心穿つ聲
中央門に陣取って警戒をしつつ、魔物の群の状況を見ていると近くから悲鳴が上がる。
「うわっ! こっちにくるなよっ!」
メリエとほぼ同時に視線を向けると中央門からやや離れた建物の影から走って出てくる子供が見えた。周囲が静かになったからもう誰もいないのだろうと思ってしまっていたが、まだ逃げていない人間がいたようだ。
一昨日の度胸試しで半べそをかいていた男の子が、昨日自分のところに来ていた黒髪おかっぱの女の子の手を引いて走って逃げている。その背後を豹のような魔物が自分の背から離れることなく追いかけてくる影のように、するりと音も無く建物の影から現れ逃げる子供を追いかける。
「(しまった! どこからか入られたか!)」
身軽な豹のような見た目だったので柵を駆け登ったのかもしれない。
焦ったメリエが咄嗟に追いかけようとしたが距離がありすぎる。
「(メリエ! 僕がやるから中央門を見てて!)」
身体強化を足に集中し、更に星術で風を生み出して速度を上げる。ダメ押しとばかりに【飛翔】を僅かにかけることで体重を軽くし、重力の鎖を緩める。
土の地面を蹴り砕きながら雷のごとく駆け、逃げる二人の子供と魔物の間に体を滑り込ませる。
(よし! 間に合っ……たぁ!?)
獲物に飛び掛らんとしていた豹のような魔物は咄嗟には止まれず、自分の胴体にドスンとぶつかってきた。しかしそこで止まることなく猫のようにすぐに体勢を立て直すと、自分を飛び越えて子供を追いかけようとした。
(まずい!)
慌てて振り向き、子供に追いつきそうになっている魔物に向かって飛び掛る。体当たりで吹き飛ばすとその向こうにいる子供達も巻き込んでしまうと判断し、魔物の背中に爪をかけながら足の付け根に噛み付いた。
(ぐえぇ……気持ち悪ぅ)
噛み付いたことで寸での所で魔物を止めることはできたが、口の中に広がる血の味と獣の匂いで気持ちが悪くなる。鋭い牙がありながらも今まで噛み付き攻撃を使わないでいたのはこのためだった。
病気になることは無いと思うが、それでも血を飲むのは気持ち悪い。人間だとたくさんの血を飲みこむと悪心を起こしたり嘔吐してしまったりするため、鼻血などを飲みこむのは控えるほうが良いとされている。
血中の鉄分が胃腸を刺激して気持ち悪くなるという説があるが医学的な根拠が確立されているわけではなく、気持ち悪くなるのは生理的に血を飲むという行為に嫌悪感を感じるためだという説もある。どちらにせよそうした価値観を持った自分は例え竜の体になっているとしても気持ち悪く感じてしまう。だからずっと生肉は食べず果物ばかりを食べていたのだ。
生きた動物に噛み付けばこうなることは予想できる。なのでなるべく噛み付かないで攻撃するようにしていたのだが、今回はしょうがないだろう。子供の命には代えられない。
また、ただ気持ち悪いからという理由だけではなく、噛み付きのために口を開くと弱点を晒すというリスクがある。口内は鱗など無いしそこを狙われると致命傷を受ける危険もあるので組み付かれてどうにもならないとき以外は使いたくない。噛み付くために突進するなら頭の角を突き出して頭突きでもした方がいい。
それに噛み付きよりも射程距離が長い尾撃や殺傷力の高い爪での攻撃の方が使いやすく効果的だったという理由もあった。
(ふんっ!)
