言霊 ~大老狐尾裂一族末位・磊華~
「言った通り、魔法であれば長時間に渡って、制約をかけずに憑依させることはかなり難しい。私たちの使う幻術のように魂魄の位格差を用いて強制する技法もあるにはあるが、奴の匂いは人間のものだ。アンナやお前たちと同じで魂そのものに大きな力の差はないから、その線は薄いだろう」
種や存在の違いによって生じる霊格の差。
上位の霊格を持つ存在が下位、或いは力のない魂魄を強引に閉じ込めて肉体を奪い取ることは稀にある。
クロが竜核に閉じ込められた古竜種の意思に肉体を奪われた時などがそれに当たるだろう。
老成した竜種は霊格的にも高度に成熟する。
未だ幼体のクロからすれば、何百年、何千年という長い時を経て成熟した古竜種の精神に肉体を奪われるのは仕方がない。
それを鑑みると古竜種が元々備える対精神攻撃耐性を抜きにしても、老成した古竜種に幻術をかけることは不可能に近い。
逆も然り。
それだけの精神体であれば肉体的な古竜種の抵抗力を上回って憑依を行うこともできるということ。
だがこれらは霊格に差があるからこそできる芸当であって、アンナの例には当てはまらない。
「奴の術の正体は、言霊によって相手の魂魄に強引に回廊を通し、そこに己の魂の分体を流し込むことで成立させていると思われる」
元来、霊的に見ると一つの生命は孤立した存在であり、この孤立状態はちょっとやそっとではどうにもならない。
己という魂を肉体という殻で包み、明確に他者や外界と切り分けて存在しているのだ。
外部から加えられる魔法や幻術、呪術といった力を無意識に異物と認め、肉体という殻の内側に入れないようにすること、そして殻の内部を生命力で満たし、入り込む余白を作らないことで内部に高い抵抗力を持たせている。
それは己を守る力であると同時に、有益な力も入り込む余地を無くしてしまっているため、時には障害の原因にも成り得る。
人間種の扱う癒しの魔術や支援、強化を目的とした支援魔術が高い効果をもたらしにくかったり、長い時間効果を維持できないことの理由がそれだろう。
これは幻術でも同じことが言えるが、オサキは長い時間をかけてその弱点を克服し、我ら独自の術体系として深化させてきた。
オサキはこれを霊格の差と、強引に突破するのではなく気付かせずに浸潤させる技法によって克服したが、呪術や霊格についての知識が乏しい人間では難しい。
それらを理解できたとしても、扱う力が無い。
だが奴は、我らとは違う方向から可能にしてみせている。
「肉体という殻に守られた精神や魂に影響を与えるには、この殻に綻びを作らなければならない。極端に体力を消耗させたり、物理的に破壊し内部の精神や魂を露出させて影響を与えやすくしたりな」
「でも、アンナさんはそんな怪我をしたり、消耗したりはしていない……」
「うむ。奴は違う方法でその殻に穴をあけている。それが言霊だ。お前たちの魔法で言うと、鍵言が近いか。
言葉には相手の魂を揺さぶり、意思を変えさせる力がある。それは魔力に意味を持たせ、魔法として現界させることに限った話ではない。最もわかりやすく言うなら、他者に好意を持たせる言葉、例えば『愛している』と相手に伝えれば、己に好意を抱かせたりもできるし、『愚か者』と伝えれば敵愾心を与えることもできる。これは言い換えるなら殻に守られている精神に、外的な力で変化を与えているということだ」
ただの音である言葉だけでも、相手の意思を変えうる力がある。
これを可能にするのは言語、つまり他者と意味を共有できる言葉の力だ。
音や言語に含まれる霊力により、言葉として発した意味を現実のものとさせる力。
しかしこれはかなり極端なもの。
このクラスの呪術的言霊を操れるのなら、人間社会では支配者となっていても不思議ではないし、そもそも霊格が同じ同種族間では憑依に用いるなんてできるものではない。
奴の扱っているものも限定的なはず。
