自然だ。次の町まではそのままで行くしかない。無理かもしれないがなるべく目立たないように大人しくしているしかないんじゃないか?)」
溜め息を吐きつつ、メリエが言う。
「(むぅ……)」
仕方が無い。なるべく目立たないように大人しい従魔を演じよう。幸い歩いてついていくだけだし、走車の影に隠れながら街道を進めば目立つことも無いだろう。……たぶん。
「(ア、アンナ大丈夫? 気をしっかり持って)」
「(は、はい。ダイジョウブデスヨ)」
……不安だ。この様子だと魔獣使いということで根掘り葉掘り聞かれるとパニックになりそうだ。メリエに負担がかかるけどしっかりフォローを頼んでおこう。
「(まぁなるべく私の近くにいてくれれば出来る限りの手助けはするから、そこまで緊張しなくてもいいぞ。……その分撫でさせてくれれば十分だ。フフフ)」
あ、メリエの目が以前アンナに飛びついた時の目に切り替わった。
最初は自分の姿の衝撃が大きかったようだが、やはりアンナの今の姿はメリエから見ても期待以上だったのだろう。涎を垂らさんばかりの顔つきである。
アンナはもう諦めているのか泣きそうな困り顔を作りながらただ頷いていた。自分が招いたアンナのそんな惨状から意識を逸らすようにポロに話を向ける。
「(ポロはそんなに驚いていなかったけど、影狼と戦ったこととか見たこととかあるの?)」
「(危険性は以前ご主人に聞いたことがありますが、まだ遭遇したことはありませんね。驚いていないのはクロ殿の気配がしているので変身しているとすぐに気がついたからですよ)」
「(なるほどね)」
この狼の姿になっても古竜の気配は出ているということか。やはり星素がらみの気配なのだろうか。これだけでは確定はできないので後で検証してみなければならない。
「すみません。まだ他の護衛の方々が来ていないのでもう少しお待ち下さい。揃い次第出発となります」
アンナと握手し、挨拶を交わしたパーラさんがそう言う。待っている時間で疑問に思ったことをメリエに聞いておくことにする。
「(メリエ、メリエ。さっき言ってたギルドの討伐難易度ってどんなの? 僕も入ってる?)」
「(ん? ああ、クロは正式登録をしていないんだったな。ギルドの閲覧室でも見られるが……読めないから知らないのも仕方ないな。いや。クロと同種の古竜は入っていないぞ)」
あれま。仲間はずれなのね。
「(まぁ説明するまでもなく言葉通りの意味だ。倒す際の難しさだな。討伐難易度は対象となる魔物の攻撃性、大きさ、特殊能力、耐久性、知能、個体数、生息地など様々な要素を鑑みて決められている。最大難易度が9、最低難易度で1だな。しかし、知らないからこう言ってもピンとこないか……。そうだな、クロが知っているところで言うなら……、最大のレベル9クラスだと老成した大型の飛竜や超大型の巨人種、8で小型の飛竜やクロが倒した鳥竜、7で影狼や大型の疾竜、6でポロくらいの疾竜や水棲竜と続いていく。8から上のレベルはランカークラスの実力者や国、騎士団が動くレベルだと思ってくれていいだろう)」
同じ竜種でも個体の大きさや能力、生息地などで違うようだ。でも何で古竜はその中に入れられていないのだろう。
「(どうして古竜は入っていないの? 実在が確認されていないからとか?)」
「(いや。これはあくまでギルドが仕事をするハンターや傭兵に向けて公表している評価だ。実際にはこの討伐難易度に当てはめることができないような強大な存在も多数いる。例えば古竜種や幻獣種、不死種の始祖、実在は確認されていないがダンジョンの深層や古い書物に記録が残されている機族、膨大な魔物を従えるという魔人種などだ。まだ他にもいるのだが、こうした人の手に負えないような相手をギルド側は一般公開している討伐リストに挙げないし、緊急時を除いて生息地などの情報も出さない。何故だと思う?)」
「(倒せないから?)」
「(それも間違いではないが、最も懸念されるのは血気盛んな連中がこれを知り、手柄を得るために無闇に手を出そうとすることだな。勝手にやって勝手に死ぬ分にはまだいいが、そうした連中がちょっかいを出したことで人間に敵対してしまう場合が問題だ。こうした存在を万が一倒せたり、死体を見つけたりできれば貴重な素材を得ることができ、売れば軽く一財産築けるため無謀だとわかっていても手を出そうとする輩は多い)」
なるほど。身の程を弁えず逆鱗に触れてしまえば無関係な人間まで巻き添えにする厄災を招いてしまうということか。
「(このためギルドはそうした討伐難易度に当てはめることができない、人の手に余る存在に対しては、国やギルド側から緊急討伐依頼が出ている場合を除き、仮に倒せたとしても評価しないし、報酬も出していない。一般人の安全確保などの名目以外で勝手にやると、無断で危険対象に手を出したということで罰則まで在り得る。まぁ他の国では違う場合もあるし、貴重な素材を売るだけで信じられないような金を手にできるからそれを理解してても探し出そうとする人間も多いんだがな。実際、過去にそれが原因で国が滅んだという記録がいくつも残っている)」
「(なるほどねぇ)」
「(国内や辺境線付近で出没すると安全のために情報が一般人に公開されるが、それも避難に必要な情報だけだ。そんな人の手に負えない脅威が近くにいると知ったらパニックが起こるからな。だから国やギルドから要請された人間以外には討伐に関する情報は開示されない。ちなみにアルデルで飛竜討伐関係の依頼に参加した者には可能性は低いが古竜かもしれないという情報が公開されていたぞ。信じている者は少なかったし、私もまさか本当に古竜だとは思わなかったがな)」
地球でも野生生物に殺される人間は勿論いたが、人間という種を脅かすほどの存在は細菌やウイルスを除けば殆どいない。
しかしこの世界は違う。人間が生命の頂にいる訳ではない。他の多くの生命と同様に脅かされる立場にある。
人間種の存続を考えれば無謀な個人の命よりも優先されるのはそうしたルールになるというのも頷ける話だ。
ということは、自分と母上が暮らしていた森に人間が侵入してきたのは末端の人間まで自分達が古竜だという情報が伝わっていなかったか、知った上で欲望に目が眩んで手を出してきたかのどちらかということだ。前者ならまだいいが、後者だとすれば襲ってきた末端の人間だけではなく、国やギルドの上層部にも人が滅ぶリスクより自分達の利益を優先するような腐った人間がいる可能性があるということになる。
それを考えるとこれから向かう王都のイメージが曇るのを感じた。
「(それはそうとクロ。随分といい毛並みじゃないか。私も後で乗せてもらえるか? ああ、夜に抱き枕になってもらうのもいいな。あ、アンナは私と寝るのは確定だからな。フフフ)」
ギクゥッ!
「(くぅ! メリエさん! 抱き枕にする時は一緒にですからね! あ、そうそう。クロさんの肉球も触ると気持ちいいですよ。だから私の方は程々でお願いしますね)」
汚っ! 肉球をエサに保身を図るとは、アンナの黒い部分を見てしまった。
むぐぐ……。知らなかったとはいえポカをやらかした手前、嫌とも言えない。せっかく夜の見張りの負担が減るというのに……。




