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邂逅遭遇

――その出会いは、あまりにも突然過ぎた。


 あれが、偶然であったのか、必然であったのか…


 そのようなことは、今更考えても詮無き事なので、あえて悩みはしなかった。


 仮にあの方に尋ねてみたところで…果たして私では、ものの半分も理解出来ないだろう。


 故にこの先もそのような答を求めるつもりはない。



 ただ、一つ言えるのは。


 私が、今もまだこの世で生きていられるのも…


 こうして、自分の使命がまっとう出来ることも…


 とりあえず、明日の暮らしには困らないのも…


 つまるところ、あの方のお陰だということだ。



 これは、恐ろしくも、なかったことにしてしまうには、あまりにも惜しい…そんなある夜の出来事。



―…恐ろしい程に美しく、大きな月が、秋の夜空に浮かんでいた。


 私はその夜、笠に投げ込まれた僅かな銭を袋に詰めながら、やや霞んだその月を、見つめていた。


 中秋の名月はまだ先であるはずなのに、余りに明るく、大きなその月。


 初めから、僅かな違和感は覚えていた。


 しかし、そのような瑣事などどうでもよくなるくらい、その月は美しかった。


 橙色と言われれば、そのようにも見える。

 白色と言われれば、またそのようにも。

 黄、銀、青、朱…どの色にも当て嵌まらず、しかしどの色であっても頷ける。


 そんな、不思議な月の輪であった。



 どのくらい、その場に立ち尽くしていたのか…


「…申し、申し、」


 私は、その微かな声で我に返った。


 細く…今にも消え入りそうな女性の声であったが、今となってはそこまで鮮明には覚えていない。


 何はともあれ、その声の主を探して辺りを見回すと、橋傍の柳の下に、これまた大層な身なりの女性がひっそりと佇んでいるのが見えた。


 あのとき感じた、得体の知れない胸騒ぎは、未だ克明に体に刻み付いている。


 しかし「胸騒ぎがする」という理由のみで、この高貴なお方の話を無視するわけにはいかなかった。


 もし道に迷われているのであれば、自分の可能な範囲でお送りしなければならない。


 その他何かお困りのことがあるのならば、これも出来る限り力になりたいと思った。


 だが私は一瞬、「本当にこんな綺麗な女性が自分などを呼んだのか…?」と返事をするのを躊躇った。


 しかし、この辺りには他に人の気配はない。


 それに既に、「あの視線は自分を捉えている」という確信めいたものが湧き上がってきていた。


 勿論、いくら月が明るいと言えども、笠を被った女の顔など、見えるはずもなかったのだが。


 とりあえず、私はその女性に声をかけてみることにした。



「あの…私のことですか?」


「はい…貴女様を…お待ち申しておりました…」



 やはり、自分を呼んでいたのか、と納得したが、次なる疑問が浮かんできた。


 自分には、この女性に覚えが無い。


 これでも、人の顔と名を覚えておくのはかなり得意なほうなのだが、いくら記憶を探っても、見つけることが出来なかった。


 誰かの遣いで来たのだろうか…。


 それにしては、身なりが美し過ぎる。


 時間も遅いし、何より、自分が今ここにいたのは単なる偶然に他ならない。



 一体、どういうことなのだろう…。



「私に何かご用ですか?」



 案ずるより産むが易し。

尋ねてみればわかることだと、私はぐだぐだと悩むことをやめた。


 すると、先程まで柳の下にいたと思っていた女が、いつの間にやら目の前に移動していた。


 そして、軽く一礼したあと、再びその口を開いた。



「主人がお待ち致しております…どうぞ…私と共においで下さい…」



 その口ぶりに、やはり遣いの者か、と納得しかけたが、何かが引っ掛かる。


 そもそも私などを招く人物にろくな人間はいないはずだ。

 こんな綺麗な女性が遣わされて来るなんて…どう考えてもおかしい。


 しかし、わざわざ呼びに来てくれたこの人を、独り帰らせるのも気が引けた。



「わかりました」



私は促されるままに、その場を後にした。


 そもそも、私がここ、京に上って来たのには理由がある。


 私は、天崎家代表として、さるお方にお目通し願いに参ったのだ。


 何の為に遣わされたのかは、正直なところ自分にもわからない。ただ、


「行けばわかるわい!」


…とのことだった。