「奴の言葉に対し、明確な意図をもって応じてしまうと強引に回廊を通されてしまうのだろう。私やクロのように人間種と霊格が異なる相手には難しいだろうが、霊格が同じか下位の相手に対してならば強制的に入り込むこともできなくはない。尤も、それには精神に干渉できる霊的な技能が不可欠になるがな」
「つまり、あいつはアンナさんに対し、精霊と契約を結ぶときのような霊的な繋がりを言葉の力で強制している、ということですか?」
「言葉だけ、ということは無いな。穴を開けることはできたとしても、相手を操る呪術や祈祷などの術的要素、或いは奴特有の特殊な技能がなければ憑依までさせることは無理だ。だが、魂を分化させる手段や相手の精神を乗っ取る方法など不明な点はあっても、対処法だけならそこがわかれば問題ない。
奴の術から身を守るには、相手の言葉に反応しないことを徹底する。これは言葉による応答だけではなく、身体的な行動も含まれる」
相手の言葉に反応した時点で、精神的な結びつきが生まれてしまう。
その隙を狙って殻に穴をあけ、己の分体を流し込んでいるのだろう。
「ですが、全ての発言を聞き流すのはさすがに難しいのでは……」
「そうだな。無意識化に反応してしまうこともあるからな。しかしそこは問題ない。アンナの状況を思い返してみろ」
「……アンナの様子が変化したのは……あいつがその直前に言った言葉……」
「そうだ。全ての言葉に警戒する必要はない。魔法の鍵言と同じように、奴の憑依を行う術も特定の言葉によって効果が発動するはずだ。でなくば、奴の発するどんな言葉でも、聞いた瞬間術中にハマるはず。しかしそうはなっていなかっただろう?」
「確か……”言いたいことがある”……とか言っていましたね」
「うむ、恐らくそれが言霊だ。これに反応しなければいいはずだ」
奴を追うにあたり、これがわかっていなければアンナの二の舞になる。
アンナは未だ素人臭さが抜け切らないところがあるが、この二人はその辺の隙が無い。
メリエはハンターとして戦いに身を置いてきた経験から、スティカはクロに対する盲信ゆえの冷徹とまで言える容赦の無さから。
「ふむ。注意点は分かったが……で、肝心なところ、その憑依とやらを解除するにはどうしたらいい?」
そこが問題だ。
原因がわかればいくつか対策もあるが、アンナの精神に影響を残さずに奴の魂を取り除く、となると条件が限られる。
「……一度回廊を通されてしまうと時間的な要因で憑依を解除するのはまず無理だな。つまり時間稼ぎをしても解決にはならんということだ。
本来であれば外的な力は徐々に弱まり、自然と効果がなくなるはずなのだが、回廊によって同調してしまったら強引に解除するしかない」
「では、強引に解除するには?」
「うむ。手が無いわけではないのだが、無傷でとなると条件が厳しくなる。
今の状況を鑑みるにアンナの魂……精神は、奴の分身した魂が強引に入り込んだことで表に出てこれないように押し込められていると考えられる。まぁ、早い話が強制的に眠らされているようなものだ」
厳密に言うと少し違うが、意識が無いという点では間違った説明ではない。
「ならば無理やりでも起こせれば憑依を解除できるのか?」
「アンナの自我が奴の精神を上回るだけの力を発揮できれば、できるにはできる、が、回廊が残ったままではすぐにまた同じことが起こるだろう。まずは、作られてしまった回廊を破壊しなければならない」
「精霊契約で言うところの、契約の破棄ですか。確か精霊契約では相互が納得し、お互いが自らにかけた魔術的な繋がりを断つか───」
「もしくは、どちらか片方が消滅するか、だな」
「でもお互いに納得し……というのは無理ですよね。そもそも精霊契約とは違いますし、攻撃手段として用いているわけですから」
メリエとスティカは精霊契約についての知識から手掛かりを探っているが、憑依と契約は似て非なるもの。
安易に頼らず己で解決策を考察するのは正しいことだが、人間種の知識しか持ちえない今の二人で奴の術の本質を探るのは厳しいか。
