孤独な戦い 2 ~セリス・ヴェルタ・アガウール~
ドゥネイルはどれについて、と問いました。つまり、理由を問われる心当たりが複数あるということ。
今この状況から考えられるものだけでも、教会との関係、ここにいる貴族との繋がり、父に気取られず軍部を掌握した手法、今日に至るまでの経緯など、細かく分ければいくらでも考えられる。
しかし、やはり核心は一つであり、全ての理由がそこに行き着くことになる。
切れ者の彼がそれをわかっていないはずが無い。要するに、私は舐められているということでしょう。
ですが、今はそれで構いません。
「……改めて問いましょう。協定を無視して教会と結託し、私の暗殺を画策してまで先の大戦での傷も癒えきらず疲弊しているこの国に、再び戦禍を齎そうとしているその理由は?」
「……」
余程の理由が無ければ、彼らのしたことは釣り合わない。
不干渉協定はギルド連合が主導で大陸全土の国々が締結している。一国の利益のためにこれを無視すれば、全ての国々から反発を買うことになるでしょう。下手をすれば周辺諸国全てが敵となるかもしれない。
そして私……王族の暗殺。
私は、よもや父の右腕であるコートニーが推進派だとは微塵も思っていませんでした。それ故、諜報部が敵として襲ってくるということは全く想定していなかった。
それに加え、当時は王女である自分の命を奪うなどという突拍子もないことを、無意識に自分の中で否定していたという節があったのも事実。まさか王族を手にかけるはずがない、と、愚かな私は思ってしまっていました。
結果、核心に迫ったことで推進派は、ドゥネイルは私を暗殺しようとした。
私はこの国に潜む闇の深さを見誤り、義憤に駆られ目先のことしか考えていなかった自分に後悔しながら、あの時、意識を手放しました。そして後悔と同時に、何故ここまでして争いを起こしたいのかということも考えていた。
戦いが再燃すれば、ヴェルタの衰退は加速します。それどころか、国として立ち行かなくなるでしょう。それは現状を鑑みれば火を見るよりも明らか。数十年に渡って国政を支えてきた者達がそれをわかっていないはずはない。
「……宜しい。セリス様は最早幼子では無い。我々は、殿下は理解して下さると、そう思っていた。しかし、最後までお解かりにはならなかったようですな」
ドゥネイルは瞑目し、静かな口調で言いました。その声には落胆のようなものを感じます。
「殿下、殿下は我々が自らの益のために事を起こした、そうお考えのようですな」
「……違う、と? 今、戦を再開する利点は無い。父は、陛下は和平を望んでいた。疲弊した国民も戦乱など望まない。ドナルカも再び矛を交え混乱を招くような真似は望まないでしょう。事実、和平には乗り気でした。
多くの意に反して行なう戦など、個人の利益以外の理由など無いでしょう?」
私の問いに、ドゥネイルは静かに語ります。子供を教え諭すように。
「では問いましょう。戦が再開された場合、私が……いや、我々がどんな利益を得るというのですかな?」
「……」
「勝てば、ですか? 勝てば我々は何かを得られる?
殿下も御存知でしょう。収奪品、賠償金、土地、権利、奴隷……戦勝時の利益は全て国に還元される。それは我々のような身分の者でも同じ。下手な手段で利益を上げようとすれば、我々の首は無い。ギルド連合も黙ってはいないでしょう。商人ギルドなどは特に敏感ですからな。
当然国を支えた文官や戦った将兵に手当ては出ますが、それは国が定めた僅かなもの。そんな僅かな手当てのために、何十年もかけて戦争を起こす? 勝てるかも定かではないリスクを背負って?
