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見えざる牙

「(またしっかり掴まっててよ! 術での攻撃がダメなら……!)」


 今度は攻撃ではなく、【飛翔】に意識を集中する。

 いきなり速度を上げた事で迫っていた飛竜との距離が開いたが、それも僅かな時間。すぐに飛竜も速度を上げて追い縋ってきた。

 そんな飛竜を一時無視し、全員がしっかりと掴まっている事を確認してから首を上向けて上昇する。翼を広げて更に速度を上げ、頭上に広がる曇天(どんてん)に突っ込んだ。


「(ひゃあ! 雲! 雲の中ぁ!?)」


 視界がゼロになったのは一瞬。すぐに雲の層を突き抜けて無限に広がる本物の星空の下に躍り出る。


「(うわー! 高ーい! 綺麗ー! 目が回るー!)」


「(これはまた見たことも無い景色だ! 退屈せんな!)」


「(まだまだ昇るよ)」


 眼下には大地ではなく、雲海が夢幻の海原のように広がっていた。

 雲の海は遥か空の彼方にまで続いており、海原が波打つように所々盛り上がったり凹んだりしている。まるで本当の水平線や地平線のように見えた。

 そしてその雲の波を優しく照らす、穏やかで青白い月の光。

 追われているという事実を忘れそうになるほどに心を揺さぶる夜空の光景だ。


 本当に空と一体化したかのような不思議な浮遊感、恍惚感、そして僅かに遅れて湧き上がる感動。まだまだ飛び続けたいという飢えや渇きにも似た渇望も同時に湧き上がってくる。

 いつだったか飛行機の小さな窓から見た夜の雲の上の景色、それが大パノラマで眼前に広がると感じ方もまるで違うものだった。


 いつまでも眺めていられるほどに美しかったが、残念ながらのんびりと楽しむ暇は無いと首を振って意識を引き戻す。

 当然追ってきていた飛竜も雲の層を突き破り、高度を上げて追い縋ろうとしてくるが、それも無視してどんどん高度を上げていく。

 そんな飛竜を振り返り見ながらひとりごちる。


「(さぁて。どこまで耐えられるかな?)」


 古竜である自分は星術の防護膜があるので、自分も背に乗っている面々も空気や寒さの心配をする必要は無い。

 だがそれが無い飛竜は高高度に潜む、見えざる牙に晒される事になる。

 そう。次に飛竜を襲うのは自分が使う術ではなく、無慈悲な自然の脅威だ。


 高高度の世界は普通の動物が生存できる限界環境の外である。

 しかしながら一部の鳥は旅客機の巡航高度である10000mよりも高い上空12000mまで飛んだ記録があるというし、8000mを超えるヒマラヤ山脈の上空を超えて飛ぶ渡り鳥もいる。

 だが鳥たちはそこで生活しているわけではなく、僅かな時間だけ耐えているに過ぎない。そこに長時間身を置いては生きていられないだろう。


 上空10000mですら空気濃度は地上の四分の一、気温は-50℃にもなり、当然気圧も低下する。地上に到達するまでに空気の分子や大気中の水分などで減衰される紫外線や宇宙線も地上に比べて高い濃度で降り注いでいる。

 それよりも更に高空となれば過酷を極める環境となる。一時ならまだしも長時間その環境に晒されれば竜でもただでは済まない。


 普通、生物の身体は自身が生活する環境に順応、適応している。それが極端に変化するということは文字通り死活問題だ。特に空気成分の濃度変化や気圧の急激な変化は身体に深刻なダメージを与えてくる。

 何の対策もせずに高高度に上がったら、尋常ならざる頑強さを誇る古竜の自分ですらそれは例外ではなかった。ならば飛竜にもその限界は確実にあるはずだ。


 仮に生まれて間もない古竜の自分の生身よりも長い時を経て成長した飛竜の身体の方が頑強であったとしても、背に乗っている人間はそうもいかない。魔法でどの程度対策できるのかわからないが、星術と違って延々と使い続けることは無理だろうし、必ず限界が訪れる。