「そうだな。原理が似ているというだけで契約とは違う。
入り込んだ魂を消滅させるというのは一つの方法だが、回廊の影響と奴の術の特殊性から今回はあまり意味がない。分身体である魂を消滅させても、回廊を通して新たな分身体を流し込まれたら同じだ」
「ではどうすれば?」
「まずは物理的に本体からアンナを引き離す。精霊契約のような霊的な回廊ではなく、言霊による術的な回廊なら効果範囲があるはずだ。術の効果範囲外まで連れて行けば強制的に回廊は破壊されるだろう。
その上でアンナに危害を加えずに解除するには、アンナが独力で奴の分身した魂を押し返すのが望ましい。それにはクロの協力がいるだろうな」
「なぜクロ様が? 竜語魔法を用いるということですか?」
「クロの竜語魔法でも確かに解決策はあるだろうが、クロ自身が奴の術の特殊性を分析し、明確な対抗策を考案しないと難しいだろう。状況を考えると操られたアンナを捕獲し、じっくりと分析する必要がある」
アンナを気遣いつつ戦闘しながらアンナを捕獲するのは手間だし、時間もそれなりに要する。
里の中には他にも襲撃者がいるようだし、それなら解除してからアンナを取り戻した方が危険も時間的な損失も少ない。
「ふむ、じゃあクロには別の役割が?」
「そうだ。アンナにとって最も信頼し、心許せる相手はクロだ。まあ気付いていると思うからあえて言うが、アンナはクロに対して恋愛感情を抱いているだろう? 心の大きな版図を占める相手からの呼びかけは自我を強烈に揺さぶることができる」
アンナの名誉の手前、あまり口にするのもどうかと思ったが、あえて言い切る。
あんなにわかりやすい態度を取っているんだし、クロに対して同じように愛情を抱いているこの二人ならもうずっと前から気付いているはずだ。
クロですらなんとなく察しているような匂いを出しているんだしな。
まあ当のクロはいないし、別によかろう。
彼女たちに対してもいい発破になりそうだしな。
「「っ!!」」
案の定、二人の目に焦りのような色が出る。
気づいてはいたが、ここまではっきりと言われると思うところがある、と言ったところか。
この二人もたいがいわかりやすいが、クロはどこまで察しているのやら。
「ま、要するに、クロが竜核の力で精神を乗っ取られたのをアンナが助けたのと同じことを、今度はクロがアンナに対してやることが最も効果的だという話だな」
簡潔に伝えると、二人ともやや神妙な顔つきになりながらも首肯する。
「ちなみにだが、その他にも手はあるのか?」
考え込みつつ、メリエが聞いてくる。
嫉妬心というよりはハンターとして複数の対抗策を用意しておきたいという心情か。
仲間のためとは言え、もうちょっと自分に素直になればよいものを。
そこが彼女の良さでもあるわけだがな。
「あるにはあるが、アンナを傷つける可能性が増すな。まあクロの竜語魔法なら問題なく癒せるとは思うが、アンナを傷つけられたクロはたぶん怒るだろうな」
アンナの肉体を奪い取ったということ自体が、すでにクロの逆鱗に触れている可能性もあるが……。
もしやるとすれば一度アンナが気を失うほどの攻撃を加えてから、私の幻術で奴の魂をさらに上書きする形で追い出すことになる。
憑依されていた里の人間のことを考えると、かなりの攻撃を加えないといけないだろうし、あまりやりたくは無いな。
「では、第一方針としてはクロ様のご助力を願う方法で、それが無理なら第二方針、という流れでしょうか?」
「そうだな」
「しかし、クロは杜人の集落まで出発してかなり経つ。だいぶ遠くまで移動しているだろうし、すぐに救援は無理じゃないか?」
「そこはたぶん問題ないな。クロは竜語魔法での転移の術をほぼ完成させているようだから、私の幻術で呼べばほぼ一瞬で戻ってくるぞ」
「……もうホント、クロなら何でもアリだな……」
それは私も同感だ。
まあとりあえずは、クロに状況を伝え、一度帰ってきてもらうか。




