人の町とこれからのこと
空を見上げるが、相変わらずの曇り空。青空が見えないというのはどうにも気分が上向かない。
そんな気分の中だったが、草原でアンナとおやつ代わりの果物を食べて休憩した後、町の方に向かうことにする。
もっと時間のかかる移動を想定していたので、食糧には大分余裕があった。なので気兼ねなく食糧の果物を食べられる。疲れた心に甘い味は嬉しいものだった。アンナも自分の顔ほどもある果物を頬張り、顔を綻ばせていた。どうやら空での疲れは問題なさそうだ。
アンナの話では、ここからそんなに時間はかからずに町が見えてくるとのことなので、時間にはまだ余裕がありそうだった。
だがあまりのんびりしすぎると暗くなってしまう。町に着いた後も暗くなる前にやらなければいけないこともあるだろう。なので休憩も程々に移動を開始する。空の旅でテンションが上がったためか、アンナが一緒に歩きたいと申し出たので一緒に歩くことにした。しかしまだ長距離を歩けるほど体力が戻ったわけではないはずなので無理はさせないようにしなければならない。
小麦のような植物が生い茂る畑の中の農道をアンナと手を繋いで歩く。裸足で、しかも足元が良いわけでもないので手を繋いで歩く方が転ばずに済むだろうと、何の気なしに隣にいるアンナの手を取ったのだがアンナが驚いて慌てていた。女の子に対してちょっと軽率かとも思ったが、転んで怪我をするよりはいいだろう。アンナも嫌がる素振りは無かったのでそのまま手を繋いで歩いている。
時折、風が吹き抜けると畑の作物がザワザワと耳に心地良い綺麗な調べを奏でる。他に人は見えず、アンナと穏やかな時間の中を歩くのは気持ちの良いものだった。大空を飛ぶのもいいが、こんな風に静かな場所をのんびりと散策するのも乙なものだ。
しかし一時間くらい歩いた頃にアンナが痛そうに顔をしかめるようになった。どうしたのか見てみたら足の裏の皮が剥けてしまったようだ。やはり所々石や木片などがむき出しになった道を裸足で歩くのは酷だったか。
水を出して傷口を洗い、癒しの術でとりあえず治してからアンナに提案する。
「アンナ、このまま歩くとまた皮が剥けちゃうから背負ってあげるよ」
「うぅ……、すいません、迷惑をかけて……」
「元々アンナを背負って草原を抜けるつもりだったし町までそんなに距離もないから気にしないでいいよ。それにまだアンナは体が十分に回復したわけじゃないんだから無理したらダメだよ」
「はい……ではまたお願いします」
森を移動した時のようにリュックをお腹側に持ち、アンナを背中に背負って歩き始める。やはり足手まといになっていると感じているのか背負われるアンナは悔しそうな表情をしていた。アンナはまだ栄養失調気味であり、いくらか回復してきたとはいえ元気に動き回れる状態ではないから仕方ないことだろう。町に着いたら元気付けてあげよう。
アンナを背負い、土の農道を30分ほど歩いただろうか。前方に灰色の壁に囲まれた町が見えてきた。
「アンナー。町見えてきたよー」
「ホントですね。あ、確か出てきた時は畑は見なかったので、森に向かった時は別な方向から出たのかもしれません」
「そうなんだ。とりあえず近づいてみよう」
そのまま畑の道を壁に向かって進む。更に30分ほど歩き、壁の下までたどり着いた。
壁は高さ10m近くあり結構頑丈そうだった。外敵から町を守る防壁のようだ。所々に見張り台のような場所があり、鎧を着た兵士風の人間が見えた。防壁には小さな木でできた門があったのだが閉じており、受付や開閉器のようなものは無かった。
「門は閉まってるね。ここからは入れないのかな?」
別に壁を登って入れなくも無いが、それでは完全に不審者である。
「多分ここは農作業者の出入り口だと思います。村でも農業や狩りで外に出る人間のためにこうした村人専用の出入り口を作っていましたし、それと同じだと思いますよ」
「おー、なるほどね」
