Chapter.02 「妹探して、森の中(後編)」
女子剣道部員の話によると、咲良は朝練終了後、散歩に行くといったまま戻ってこないらしい。
咲良のことだ。道中で何に気を取られたのかわからず、道を外れて森の奥へと足を運んだ可能性も十分に考えられる。
俺は四方八方に注意を向けつつ歩みを進めると、やがて短い橋に差しかかった。
橋のすぐ下には横幅一メートル、深さ十センチほどの小川が流れており、それに沿うように人一人がやっと通れるほどの川岸が続いている。
「川かい?
水は綺麗なようだね」
いつの間にか追いついてきた小次郎がそう言って川岸へと降りた。
どうやら走って追い掛けて来た為、汗だくになった顔を洗うつもりなのだろう。
当然俺にそれを待つ義理はなく、さっさと先に進もうとした――、のだが、ふと小次郎が降り立った付近に違和感を覚えた。
砂利が敷かれたそのある一角、小次郎が顔を洗う少し脇に、やけに青々とした笹の葉が散らばっていたのだ。辺りを見渡しても笹や竹の類は生えていない。
気になった俺も川岸へと降りた。
顔を洗っている小次郎を無視し、笹の葉を調べる。
するとおそらくだが、笹舟を作ろうとして失敗したであろうことが見て取れた。しかもその痕跡がまだ新しい。
確証は何もない。
が、朝っぱらからこんなところで笹舟を流そうと夢中になるのは、夏休みを持て余した近所の暇な子供か、もしくは咲良くらいではないだろうか。
それくらい、この場に座り込んで笹舟作りに夢中になる妹の姿は想像に容易い。アイツ、工作好きだし。
ならば次は、せっかく作った笹舟がどこまで行くのか見届けたくなった、と予想するのが自然な流れだ。川だけに。
所詮は森林公園内を流れる小川。確認するだけならさほど時間も取られないだろう。
そう思った俺は砂利の上を進んでみることにした。
ちゃっかり小次郎も後ろを着いてくる。
横に並んで歩くスペースもないし、どうせ探すなら二手に分かれるとか、それくらい考えてほしいものだ。
「おやや、トンネルなのだよ」
「見ればわかる」
そのまま歩いていると、コンクリートで固められたトンネルに行き当たった。小川の流れはその中へと続いており、人が通れる高さも十分にある。
だが、
「フム、出口が見えないな……」
小次郎がそう呟くようにトンネル内は完全なる暗闇となっていて、ここからでは出口の光すら全く見えない。
俺はコンクリートの壁に右手を付けながら慎重に中へと一歩踏み出す。
「……おい、何の真似だよ?」
すると、後ろの小次郎が俺のシャツの裾を掴んできた。咲良にされたなら嬉しくもあるが、よりにもよってコイツにされると寒気がしてくる。
「こ、こう暗いとはぐれてしまうかもしれないだろう?
し、仕方ないのだよ」
「怖いなら先に帰れ」
「こ、この 僕は、きょきょ恐怖など感じないっ」
虚勢を張っているのが丸分かりの小次郎だが、そう言いながらも俺のシャツからは手を放そうとしない。よほど暗いところが苦手なのか。子供の頃に押入れとかに閉じ込められたトラウマとか抱えてたりするのかもしれない。
くそっ、知りたくもないコイツの情報が増えちゃったぜ。
そのまま奥へ奥へと足を運ぶ道中、後ろから聞こえる、
「キ、キミ……」
とか、
「ま、まだ出口は見えないのかい?」
などという震え声に少々ウンザリしていたが、どうにも精神的にいっぱいいっぱいになったようで、先程からはふしゅー、ふしゅーというガス漏れのような荒い息遣いだけが聞こえてきている。
斯く言う俺も次第に余裕が無くなってきていた。
少しすれば目も慣れてくるだろうと高を括っていたのだが、いつまで経っても闇は闇のまま。前方には未だ光は見えず、振り返ってみると入口の光もすでに見えない。
それどころか小次郎の姿すらよく見えず、目を開けているのか閉じているのかすら曖昧になってきていた。
だが、川の流れる音と砂利を踏む音、そして俺と小次郎の不快な息遣いは確かに耳に届いている。右手にはコンクリートの冷たい感触があるし、地面の感覚もある。ついでにシャツも相変わらず掴まれている。
視覚に頼れない今、それらが何とか方向感覚を保ってくれているといってもいい。
正直、時間感覚はすでに失われており、どれくらい進んだかはわからない。額にじっとりと浮かぶ汗はきっと暑さのせいだけではないだろう。
不安に苛まれつつあるせいか、俺にネガティブな思考が波のように押し寄せてくる。
このまま戻れなくなってしまうのではないか。
一生出口に辿りつけないのではないか。
そんなことを考え始めると急に足取りが重くなる。
だが同時に、ここを咲良が通ったならばもしかしてこの先で動けなくなっているのではないか。
もしかすると戻れなくなってしまったのではないか。
そう考えると、自然と足が前に出る。
妹がピンチならば、この俺が一刻も早く迎えに行かなくては!
