朝の一時
適当に身だしなみを整えてからライカを連れて宿の食堂に行き、二人分の朝食を頼む。
今回はライカの口に食べ物を運んでくれるアンナがいないので、ライカは予め獣人少女の姿に変身して食堂までやってきていた。食堂は宿泊客以外の人間も外から食べにやってくるので別に変に思われたりすることもない。
最初は自分が食べさせてあげてもいいと思っていたのだが、女であるライカの立場で考えると男の自分に食べさせられるというのは抵抗があるだろう。ライカもアンナの時のように食べさせろと言ってくることは無かった。
ライカは嬉しそうに狐耳をピコピコ動かしながら、スプーンとフォークを上手に使い料理を口に運んでいく。かなり使い慣れている感じで違和感もない。
「んー! 美味いな!」
「……人間と同じように食べるの上手いね」
「んぐ? そりゃあこの都市に棲んで長いからな。人間の真似をして食事をするのも慣れるというものだ。別に難しいことではないし、汚れないから結構気に入っている。というかお前だって人の事を言えないくらいに馴染んでいるじゃないか。私から見ればそっちの方が不気味だ」
そりゃあ元人間ですからね……。
「それにこちらばかり見ていないでさっさと食べたらどうだ?」
「あ、うん」
箸ではなくフォークとスプーンだし、少し練習すれば使うのは難しくないか。
今までは狐の姿を痛く気に入っているアンナがいたから食事の時も狐の姿だったが、普段食事をする時には獣人の姿を使っているようだ。フォークやスプーンに慣れているのもそのためだろう。
ライカの場合、狐の姿の方が元の幻獣の姿に近いから動き回るのにはいいが、厨房に忍び込んで食事をしたりする時には狐の姿よりも手が自由に使える獣人の姿の方が食べやすいらしい。
ライカは毎度毎度アンナの残りまで食べていたので一人前だと少し物足りないらしかった。
なのでさっきのお詫びの意味も込めてオススメメニューらしいフルーツパイを注文してライカに差し出すと、満面の笑顔になって幸せそうに食べていた。
それにしても……。
「……ライカ、凄い見られてるけど……」
「気にするな。いつものことだ」
やはり整った顔立ちにピコピコ動く狐耳が可愛らしい少女の姿で笑顔を見せると、自分から見ても魅力的だ。
獣人姿のライカを初めて見かけた時も感じたが、長年生きた雰囲気がそうさせるのかアンナよりも幼く見えるのに可愛いと感じるよりも美しいと感じる割合が大きい。見た目は10歳と少しくらいだと思うのだが、少女には無い妖艶さがあるのだ。
そんな少女が「私今幸せです」といわんばかりの太陽のように眩しい笑顔で食事をするものだから、周囲で朝食を食べていた人達も男女問わずライカに見惚れている。
ライカが何を基準にして少女の容姿を決めているのかはわからないが、その容姿の美しさはアンナやメリエ以上に人目を惹いているのは間違いない。
そしてそんなライカと向かい合って食事をしている自分にも嫉妬と好奇を多分に含んだ視線が絡み付いてきているのを感じる。お陰でせっかくの朝食の味もよくわからない。
「獣人の姿になった時はいつもこうなの?」
「幻術を使っていない時は大体な。これで町中を歩くと人種の雄共が言い寄ってきて鬱陶しいから、遊んだり食事をしたりする時以外は獣の姿の方が多い。中には一緒に遊んでやるだけで食事を喰わせてくれるという雄もいるから、暇な時には人間の雄共に付き合ってやることもある」
な、ナンパされて遊んだ経験もあるのか。
しかも一度や二度ではなさそうだ。何だか負けた気分……。
「そんな軽い人間と一緒にいて、何と言うか……身の危険を感じたりしないの?」
「相手は普通の人間だぞ。獣人の姿になっていたとしてもそうそう遅れはとらん」
「あ、そうじゃなくて……こう、いかがわしいことをされたりとかさ」
「さっきの自分の所業を棚に上げてお前がそれを言うか。まぁ確かに交尾目的で近付いてくるヤツもいる。だが私がそんな下種を相手にするわけがないだろうが。下心が透けて見えるようなヤツは最初から無視か、食事だけ食べてさっさと別れる」
うぐ。耳が痛い……。
少女姿のライカを見ていると、確かに今朝体を触ってしまったことに一層の罪悪感を覚える。狐の時の姿に慣れすぎていたというのもあるのだが、ストレートな指摘を受けてさっきよりも申し訳ないという気持ちが大きくなった。
「ライカの容姿だと力ずくで無理矢理とかもありそうだけど」
「何だ、いやに心配するな」
「そりゃあそれだけの容姿なら心配にもなるよ。短いとはいえ知り合った相手だし」
それにどこか抜けている感のあるライカだし。
「……竜のお前にそんな風に思われるとは思わなかったな。しかしクロ、何か忘れていないか? 普通の人間程度なら幻術でどうにでもなる。中には私を攫おうとしたり、殺してでもという物騒なヤツもいたが、そんな愚か者は幻術で精神を粉々にしてやったわ」