「どこかに中央門があるので壁伝いに移動すれば見つかると思います」
アンナの話では農業者用の門は時間制で開閉され、時間外では外敵などの侵入を防ぐために開けないらしい。その代わり中央門は昼夜問わず緊急事態で無い限りは常に開かれているそうで、行商人や旅人などの人間はそこから町に入るのだそうだ。
とりあえず壁伝いにぐるりと歩いて中央門を探す。壁伝いに歩いてみてわかったが結構な大きさの町のようだった。
暫く歩くと人や走車の行列が見えてきた。行列の周りには色々な人が屯しており、走車を引く動物を休ませるための小屋などが防壁の近くに建てられていた。どうやら行列は町に入るための受付の順番待ちのようだ。
行列には商品運搬の走車に乗った商人や鎧や武器を持った傭兵風の人、マントにバックパックを持った旅人など様々な格好をした者がいる。中には人間ではないのか、動物の耳の者や角が生えた者、尻尾のある者、更にはリザードマンのような見た目の者もいた。
割合は人間の方が多いが、見た目が人と違う者たちは外見を気にするでもなく普通に人間と話をしたりしている。彼らが母上の言っていた獣種というものなのだろうか。
さて。とりあえず町には辿りつくことができたが、ここからが問題だ。自分もアンナも町に入ったことは無いので受付で何をすればいいのかわからない。まして今の自分達は二人ともローブのような服一枚で裸足。見た目は浮浪者か難民のような格好なので、変な行動を取れば門前払いされてしまうことも考えられる。受付が在るということは犯罪者や不審者などを町に入れないようにしているはずだ。ここで対応を誤ると町に入れなくなる可能性がありそうだった。
「クロさん。入り方がわからないですけど、どうしましょうか。近くにいる人に聞いてみますか?」
「うーん。変な行動をすると怪しまれるかもしれないから、人に聞くのは最終手段にしたいね」
行列に近づきつつも、何をすればいいのかを観察してみるが受付は小屋のようになっていて何をしているのかはわからない。
そこであることを思いついた。別に人間に聞かなくても何とかなるかもしれない。
とりあえず試してみようと走車を引く動物が繋がれている小屋に向かう。小屋には馬や牛、大きな犬のような動物にティラノサウルスを小さくしたような二足歩行のトカゲのような動物もいた。どの動物も大人しくしていて、受付の済んだ自分の主人が迎えに来るのを待っているようだ。
「わぁ。凄いですね。疾竜ですよ。こんなに近くで見るのは初めてです。あっ。あっちには狗熊もいますよ」
アンナが例の二足歩行のトカゲや魔物のような生き物を見ながら目を輝かせている。確か貴族とか高名な冒険者のような者が走車を引かせる生き物だったか。割合は馬や牛が圧倒的に多く、一般人が使う乗合馬車や商人、旅人は馬や牛を使うのが普通のようだ。
試しに疾竜に近寄ってみる。体には馬に使う轡のようなものが取り付けられているが、気にする様子も無く水桶の水を飲んでいる。周囲の行き交う人には殆ど反応せず、随分人や状況に慣れている様だった。
疾竜は竜種の中では体が小さく翼も無いが、代わりに足が速い。地竜種の仲間であり群で生活し、森や草原、洞窟などに棲み処を作る種だ。
「そんなに近寄って大丈夫ですかクロさん。噛み付かれたりしませんか? 疾竜や魔物は慣れた者以外には攻撃的だったりするらしいですよ」
遠くから見る分には嬉しそうなアンナだったが、触れるほどに近寄ると恐怖を感じているようだ。牙が覗く口や鋭い目つきは確かに怖いかもしれない。とりあえず意思疎通ができるか【伝想】で試してみる。狼でできたのだから他の動物でもできるだろうと踏んでいる。
「(こんにちは)」
【伝想】で意思を飛ばすと、突然のことに疾竜は驚きの視線をこちらに向けてくる。しげしげとこちらを窺い、何者なのかを探っているようだ。
「(! ……この匂い、気配……貴方は同じ竜の血族ですか?)」
