嵐の前
翌朝目が覚めた時、自分がどこにいるかわからなくなった。
ああ、そうだった。
アスィ村の中に入ったんだった。徹夜の精神的な疲労があったようで思ったより深く眠っていたようだ。そのため目が覚めた一瞬、前後不覚になっていたらしい。
ポロは自分が起きた時にはすでに起きていたようで水桶から水を飲んでいるところだった。
「(ポロおはよー)」
「(おはようございます。クロ殿)」
挨拶をし、猫のようにう~んと伸びをする。まだ村人が起き出す時間ではないようで、村の中は朝の凛とした清涼な空気と静けさに満ちていた。ポロと一緒に昨日のうちに用意しておいてもらった朝食を食べ、メリエ達が来るのをのんびりと待った。
日が徐々に高くなり、空の青味が増してくると村人達も段々と動き出してくる。昨晩が見張り当番だった人が当番を交代したり、壊された柵や門を修理しようとする人が作業を始めたりしている。更に時間が経つと村の女性が洗濯や料理の準備をする音や話し声が聞こえてくるようになり、時折料理の匂いも漂ってきた。
明るくなって改めて竜の自分やポロを見ようと幾人もの人がまた自分達の周りに集まってきた。中でも多かったのが昨夜は見かけなかった子供達だった。きゃいきゃいと騒ぎながら興味深そうにこちらを見ているが、相手をすることもできないのでポロも自分も地面に寝そべって知らん顔をする。
朝日を浴びながらのんびりと待っていたがなかなかメリエ達が来なかったのでまた眠くなってきた。まだやることもないのだし、だらけててもいいだろうということでいつだかの森の中と同じように脱力した猫みたいに地面にでろりと伸びて二度寝をすることにした。
暫くうとうとしていると何やら騒がしくなって意識が浮かび上がった。何事かと目を開けてみたが、襲撃が始まったとか何かの事件が起こったといった様子ではない。目だけ動かして周囲を見てみると何やら村の子供達の数人が自分とポロの周りに集まって何か話しているようだった。体は動かさずに意識だけそちらに向けて何を話しているのか聞いてみる。
「お、俺全然怖くないぜ!」
「じゃあ触ってみろよ!」
「わかってるよ! 今触ってみせてやるって!」
「危ないからやめなよ……。噛み付かれるよ?」
まだ10歳くらいの男女が数名集まってどうやら度胸試しをしているようだ。竜に触って自分の勇気を示そうということだろう。ポロは周囲の状況に気付いているようだったが、特に何かするでもなく寝るときの姿勢のまま寝そべっている。さすが慣れているというだけはある。嫌がって威嚇したりしてもいいと思うが、そんなことはせずに子供の好きなようにさせてあげるとは大人だ。
そういえばメリエが見知らぬ人間が近寄ると威嚇するとか言っていたような……。でも今のポロにはそんな様子はない。まさか本当にメリエに男が寄り付かないように追い払っていたのだろうか……。本当に保護者のように思えてきた。
男の子の一人がおっかなびっくりと大人しく寝転がっているポロの尻尾に近づいて、震えながらもチョイッと尻尾に触って慌てて離れていく。自分よりポロの方が体が小さいのでそっちを選んだのだろう。ちなみにポロの体長は3m前後、今の自分の体長は5mより少し大きいくらいだ。
「ど、どうだ! 触ったぞ!」
半分泣きそうになりながらちょっとだけ触ったぐらいで何を言っているのかと思いもしたが、このくらいの子供ならわからなくもない。自分も人間の子供だった頃は、好きな女の子にアピールしようと吠えて怖い大きな犬に触ってみせ、いいところを見せようとしたものだ。……そのあと盛大に噛み付かれたけどね。
「お前が触ったのは小さい方だろ! 俺はでっかい方に触ってやるから見てろよ!」
ほう。我に触ろうと申すか。よろしい、ならば戦争だ。……いやそこまではしないけども。
まぁ危害を加える気は無いが、暇だから少しからかって進ぜよう。
男の子がでろりと寝そべって動かない自分にへっぴり腰で近寄ってきて尻尾に触ろうとしている。気付いてはいるが、まだ知らん振りして気付かない振りをしておく。
まだ気付いていないということを確認しながら恐る恐る尻尾に近づいてくる男の子。そろーりと手を伸ばして鱗に覆われた自分の尻尾に触ろうとしている。まだ動かない。
男の子の指先がチョイと尻尾に触った瞬間。パッと目を開け、ぐるりと首を回し、尻尾に手を伸ばしている男の子の目を見つめる。別に睨んでいるわけじゃなく、いつもの目で普通に見ているだけだ。
「ひっ!」
じー……。
「あっ……あっ……」
じー…………。
「…………」
