水を駆るもの
(……よ……も……を……)
またあの呻きのような音。
声帯を含めた首は消し飛んでいる。音を出す器官を失った肉体のどこから出しているのかはわからないが、間違いなくバーダミラから出ている音だ。
まだ生きているとは考え難い姿に恨みに満ちた声のようにも聞こえる音。聞いていると背筋がザワザワとしてくるようなおぞましさがある。
不快感に目を細めた瞬間、足から生える水の触手が動いた。
ズズズと長く伸びながら鞭のように撓ると、蹴りを繰り出すかのごとく横薙ぎに振り抜かれる。
やはり防護膜を突き破るほどの威力は無く、ベシャッという粘着質な音をたてながら水の触手が防護膜の外で止まった。
「!?」
しかし触手は離れることなく、防護膜ごと自分を巻き取るように絡みついてくる。
(……が……な……い……)
また声のような呻きのような音を出し、バーダミラが動く。
片方残った足で地を蹴ると、鎚を引き摺りながら向かってくる。
「クロ!! 胸の中央部分を狙え!!」
「!!」
ライカが叫びに合わせ、向かってきたバーダミラの胴体目掛けて角を突き出した。
角はバーダミラの胸に吸い込まれると遠慮なしに突き破る。
(!? 感触が!?)
角から伝わるのは肉を貫いたものではなく、まるで液体を突いたような手ごたえの無いものだった。
すぐさま首を振って角に貫かれたバーダミラの肉体を振り払う。
吹っ飛ばされた肉体に引かれ、絡み付いていた水の触手が千切れる。残った触手は水に戻ったのか、形を失って流れていった。
「……見た目からしてそうだったけど、もう人間じゃないのは確定だよ。まるで水の塊みたいな感触だった」
「狙いは外れていなかった。胸の中央部分に源となるような力の気配があるが、効果があったようには見えんな」
「あれだけ見事に貫通しているのに、まだ動いています」
物理的な攻撃ではダメということだろうか?
胸に穴が開いたバーダミラは何事も無かったかのようにむくりと起き上がっている。千切れた足の触手もまた生えてきていた。
しかし対策は打てそうだ。
さっきまでの油断ならない機敏な動きはなりを潜め、猪突猛進に飛び掛ってくるだけ。星術を遠慮なく使える今なら厄介な水を操る攻撃も問題なく防ぐことができる。
わざわざ制御が難しい術を使わなくても、火などの簡単で目で見えるような術を使っても当てることができそうだった。
「次で仕留める。水で再生してくるなら再生できないようにするまでだ」
「……それしか無さそうだな。肉を削り取っても堪えたようには見えない。アーティファクトの特性なのか、それともバーダミラの特性なのかはわからんが、今は時間を無駄に使うわけにもいかない」
メリエが目を向けている間にもバーダミラは鎚を構えている。
水のような感触……なら凍結させるか、高温で蒸発させるかしてみよう。当たりさえすればこれで終わるはず。
「ミラ!! よせ!!」
バーダミラが動こうとし、それを迎え撃とうとしたところ、声がこだました。
制止の声を受けて、首の無いバーダミラがビクリと肩を震わせて硬直する。
その声に驚き、自分達も声の方に視線を向けた。
声を上げたのはカラムだった。
「ゲッホ……ゴホ……ハァ……やめろミラ……相手が悪すぎる」
カラムは鎧の上から腹を押さえて身を起こした。相変わらず口からは血の泡を零し、顔には冷や汗が浮いている。
手加減したとはいえ、内臓に損傷を負っているのだろう。顔色からすると致命傷ではなさそうだが、もう自由に身体を動かすことはできないはず。
(カ……ム……カラム)
首の無いバーダミラが声ともつかない声を発した。しかしさっきよりも声としてはっきり聞こえる。それにまた驚いてしまう。頭が無いのにどうやって声を発するのか。
それに声はいままでの男性の声ではなく、弱々しく小さい女性のものだった。
制止に入ったカラムからバーダミラの方に目を動かすと、バーダミラの肉体が変質しはじめる。
首から流れていた血が透明に変わり、筋肉質だった身体も半透明になり細くなってゆく。そして沸騰する水のようにゴポゴポと泡立ち、無くなった頭部が盛り上がっていく。
やがて水のような身体をした透明な人型に変わった。
「……魔物?」
「こいつは……水妖か。成程、幻獣に近い気配の理由はこれか」
水の肉体を持った人型を見てライカが驚いたような声を出した。
透明な人型は大地を滑るようにスルスルと移動し、苦しそうに膝をついたカラムをいたわる様に蹲った。
「水妖……ですか?」
「お前達人間が精霊と呼んでいるものだ。あそこまで完璧に近く人間に擬態できるということはかなり高い位格を持った個体だな。私もこれだけ上位格の水妖を見るのは初めてだ」
「上位精霊!? 精霊使いってだけでも凄いことなのに!?」
「これが精霊……ですか。私、見るのは初めてです」
スイが目を剥き、レアが初めて見る精霊に興味を示している。スイの反応を見ると凄いもののようだが、そうしたことがわからない自分やアンナは「そうなんだ」程度の反応に終わってしまった。
「精霊は自身の棲み良い環境から出てくることは滅多に無い。しかも人間には過酷な場所に棲んでいる場合が殆どだから、野生の精霊をお前達人間が目にする機会など殆ど無いだろうな。仮に近づけても警戒心が強い為になかなか目にすることができない。
我々幻獣に近い気配を感じたのは上位の力を持った精霊だったからだろう。並みの精霊はそこまで強い気配など持っていないが、更に高い位格のものは幻獣をも上回る力を操るらしいぞ」
確かハンターギルドの試験の時に、自分の前に試験官ラサイと戦ったナイアが使っていたのが精霊魔法という話だった。ハンターギルドの総長であるバークでも驚くくらいには凄いことらしいし、更に上位の精霊を使役しているということは並外れた凄さということだ。
自分は精霊魔法どころか人間の使う魔法もまだよくわからないので、違いがイマイチ判然とせず、感慨深いものは何も無い。しかし脅威ということだけは戦ってみてわかった。実力ある試験官のラサイが執拗に警戒していたのも頷けるというものだ。
「カラム……カラム……私が、戦う……待っていて……やっつけたら治してあげる……」
人型になったからなのか、さっきよりもしっかりと声が聞き取ることができた。喋る度にゴポゴポと身体が震え、傍から見ると巨大なゼリーがプルプルしているようにも見える。
水の精霊はカラムを支えるようにして胸に水の手を置き、鎧の上から悲しそうに撫でていた。
そんな優しそうな仕草を見せながら物騒なことを言う精霊をカラムは再度制止する。
「よせミラ……言っただろう、相手が悪すぎる。お前でも消滅させられてしまうぞ」
「でも……カラム……」
水の精霊を抑えると、カラムは真剣な眼差しでこちらを見回し、掠れた声で言った。
「俺達は……降伏する……出来る限りの情報を渡す。それで見逃しちゃくれないか?」




