証
王女はイーリアスから小さな短剣を受け取ると、指先を僅かに切る。じわりと指先に湧き出た赤い雫が、イーリアスの持った金属板に滴った。
赤黒い水滴は金属板にスッと吸い込まれるように消え、ほどなくして金属板に文字が浮かび上がる。相変わらず読めないが、これもギルドで見た自己の情報を記録して照合する魔道具なのだろう。
「セリス様、失礼致します……清らかなる温もりよ」
それが終わるとイーリアスがすぐさま王女の手を握る。数秒後に手を離すと王女の指先の傷が消えていた。癒し系の魔法を使ったようだ。
固唾を呑んで見守っていた隊長格の男や周囲の兵士達は金属板に浮き出た文字を見て硬直する。
その一瞬後に先程よりも大きなざわめきが起こった。
「セリス王女殿下!! 間違いない……」
「生きておられた!」
「これは、何が起こっているんだ……?」
「殿下……? 本当に……? ああ……神よ……」
兵達のざわめきから聞き取れる内容は概ね喜びと驚きのものだった。王女が話したように、人望は篤いということなのだろう。
だが……やはり周囲の表情の中には、快く思っていない者の顔もあった。そんな者達は一様に何故戻ってきたのだというような苦々しい目つきをしている。
しかし、動く気配はない。まぁ王女を襲おうものなら王女を慕っているらしい大多数の兵にその場で殺されるか、王女に触れる前に自分かイーリアスに叩き潰されることになるのだが。
「これで信じて頂けますか?」
「……ま、正しく……〝魅了〟などで操られている形跡もない。紛れも無く、セリス王女殿下……」
茫然自失といった隊長格の男は、表示された文字を見詰めたまま呟いた。重態で攫われた王女がこんな形で戻ってくれば仕方の無いことなのかもしれない。
「無礼がどちらか分かったか?」
「!! は、はっ……先程の失言、平に御容赦を……」
「謝罪は必要ありません。疑うのは当然のこと。イリアさんもあまり責めぬよう」
「……はっ」
威厳ある声音でそう言った王女の姿には迫力が満ちている。痩せ細り、服もとても王族が人前に出られるようなものではないのだが、それでも王女なのだと確信させる何かがあった。これがカリスマというのもなのだろうか。
「先程申しましたとおり、急ぎの所用があります。主要貴族や政務官を集めるよう父に、陛下に進言してもらえますか?」
「は、はっ……しかし、陛下は三日前、病に御倒れになられ、政務は臨時に摂政として就任された宰相であるオルゴーダ卿が担っておりますが……」
「父が! ……やはり」
成程。それで……。
シラルが王城で捕まった時には、既に王は病に臥していた。ということはシラルが王城に戻った時の対応から考えて、王に代わって国政を預かった宰相とやらは推進派の人間。それも宰相という立場を鑑みるに推進派の中心と言えるくらいの大物だろう。
開戦に踏み切れずにいた原因は国王の娘に対する愛情と王女の存在。
民を重んじ戦争に否定的で推進派の裏を探っていた王女は重体となり行動はできなくなったが、その命が繋がれている限り王は治療を優先し、報復の考えはあれど行動を起こすのはやはり二の次。
だが、その王は病に倒れ、国を動かす権限は推進派の手に渡る。
これが推進派の工作か、本当に病なのかは定かではないが、これで推進派は何者にも邪魔されず、王女の報復を国王に代わって行うという大義名分のもとに穏健派の発言を押さえ込んで戦いの火蓋を切れるはずだった。
しかし、そんな矢先にシラルが王女治療の可能性を持ち込んでしまう。王は病で黙していたとしても、王女を治療できるものを拒否すれば後々大きな問題になるのは目に見える。
推進派にとってシラルはさぞや邪魔だったことだろう。元々穏健派の中心だったようだが、それに加えて千載一遇の好機を、推進派の立っている土台もろとも壊せる爆弾を持ってきたのだから。