「(故あって人の姿をしていますが、古竜と呼ばれる者です。寛いでいるところをすいませんが、よかったら教えてもらいたいことがありまして)」
「(! ……なんと古竜様でしたか。失礼致しました。確かに失われた竜魔法を受け継ぐのは今や古竜の一族のみ。意思疎通を行える術を使った時に気付くべきでした)」
「(あまり畏まらなくて大丈夫ですよ。自分はそういうことをあまり気にしませんから。随分と人との生活に慣れている様子でしたので、よかったら知っていることを教えてもらえたらなと思いまして。町の入り方などがわからなくて困っていたのです)」
「(なるほど。私にわかることであればお答えしましょう)」
「(では知っていたら教えてください。町の中に入る時には何をすればいいのかわかりませんか?)」
「(私の主人が他の町から町に移動する時には、何かを門にいる人間に見せて通してもらったり、銅色をした石を5つ手渡したりして通っていました)」
何かを見せるというのは恐らく市民証のようなものだろう。それを見せて通行許可を得ているということか。そして銅色をした石というのはお金のことではないだろうか。町に入るためにはお金を払う必要があるということだろう。森で回収したお金のような物は、銅硬貨が25枚、銀硬貨が20枚あった。一人銅硬貨5枚であるなら問題はなさそうだ。
「(貴重な情報をありがとうございます。人間に随分と慣れているようでしたので、何か知っているかと思い声をかけてみて正解でした)」
「(お役に立てたのであれば幸いです。私は卵の頃から今の主人に世話をしてもらっていましたので、人間との生活が当たり前なのです。逆に外の生活や自分の仲間については全くといっていいほど無知なのですが)」
「(なるほど。……自由になりたいと思いますか? 思うのであれば教えて頂いたお礼に開放してもらうように頼むこともできますが)」
意思に反して無理やり従わされているのであれば、助けてあげたいと思った。例え育ての親だったとしても不当に自由を奪い、命を縛り付けることはいいことだとは思えない。
「(いいえ。私は今の生活に満足しています。食事の心配などもしなくて済みますし、今の主人はとても良くしてくれるのでこのまま仕えていたいと思います)」
「(そうですか。いらぬ心配でしたね)」
「(いえ。その御心遣い感謝致します)」
やはり予想通り竜種はかなりの知能を有しているようだ。意思疎通も淀みなく行えたし、人間の行動も覚えていた。町に入るのに必要なのがお金だけであれば問題無さそうだが、お金と合わせて何か身分証明が必要となると困ったことになる。教えてくれた疾竜の話しぶりだとどちらか一方があればよさそうな感じではあったが……。
「クロさん、どうですか? 何かわかりましたか?」
疾竜と自分がどんなやり取りをしているのかアンナにはわからないため、アンナから見ると疾竜と見詰め合って無言でいる怪しい人のようだっただろう。吼えも鳴きもしないが疾竜は可愛い見た目ではないので、アンナは服の裾を掴み背後に隠れて怯えながら事の成り行きを見守っていた。
「あ、うん。この疾竜の話によると何かを見せるか銅硬貨5枚を渡して門を通っているらしいよ」
「お金……多分通行税でしょうか。大きな町だと徴収されることがあると聞いたことがあります。確かカバンの中に銅貨はありましたから入れそうですね」
「まだお金だけで入れると決まったわけじゃないけど、とりあえずお金が必要になっても今持ってる分で何とかなるかもしれないね」
アンナとそんな話をしていると背後から突然声をかけられた。
「おい。あなた達。そこで何をしている?」
アンナと振り向くとそこに女性が立っていた。十人に聞けば七、八人は美人と言うであろう美麗な騎士のような女性が訝しげな視線を向けながら近づいてくる。長い栗色の髪をポニーテールのようにまとめ、動きやすそうな革鎧を身につけて、腰に剣を佩いている。整った顔立ちで、年は16,17くらいだろうか。ふくよかな体形ではないが女性的な体つきをしており、腰の剣が微妙に似合っていないように思える。しかし目つきや足運びは鍛えた人間のそれであり、雰囲気もその辺のゴロツキには出せないような威圧感というか風格があるように感じられる。
