外からの視点
「(ライカが言うこともわかる気がするね。まぁでも確かに異常な考え方ではあるのかもしれないけど、きっと彼らは彼らでこの国ってものに愛着とか思い入れがあるんじゃない?)」
自身を育んだ土地に愛着を持つことはあるだろう。なら、それを元通りにしたいとか、失いたくないとか考えることはあるのではないだろうか。
……話を聞く限りあの老人の考えは飛び抜けすぎていてとても賛同できるようなものではなかったが……普通の人でも郷愁に似た想いを抱くことはありそうだった。
「(思い入れ? 何だそれは?)」
ライカにはそうした概念が無いのか、首を傾げている。
「(んー何て言えばいいか……それにしかない特別な思い出とか、そんな感じかな。それがあるから意味のない物でも大切にしたくなるっていうか)」
こうした感傷みたいなものをいざ説明しろと言われると漠然としていてうまく説明できない。ニュアンス的なものだけでも伝わればいいのだが……。
「(ふーむ、やはりわからんな。思い出なら記憶に残っているだろうに。物に固執して何になるんだ?)」
「(いや、まぁそうなんだけど……それを見ることで思い出したり、懐かしんだりするんだと思うよ)」
「(んーむ。ますますわからんな。それほど特別な記憶なら忘れないだろう。忘れなければ思い出す必要など無い。それに、懐かしむなら記憶で十分じゃないか?)」
そう言われると言葉に詰まってしまう。
にしても、どこかでライカが言ったことと似たようなものを読んだ気がする。忘れねばこそ、思い出さず候……だっけ?
「(……ライカは昔のことを忘れたりしないの?)」
「(む? 私だって忘れるぞ)」
「(じゃあ忘れた時に何かを見て思い出したりしない?)」
「(全くないわけではないが……殆ど無いな。忘れるということはその程度の記憶ということだ。つまり大切ではない記憶だから忘れるのであって、忘れたくない、忘れてはならないという記憶は忘れないものだろう?)」
ふーむ。これはライカの記憶力が良いのか、記憶処理の仕方が人間とは違うと考えるべきなのか。いや、生活形態の違いも要因になりそうだ。
大切な記憶でも時間が経てば薄れていく。なので人は写真に残したり、文字や言葉で記録したりすることで記憶に留める努力をしている。
ライカ達はそうしたものに頼らなくても、強く長く記憶に留めておけるということだろうか。
或いは人間のような複雑な社会や日常ではなく、もっと単純な生活形態だから記憶する事柄と忘却する事柄が人間ほど煩雑ではないのかもしれない。
話し振りからするとどちらもありそうに思える。今のところライカが語る様を見ているとそこまで精神構造が人間とかけ離れているようには見えないので、記憶力が高く、鮮明に覚えていられるという方が理由としてはしっくりくる気がした。
そう言えばライカは初めて出会った時も、特に何も持っていなかった。今もそうだ。
ライカは生きる上で必要ない物に対する執着というものがあまりない。
これはライカが特殊というより、人間が特殊なのかもしれない。普通、野生の動物達は何かに執着するということは滅多にない。それは生きる上で必要ないことだし、そんなことをすれば生きていけないからだ。
そういう人以外の視点から見ると、確かに人間の執着心というのはどこかズレている気がしてくる。
まぁ人間の場合は他の生き物と違って生きるだけが目的で生きているわけではないから、そうした進化を遂げたのかもしれないのだが。
人間だった頃の価値観は未だ強く残っているが、人外のライカとこんな話をしていると人間という生き物を外から客観的に見ているようで、改めて自分が人間ではなくなったのだと思えてくる。
「(記憶補助のためにいちいち物を集めたりしていては身軽に動けないだろうに……クロはそうは思わないのか?)」
「(本当に大切な思い出だけなら、そこまで物だらけになることは無いと思うけどね)」
「(む。そう言えば竜種は光物に執着するんだったか……ということは、竜種もそうしたものに記憶の拠り所を求めているのか?)」
