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報恩謝徳


――土御門、晴明邸


「本当に女子一人で訪ねて来るとは…よく、これまで無事でいられたものだ…」


「いえ、先程死にかけましたので…無事とは言い難いです」


 今だ、あの美しい月は頭上でぼんやりと輝いており、庭の尾花が黄金色に光っている。


 どうやら晴明様は、そちらの景色がどうしても気になるようで、先程から全くこちらを向こうとしない。


 確かに、この風景は絶景だと言っても良い。

 しかし、話を振っておきながら、このような態度を示されると、少々腹が立ってくる。


 そんな私の不穏な気配を感じたのか、晴明様は口元の涼しげな微笑を崩すことなく、こちらに視線を向けた。


「そう言うな。助けてやったではないか」


「あ、はい。その節は、本当にありがとうございました。もしあのとき晴明様がいらっしゃっらなければ、私はあのまま取り殺されていたかと思われます」


 すると、表情の読みにくい晴明様の顔が、明らかに怪訝な色を示した。


「…天崎の家の者であるのにか?」


 つまり、こういうことなのだろう。


 かの有名な祈祷師一族の末女である私が、何故あの程度の鬼を粛清出来なかったのか…。


 その上取り殺されていたかもしれぬというのは、一体どういう事なのだ、と。


 本音を言えば、そのようなことを他人に聞かせる筋合はないし、聞かせたくもない。


 しかし、この陰陽師に虚言を話したところで、信じてもらえるとも思えない。


 第一、この場を上手く切り抜けられるような虚言が思い浮かばない。


 やむを得ないだろう。


「実は…私は術が使えぬのです」


「…ほぅ」


 もっと驚かれると思っていたのに、この反応の薄さは想定外だった。


 安心したのは事実だが、少し寂しいような気も、しなくはなかった。


「驚かれぬのですか?」


「いや、驚いているさ」


『どこがだ…!』


……とは言えず、私は驚いているとは言い難い表情をしている晴明様に、冷ややかな視線を送っていた。

 すると、晴明様は困ったように笑いつつ、さらりと弁解した。


「しかし、私が下手に驚けば、話しづらくなるのは其方のほうではないか?」


 的確な指摘だ。

 確かにあの場で大袈裟に驚かれていたならば、私は話す気を失っていたに違いない。


「その通りです。すみませんでした」


「謝るな、して、何故其方は術が使えぬのだ?」


『この方には敵わない…』


 早々に観念した私は、全てを話してしまうことにした。


「恥ずかしながら…私は生まれてこの方、一度も術を習ったことがないのです」


「それは、妙だな…」


 代々天崎家では、女が身重になると同時に、そのやや子への教育が始まる。

 その法は、門外不出の秘法とされており、他家の者に漏らされることは決してない。


 ただ、数ある噂の一説には、身重の女に何らかの術をかけ、腹のややに呪や経を聞かせている、とある。

 所詮噂は噂で、その真相は定かでないのだが。


 いずれにせよ、その教育あればこそ、天崎家の永く続くその血脈と確かな地位は、脈々と受け継がれてきたのである。


「…天崎の者は個々の能力が非常に高く、故にその少人数にもかかわらず他家に劣ることはない、と聞いていたのだが?」


「…はい、その通りです」


「だが、其方は術を習っていないと?」


「はい…」



 これまであまり直視してこなかった問題をずばずばと切り込まれ、流石の私も僅かながらに凹んでいた。

 しかし、そんな私を余所に晴明様は何やら考え込んでいるようだ。


 目上の方の思考を遮るのも如何なものかと憚られたが、そのまま放っておかれるのもまた退屈であった為、私は怖ず怖ずと、声を掛けてみる。


「あ、あの?晴明様?」


 すると、ちょうどそのとき晴明様の思考が、ある一点に辿り着いたようだ。


「…それは、其方が此度私のもとへ遣わされてきたことと、何か関連があるのかもしれぬな」


 私が術を教えて貰えぬことと、此度の遣いの関連性…いくら考え込もうとも、その答は容易には出てこない気がした。そもそも…


「あの、何故私は貴方のもとへ遣わされてきたのでしょうか…?」


 我ながら、間の抜けた質問だということは重々承知していた。

 しかし、何も聞かされずに此処へ向かうように指示されたのも、また事実。

 その答無しには、二点の関連性など見出だせるはずもない。


 何より、初めから気になっていた。

 ある日突然呼び出され、目的も聞かされずに京へ向かえと命が下りたのだ。

 いい加減、この訪問の目的が知りたかった。


 案の定、晴明様は一瞬驚き、その後その微笑をより深いものにした。


「覚栄殿も人が悪い…では其方はわけもわからぬままに、この地を目指してきたのだな」


