二つ目の報酬
「フッフ。これはこれは可愛らしいお嬢さんじゃ。将来はさぞ美麗な御令嬢になるじゃろうの。どうかな? 今から儂とお茶でも───」
そう言いながら自分の背を下りたアンナに頷きながら、握手を求めるようににこやかに近付いてくる。そんな老人に、槍のような冷たい声が突き刺さった。
「ちょっと黙りましょうかエロジジ……いえ御爺様」
ニコニコとした学院長の背後でナルディーンが青筋を浮かべながら微笑んでいる。
アンナはそれを見て顔を引き攣らせ、一歩後ずさった。学院長のアンナに対する下世話な発言からか、それともそれを窘めたナルディーンの鬼気迫る微笑のためか……表情を見るにどっちもだろう……。
「なんじゃい、年寄りの楽しみを邪魔するとは……ナルも随分と母親に似たもんだのぅ」
「……王女殿下が御爺様に直接言わず、私を通して頼まれた真意を少しは察して下さい。母様や御婆様のご心痛も、今ならわかります」
そう言いながら溜め息をついたナルディーンは、今までの印象と随分違っていた。
出会った当初は高飛車で高慢な貴族の一人程度にしか思わなかったが、学院長の隣でこめかみを揉みながら眉根を吊り上げる姿は苦労人のそれに見える。
「(な、何だか思っていたのと違いますよ……?)」
「(この年寄り、女の匂いばかりするぞ……他の匂いも下品なものだな……色好きの変なヤツ……だが、気を付けろよ。上手く隠しているが、こいつの気配は強者のそれだ)」
ライカの進言に、二重の意味でやや警戒を強める。が、害意が無いのは自分でもわかった。それくらいを感じ取れるほどには修羅場を潜ったということなのだろうか。アンナのことを考えると、問題なのは色好きの方だ。注意しておかねば、と親心のような何かが湧き上がる。
ナルディーンに冷たい視線をぶつけられる学院長は口をとがらせるが、孫娘はそんな老人に、また溜息を吐きながら苦言をこぼした。
「ハァ……。仮にも年若い学生の前なんですから、少しはそれらしくして下さい。また不信任を出されますよ」
「儂ゃあさっさと辞めて気ままに暮らしたいから全然問題ないんだがの。さすれば余生を町の女子と面白可笑しく……」
「御婆様に言い付けますよ」
「むむっ!? そ、それはちょっと……な?」
「……陛下からこの王立研究院を任される程の才は孫として誇らしく思いますが、教育者としては……ハァ」
「まったく、実の祖父に対してその物言いはなんじゃい」
「身内だからこそ、他の方々が窘められない御爺様を、私が窘めなければならないんです」
「……フン。小言ばかり言いおって。何で我が家の女はこう小うるさいのかのぅ」
「……誰のせいでしょうね? 御婆様に御伺いしてみればわかると思いますので、すぐにでも」
「さ、さあて、それにしても立派な飛竜じゃな。幼竜にしては落ち着いておるし、アンナ君の実力もかなりのもののようだしの」
……旗色が悪いと判断して誤魔化しているな、これは。
だが、老人の目つきが先程までのものとは変わった。見透かすような切れ者の瞳で、自分の体を観察している。
ライカの言う通り、実力者というのは本物なのだろう。
「こんな場所で話をするのは申し訳なく思いますが、御爺様がどうしてもアンナさんと飛竜を見たいと仰るのでご容赦下さい。人払いに加え、音封じの魔法を掛けておきましたから立ち聞きはされないと思います」
「あ、はい。大丈夫です」
やはりそういう理由か。それだけアンナがイレギュラーとして注目を集めているということだろう。波乱は免れないか。
「アンナさん、王女殿下から聞いているかと思いますが、この学院でのサポートは私がしますから、困ったことがあれば私に言ってください」
「え?! そ、そうなんですか?」
「あら? 聞いていませんか? 私は殿下からそのように言われていましたが……その見返りにエーレズの地下書庫への立ち入りを許可してもらっていたのよ。さすがに殿下が後見人では騒ぎどころではありません。表向きはヴェルウォード公爵家が後見人で、私が実質の世話役ということになるでしょう。尤も、特例の扱いに公爵家が後ろ盾に付いているというだけで周囲の関心は集めてしまうと思いますが……そこは私と御爺様、いえ学院長が出来る限り手を回しましょう」
そういえばそんなやり取りをしていた。
セリスはこのことを見越してあの密会の場にナルディーンを呼んでいたということか。
学院長の孫娘ということは何かと動きやすいはず。根回しができるなら良い人材だろう。
それに加えて服装を見るとアラミルドと同じマントに紋章、つまり肩書の研究官の他に教官役もやっているということだ。その証左のようにナルディーンの言葉遣いも態度も、前とは感じが違う。女教師、という言葉が似合うようなものになっている。王女側とナルディーン側の利害が一致し、今回のサポート役に抜擢されたということか。
「フッフッフ。まあ、あまり役には立てないと思うがね。話に聞いている君の実力ならば年寄りの助けなど無くてもよさそうなものだがの」
「学院長、王女殿下の意向もありますし、そこは配慮してもらいませんと」
「フム、なら程々に仕事はしようかの。表向き、特例の編入生ということ以外の情報は出しておらん。王族との関係、今回の内乱への関与は出来得る限り伏せると約束しよう。まあ嗅ぎつける者は嗅ぎつけるだろうが、それはこちらではどうしようもないんで勘弁しておくれ」