「(いや、だから個の嗜好は別だけど、古竜全体ではそういうものに執着しないよ……別の竜種はどうかわからないけども。まぁ僕もライカと同じように思うけど、人間がするように何か思い入れがあるものを大切にしたいって気持ちもわからなくもないかな)」
元々が人間だし、精神構造が古竜になったわけではない。なので人間の感じ方がわからなくなったということはない。
「(そうなのか……なら私も今度何かを持ってみるか。そうすればまた違ったものが見えてくるのかもしれないしな。うむ)」
さすが人間に興味を持って人間の都市に住み着くだけはあるな……己とは違う人間の特性を否定せず、試してみることで理解を深めようとする姿勢はとても好感がもてる。
柔軟に他を受け入れようとするライカに感心してしまった。
「(まぁ悪いものではないと思うよ。僕も思い出になるようなものがあれば持ち歩こうとかってたまに思うから。
そう言えば、アンナはどう? 何か思い入れのあるものとかある?)」
長い首を傾け、ライカと同じく真剣な表情で王女と老人のやり取りを黙って見詰めていたアンナに話を振ってみた。アンナのような女の子なら、そうした思い出の品について感じるものも多いだろう。
「(え!? えっと……そうですね。ありますよ)」
ここまで聞いてから思い至ってしまった。まずいことを聞いたかもしれないと。
「(あー。ごめんね、やっぱり家族のことだよね。つらいこと思い出させちゃったかな)」
「(……確かに家族の物もありましたけど、それは奴隷になった時に全て無くしてしまいましたから)」
うぅ……やっぱり悲しそうな顔になってしまった。これは配慮が足りなかった。
「(む、無神経でごめんね。気をつける)」
「(あ、あんまり気にしないで下さい。大丈夫です。まだきっと生きていますから。
家族の思い出の品は、今は無いですけど、他のものならありますよ)」
「(ほう。アンナも持っているのか。それはどんな思い出の品なのだ?)」
「(え!? えっと、その、ク、クロさんが私のために買ってくれた……その)」
ライカの踏み込みに消え入りそうな声で答えながら胸元に手を当てた。
「(……以前からずっとつけている首の飾りか?)」
「(……はい。クロさんと出会ってから始めて訪れたアルデルという町でクロさんが買ってくれたんです)」
「(ほほう。それはどんな思い出としてアンナの中に残っているのだ? 湯浴みの時もつけたままだったし、肌身離さずということは……)」
「(ええっとその、こ、今度! 今度お話しますよ。ホラ誰か来ましたから!)」
ライカの質問攻めにあたふたとし始めたアンナが自分達の背後を指差した。何やら興味深い内容だったが、気持ちを切り替えてぐるりと後方に首を向けると、アンナの指差した方向、廊下の曲がり角から五人の鎧を着込んだ者達が足早に歩いてくる。
「(ふむ。まぁ落ち着いたらゆっくりと聞くか。にしてもさっきの近衛とかいう連中と同じ鎧だな)」
ライカが言うように、五人ともイーリアスと同じ意匠の鎧を着けているので近衛で間違いないだろう。
「(ということはつまり……)」
五人の近衛騎士は自分達の目の前まで来ると、震えている二人の番兵に言った。
「城内衛兵長からの指示書だ。お前達は城内詰め所に戻れ。そこにいる近衛の指示に従うんだ」
そう言いながら巻紙を開いて見せる。
「は、はっ」
それを見た番兵の二人は敬礼するとすぐさま廊下を歩いていった。
その表情にはやっと離れられるという晴れやかな安堵の色が見える。
番兵が見えなくなると、近衛騎士の一人が膝をつき、頭を垂れた。それを合図にザッという音と共に残りの四人も膝をついた。しかし膝をついた先にいる相手は……。
「えっ……え!?」
五人の厳しい騎士達に跪かれたアンナはたじたじになり、驚きと困り顔で自分の方へチラチラと視線を送ってくる。
「(……何だこやつら?)」
「(近衛の人だろうけど、なんでまた……)」
「(どどどどうしたらいいですかクロさん!?)」
「(どうしたらって言われてもね……)」