「その疾竜は私の相棒だ。私以外には気を許したことはないので、危険だぞ」
どうやら色々教えてくれたこの疾竜の主人のようだ。自分の疾竜に浮浪者のような者が近づき何かをしているのを見咎めたようだ。
それにしても武人気質というか、堅苦しい喋り方をする女性だ。居丈高ではないのだが雰囲気がどことなく男勝りな印象を受ける。
「……おかしいな。私以外が不用意に近寄ると威嚇したりするはずなんだが、キミが何かしたのか?」
「(この方が私の主人です。真面目で誰にでも優しい素晴らしい女性ですよ。まだ恋人がおらずそこだけが心配なのですが……)」
疾竜が教えてくれたが、どうでもいい情報も入っている。主人の独り身を心配しているとか、何だか竜らしくないなぁ。相棒というよりこの女性の保護者のようなイメージがついてしまった……。というかさっきの話からするとこの疾竜が近寄ってくる相手を威嚇して追い払っているのではないかという疑念が湧いた。
「あ、えと、すいません。珍しかったものでつい興味を引かれて……。別に何もしていませんよ」
まさか町への入り方を聞いていたなどと言っても信じないだろうし、余計な波風を立てるのもよろしくないだろう。なので当たり障りの無い内容で流すことにする。
「ふむ。そうか。……ん? キミは……亜人か? それに……この気配は……」
自分の瞳を見つめながらそう聞いてくる。そうだ。人間の姿でも瞳だけは竜と同じ瞳孔が縦に割れたものになっているのだ。黒目なので近寄らなければわかりにくいがこの距離だとわかってしまう。これはまずいか。
「えと、自分ではよくわからないのですが両親は普通の人でした」
明らかに外見が違うのにこれは苦しい言い訳だろうか。背中に嫌な汗が出そうだった。
「そうか。目や雰囲気が他の人とは違ったのでもしやと思ったのだが。これは失礼した。恐らく古い血筋に他種族の祖がいるのだろう。気に障ったなら許して欲しい」
「いえ。気にしてませんので御気になさらず」
ふぅ。何とかなったようだ。
「それはそうと変わった出で立ちだな。それは寝巻きだろう?」
なんと。この服って寝巻きなのか。確かにゆったりしていて寝る時には丁度良さそうだが、アンナも知らないようだったし気付かなかった。どう言い訳したものか。
「実は旅の途中で魔物に襲われまして、服を全てダメにしてしまったんですよ。なので仕方なくこんな姿でここまできたのです」
「なるほど。それは災難だったな。この近辺は定期的に教会の神殿騎士団やギルドが討伐を行っているという話だったが、こんなに幼い少女を連れてここまで来るのは大変だっただろう」
「お、幼い……確かにまだ胸は小さめですけどぉ……」
うっわ。背中側から暗い雰囲気が漂ってくる。アンナが落ち込んでいるようだ。幼い容姿を気にしているのか、これは今後地雷になり兼ねないから触れないようにしよう……。
そういえばアンナの年を聞いたことがなかったけどいくつくらいなんだろうか。痩せて体が小さかったからまだ幼い印象だが……今度聞いてみよう。
「そ、そうですね。結構遠くから来ました」
空飛んできたから半日もかかってないけど……。
「この近辺で魔物に襲われたのなら、この町から離れた場所にある双子山に竜が棲み付いた影響で、この辺まで魔物や獣が逃げてきているのかもしれないな」
竜の話題が出て一瞬ギクリとしてしまった。気取られていないだろうか。
「よ、よくご存知ですね。装備を見ると貴女も騎士かハンターなのですか?」
「ああ。私も竜を倒しに来たのだ。ギルドから各地に手練れのハンターに召集がかけられてな。どうも大型の飛竜か、もしかしたら古竜であるかもしれないらしい」
ギクギクッ!