「たっ高い!? 何だこれは!?」


 足にしがみ付いている女騎士が震えているのが伝わってくる。突き抜けてきた雲海すらもう遥か下だ。

 穏やかな月光に照らされながら満点の星空に吸い込まれていくかのように高度を上げ続ける。

 夜の高空は以前の群青の空に吸い込まれていくような感覚とは違い、文字通り宇宙を漂っているような気分になった。


 薄い高層雲が僅かに漂う星空の中、速度を緩めることなく高度を上げ続けると、やがて追って来る飛竜達に変化が訪れた。


「(む? ……何だ?)」


 ライカが後ろを見て疑問の声を上げる。

 まだ以前自分の翼が凍りついたくらいの高さには届いていないはずだが、追ってきていた飛竜の様子が変わったのだ。


 まず小さい二匹が苦しむように身をくねらせ、飛ぶ姿勢が乱れる。

 暫く溺れた動物がもがくような動きを見せていたが、二匹は高度を上げるのを止めてそのまま下降し始めた。

 騎手らしき人間が何とか竜を操作しようと手綱を引いているが、竜は下降を続けている。


 背に乗っている人間の方はまだ問題なさそうなので、思った通り何かの魔法か魔道具などを使って身を守っているいるようだ。

 人間よりも先に飛竜が音を上げたという事は、ずばぬけた頑強さを持つ飛竜を守る必要はないと思っていたのだろう。


「(……? 二匹離れていくな。どうしたんだ?)」


「(無理もないよ。今は僕が竜語魔法でガードしているから何も感じていないと思うけど、この空の高みは見た目の美しさとは真逆の地獄の世界だからね)」


「(そうなんですか? とてもそうは見えませんけど……)」


「(うん。ライカでも僕が術を解いたら耐えられないよ)」


「(失礼な! こんな(なり)でも私はそんなに(やわ)ではないぞ!

 私は炎の汚泥が流れる谷や毒風の森にも入ったことがある。そこに比べ静かで何も無いこの場所のどこに危険があるのだ)」


「(まぁそう見えるかもしれないけどさ。その穏やかな場所で、強靭な肉体を持つ飛竜が耐えられずに引き返してるんだよ?)」


「(……むぅ)」


 ライカは納得いかないような憤然とした表情になったが、苦しむ飛竜がライカの意見を否定する。

 知らないということは恐ろしい。それがよくわかった気がする。


 まぁ初めて空を飛ぶライカがそれを知らなくても無理はない。

 勿論、この世界には地球にはおらず、自分も知らないような高高度の環境に適応した生物がいる可能性もある。しかし、少なくとも自分や今追いかけてきている飛竜は高高度の環境では長く耐えられないということはわかった。


 二匹が引き返した後も暫く巨体の飛竜は追いかけ続けていたが、やがて巨体の飛竜の方も様子が変わった。飛竜はまだ余裕があるみたいで平然と上昇していたのだが、突然追いかけるのをやめたのだ。


「(クロさん! 大きい方も止まりましたよ)」


「(限界かな)」


 こちらも上昇速度をやや緩めて下方に位置する巨体の飛竜を観察する。

 高さは以前自分の翼が凍りついたくらいのところまできただろうか。防護膜を張っているのでいまいちよくわからない。


 自分のいる位置から追いかけてきていた飛竜まで距離があるので何が起こったのかまではよく見えないが、どうも飛竜ではなく乗っている人間に異変が起きたらしい。竜の背の上で人が慌しく動いているのが見えた。


「(……下りていきますね)」


 暫くすると大きい方の飛竜も高度を下げ始め、徐々に離れていった。

 が、念のため完全に見えなくなるまでは高度を下げずに待つことにする。

 どんどん小さくなる飛竜は、やがて眼下に広がる雲海の中に沈んで見えなくなった。


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