気持ち悪さを我慢しながら竜の牙から逃れようと暴れる魔物を逃がさないように強く牙を食い込ませ、首を勢いよく振り抜き噛み付いた魔物をブンッ! と近くの建物の石壁に叩きつける。叩きつけられた魔物はそのまま動かなくなり、ズルリと地面に落ちた。
「(うぇぇ……メリエ、子供達をお願い)」
「(わかった。大丈夫か?)」
「(うん。攻撃を受けたりはしてない。ただ血の味が気持ち悪いだけ……)」
「(獰猛な竜とは思えないな……。まぁクロは前から竜らしくなかったし、今更か)」
自分でもつくづく竜らしくないとは思っているが、人に言われるとまた悲しいものがある……そういえばアンナにも言われたっけ……。
生理的に気持ち悪くなってしまうのだからこればかりは改善のしようが無い。
腰を抜かしたのか、座り込んで動けない子供二人をメリエに任せ、自分は気付かれないように星術で水を出して口を漱いだ。立派な牙がもったいなくも思うが、できればもう噛み付きはしたくないと思ってしまった。
メリエは子供の無事を確認すると近くの村人を大声で呼び、子供達を引き渡して中央門に戻る。
子供達はメリエにお礼を言いつつも、自分に憧れのようなものを含んだ目を向けていた。少しは怖いだけの存在ではないということを知ってもらえただろうか。それとも魔物を容赦なく倒す恐怖の存在のように見えたのだろうか。できれば前者であってほしいと思いながら集会所に連れられていく子供達を見送った。
こちらも一息ついたところで再び飛び上がり、村の中の様子を確認する。
建物でよくは見えないが所々から怒号が聞こえてくる。もしかすると柵を乗り越えた魔物がまだいるのかもしれない。
しかし自分とメリエはここを離れるわけにはいかないので村の人に頑張ってもらうしかない。ここを離れて助けに行けば更に多くの魔物が入り込むことになってしまう。
「(大丈夫だ。あの程度の魔物なら村人でも何とかなる。こっちは群の方に集中しよう)」
「(わかった。群の様子を見てみる)
視線を柵の外に向けると、群がかなりの距離まで近寄ってきているのが見えた。
走る魔物の一匹一匹の姿を確認できるまでになっている。このくらいまで近寄れば星術の射程圏内だ。
目を凝らしてみると、群の背後に巨人種らしい大きな影が見えるがまだ姿までははっきりと視認できない。巨人種は足が遅いのかまだ後ろの方にいるようだ。やがて群の走る地鳴りのような重低音が響いてきた。
「(メリエ。そろそろ頃合だから例の術を使うよ。準備してくれる?)」
「(いつでもいいぞ。かなり近寄ってきているみたいだな)」
メリエにも群が走る音が聞こえてきているのだろう。緊張の色を浮かべながら懐から道具を取り出す。メリエが準備をしている間、こちらも術を使う場所に移動する。選んだのは村の西側に建つ石造りの宿屋の屋上。ここからなら見晴らしも良いし、柵の向こうまで見渡せる。
「(クロ。いいか?)」
「(いいよ。お願い)」
メリエが象牙色の笛のようなものを吹く。が、音は出ない。
メリエの話では、人間には聞こえない音を使って仲間とやりとりをする獣の骨から作られた道具で、同じ群の骨から作られた受信側の骨が音を感知すると振動する仕組みらしい。ハンターの間では緊急時の連絡などに使うポピュラーなもので、〝音〟と呼んでいるそうだ。
笛から人間の可聴域を越えた“音〟が放たれ、受信側の骨を振るわせる。
「合図だ! おまえら耳塞げ!」
ここから見える見張り台の上にいるボンズがハンターや村人に指示を飛ばし、耳を塞いでいるのが見えた。恐らく避難所や裏手の出入り口の人間も指揮担当の人間が持つ骨が振動して指示が出され、同じように耳を塞いでいるだろう。自分で耳を塞げないポロはメリエが詰め物をしている。これで準備は整った。
人間に気付かれるため竜の姿で星術は使えない。しかし例外もある。
周囲に術を使っていると気付かれない【伝想】や【竜憶】などの体内で完結するタイプの術と、【飛翔】など通常の生物が行う行為に術を加えるものや不可視の防壁を張るものなど、外部で使っても術だと認識される心配のないタイプの術だ。
今回、襲ってくる魔物を無力化するために使うのは後者の特性がある星術。それは普通の生物でも同じように行う行為に術を織り込むことで術だと気付かれる心配が無いもの。
遥か太古の昔から多くの動物が行ってきた行動。
自身の力を誇示するため。仲間に意思を伝えるため。他者を威嚇するため。ストレスを発散するため。警戒、恐怖を示すため。
様々な理由があるが行う行動は同じ。
それは『吠える』こと。
これから使うのは【竜憶】に記録された、ずっとずっと昔から竜が使ってきた星術。
相手を威嚇し自身の存在を知らしめるために吠える。そこに指向性を持たせると同時に精神に影響を及ぼす星術を織り込むことで、聞いた者に対して強制的にある強い感情を植えつけるという古竜だけが進化させた叫び。
───竜の咆哮。
それによって喚起される、『恐怖』。
本来この術は竜が自分の縄張りを主張し、他の強大な生物が近づかないようにするために使ってきた術だ。