「…はい」


 自分が笑われているわけではない、ということはわかっているのだが、やはり何とは無しに恥ずかしかった。


「…いや、其方は何も悪くは無い。しかし、私から伝えねばならぬのか…」


 渋る晴明様に、私の不安は更に高まる。


「…そんなに言いづらいことなのですか?」


 覚栄様のことだから、また突拍子もないことなのだろう、と覚悟はしてきたものの、やはり、いざ聞くとなると…恐ろしかった。


「…そうだな…直接俺から話すより、覚栄殿からの文を見てもらったほうが早いだろう」


 何だかんだで説明から逃れた晴明様は、何やらそこらへ視線を巡らせている。


『…まさか…なくした?』


 一瞬過ぎったそんな考えを、私は瞬時に嘲笑した。


『そんな馬鹿なことがあるはずが無い、何せこの方はかの有名な陰陽師。失せ物なんて…』



 …そのとき、私は自分の目を疑った。



 先程までこの部屋は、私と晴明様、二人きりであったはずなのだ。


 しかし今、晴明様の隣には…一人の女性がしんみりと控えていた。


「え…えぇ!?」


 取り乱す私を、晴明様は面白そうに眺めている。


「そう驚く程のことではないだろう、なぁ、紅葉(くれは)


 紅葉と呼ばれたその女性は、深紅の衣を纏い、切れ長の美しい目をしていた。

 たおやかな乙女、というよりは凛々しい女性、といった雰囲気だ。


 すると紅葉さんは、思わず見惚れていた私に向き直り、深々と礼をしてきた。


 慌てて礼を返しつつ、私は紅葉さんの正体を推測していた。


『恐らく…』


「さて」


 晴明様の声に反応し、俯いていた顔を上げてみると、晴明様の右手には小さな巻物が置かれていた。


「ご苦労だったな、紅葉」


 その言葉を聞き届けると、紅葉さんは、軽く一礼した後すっと立ち上がり、音も無く奥の間へと消えていった。


「…晴明様、紅葉さんは…式神ですか?」


 私の何の気無しの質問に、何故か晴明様は苦笑をもらした。


「少々、先が思いやられるな…」


「え?先が…何ですか?」


「いや、気にするな。それよりもだ。これを…」


 そう言って晴明様は、先程紅葉さんが運んできた巻物を、私に手渡した。

 恐らくこれが、覚栄様が晴明様へ宛てた文なのだろう。


 私は緊張の面持ちで巻物の紐を解き、その内容に一通り目を通した。


「こ…れは…一体…」



「まぁ、そういうことだ」



「…私が…晴明様の弟子に…?」


 生家を離れねばならぬというのに、不思議と悲しみはなかった。


 あの家で過ごした時…けして嫌な思い出のみという訳ではなかったのだが、何故か執着する程のものではないような気がしていた。


 周りの者達は、術を使えない私を、虐げるでもなく、大切に扱ってくれていたと思う。

 それは、有り難くもあり、また寂しくもあった。


 まるで、同情されているような…憐れまれているような、そんな気がしてならなかったのだ。

 あの腫れ物に触れるかのような扱いには、もうこれ以上堪えられなかった。


「…晴明様は、どのようにお考えですか?」


「そうだな…」


 そこで一旦言葉を切ると、またすぐに口を開いた。


「その文を拝見した際、不思議ではあったのだ。何故、かの天崎家の者が、私なんぞのもとへ弟子入りなど…と」


『謙遜だ…』


そうは思ったものの、私は黙ってその言葉の続きを待った。


「だが、術が使えぬ、ということならば、まだ私にも教えられることがある」


「はい」


「私はこれまで、弟子というものをとったことがないのだが…それでもよいのであれば、歓迎する」


 私は内心、とても驚いていた。

 こんな厄介者を、平然と受け入れてもらえるとは思っていなかったのだ。


「私のことより…其方はどうなのだ?生家を出ねばならぬのだぞ」


「…私には…不思議とあの家への執着心はありませんし、以前より陰陽術を心得たいと思っておりました。それに何より…」


 私は何故かそのとき、晴明様に救われたときのことを思い出していた。


 あの鬼が、今頃どうなっているのか…。

 あの武者が、一体何者だったのか…。


 今だに様々な疑問が渦巻くが、今思い返していたのは、そんなことではなかった。



――月を背に私を見下ろす、この世の者とも思われぬ程に美しく…冷たい微笑。



「…貴方には、御恩がありますから。此処で恩返しをさせて頂きます」


「そういうことか。それは…楽しみだな」


「はい、宜しくお願い申し上げます」





――あのときの私は気づいていたのだろうか。



 あの冷たい微笑の、本当の意味に。



 嘘で隠してしまった…私の…真実の心に。

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