竜の話をしだした所で女性の目つきが険しいものになった。その竜、目の前にいます。でも気付かないで下さい。
「そ、そうなんですか。えっと、実は私達は村から出たこともなかったので町にどうやって入るのかわからずにいたのですよ。魔物に襲われた時に所持品も大分失ってしまいまして」
くっ、話題変えが不自然すぎるか……。でもあまり竜についての会話でボロを出すわけにもいかない。竜について詳しい存在だとしたら人間に化けていることに感づかれる可能性もあるかもしれない。
何とか話しを違う方向に持っていきたい。
「(古竜殿。主人は古竜様方と出会ったことはないので、竜魔法のことは知りません。なのでバレることはないと思います)」
「(そうなんだ。でもさっき気配で何か違和感を感じ取っていたから、気をつけておく方がいいと思うよ)」
「そうなのか。つくづく災難だったんだな。町に入るにはまず受付に行くといい。そうだな、これも何かの縁だ。もしこの町で困ったら事があったなら訪ねてくるといい。手助けできることがあれば力になろう。大抵は総合ギルドにいると思うからな。私はメリエだ。ハンターをしている」
思った以上に親切な人のようだ。だが、不用意に関わりすぎるのも危険かもしれない。ハンターということは森で襲ってきた連中と同じということだ。自分の命を脅かすかもしれない相手とは距離を取っておく方が無難な気がするが……。
「ご親切にどうも。僕はクロ。彼女はアンナといいます」
「あ、アンナです。よろしくお願いします」
「そうか。ではクロ、アンナ、私はこの後ギルドに行かねばならんのでな。先に行かせてもらうぞ」
「ええ、では」
「(では私もこれで失礼します。またの機会に)」
「(うん。色々ありがとう)」
メリエと名乗った女性はそう言うと疾竜を小屋から連れ出し、手綱を引きながら門を潜って町の中に消えていった。突然の出会いだったが、予想以上に親切で優しい女性のようだ。見た目がおかしい自分達にも邪険にすることなく丁寧に接してくれたし、以前森の中で襲ってきたハンター達とは大分違った印象だ。
「びっくりしましたけど、格好いい女の人でしたね。疾竜を連れているということは高名な方なんでしょうか」
「わからないけど、ハンターらしいしあんまり深く関ると墓穴を掘りそうな気もするね。かといってこの町には伝手も何もないし、いざという時には協力をお願いしに行くことも考えないといけないかもね」
「そうですね。でも私を買ったハンターの人たちとは全然違う印象ですね。とても優しそうでした」
アンナも奴隷の自分を買った男達とは大分違った印象を持ったようだ。第一印象は好感が持てたし、アンナも結構好意的に見ているので少しくらいなら頼ってみるのもいいかもしれない。また彼女ではなく相棒の疾竜に情報を求めるのも悪い手段ではなさそうだ。
メリエと名乗った女性と別れ、自分達も町に入るための受付を行うべく列に並ぶことにした。やはり並ぶ人からは変な視線で見られたが気にしてもどうすることもできないので無視することにする。
並ぶこと数十分。いよいよ受付の小屋が近づいてくる。中央門の周囲には鎧をつけた門番が六人いて、列の整理や受付への案内などをしている。門番の一人はファイルのような本を持っていて時折本を開いて見ている。犯罪者のリストとかだろうか。ここからでは何の本だかはわからない。
大きな走車などは受付をしないでそのまま門を通っているものもあった。大手の商会とか予め通行許可を得ている人たちかもしれない。
自分達の番になり、小屋の中に通された。小屋の中には鎧をつけた人間が四人いて、一人は書類を書き、一人は町に入ろうとする者と面接をするため机の前に座り、残り二人は出入り口に立って見張りをしていた。
身なりがおかしい自分達を見て一瞬変な顔をしたが、すぐに仕事の顔に戻り事務的に話しかけてくる。
「見ない顔だな。この町に来るのは初めてか?」
面接担当の男性が問いかけてくる。年は40くらいだろうか。精悍な顔つきでいかにも兵士といった見た目だ。
「はい。初めてです」
ちょっと緊張の面持ちで質問に答える。