そう鼓舞するよう自らに言い聞かせた時だった。
「ん?」
今までずっと右手にあったコンクリートの感触が消えたのだ。それが曲がり角であることはすぐにわかった。
「おい小次郎、見ろ!」
「おお、あれはまさに祝福の光!」
俺が思わず叫ぶと、小次郎も感極まったように声を上げた。
顔を右方向へと向けると、まだ距離はあるが、確かに小さな光が目に入ったのだ。
それはもちろん祝福の光などではなく、出口の光だろう。
そのおかげでトンネル内部もしっかりと視認することができる。
俺たちはどちらからともなく走り出した。途中で足を滑らしそうになってもお構いなし。その光の元へとただただ走った。
徐々に強くなる眩しさに目が眩む。
視界を手で遮り、慣らすように薄目のままで外に出ると、まずモワッとした空気の流れを感じた。
息を整えるように深呼吸をすると、濃厚な自然の匂いが鼻を突く。
「……あん?」
「……おや?」
明るさに慣れた俺たちの目に飛び込んできたのは確かに森ではあった。
だが、明らかに先程までいた森林公園とは違う。言うなれば『本物』だろうか。人の手が全く入っていない、自然の力のみで生い茂る木々や草が辺り一面を取り囲んでおり、もちろん整備された道もない。
外に出た瞬間こそ眩しく感じたが、空が完全に木の枝や葉で覆われているせいでどこか薄暗く感じる。
俺は辺りを見渡し、そして、後ろを見た瞬間に目を疑った。
「これは、どういうこと、だ?」
「フム」
俺たちが通ってきたのは間違いなくコンクリート製のトンネルだった。
しかし、今目の前にあるのは岩壁に開いた洞窟と呼ぶべき代物。出てくるときは必死で気付かなかったが、おそらくあの曲がり角を最後にコンクリート補強が終わっていたのだろう。
なにゆえこんな構造にしたのかは想像も及ばない。詳しくは知らないが法律的にもヤバそうだ。
けれど、足元には変わらず小川の緩やかな流れが続いており、流れる水も綺麗なまま。
俺たちは二人並んで、顔に浮かんだ汗と動揺を冷たい川水で洗い流した。
急な景色の変化に戸惑いこそしたものの、肝心なのは咲良がここまで来ているのかどうかに尽きる。小川が続いている以上、咲良ならば笹舟の行方を途中で諦めるはずがない。よって俺も行くつくところまで行って確認する必要がある。
「おい、とりあえず先へ――」
「ん、何だいこの音は」
ドォォォォォォォオン!!
ミシミシという嫌な音が聞こえたかと思った瞬間、轟音が鳴り響いた。
「……近いな」
「そのようだね」
バサバサという鳥の羽音とけたたましい鳴き声がそれに続く。
きっと工事でもしているのだろう。ともかく人がいるなら咲良を見かけているかもしれない。
そう思った俺が音のした方へと足を向けると、やはり小次郎も後ろを着いてくる。刷り込みされたカルガモの雛か、コイツは。
伸び散らかした雑草をかき分けて進むと、すぐに今し方倒れたと思われる木が見つかった。
辺りの草や若木を巻き込み横たわっているそれは、いうほど長さはないが、先の轟音も納得の太さだった。抱きかかえるのは難しい。
「キミ……、コレを見たまえ」
小次郎の視線の先にはどうやらこの木の根元部分と思われる切り株があった。いや、正確には切り株と呼ぶにふさわしくない。その断面はチェーンソーで切断されたような綺麗なものでなく、色がくすんでボロボロになっている。
腐って折れた――という表現が近いだろうが、それは明らかに不自然だ。
なにせ倒れた木の枝には青々とした葉が生い茂っており、逞しい幹からしても枯れ木とは程遠い。
鬱蒼とした森の雰囲気がどことなく不気味に感じられ、俺は思わずゴクリと固唾を飲んだ。
その時、
キィィィィン!
金属がぶつかり合うような甲高い音が耳に届いた。
同時に、薄暗くて定かではないが、折れた大木を越えた先に人影らしきものが目に入る。
この先にはどうやら少し開けた場所があるようだ。
俺はヨッと掛け声一つに横たわる大木の上に乗り、
「誰かいますかー?」
と、そちらに向かって声を掛けた。
しかし返事は返ってこず、その代わりと言っては何だが――、木々の間から『ソレ』は姿を見せてくれた。
その距離約十メートル。丸太の上に乗った俺と目線がピッタリ合う。
二本足で立つその身の丈は実に雄大で、隆々とした肉体に纏っているのは黒い毛皮。そして口元から伸びる鋭利な牙。
熊、とは違う。
両肩から岩のような角が突き出ており、血のように赤く光った双眸がこちらを向いている。
異形の獣がそこにはいた。