私なら、そんな無駄で気の長い話は御免です。そんなことをするなら貴族籍を捨てて商人にでも鞍替えするでしょうな。その方が余程儲けられる。
では負ければ? それこそ我々に明日は無い。我々のような身分の者がどういう扱いを受けるかなど歴史が嫌と言うほどに語っている。復讐や裏切りの種など、残すはずが無い。
殿下は我々がどんな利を得ると御考えなのですかな?」
「それは……」
確かに、ドゥネイルの言う通り。
ドゥネイルの身辺でそうした金銭のやり取りなどの話しは全く出てこなかった。出てきたとしても、それは兵を動かすための資金のことだったり、兵站の用意にかかる資金だったりといったものばかり。
ドゥネイルの懐に入る金銭については全く出でないどころか、ドゥネイルの個人資産を切り崩して根回しに使っていたりすることもあり、彼が貴族として蓄えてきた財産が目減りしている始末。
わざと負けるように仕向け、亡命を図るのかとも思いましたが、諸外国とそのような密約を交わすこともしていない。
だからこそ、私はわからなかったのです。
彼が再び戦争を起こそうとする理由が。
「……答えられますまい。そんなものははじめからないのですからな。我々は私腹を肥やすために此度の一件を画策してはいない。
まぁこの中には甘い汁を吸おうと考えている者もいるのかもしれませんが、私は違います。現に殿下が私の周囲を嗅ぎまわっても、そうした話は一切出てこなかったのでしょう?」
「では何故争いなど……何の益もないのに、国を巻き込んで……」
「……わかりませんか? 我々がずっとしてきたことを思い出しなさい。我々はこの国のために何をしてきましたか?」
「……」
考えれば考えるほど、私の頭の中は混乱します。
ここに集まる貴族達、彼らの多くがこの国を守るために尽くしてきたことは知っている。
彼らは西の辺境線で大規模な魔物の群れが現れたとの知らせを受ければ、真夜中でも城内を奔走していました。まだ子供だった私は寝ていたところを怒号で飛び起き、驚きと恐怖で父に泣きついたのを覚えています。
南部で疫病が発生した際には、城内に備蓄してある貴族用の薬を躊躇い無く送っていました。何十人もの商人がいつもの数倍の値段で薬を売りに来ても、迷うことなく国庫を開け、自らの給金を減らすことも躊躇わず、資金繰りをして買い集めていました。
北の大地が悪天候のため凶作になった際には、城内も積極的に食事量を減らして北に食料を送り続けました。あの時は毎日の空腹で勉強にも身が入らなかった。でも、城に勤める者達が我慢しているのに自分が我が儘を言えるはずも無く、私も辛抱しました。
東で他国が戦争を始めたと知らせを受けた時には、物資の流れを予測し、ギルドと連携して高騰が起こらないように夜中まで会議を続けていました。父の目にも貴族達の目にも黒い隈ができていて、皆疲れた様子だったのが印象的でした。
思い返されるのはいつも国のために働いていた彼らの姿。
「我々はいつもこの国のために尽くしてきた」
老人はギッという音と共に椅子から立ち上がる。
そして鋭い眼で私を見据えました。
「此度の一件も、全てはこの国のため、ヴェルタのため。そのためならば身命も惜しくは無い。今までの窮地と同じですよ、殿下。我々はいつだってこの国のために血と汗を流してきた」
私の頭は、ドゥネイルの言っていることが理解できませんでした。
「……戦争が……この国のため?」
「殿下、貴女が幼少の頃の戦乱で何が起きたのか学ばれたはず。
我々ヴェルタ王国は多くの版図を奪い取られた。結果、奪われた領土から得られたであろう物資、都市や村々をはじめとした人口、人材、そして国威……ヴェルタは国力の4割を失うという事態を招いた。以後十数年、我々は辛酸を舐め続けてきました。
ここで停戦、果ては和平をして何になるか? 奪われた領土が戻ってくるとでも? そんなことあろうはずもない。益を生み出す土地を手放すことは無い。
和平とは有利な者が旨味を、不利な者が屈辱をそれぞれ与えられ、押し付けられるものだ。
和平は毒です。ヴェルタを弱らせる、猛毒なのですよ」
ようやく、ようやく私は理解しました。
彼らの……いえ、彼の動機。
そして、それと同時に激しい怒りが込み上げてきました。