「あまり緊張しなくていいぞ。村などから初めて出てくるという人も珍しくないしな。ではどこの町でも同じだが注意事項を説明させてもらう。まず町の中での揉め事は控えること。ただし総合ギルドの管轄区ではそちらのルールが優先となるためその限りではない」
緊張していることに苦笑いをし、説明をしてくれる。最初は格好のおかしさに訝しい視線を向けていたがそんなに悪い人では無さそうだ。
あまり人の移動が行われていない世界なのか、自分達のように村から初めて出てくるといった人間も多いらしく、嫌な顔をせずに説明をしてくれた。
「次に、町に入る際は通行税を徴収している。これはどの種族も一律で一人銅貨5枚になる。ただし、市民証、ギルド発行の通行許可証かギルドカード、各国発行の通行許可証の何れかがある場合は通行税は免除される。一度町を出ると再度通行税が発生するが、特別な事情がある場合は受付でその旨を伝えてくれればその限りではない。まぁ、わからなければ受付に来るといいということだな」
「わかりました」
「では、何か通行許可を得られる証明書などはあるか? 無ければ一人銅貨5枚を払ってもらう。ああ、そうだ。君達は初めてこの町に来るのだったな。初めて町に入る場合はこの受付で名前と簡単な人相を記録させてもらっている。ま、犯罪防止のためだな」
「わかりました。通行証などは持ってないので通行税を払います」
「わかった。では支払い後に書記担当の方で少し人相を書かせてもらう。ま、髪の色とか種族とかそんな程度だ。すぐに終わる」
「はい。わかりました」
アンナの持っている肩掛けカバンから革袋を出してそこから二人分の通行税、銅貨を10枚支払った。
「確かに受け取った。では、書記担当の方で手続きを行ってくれ。文字は担当が記入するから書けなくても問題ない」
この地域の人間の識字率はあまり高くないようで、書記官が代筆をしてくれるようだ。その後、書記担当の人に名前を告げ、種族や人相を簡単に記録してもらって終了した。
「ようこそ、アルデルの町へ。歓迎するよ。案内が必要なら門の近くに案内係がいるはずだから探すといい。ああそうそう、これは忠告であって絶対じゃないんだが行政区にあるデカイ屋敷には近寄らん方がいいぞ」
「わかりました。色々とありがとうございます」
無事町の中に入ることができて、ほっと胸をなでおろした。人相や種族を記録されるといわれてどうなるかと思ったが、普通に人間といって納得してもらえた。角や尻尾があるわけではないので疑われなかったようだ。
門を通ると中央通りのような大きな通りがあり、様々な建物が見える。町並みは中世ヨーロッパ風だが、石材建築と木材建築が入り乱れていて統一感が無い。活気に満ちているが、兵士風の人間が多い気がする。巡回の警邏というには少し物々しい気がした。
「よかったですね。問題なく入れて。これからどうしますか?」
「とりあえず今夜の宿を探すことと服を何とかしたいね。そのためにはどこにどんなお店が在るのか調べたいなぁ」
門の近くに案内看板のようなものが無いか探してみたが見当たらなかった。門番の人に言われた案内係を探そうかとも思ったが、まだ時間にも余裕があるし町を散策してみることにした。アンナも初めて訪れる町であるためか色々なものに興味を示していた。自分達の懐事情が芳しくないため、買い食いなどはガマンし、とりあえず町のどこに何があるのかを確認しながら歩き回る。
暫く歩き回ると大体どこに何があるのかがわかってくる。どうやら大きく分けて4つの区画があり、それぞれ商店や宿の集まった商業区、住居の集まる住宅区、町の行政に関する施設が集中する行政区、鍛冶屋や工房などが集まった工業区に分かれていた。
商業区には他の建物よりも数倍大きな三階建ての建物がありそれが総合ギルドの建物らしかった。また、身分の高い者達は行政区の中に門兵が立った大きな屋敷を持っていて、歩いて前を通っただけなのに嫌な顔をされてしまった。ここが門で近寄らない方がいいと言われた場所らしく、一般人が用も無く行く場所ではなかったようだ。
ただやはり兵隊のような人間が多い気がした。どこに行っても鎧をつけた人間が目に留まるし、商業区の酒場や食堂にはそんな人間でごった返しているところもあった。何かあるのだろうか。