だらだらと脂汗を流し、恐怖で硬直する男の子。手を尻尾に伸ばしたまま動けないでいる。周囲の子供達もハラハラドキドキといった顔で言葉を発せずに成り行きを見守っている。
暫く男の子と見つめ合い、男の子が泣きそうになってきたところでフイッと目を逸らしてまた寝そべった。また寝た振りをしつつ、男の子がどうなるか様子を窺う。
目を逸らしても暫く硬直していたようだったが、十数秒後にそろーりと手を離し、離れていくのがわかった。
「ど、どうだ! 見たか!」
さっきより小声でやや震えているが、触ってみせたことを周囲の子供達に誇示している声が聞こえる。ええ、見ていましたとも。泣きそうになってぶるぶる震えるキミの姿を。面白くて笑い出しそうになるのを必死に堪えた。腹筋が痛い。いや、竜でも腹筋と言っていいのかわからないけども。
「スゲー! 俺、もう食われちまうかと思ったよ! 勇気あるな!」
「あ、当たり前だろ! これくらい余裕だって! 竜なんか怖くないぜ!」
ふふん。何を言うかねキミは。顔にデカデカと『怖いです』と書いていたのを知っていますぞ。
チラリと片目を開けて男の子の方を見てみると、自分とポロに背を向けてガッツポーズをしているところだった。宜しい、怖くないのならばもうちょっとその勇気を試してあげましょう。
背中を向けている男の子に気付かれないように、そろーりと体を起こして首を回し、顔だけ男の子の背後に近寄る。周囲の子供達はそれに気付いてピシリと動かなくなったが、まだガッツポーズをしている男の子は気付いていない。やがて自慢していた相手が軒並み顔に引き攣らせて固まっていることに気付くと何かを察したようだ。
ギギギギと油を差していないブリキ人形が動くようにこちらに振り向くと、自分のすぐ後ろに竜の顔があったことに気付き他の子と同じようにピシリと固まった。そのまま数秒間また男の子と見詰め合う。決して睨んだりしているわけではなく、いつも通りの自然体だ。つぶらで愛らしい、クリクリの黒い瞳のままである。
最初に動いたのは一番小さい男の子だった。
「うわー!!」
小さい男の子が悲鳴を上げて逃げ出したのを皮切りに、他の子達も蜘蛛の子を散らすように走り去っていく。ガッツポーズをしていた子だけまだ動けずに固まっている。さすがにそろそろ許してあげようということで、フンスッ! と鼻息を飛ばしてやるとそれに驚いて尻餅をつき、悲鳴を上げながら慌てて他の子を追いかけて駆け出していった。
もう10年鍛えてから出直すがよい。これに懲りたら自ら危険に近寄るという愚を冒す事もなくなるだろう。今回は無害なポロと自分だったから良いものの、これが野生で生きる魔物や獣だったら本当に食い殺されていたかもしれないのだ。自分は優しい竜なので、身を持って危険を学ばせてあげたのだ。
そんなわけで、ただからかったわけではない。今の行動には自分の暇潰しと生意気なあの子に対する悪戯心と危険を教えてあげようという優しさが、7:3:0の割合で存在しているのだ。……まぁ要するにただからかっただけである。
「(あははは。あー面白かった)」
「(……大人気ないですね……)」
ポロに呆れられてしまった。いいじゃない、少しくらい遊んだって。別に危害を加えたわけではないし、先に近寄ってきたのは向こうだし。……こんな言い訳を考えている時点で大人気ないような気もするけどそこは考えないでおこう……。アンナにバレるとまた説教されそうだから黙っていることにした。
それからは特に何事も無く日が高くなっていくのを眺めていた。人が活発に行き交い、村の中も賑やかになっていく。暫くはそんな村での生活音を聞きながらポロと雑談しつつ動きがあるのを待った。
日が高く上がり、時間的には午前10時くらいというあたりでメリエとアンナがこちらにやってきた。
「(おはよう。クロ、ポロ)」
「(おはようございます。といっても随分日が高くなってしまっていますけどね)」
「(おはよう二人とも)」
「(おはようございます、お二方)」
メリエとアンナは自分達に近寄り、適当な場所に腰を下ろした。それから布を取り出すと自分やポロの鱗を磨き始める。周囲の人から見ると自分の相棒の手入れをしてあげているように見えているだろう。こうすれば長時間ここにいても怪しまれることも無い。
鱗を磨きながら話し合ったことを報告してくれる。
「(この村で戦いに参加できる者はこの村に居合わせたハンターが5人、商隊の護衛で来ていた傭兵が6人、村人の自警団が20人、村人の中から有志で参加している若者が10人と少しの計40名前後だ。戦いに参加しない者でも見張りには参加しているそうだが、襲撃の際は避難するそうだ)」