巣や縄張り近くにいる獲物となる生物まで逃げてしまわないように特定の対象に対してのみ効果が現れるような指向性を持たせてあるが、音である以上完全に遮断することはできない。なので村人への影響が極力減るように使う直前に耳を塞いでもらう必要があった。
生物にとって最も強く自身を衝き動かすのは生き残ろうという意思である。一部例外はあるが、殆どの場合で自身を生き残らせようという意思が何よりも強く働く。それは理屈ではなく、子孫を残すために生き残らねばならないという生物としての本懐。そのため今食べなければ死ぬという極限の飢餓状態でもない限り、食欲よりも生き残るための行動が優先される。
生き残ろうとする意思が強く働く切っ掛けは痛み、嫌悪、恐怖などいくつかある。竜の咆哮の星術で喚起するのはその中の恐怖心。多くの生き物に共通して自身の命を脅かすものには恐怖心が働く。
生物にとって恐怖とは重要な感覚だ。恐怖を感じることで身を守ろうとし、危機を回避しようと行動する。自分に危害を加える相手、自然の中であれば敵に気付かずに襲われる危険が高くなる夜や暗闇、落下すれば助からない高所など、恐怖心があるからこそ生物は野生で生き延びられる。生物として不可欠なものだ。
恐怖心をなくせば生物は危険を危険と認識できず、簡単に死んでしまう。
たまに映画などで見かける死を恐れない程に鍛えられた兵隊でも恐怖心はある。脳機能を破壊されたり、薬物で恐怖心を麻痺させるなどした場合は別だが、どんなに鍛えられていても危機的な状況に陥ると恐怖心を抱き、まず自分が生き残ろうとする意思が優先的に働く。それが仲間のためや勝利のためといった理由で命を犠牲にするのは恐怖心を押し殺しているか、慣れによって恐怖を恐怖と感じていないだけに過ぎない。恐怖がなくなったわけではないのだ。
よく聞く死の間際に見るという走馬灯というものも、死に瀕したことで脳が必死に生き残る術を求めて過去の記憶を手当たり次第に引き出し、生き残る手段を探っているためだという。それ程生き残りたいという意思は強いものだ。
一部例外とは種の保存を優先する場合などがある。自己を犠牲にし、種や集団を守ろうと行動する昆虫などがよく知られている。そうした生物は個の生存率を下げる代わりに種の存続率を上げる行動をする場合がある。そうした生き物が魔物にもいるなら強い恐怖を感じたとしても襲ってくるだろうから、この術で完全に侵攻を止められるわけではない。
また『窮鼠猫を噛む』という言葉があるように、極限まで追い詰められた生物は恐怖心を無視して相手に襲い掛かることがある。恐怖によって逃げる選択をすれば助かる可能性も上がるが、逃げ場のない追い詰められた状態で恐怖心に縛られ、身を竦ませて縮こまれば待っているのは死だけだ。生き残るためには強大な相手であっても立ち向かわねばならないこともあるのだ。
そのため、この術で全ての生物を恐慌状態にすることはできない。恐らく何割かは自身の命よりも仲間を優先する、恐怖よりも飢餓感が優先される、自我が薄く恐怖を感じないなどの様々な理由で逃げることなく向かってくるだろう。それでもかなりの数を削り取ることができるし、星術とバレにくく、更にこの恐怖を味わうことでこの場所に再度近寄れないようにさせることができる。それがこの術を選んだ理由だった。
村の西側にある建物の上から迫ってくる魔物の群を見据え、大きく息を吸い込む。
咆哮を響かせるため、気道をまっすぐに伸ばし口を大きく開ける。
更に身体強化で胸郭や声帯を強化し、音量を高める。
「(これで帰ってくれよ……!)」
こっちに来るなという願いを込めつつ、力の限りの咆哮を上げる。
「グウゥゥオオオオオオオオォォォォォォォォンンンンンンンンン!!!!」
周囲に響き渡る、轟雷のような竜の叫び。
それに込められた星術により村に向かって来ようとする魔物の群が立ち止まり、一斉に進行方向を変える。それを見た見張り台の人間が笑顔で肩を叩き合い、歓声を上げている。
来た道を戻るように踵を返し殆どの魔物が村から離れていくが、やはり逃げない魔物もいた。
ざっと数えて30くらいだ。ここまで減らせば何とか対応できる。
残ったのは蟻のような昆虫型の魔物が多く、それ以外は猪のような見た目のものとゴツゴツとした表皮の鹿のような魔物がちらほらと見えた。
そして一番の懸念だった巨人種も逃げる素振りを見せず迫ってきている。
あとはもう迎え撃つしかない。
「(ぐっ……! 凄い声だな耳を塞いでいてもこれか。確かにこれをまともに聞いたら震え上がりそうだ)」
「(でもやっぱり30匹くらいは残ったよ。茶色い蟻みたいな魔物が多いから柵を乗り越えてくるかもしれない。それにまだ巨人種も残ってる)」
「(茶色い蟻……ワークアントか。それなら村人でもなんとか対応できるだろう。硬い甲殻で剣や矢は通り難いが打撃に弱いから何かで殴りつければ倒せる。問題はやはり巨人種だな)」
「(予定通り僕が何とかするよ。まだそれ以外で向かってくる魔物もいるからそっちの対応をお願い)」
「(わかった。もう少しだな)」
巨人種だけは門の中に招き入れるわけにはいかない。広い場所でなければ動き回れないだろうし、星術を使わないと対応できないような強さなら自分が村を壊しそうだった。
村の中や中央門についてはメリエや村人に任せて草原で迎え撃つことにする。