 我が天崎家は、人数こそ少数ではあるが、その実力は言わずと知れた有名な祈祷師一族だ。


 祈祷というのは、病、悪天候、不作など、人の力ではどうすることも出来ない問題を祈りによって良い方へ導くこと。

 所謂、陰陽術の一種だ。


『それにしても…』


 仕方のない事だとはわかっているのだが…改めて思い返してみると余計にやるせない。


 代表としてならば、他にもっと優秀で相応しい方々が、家には沢山いるのだ。


 それならば、何故私程度の者が遣わされたのか…。


 理由は実に単純明快。

……厄介払いだ。


 しかし、それに気づいたところで、今の私の立場では上からの命に背くわけにはいかない。


 つまるところ、私に残された道は唯一つ。

 大恩ある覚栄様の命に従い、そのつとめをきちんと果たし戻ること。


 本来なら、このような道草をくっている暇も無いはずなのだが、人の世を守る職に就いている以上、自らが人を困らせるわけにはいかない。


 もし私がついて行かなければ、一体この女性は、主人にどのような目に遭わされるのだろうか…わかったものではない。



 それにしても…先程から何か妙だ。


 漸く辿り着いたと思っていた京の町。

 元々、御所の北東を目指して此処まで歩いてきたのだ。


 それが、この女について歩き回っているうちに、いつの間にやら細い路地を複雑に入り込み、全く知らない道を歩いていた。


 それも、心なしか更に淋しい方へと向かっているような気がする。


 本当にこんな所に、この女の主人とやらは住んでいるのだろうか…。


「あの…そのご主人といわれる方は…どちらにおられるのですか?」


「……もう…じきに…」


「それでは、そのご主人の御名をお伺いしたいのですが…?」


「………」


「私の知人なのでしょうか…?」


「………」



 とうとう黙り込んでしまった女に、更に不信感がつのる。


 やはり、おかしい。

初めから少し浮世離れした女性だ、というのは薄々感じていたが…明らかに纏う雰囲気がこの世のものでは無いような気がしてきた。


 砂利の上を歩いているのに、それでも足音一つ立てることが無い。



『…まさか……ん…?』



 そのとき、私の疑いは確信に変わった。

 その圧倒的な光景によって…。



――…影が……



 今宵は闇を照らす月の輪が、非常に近く、また大きく輝いているのにもかかわらず、その女には…影が無かった。



『妖しの者…!』



 だとすると、これ以上この女に、のこのことついて行くわけにはいかない。


 私は歩みを止め、前を先導する女を睨みつけた。


 すると女は、私の足音が止むと同時に自らもまた立ち止まり、ゆっくりと後ろを振り返る。



「…いかが…なさいましたか…?」



 よく言ったものだと呆れつつ、私は必死でこの場を逃れる算段を立てていた。



「いえ、少し気分が悪いみたいです…。

すみませんが、訪問は次の機会に…というわけにはいかないでしょうか?」


「…それでしたら…主人の屋敷は…もうすぐそこですので…どうぞ…そちらでお休みになられては…?」


「いえ、でも、悪いですし…」


「…お気になさらず…主人は貴女様を…歓迎致しております故…」



 どうやら、どうあっても私を帰すつもりはないらしい。


 どうしたものか、とその場に立ち尽くしたまま考えていると、不意に、袖を強く引かれる気配がした。



「…お急ぎください…」



 私は思わず出そうになった悲鳴を必死で飲み下しながら、その女の手を振り払おうと…したのだが…。



「さぁ…早く…」



 その女の力は、もはや女のそれではなかった。


「離してください…!」


 抵抗すれば、女の力は更に強まり…逃れられない。


 いや…女に引きずられているわけではない…自らの意思に反して、体が勝手に前進しているのだ…!

 そう気づいたとき、体中に悪寒が走った。


 一体、何処に向かっているのだろう…


 せっかく後少しで、目当ての人物に会えるところであったというのに。


 こんなところで、殺されてしまうのだろうか…。


 それにつけても、つくづく自分はついてない…と思わざるを得ない。


 仮に、今回遣わされたのが私以外の家の者であったならば…祈祷師でありながら妖しの者に騙されるなどという…このような失態を演ずることは無かったはずだ。


 まったく、自分が情けない…。



 そのようなことを考えている間にも、私は成す術も無く女に袖を引かれ、着実に前へと進んでいた。


 このままでは、まずい!