ここで王女を治療されれば王女暗殺の件が表沙汰になってしまうだけではなく、王から王女へと王権が移譲され、和平への流れが戻ってしまう可能性もある。王位継承権がどうなっているかまでは聞いていないからわからないが、少なくとも推進派の好きにはさせないように立ち振る舞うはず。
しかしそれを恐れて治療を拒否すればシラルやシェリアが黙っていない。元々王女暗殺が推進派によるものだという疑いを持っていたシェリア達の疑いが更に濃くなり、〝真実の瞳〟の能力も相まって折角闇に葬れそうだった暗殺未遂の真実が白日の下に晒されることになっていただろう。
どちらに転んだとしても、待っているのは待ち望んだ開戦ではなく、混乱と推進派の糾弾。
シラルが王城で捕まったのにはそうした理由のため……むしろ殺されずに捕まったことを幸運に思うべきなのかもしれない。穏健派の影響力が弱く、推進派の強行を止める力が無かったらシラルを捕らえるよりも殺す方が手っ取り早い。逆に穏健派の影響力が強すぎれば、その力を殺ぐ為に何としてでもシラルを亡き者にしようとしていたはず。
推進派と穏健派のパワーバランスが今よりもどちらかに傾いている状況だったなら、シラルが殺されていた可能性が遥かに高くなる。
「父は……いいえ。では、オルゴーダ卿は今どこに?」
「はっ。予定の変更が無ければ本日、国境の侵攻対策会議を行うため、合議の大広間に……私兵や物資を出資する主要貴族陣や戦場になると予想される領の統治を任された貴族、各大臣や政務官、将軍もそちらにいるはずです」
「合議の……丁度いいですね。広さも申し分ありません。集まっているのならこちらから出向くとしましょう」
そう言って王女は踏み出す。
それに合わせて出来ていた兵達の人垣が割れていく。
「アンナさん達も、そのままで結構ですのでこちらへ。私に付いてきて下さい」
王女は振り返りながらそう言う。
さすがに王女が歩いているのに騎手とはいえアンナが竜に乗ったままでは心証が悪すぎるので、アンナには一度降りて手綱を引いてもらうことにする。ライカは降りる気配もなく、相変わらず角に掴まって愉しげだった。
まぁライカなら幼女の姿だし、いいか……。
王女の言に頷いて手綱を操るフリをしたアンナに合わせ、ゆっくりと前に進む。ドシドシと石畳を踏みながら王女に続くと兵達が慌てて壁際まで避けていく。
「!? セ、セリス様!? まさか飛竜を城内へ!? それに身元不明の者を城内に入れては……!!」
「権威を振りかざすのは個人的に好ましくないのですが、王女たる私が許しを出したのです。それでもいけませんか?」
「あ、い、いえ……ですが王城へ従魔を立ち入らせることは禁じられています。それは他国の重鎮であっても同様、ましてや飛竜を中に入れるなど……」
「先程も言いましたが今は問答をしている時間はありません。この件に付いては全ての責を私が負います。後々貴方に責任を問うということは無いと確約しておきましょう。必要でしたら証人を立てて頂いて結構。ここには見聞きしている多くの兵や来城者もおりますし、証人には事欠かないでしょう?」
「は……ですが」
「行きましょう。イリアさん、お願いします。アンナさん達も気にせずそのまま中へ」
「はっ、道を開けよ!」
「(行くよアンナ、ライカ。アンナは常に防壁と電撃カウンターのアーティファクトを。こっちでも防壁や防護膜は出しておくけど気を抜かないでね)」
「(はい。憧れていたお城ですけど、まさかこんな形で入ることになるなんて……)」
そう言えばアンナは観光でお城を見たいと言っていた。まさか王女の後に続いて竜と一緒に入ることになるとは想像もできなかったことだろう。
「(ふふん。さてさて……面白くなりそうだな)」
ライカはまるで遊園地のアトラクションに入っていく子供のように笑っている。そんなライカの様子に一抹の不安を覚えつつ、王女とイーリアスに続いて王城の大きな入り口を潜った。