ひぇ……。やることが恐ろしい。
そうだった。ライカには古竜をも唸らせる幻術があるのだ。自分も獣人姿のライカの美貌に当てられて呆けていたのかもしれない。
それに酷いと思いもしたが、同意もなく女性に襲い掛かるような人間なら自業自得だ。ましてや相手の命を奪ってまでとは弁護の余地もない。悪因悪果である。
しかし、下手をしたら今朝の自分は廃人にされていたのかもしれないのか……。背筋に嫌な汗が流れた気がする。
人心を惑わし魅了するような笑顔を振りまくライカを眺めていると、その美貌で男性を魅了したという有名な妖狐、蘇 妲己や玉藻の前を思い出したが、色気より食い気で食事に夢中なライカの場合は、蟲惑的というよりまだ愛らしいという方が勝っているかと思い直した。
フルーツパイのお陰でさっきまでの不機嫌な雰囲気もすっかり無くなり、いつも通りのライカに戻ってくれたようだ。甘いもの様様である。
「(ふー。喰った喰った。デザートも美味かった)」
「甘い物は別腹だとはよく言うけど、よく食べ切ったね」
部屋に戻って狐の姿に戻ったライカがベッドにボフンと寝転がり、朝食の感想を述べる。
旅人や労働者向けのかなりボリュームのある朝食に加え、四人前くらいはありそうなホールで出てきたフルーツパイをライカは殆ど一人で食べてしまった。人間の姿の自分もアンナやメリエに比べるとかなり食べている自覚はあるのだが、それと比べても多く食べている。
本当にこの体のどこにこれだけの量が入っているのか……食べた端から消化吸収していると言われても納得してしまいそうだ。
自分も少しだけフルーツパイの味見をしたが、甘すぎずフルーツの風味を生かしていて確かに美味しかった。しかしホールで一つ食べるのはちょっとキツイものがある。
「(食べられる時に食べておくのは鉄則だぞ。クロの方こそあの巨体を維持するのによくそれだけで平気だな……竜のお前の半分くらいの大きさしかない私でも、あの程度の食事では物足りないというのに)」
ああ、成程。
ライカは変身していて普通の狐の姿をしているが、本体は尻尾まで含めれば軽く3mは超える体の大きさを持つ幻獣だ。星術の変身とは違い、普通の狐の姿に変身していても元の巨体を維持するだけの食事を必要とするということのようだ。
この小さな体のどこにあれだけの食事が収まっていたのか疑問だったが、どうやらライカの種族が使う変身の方法のためにあれだけの食事ができるということらしい。
服を破いたりする心配をしなくてもいいのは利点だが、どんな姿になっていても元の姿を維持するだけの食事を摂らなければならないというのは欠点になるのかもしれない。
これがもしも母上くらいのサイズだと毎回の食事で牛を数頭と同じくらいの量の食事を食べなければならなくなる。そんな食事の量を一回で食べるとなれば資金的な意味でも人目を惹くという意味でも都市での生活は難しい。星術がライカの変身と同じだったら自分が人間の町に来ることはできなかっただろう。
「古竜の術で他の生き物の姿に変わると体の構造もその生き物に近いものになるからね。人間の姿になっている間は人間が食べる量と同じくらいでいいんだよ」
「(ふむ。何とも便利な術だな。それだけの利便性がありながらなぜ失われ、古竜のみが受け継いでいるのかがわからん。太古の昔には古竜だけではなく、他にも使う者がいたらしいのだがな)」
「んー、どうなんだろうね。この術を使うための星素っていうのを扱えないからかな? 昔は扱えたけど今は扱えなくなったりとか?」
「(竜語魔法の源となるという、例の星の血か。色々な気配に敏感なつもりだが私には感じることはできない。星の命を極僅かとはいえ分けてもらうということは星に認められたということだからな。今では古竜だけが星に認められた種族だということかもしれない。本当にお前と居ると退屈せんな)」
星素自体は古竜だけではなく、ライカも人間も、他の多くの生き物も宿している。それを感じることができるか、操ることができるかが星術を使えるかどうかの違いということなのかもしれない。
どうして古竜だけがという答えにはなりそうもないが、何れそれがわかる時が来るのだろうか。
そんな風に雑談も交えつつ、出かける準備をしていく。
今回は貴族に会いに行くということでいつもの寝巻きっぽいワンピースのような服ではなく、町で買ったちゃんとした服を着ていくことにした。こんな時のためにわざわざ買ったわけだし。
カバンからアンナが選んでくれたものとメリエが選んでくれたものを取り出し、どちらを着ていくか考える。
アンナの方は本当に一般の市民と同じ街着だ。町中を歩き回るなら丁度いいが正装とは程遠いし、これで貴族に会いに行くというのはちょっとまずいかもしれない。