 わかってはいるのだが、こんなときにどうすれば良いのか…わからない。

 そもそもわかったところで、私に何が出来るというのだろうか…。

 …結局、されるがままになるしかないのだろう。



 そのとき、急に辺りの空気が生温くなった。


 嫌な予感が、した。


 恐る恐る、落としていた視線を、前方へと戻して…絶句した。


――そこにいたのは…



「…っ……!」



『…鬼!?』



 あまりにも、恐ろしくて…悍ましくて…声が出てこない。


 背丈は、一丈(約三メートル)を遥かに超えており、肌の色は…赤土色。

 その髪は逆立ち、茫々と天へと伸びている。

 目は黄土色に爛々と光り、口は左右に大きく裂けている。そこから覗く…鋭く尖った牙…!



「…ご主人様…お連れ致しました…」



『……!?』



 この鬼が主人…!?


 私は、絶望した。

どう考えても無事では済みそうにない。


 これまでも、何度か鬼を見たことはあった。しかしながら、これ程巨大な鬼は今日が初めてだ。



『や、嫌…!!』



 助けを求めようにも、声すら出ない。



「ほぅ…この娘が…天崎が末女…」


『…何故、それを!?』


「知っておるか、娘?徳の高い者を我等妖怪が喰らうとな…我等の寿命が延びるそうな…」


『まさか…!』


「今日は良き日じゃ!!まさか、かの天崎家の者を喰らえるとは!!」



 何てことだ…自分は、こんなところで鬼に喰われてしまうのか…。


 私は迫り来る鬼のあまりの恐ろしさに、ただただ呆然としているより他に…仕様がなかった。


――そのとき…



「……え…?」



 急に目の前が見えなくなった。

 いや、正確には…前方に何か巨大なものが現れて、それによって視界が遮られたのだ。



「一体何が…」



 不思議と、声も出る。

直感でしかなかったが、それでも私は確信した。


 このものは…いや、この者は…敵ではない。


 眼前に現れたのは、これまた巨大な…兜を被った、武者だったのだ。



――この世の者でない…



 それはすぐにわかった。

それでも、けして恐ろしくはない。

 私は素直にその武者の背に庇われていた。すると…



「徳の高い者を喰いたいのか?…それでは、私を食んでみるか?」



 すっと…一人の男が武者の隣に現れた。


 今のこの状況では、これ以上何が起ころうとも、さほど驚きはしなかった。



『…誰なのだろう…?自ら徳の高い者だと言っていたけれど…』



 そのとき、ゆっくりとした動作でその男が後ろを振り返った。



「…無事か?」


「あ、は、はい…」



 どうして助けてくれるのだろうか…不思議ではあったが、今はこの男に頼るしかない。



「目を閉じて、これを持っておけ」



 手の平に、ふわりと一枚の紙が落ちてきた。

 何やら、複雑な文字が書き込まれている。


『…お札…?』


 しかし、こんな文様は初めて見る。

 一瞬躊躇ったものの、私はそれを両手で包み、瞳を閉じた。



 …すると、まるで新月の夜に、明かりのない山中に迷い込んだかのような…そんな感覚にとらわれた。


 感覚…と言えるのかはわからない。何故なら、体中の感覚という感覚、全てがはたらかなくなってしまったから。


 私は、魂だけの状態というのは…きっとこんな感じなのだろうな…などと、場違いなことを考えていた。




 どのくらい、そうしていたのだろうか…


 気がつくと、既にあの女の姿も、鬼の姿も、武者の姿も…なかった。


 ただ一人、あの男だけが、微笑を湛え、悠然とこちらを見下ろしている。



「なかなか来ぬと探してみれば…鬼なんぞに襲われているとは…」


「えっ…?」


「待ちくたびれたぞ、話は覚栄殿から聞いている」



 話が飛びすぎて、状況に頭がついていかなかったが、それでも、この男が何者であるのか…何となくわかったような気がした。



「貴方はもしかして…」



「私を訪ねて来たのだろう?屋敷へ戻るぞ、話はそれからだ」




――それが、私と、陰陽師、安倍晴明の偶然、かつ必然の出会いであった。

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