戦闘要因だけが見張りで気を張り詰めていたら疲労も溜まってしまうし、いざという時に十分な力を発揮できないので、戦闘ができなくても見張りはやらせているということだろう。
「(戦えない一般人は全て村の集会所に避難し、更に女子供はそこの地下倉庫に隠れるそうだ。この村に侵入してくるであろう経路は中央門とその逆側にある畑への出入り口の二ヶ所。中央門側は既に門を壊され、修理をしてはいるが間に合いそうも無い。他の場所は堀と柵があるので恐らく問題ないだろう。念のため出入り口以外にも見張りが立って警戒している)」
「(ということはメインで防衛する必要があるのは中央門と畑への出入り口の二ヶ所だね。巨人種が壊してきたってことは恐らく次の襲撃では中央門側から入ってこようとしてくると思うけど)」
中央門と裏口に当たる畑への出入り口には堀に橋がかけられていているので、堀を越えて侵入するならそのどちらかを通ることになる。道具を駆使して来た場合はその限りではないが、そこまで対策をするには人手も時間も足りない。いざとなれば自分が頑張るしかないか。狼のようなジャンプ力のある動物ならば堀を飛び越えたりもできるかもしれないが、堀と柵をまとめて飛び越えるほどの跳躍ができる動物はそうそういないだろう。
念のために入り口になる場所以外の柵や堀には魔物避けの香り袋を使ってもらうのもいいかもしれない。敵の侵攻ルートを絞れるだけでもかなり動きやすくなる。
「(そうだな。そこでクロの意見を聞きたいのだが、戦力の配分を考える場合、クロならどうする? 今回の襲撃では恐らくクロが中心的な戦力となるだろうから、クロの動きで色々と変わってくると思うのだが)」
最優先すべきは自分達の命と村人の安全だ。そこを考慮すると一番よさそうなのは……。
「(まず中央門の修復は諦めて畑への出入り口の防御を固める方がいいだろうね。バリケードを作って門を壊されないようにして、村の自警団は全員で畑への出入り口についてもらう。念のため傭兵の人にもそっちに行って貰う方がいいかな。ハンターの人は見張りの人と一緒に柵や堀の方の監視をしてもらう。ハンターなら弓矢も使えるだろうし柵に取り付かれたら対処してもらおう。有志で参加してくれている村人は避難する人の誘導と護衛かな)」
矢面に立てる人間はそれ程多くない。やる気があっても経験が無いだろうと思われる有志の人間を使うのはリスクが高いだろう。今回の襲撃では全方位から攻めてくるわけではないだろうし、人数の少ないハンターも一ヶ所に集中すればそれなりに応戦できるのではないだろうか。
「(ということは我々だけで中央門を護るのか?)」
「(いや、正直なところ中央門は自分一人でもいいと考えてるよ。メリエとポロにはすり抜けて村に入ろうとした魔物の対処をしてもらいたいだけで、前線に立ってもらおうとは考えてないんだ。じゃないとこっちが思いっきり動けないからね)」
中央門が一番開けていて通りやすいし、既に門も壊してあるので巨人種もそこを狙ってくると思われる。
竜の大きさで思う存分動き回るにはそれなりの広さが必要だ。村の裏手にある出入り口は小さく、狭くて動きにくいし、周囲に人間がいたら攻撃に巻き込む可能性が高い。それでなくても巨人種相手に戦うのであれば他に気を回さずに動けるようにしたい。こう言ったら何だが相当な実力者でもない限り、足手まといにしかならないのである。
「(アンナには避難する人の警護の方についてもらおうかと考えてるよ)」
「(え!? 私もクロさんと一緒に!)」
「(さすがに有志の村人だけでこの村の人全員を護るのは無理があるよ。柵を乗り越えたりして侵入してきたら数が少ないハンターや僕たちだけじゃ対処しきれない。誰かが集会所の護りも固めないと。アンナなら僕のアーティファクトも持ってるし、建物の入り口で護りを固めてくれればそんじょそこらの魔物にも遅れを取らないだろうしね)」
これは半分は本当だが、もう半分はアンナのためでもある。少し前まで普通の村娘だったアンナにいきなり多数の魔物の相手は無理があるだろう。できれば自分の眼の届く範囲にいて欲しいが、今回の場合はそれだと返って危険に晒す可能性が高い。
「(一緒には……いられないんですか?)」
心細いのか、不安なのか、アンナの表情が曇る。いや、自分が力になれないという無力感を感じているのかもしれない。