対してメリエの方は戦う者といった感じの動きやすいものだ。ハンターが着ている分には変ではない。仕事をしに行くという意味では街着よりはこちらがいいか。
メリエもこの服を買う時にフォーマルなものをと言ってこれを選んでいた。ということはこれでもフォーマルとして扱われるということだろう。ということで今回はメリエが選んでくれた冒険者やハンターっぽい革で補強された服を着ていくことにする。
久しぶりに袖を通すまともな服にちょっと新鮮な気分を味わいつつ、手際よく着替えていく。鏡は無いのでライカに変なところが無いか見てもらうことにした。
「どお? 似合う?」
「(人間の服のことを私に聞かれてもわからん)」
何ともそっけない返事である。美的感覚の違いもあるので仕方ないのか。
「じゃあ町の人間と比べてどう?」
「(見た目は町の人間と同じだな)」
それなら変なところは無いということだし、いいか。
「(……私は服というものを好かない。よくそんなものを着られるな。動きの邪魔になって仕方が無いだろう。服なんて寒さや怪我を防ぐ術を持たない人間が身に着ける物だ。私には立派な毛皮があるし、お前には強靭な竜鱗があるじゃないか)」
やはりライカの視点からだと竜の自分が服を着るというのは奇異に見えるようだ。日本ではたまにペットの動物に服を着せている人を見かけたことがあるが、ペットの動物達も同じように思っていたのだろうか。今となっては確かめることもできないが、意味も無くそんなことを考えた。
「今回は仕方が無いよ。僕はライカみたいに変身で服を出せないし、変な服で会いに行ったら目立ってしょうがないし。まぁ変身の時は困るんだよね。その点はライカが羨ましいかな」
最悪の場合は服を破いてしまうが仕方が無い。そうなったら選んでくれたメリエに謝ってまた買いに行こう……。
「(人間に合わせる苦労は知っているが、幻術を使えないお前ではその苦労も倍増か)」
「その代わり人間と同じように過ごせるってのもあるけど、これは利点もある反面、不便なこともあるんだよねぇ」
竜の自分では脱皮をはじめ、隠さなければならないことや心配事が多い。ライカとは違い、都合よく誤魔化せる方法が限られているのでライカの言うことは尤もである。
自分には人間だった頃の価値観があるため、さほどストレスを感じないで過ごせているが、これが野生動物だったらこうはいかない。町中でずっと人間に合わせて生きるのは例え古竜でもストレスですぐに変調を来たす事だろう。
人間の社会に比較的長いあいだ接してきたライカがこう思うのだから、どれだけ人間の生活が野生の生き方からかけ離れているかがよくわかる。
そんなことを考えていて、ふと思った。
これだけ大変にも拘らず、かつて人間と共に暮らし竜人の祖を産むことになった古竜はどんなことを想いながら人間と過ごしてきたのだろうか。
【竜憶】では記憶や情景を引き出すことはできても、当時その竜がどう思っていたか、どんな感情を持っていたのか等は知ることができない。情報を引き出した竜が勝手に想像する事しかできないのだ。
もし【竜憶】で感情や気持ちまで知ることができ、それらを共有する事ができてしまうと、情報を引き出した竜は記録した竜の想いの影響を受けることになる。
例えば竜人の祖を産んだ竜のように人間に強い愛情を持った竜が記録と共に愛情を遺してしまった場合。人間を知らない竜がその記録を引き出した際に、引き出した竜は人間を知ると同時にその強い愛情に感化されてしまうことがある。そうすると人間を知りもしなかった竜がいきなり人間に強い愛情を持ってしまうということが起こってしまう。
これが愛情ならばまだいいが、強い怒りや憎悪、殺意の感情だったとすればどうなるか。記憶を引き出した竜がそんな感情に感化されてしまうと人間に対して強い敵愾心を持ってしまい、人間を滅ぼそうと考えるかもしれない。
同じように強い嫌悪が記録されると見たことも無い存在に嫌悪感を持ったり、強い好奇心が記録されると本人が興味もないことに執着してしまったりといった困った事態が発生することになる。
こうしたことを防ぐためなのか、意味も無くそうなっているのかはわからないが、経験や技術といった情報以外の感情や気持ちなど、情報を引き出した竜が影響を受けてしまうようなことが【竜憶】に記録されることはなく、客観的事実だけが遺されるようになっているらしい。
その情報を引き出して何を感じ、何を思うかは引き出した竜に委ねられているということだ。
母上が自分にそれを説明してくれた時、竜の強い想いも後世に遺す方法があるということも一緒に教えてくれたが、それは【竜憶】のように多くの竜が共有することはできない方法だった。
ライカの指摘により以前【竜憶】で調べ、自分と同じように人間と過ごした竜のことを思い出し、その竜の苦労と抱いた感情に想いを馳せながら黙々と作業を進めた。