「一回りして大体どこに何があるかわかったし、買い物は次にしてまず宿を探そうか。お腹も減ったしね」
「はいー。さすがに疲れましたね……」
とりあえず疑問に思った兵隊のことは棚上げし、アンナと商業区の宿屋を見て回る。
「色々な宿がありますけど、どこがいいんでしょうね」
「そうだねー……あっ。いいこと思いついたよ」
建物の間の路地にいる猫を見つけて閃いた。アンナの手を引いてゆっくりと猫に近づく。木箱の上で丸くなっているトラ模様の猫だった。
「かわいい猫さんですね。あ、もしかしてまた疾竜のときみたいに?」
「うん。猫が知ってるかわからないけど良さそうな宿を聞いてみようかなと」
無論猫に宿の良し悪しなどわかろうはずもないが、人が多く出入りしている店や入っていく人の様子などから情報が得られるのではないかと思ったのだ。
「(こんにちは)」
「(! ……おや珍しい。変わった魔法をお持ちですね。獣術とも違うようだ。それに不思議な雰囲気……。私に何か御用ですか?)」
「(この辺のことに詳しかったら教えてもらいたいのですが、人の出入りが多かったりする建物を知りませんか?)」
「(ええ。知っていますよ。3つ先の建物が多くの人間が出入りしていますね。あそこの主人は私にもよく食事を出してくれる優しい方ですし、味もとても良いですよ)」
「(丁寧にありがとうございます。早速行ってみますね)」
「(いえいえ、お安い御用です。良ければまた声をかけて下さいな。変わったお方)」
教えてくれた猫にお礼を言うとニャーと返事をしてくれた。可愛い。撫で撫でする手が止まらなくなりそうだ。アンナも嬉しそうに一緒に撫でている。
「3つ先のお店が人気があるみたいだよ。そこに行ってみよう」
「はい。動物とお話できるなんて羨ましいですね。私も猫さんとお話してみたいなー」
動物と意思疎通ができることが羨ましいようだ。術をかけてあげることはできないが通訳くらいはしてあげようか。
「今度は通訳してあげるよ」
苦笑しつつアンナの手を引いて言われた建物に向かう。
宿の看板は読むことができないがとりあえず中に入ってみることにした。
「いらっしゃいませ。ようこそ風の森亭へ。お泊りですか?」
中に入ると18歳くらいの女性が長いさらさらの金髪を揺らし、カウンター越しに迎えてくれた。とても優しそうな女性で、頭に狐のような耳がついている。隣でアンナが女性の大きな胸と自分の胸と比べて呆然としている。やはり小さいのを気にしているようだ……。
服一枚に裸足という格好で入ってしまったが特に咎められるようなことはなかった。
「宿を探しているんですが、一泊二人でいくらですか?」
「はい。一部屋でしたら朝晩の食事付きで銀貨1枚になります」
銀貨1枚か、まだお金の価値がよくわかっていないので高いのか安いのかの判断はできない。しかし手持ちの銀貨が20枚なので泊まれないことはない。探し回るのも面倒だし、ここに決めてしまっていいだろう。明日他の宿も見てみて高ければ変えればいいのだ。
「じゃあ一泊お願いします」
そう言って銀貨1枚を手渡した。
「ありがとうございます。お泊りになる方のお名前を教えていただけますか?」
そういうと分厚い宿帳を後ろから出してきて何かを記入していた。名前と宿泊日数だろうか。字が読めないというのは思った以上に不便だ。これは文字の学習をするか、そうでなくても文字を読むための手段を確保するべきかもしれない。
「ではお部屋にご案内します。こちらへどうぞ」
階段を上がり、奥まった場所にある部屋に案内される。
「こちらになります。鍵は一応内鍵がありますが、念のため貴重品など無くしては困るものは身につけておいて下さい。食事の際は一階奥の食堂にお越し下さい。ではごゆっくりどうぞ」
「ありがとうございます」
部屋の中は六畳ほどの広さで窓が一つ。あまり綺麗ではないがベッドが2つあり、テーブルには蜀台が置かれている。
本当に寝て起きるだけしかできない部屋だ。
「私、宿に泊まるなんて初めてです。こんなお部屋なんですね」
「これが普通なのかどうかわからないけどね。それよりごめんね。男と二人部屋にしちゃって。あんまりお金に余裕があるわけじゃないから今回はガマンしてね」