まだ戦っているところを見たわけではないが、時間と経験に裏打ちされた実力があるメリエとポロならばそれ程心配はいらないと考えている。今回はアーティファクトも渡してあるし、小型とはいえ竜種であるポロは並みの獣程度に遅れをとることはない。メリエは自分の実力と相手の力量を天秤にかけて適切な判断が下せるだけの思考力もある。
しかし、メリエと違ってアンナは戦闘において殆ど素人だ。実戦経験という意味では自分もそうだが、アンナには自分のような身を護る強固な外皮も敵を退ける力もない。アンナが最前線で戦うには実力も経験も足りなさ過ぎる。メリエが一緒に旅をしてくれるわけだし、今後の時間を使って戦うための技術を身につければいいかもしれないが、今はそんな時間もない。
ただ戦った経験が無いとはいえ、それなりに怖い思いをして場慣れはしてきている。自身を護るアーティファクト以外に支援系の能力があるアーティファクトを作ってあげれば怪我人の治療など支援や守備の面で活躍できるかもしれない。
しかし今回は正体を隠す関係でアーティファクトを村人に知られるわけにもいなかいから使えない。そのためこの村では護衛くらいしかできないので我慢してもらうが、今後のことを考えると役割をしっかり決めておく方がアンナも自分の役割を持てるし、無力感を感じることもなくなるだろう。
それにアンナには今回、他に重要な役割がある。
「(アンナ。アンナはここに来る前に言ってたよね。助けてもらって嬉しかったって。今度はアンナが助けてあげる番だよ。アンナがここの人を助けてあげて。僕やメリエの代わりに、戦えない人を護ってあげて。それにただ魔物から護るだけじゃなく、怖い思いをした事があるアンナなら不安な気持ちを抱える人を安心させてあげられると思う。これも重要な仕事だよ)」
今のアンナはアーティファクトも使えるし、怖い、辛い体験をしてきた分、その怖さや辛さを理解してあげられる心を持っている。それは自分やメリエではできないことだ。ただ力を出すことだけが強さではない。アンナなら不安を抱える村人の支えになれるのではないかと思っている。偽善や同情からではなく、本心から人を安心させる言葉をかけてあげられるはずだ。
あまり意識されないがこれは大切なことだ。侵入されたことで一般人がパニックを起こして好き勝手に逃げ惑う事態になると護り切れなくなってしまう可能性が高い。人を動かす手腕がありそうなここの村長なら何とかなるかもしれないが、今回のように村の中に侵入されればどうなるかわからない。その部分でアンナが村人を上手く安心させ誘導してくれればこちらも動きやすくなるのだ。
「(今回はこの振り分けが一番いいと思うよ。それにアンナにもメリエにも他にやってもらいたいことがあるからそれも頼みたいんだ)」
「(何をするんだ?)」
「(100や200の数の相手を50人足らずでやるのは骨が折れるから、一気に数を減らす方法を使おうかと考えてるんだけど、そのためには村の人達に対策をしてもらわないといけないんだ。自分がそれを伝えることはできないからアンナやメリエにそのことを伝えてもらっておく必要がある)」
「(……わかりました。今は私のできることを頑張ります。そしていつかクロさんの隣に立てるようになりますね)」
アンナも自分の想いを再確認したのか、決意を感じさせる表情で顔をあげた。
暫くの間作戦を話しつつ、わからない部分は知恵を出し合って方針を定めていく。村についての細かいことはメリエと村長の判断に任せ、こちらは主に魔物の処理についてを考える。
時間的に考えても恐らく明日か明後日にはまた襲撃があるだろう。アルデルの町からの援軍が到着するにはまだ4~5日はかかる。領主の騎士団に至っては更に時間がかかるはずだ。それまで何度も襲撃を受けたら村人も疲弊するし、被害も大きくなる。できれば次の襲撃で二度と襲ってこないようにしてしまいたい。
現在わかることとできることを確認し合い、あとはメリエが村長たちと上手く動くための対策を立ててくれれば何とかなるだろう。
現状でできることはこれくらいだ。自分の立場上、場を牽引できる力が在るにも関らず、どうしても根幹に関る部分に口を出すことができない。メリエがその部分をフォローしてくれてはいるが実際動くとなると思ったよりもやり難い。こんなところで人と竜との違いと不便さを認識するとは思わなかった。
その後、特に何も起こることなく日が暮れて夜になる。これが嵐の前の静けさというものなのかもしれない。その嵐が小さなものであることを願いながら広場の真ん中で眠りについた。




