--Sakura's Chapter-- 「トキメキ世界でミッシング」
あ~、困りました……。
まさかこんなことになるなんて想像できませんよね、普通。
「サクラねえちゃん……、どうするの?」
そうやって私に話し掛けてきたのはアル=ラウルという名前の迷子少年です。あ、正確には迷子だった少年ですね。
剣道部の合宿が終わり、私は帰りの時間まで森林公園のお気に入りコースを散歩することにしました。その道中、小川の岸で屈んで泣いていたアルくんと出遇ったのです。
どうやら彼はトンネルを通ってきたらしいのですが、明かりを失くして帰れなくなってしまったようで、私が付き添ってここまで送ってきたのですが……。
「うーん、どうしよ?」
なんとなんと!
通ってきたはずのトンネルに、帰り道が無くなっていたのです!
曲がり角があるはずのところが壁になっており、ずっと続いていたはずの小川も湧き水の水たまりに変わっています。
あ~、言っている意味分かりませんよね?
私だってよく分かっていません。
とにかく、トンネルが行き止まりになっちゃって帰れなくなった、というのが現状なのです。
今まさに、私の方が迷子となってしまいました。
こんな時はお兄に電話!
――とも思ったのですが、頼みの綱であるスマホは圏外でした。散歩コースの方はちゃんと電波入っていたんですけどね。どうもトンネルを抜けたこっち側までは届いていないみたいです。
大至急エリアを拡大してくださーい、って言っても無理ですよね。
なにせこの辺りの森はやけに鬱蒼として、ザ☆自然って雰囲気がバンバンしています。見たことのない植物や聞いたことのない鳥の鳴き声とかもしています。
多分、森林公園の裏側とか、そんなところまで来てしまったのかもしれません。
「ねえちゃん、ねえちゃん。帰れなくなっちゃったのに、なんでそんな楽しそうなの……?」
アルくんは真面目な顔してそう言ってきました。
ついさっきまで自分が迷子になっていた時は不安でしょうがなかったのに、同じ境遇になった私はなぜこんなにウキウキして周りを見渡しているのか不思議に思ったのでしょう。
確かにスマホの時計は旅館に戻らないといけない時間に近付いています。もしかすればみんなに置いていかれちゃうかもしれません。
「え~、そんなこと――」
なくはないです。あります。あるのです。今の私は完全にハイになっています。
でも――、でもですよ?
通ってきたはずのトンネルから道が消えていたり、やや怪しげな自然の森が目の前に広がっているこの状況に、ワクワクウキウキするなというのはちょっと無理な話ではないですか?
不思議なこと。それは私の大好物。
コーンクリームコロッケと同じくらいに!
「ま、まぁ、とりあえず家までおいでよ。笹舟の作り方教えてほしいし」
「あ、うん。じゃあ――、お言葉に甘えよっかな」
どうやらアルくん家は森を出てすぐのところにあるらしいので、少しお邪魔することにします。
っていうか私ももう高校生ですから、このまま家に帰れないなんてことはいくらなんでもないです。場所さえわかればどうにでもなりますし、最悪アルくん家で電話を借りてお兄に迎えに来てもらいます。家電なら圏外とかないですからね。
はい。そう思っていた時期が私にもありました。
アルくんの案内で連れられてきたのは本当に森を出てすぐのところでした。この先は整備された――、といってもアスファルトではなく土ですが、林道が続いています。
その脇に家が二軒見えました。どちらも丸太を組み合わせて建てられたログハウスで、どことなく別荘みたいなおしゃれな感じです。
「こっちだよ」
アルくんはその内の一軒に向かい、三段ほどある階段を上って木扉を開けました。
続けて私もお邪魔します。
すると中には、お母さんでしょうか。
エプロンを付けた恰幅の良い女性がやけに驚いた顔でこちらに視線を送ってきました。まるで幽霊でも見るかのようです。
ちなみに私はその類の話もイケます。
そうですね、カニクリームコロッケといい勝負ですかね。
「ただいま~」
「ア……、アル……、なのかい?」
お母さんと思われる女性は束の間の硬直から解けると、ヨタヨタと近付き、信じられないといった面持ちでアルくんを抱き締めました。
そして、泣き崩れてしまいました。
「アル……、アル!
よく無事で……。ずっと心配していたんだよ!」
「えっ?
ちょ、母ちゃんっ、苦しいって」
親子、感動の再会です。
思わず私ももらい泣きしそうになりましたが、アルくんのキョトンとした顔を見て、私もちょっと変だなって思いました。
アルくんが家を出たのは今朝のことだそうです。今はちょうど夏休み期間中ですし、朝から遊びに出かけてもおかしくはないでしょう。
ですが、今はまだお昼前。
アルくんが外出したのはせいぜい二、三時間。
んー、感動する要素が見当たりません。冷静に見ればおかしな話です。もしかするとこれが噂に聞く過保護というやつなのでしょうか?
それにしたってお母さんの心配様は度が過ぎている印象を受けます。
何かがおかしいと思ったら、それを確かめなくては気が済まない。
それが私、武蔵野咲良です。
「あ、あの~……」
感動の再会を邪魔するようで若干気が引けましたが、私がそう声を上げるとお母さんはバババっと居住まいを正して私の手を両手でガッシリと握ってきました。
「アンタがウチの子を連れてきてくれたんだね!