「い、いえ! 全然気にしませんから! いつも同じ部屋でも大丈夫です!」
え、普通このくらいの年頃だと嫌がるものじゃないのかな。この世界ではこれが普通なのだろうか。
「う、うん。わかったよ。じゃあ食事の時間まで明日のことを話しておこうか」
「はい。明日はお店に行くんですか?」
「うん。服とか日用品を見てこよう。それとあんまりお金に余裕があるわけじゃないからお金を稼ぐ手段も考えないといけないね」
今の状態だと他にお金を使わなかったとしても20日分の宿代しかない。日本での生活を考えると服や日用品を買い揃えたらすぐになくなる気がする。必要なものを買ったらすぐに森に戻ってもいいのだが、情報収集はしておきたいし、アンナのことを考えると森での生活はあんまりいいものだとは思えない。暫くはここで生活できるようにすることを考えるべきだろう。それに考えていることもある。
「あのね。僕もアンナも世界のことってあまり知らないでしょ? 今後のことを考えて常識と知識のある人と知り合いになっておこうかと思うんだよ」
「なるほど。確かにその方がいいかもしれませんね。でもその人はどうやって探すんですか?」
「うん。それなんだけど、自分のことを知られても大丈夫な人がいいから、奴隷を買おうかと考えてるんだ」
「ええ!? 奴隷って結構なお金が必要ですよ? 私の住んでいた村でも農業奴隷がいましたけど、今のお金じゃ全然足りないくらい高いという話でしたし」
アンナは奴隷として売られている時に、自分にいくらの値がつけられていたかは知らないそうだ。ただ買ったハンターは二束三文と言っていたので高額ではなかったのだろう。
普通に考えて、何かの技能を持っていたり、体力的に優れていたりすれば値段も上がるだろうしアンナのように労働力にはならないのならそんなものなのかもしれない。
この国の奴隷制度などもよくわからないので、その辺も知っておく必要があるだろうから買うとしてもまだ少し先になりそうだが。
「実はね。ちょっと危険な方法ではあるんだけどお金については何とかなるかもしれないんだ。だからもしお金が工面できたら色々知っている学のありそうな奴隷を探して買ってみようかと思うんだ。いつも傍にいてくれれば色々なことをいつでも聞けるから助かると思うよ」
「なるほど。でも危険な方法って……大丈夫なんですか? 犯罪とかじゃないですよね?」
「うん。別に誰かに迷惑をかけたりはしないよ。何度もその方法でお金を稼ごうとするとまずい気がするけど一回なら多分大丈夫だと思う」
「わかりました。じゃあクロさんにお任せしますね。あの、こんなこと言える立場じゃないかもしれませんが、もし奴隷を買うことになるなら仲良くできるような人でお願いします」
「その辺は心配しないでいいよ。雰囲気が悪かったり一緒に居て気が休まらない人なら学があったとしても買わないから」
それはそうだろう。一緒にいて気を張り詰めていなければならないような人は欲しくないし、信用が置けなければ裏切られる可能性も出てくる。その辺はよく見極めなければならないだろう。
「まぁお金についてはすぐに調達できるわけじゃないから、ちゃんと働いてお金をもらえるようにしようと思ってるよ。生活費も必要だしね。とりあえず晩御飯を食べて今日は休もうか」
「はい。私も働き口があれば頑張って働きますね!」
やる気を出してくれているところ申し訳ないのだが……。
「アンナはまだダメ。まだ体が回復してないし、栄養のある食事を摂って体力をつけるのがアンナのお仕事だよ。だから暫くはゆっくりしていること」
「う……でもそれだと私……」
「いいの! まずは体を優先すること。約束だからね」
健康体に戻るにはまだ暫くはかかるだろう。今無理をすれば回復が遠のいてしまうし、アンナの気持ち的には受け入れ難いかもしれないが、これは譲るわけにはいかない。
「気持ちはわかるけど今はガマンしてね。回復したら色々お願いするからさ」
「はい……わかりました」
落ち込むアンナをなだめつつも、食事に向かうことにする。腹を満たせば少しは気分が良くなるだろう。受付で言われた宿の食堂に行くため、アンナの手を引いて部屋の扉を出るのだった。