その辺はやはり貴族相手ということだ。
情報を得る手段も一般人のそれとは違うし、国政に関与できる身内がいればそこからの情報を完全には遮断できない。ある程度はこちらで対処する必要がある。
何も言わなかったが、それくらいはアンナも理解しているようで驚きも無く納得していた。
「わかりました」
「先だっての飛行訓練を少し見させてもらったが、アンナ君の飛竜への造詣、そして従魔、更には……その鳥は精霊じゃな? これだけの素養を備えた君は多くの羨望を集めるじゃろう。特に精霊使いは今この学院に一人もおらん。学生だけではなく騎士団や魔術師団、魔術研究官も君に目を付けてくるはずじゃ。学院内の職員に関しては抑えられるが、学外については儂の抑止力にも限界がある」
「その件については王女殿下に私から打診しておきますが、上層部の混乱も続いているためすぐに対応は難しいかもしれません」
情報統制はできても現場の人間の目に留まることを防ぐことはできないか。アンナの正体を明かせない以上、セリスも説明することはできないわけだし。
「(まぁこれはしょうがないね。僕とライカでサポートするよ)」
「(はい。お願いします)」
「それに……ほうほう」
アンナとライカに【伝想】を飛ばしていると、学院長が自分に近付いてしげしげと観察してくる。
変に反応するのもどうかと思ったので、こちらはただじっと見つめ返すだけに留めておく。
特に反応もせずアンナの隣でじっとしている自分に、老人は視線を走らせている。尾から翼、四肢、首、角、そして顔に来たところで視線が合う。
「変わった飛竜じゃ。儂もかつては腕を鳴らしておってな、数十年も前になるが幾度か竜殺しを成したこともあるんじゃが……」
「……何が変わっているんですか? 学院長」
「そうさなぁ……何というか……うーむ……」
言い淀みながら顎に手をやり、悩むように首を捻る。
そんな老人をただじっと見つめる。今まで自分の周囲にいなかったタイプの人間に思えた。
「強いて言うなら、目の色が違うような気がするのぅ」
「……飛竜種でも若干の色の差異はあるでしょう」
「そうじゃないわい。赤白のような色ということではなく、瞳に宿るその者の本質とも云うべき色のことじゃ」
「……何ですかそれは?」
「ナルはまだ経験不足故、言われてもピンとこないかの。こればかりは勉学ではなく、経験と勘によって身に付く洞察力のようなものじゃからな。
何といえばいいか、わかる者には判るんじゃよ。相対した者の性質がな」
「性質?」
「そう。ナルだって少しは覚えがあるじゃろう。コイツは下心がある、とか、言動に裏がある、とかな。突き詰めればそういうことじゃ。幾度か見てきた竜種の瞳とは、些か趣が違うように見えるな」
「(ほう。やるなこの老人。人間同士ならまだしも、異種族でそれがわかる者は稀だぞ。相当の切れ者だな)」
ライカは感心しているが、それは自分にとっては面倒事の種になるということだ。
口封じの手段も視野に入れておくか。
「……ではアンナさんの相棒は、飛竜ではないと?」
「いや、そこまでは言わんが、普通とは違うんじゃないかと思ったまでの事じゃ。時にアンナ君、彼の竜との出会いはどんなものじゃったかね?」
「……助けてもらったんです。私が、森で襲われているところを。それで仲良くなって……」
アンナは事前の打ち合わせ通り、当たり障りのない範囲で言い淀むことなく出会いを説明する。
嘘を言っているわけでもなく、正体についても触れていない。シェリアのような嘘を見破るような能力を持っていても大丈夫なはずだと教えてもらったのだ。
「成程のう。ということはどこの群れにも属していなかった、ということじゃな。噂に聞く亜種か、将又希種かのう。これは彼の竜についても……アラミルドには念を押しておかねばならんかな」
「書庫の事といい、貴女は色々特別なのね。まあいいわ、貴女のお陰で私の研究が捗る事になったのは確かだし、その恩は出来る限り返さないとね。
では行きましょう。私が寮を案内するわ。編入している間は学院の寮を使うんでしょう?」
これも事前に打ち合わせしておいた。
学院にも休日があるのでその日だけはヴェルウォードの屋敷に戻る予定だが、それ以外は寮を借りることにしてある。
「はい、お願いします」
「御爺様……いえ、学院長。宜しいですか?」
「うむ、ではナルに一任しよう。講義でもナルが受け持つ科目が複数あったはずじゃ、目を行き届かせるには丁度よかろう。儂はアラミルドに話を通してこよう」
「わかりました。王女殿下への連絡はこちらでしておきます。ではこちらです。アンナさん」
そう言って促したナルディーンに付いて行こうとしたところで、学院長が呼び止めた。
「ああ、待ちなさい。アンナ君」
「え?」
「先程、王宮より遣いが来たのだがな、君当てに殿下からの伝言があった。君の御家族の安否が判明したそうじゃ」
「!!」
その言葉に立ち竦み、アンナの表情が強張った。
「フッフ。心配せんでも、御家族は皆無事だそうじゃ。派遣地から呼び戻すのには今暫くかかるそうじゃが、戻り次第連絡を寄越すと言っておったぞ。よかったのぅ」
それを聞いたアンナの瞳から、静かに涙がこぼれた。