ありがとう……、本当にありがとう!」
お母さんは私の手を握ったまま、涙ながらにそうお礼を言ってくれました。
確かに仰っていることには間違いないのですが……。
「いえ、あの~、そんな感謝して頂くほどのことでもないと思うんですけど……」
私が困りながらにそう呟くと、お母さんはそれを謙虚な姿勢と捉えたのか「とんでもない!」と声を高々に上げます。
その理由はすぐに語られました。
「アンタは一年間行方不明だった息子を連れてきてくれたんだ。アンタに感謝を捧げるのは神様に感謝するよりも当たり前のことさね!」
「えー、神様よりですかぁ?
お母さん、それはさすがに言い過ぎですよ~、……よよよ?」
思わずアルくんの方を見ましたが、アルくんも首を盛大に傾げていました。
「えっとえっと、……行方不明、だったんですか?
一年も?」
「ん?
ああ。そうだよ。この子がいなくなったのはほぼほぼ一年前のことさ」
お母さんはしみじみと語り出しました。
来る日も来る日も大人たち数十人がかりで近隣を捜索し、詳しい人に頼んで森の中も隈なく探したそうです。結局それでも見つからず、二カ月ほどで捜索は打ち切りになり、アルくんはミッシング(行方不明者)とされてしまったみたいです。
ふと壁を見ると、そこにはアルくんそっくりな似顔絵が描かれた紙が貼ってあります。多分ですがこれを配り回って目撃者を探したのでしょう。
「アル、いままでどこにいたんだい?
ちゃんとご飯食べていたのかい?」
「え、森で遊んでただけだし、ご飯は朝に食べたけど……」
アルくんが茫然とそう答えると、すぐさまお母さんのゲンコツが頭上に落ちました。
「痛ぇ!」
「アンタねぇ、あれほど森に一人で入ったらダメだって言ったでしょ!
だからこんなことになるの!」
お母さんは再び涙を浮かべて叱っています。ですが、それどころではありません。
「まぁまぁお母さん。ちょっと待ってください」
私はそう割って入ると、アルくんに向き直ります。
「ねぇアルくん、ホントに一年も家に帰ってなかったの?」
「そんなわけないじゃん!
朝だよ、さっきだよ!
僕が遊びに行ったのは!」
アルくんは必死にそう訴えかけてきました。嘘を言っているとは思えません。それに十歳やそこらの子が一年間も森で生活するなんてできるはずないです。
「この一年で何があったのかわからないけど、もしかして記憶喪失とかそういうのかもしれないねぇ。一回お医者様に診てもらった方がいいさね」
「いや、ホントだって!
一年経ってるなんてそんなわけないよ!」
お母さんは本気で心配しているようです。とてもからかっている風には見えません。
「アルくん、お母さん、今日の日付を言ってみてください」
今日は二〇一●年七月三十一日です。ちゃんと日付を答えられた方が正しい、ということになるはずです。
はずだったのですが……。
「聖アルマトリカ歴九一二年、二〇九日だよ」
アルくんからは予想外の答えが返ってきました。
え、いつの間にそんな年号になったんですかぁ?
「ほらごらんなさいな。今日は聖アルマトリカ歴九一三年、二〇四日だよ。そうだよねぇ、お嬢さん?」
しかもお母さんもそのよく分からない年号を使って話しています。わ、私に訊かれましても困るんですけど……。
ですが、お母さんが見せてきたカレンダーのようなものでしょうか。その一枚の紙を見て、アルくんは驚愕していました。どうやらお母さんの言っていることの方が正解のようです。
「アル、とにかく一度お医者様の診てもらうよ。アンタが帰ってきたって皆に知らせなきゃならないし、いいね?」
「あーもう、わかったよ……」
アルくんは戸惑いながらも頷きました。意図せぬ内に一年という時が過ぎていれば誰だって困惑してしまいます。
でも、私だって負けていません。なにせ意図せぬ内に西暦じゃなくなっていたんですから!
フフフ、これは面白くなってきました。私の知識欲が爆発しそうです!
「あ、あの、あのっ!」
出掛ける準備にバタバタし始めたお母さんを、私は何とか呼び止めました。
「すすすすみませんが、色々、おおおおお尋ねしたいことがあるんですけど――」
テンションが上がりすぎて上手くお口が回りません。
「あ、そうだ母ちゃん、このねえちゃんさ、洞窟の道が無くなっちゃって帰れなくなったんだ」
アルくんがそう補足してくれます。そういえばその件もありました。忘れていたわけじゃ……、ないですよ?
それも私の知りたいことに含まれています、一応。
「洞窟、っていうと森の中のかい?
んー、それだったらお隣さんに尋ねた方がいいかもしれないねぇ。あの子は森に詳しいから」
「ああ、あのペッタンコなら何か知ってるかも!」
どうやらそのペッタンコさんはという方は事情通のようです。
「お医者様のとこから帰ったらたっぷりお礼するからさ。それまでお隣さんのとこにいておくれよ。アル、案内しておやり。アンタはすぐに戻ってくるんだよ?」
「わかった。んじゃサクラねえちゃん、着いてきて」
「あ、うん。お邪魔しましたー」
お母さんに会釈をしてから、私は小走りで駆け出すアルくんを追い掛けました。