Chapter.03 「授かった償い」
「もしかすると、アタシはこの手でアナタを消していたかもしれないのね……」
リンネがそう呟く。
「それは俺も一緒だ。今更気が付いたって遅いよな……。すまない」
プロフェッサーが去っていった後、魔装ナハトムジークから精神作用効果を取り除くように提言したのは、何を隠そう彼女だった。
その提言を飲んだのは俺とリンネだ。
しかし、あの時は咲良の身の安全を第一に――いや、それにしか頭が回っておらず、彼女の人格が消える事態を想定すらしていなかった。
「二人とも、それはボクが言い出したことだったんから謝らないで。あの時はホントに満たされてたんだよ。消えてもいいって本気で思ってたんだ」
かつてのセシリア=ハモニカが抱いていた最期の願いを、兄であるシルバに届けたい。
それが唯一、咲良の中に生まれた彼女自身の願いだった。
そして、それは叶った。叶ったと思う。
満たされた、というのはきっと本音だろう。
消えてもいい。消えよう。そう考えていたのも事実だろう。
だが、そうはならなかった。
咲良の想いが、そうさせなかった。
「やっぱ俺の妹はすげぇってことか」
「そうね。サクラのおかげよね」
俺とリンネが揃って言うと、
「えっ、ただ私はせっかくだし仲良くなれたらなぁーって思ってただけなんだけど……」
咲良はそう首を傾げる。
突如として自分の中に別の人格が生まれ、その人格に勝手な行動をされても尚、そう思えること。
咲良からするとそれはすごいことでもなんでもなく、ただ当たり前のことだったのだ。
*****
「フォレノス魔装士協会支部長ダニエラ=シャレットの名において、以下の償いを命じます」
泣き止んだ咲良とセシリアからそっと離れると、ダニエラさんは優しいおばあちゃんから責任ある支部長へとその表情を変化させた。
「まず一つ、命を奪ってしまった三人の墓前で祈りを捧げること。三人の魂が安らかな眠りに就けるよう、穏やかな心で祈りなさい」
「……はい」
セシリアがこくんと頷くのを見て、ダニエラさんは続けた。
「それからもう一つ。あなたには――、その名をセシリア=ハモニカさんに返してもらいます」
「名前を、返す?」
「そう。あなたはこの時をもって『セシリアちゃん』ではなくなるの。それを代償とします」
「代償…………」
これには本人だけでなく、俺たち全員が目を丸くした。
罪を認め、それを償う。それには確かに代償が必要なのかもしれない。
だが、なにせ彼女の名というのは、願いを繋ぐ架け橋のようなものだったのだ。
同じ人格だけど、違う存在。
なのに、彼女が願いを叶えたいと強く思えたのは『セシリア』という名が二人を繋いでいたからこそ。
願いが叶った今も尚、それは彼女にとって大切な宝物に違いない。
あまりにも重すぎる代償だと、皆がそう感じたと思う。
しかし、彼女は「わかった」と、一言そう頷いた。
「……いいのか?」
「うん、いいのアリマ。今のボクに支払えるモノはそれしかないから」
「でもその名前はセシリアさんとの絆じゃ――」
「そうだけど、そうなんだけどね……」
口ごもる彼女に、ダニエラさんが言う。
「無理にとは言いませんよ。これは支部長として命じることですけれど、断ったからといって何があるわけでもありません。どうするかは、あなた自身が決めてちょうだい」
そうだ。これは彼女が望んだモノだった。
口出しする資格は誰にもない。
俺は頭を下げ、口を閉ざした。
それからしばらく、静寂が時を支配した。
ただジッと、皆が彼女の言葉を待っていた。
「……ねぇ、おばあちゃん」
「はい、なにかしら」
「ボクは、みんなと一緒にいたい」
「ええ」
「その為になら――名前を返したっていい。けどね、それってホントに償いになるのかな?」
「大切なモノではないの?」
「大切だけど……、でも結局は自分の為にしてるみたいで……」
言いたいことはわかる。
償うべきは殺してしまった三人に対して。だが、名を返すことそのものは彼らに繋がらない。
そこに納得できないのだろう。
「そうね。でも、それでいいと私は思うわ。これはきっかけだから」
「……どういうこと?」
「きっとあなたは、どれだけの時が経っても過ちを忘れることなんて出来ないでしょう?
何をしても、どんな償いをしても、それは変わらない」
「…………」
「覚えていること。忘れないこと。そして、繰り返さないこと。それこそが償いです。大切な『セシリア』の名を捧げることで、それを固く固く誓うの。そしてね、その誓いを持ったまま、新しいあなたになるのよ」
「新しい……ボク……?」
「そう。ここにいるみんなと一緒にいたい。その想いは『セシリアさん』じゃなくて、あなたの想い。あなたと、みんなの想い。違う?」
ダニエラさんにそう言われると、彼女はゆっくり、一人一人と目を合わせていく。
それは互いの心の中を見せ合うような、確かにそんな一瞬だった。
「……うん、違わない。ボク、おばあちゃんの言うようにする。そうしたい。サクラはそれでもいい?」
「もちろんだよセシリアちゃんっ――って、あ、もうセシリアちゃんじゃないんだよね」
咲良がてへっと舌を出すと、皆の注目が自然とダニエラさんに集まっていく。
「あらあら、なぁに。私にお名前、決めさせてもらえるの?」
「ボクもおばあちゃんに決めてほしいなぁ」
「なんか孫が生まれた時のことを思い出しちゃうわぁ。そうねぇ……」
ダニエラさんは小首を傾げてしばし悩み、
「じゃあ、こんなのはどうかしら?」
と、生まれ変わる彼女の新しい名を口にした。
「なるほど、かつての『双聖皇女』ですか。さすがはグランドマザー。いいと思います」
「うん、ピッタリじゃない」
すぐさまコーエンさんとリンネが納得したようにうんうんと頷く。
確かに『セシリア』と響きも似ているし、良い名だとは俺も思う。だが、さすがにその由来まではわからず、それは咲良も同じだったようで、すぐにダニエラさんへその溢れんばかりの興味をぶつけだした。
「え~なになになにっ。なにが『さすが』なの~。私も知りたい知りたいっ!!
ねぇ~教えて~。教えてよぉおばあちゃん~」
「あらあらっ」
子供かっ、と突っ込みたくなるほどのはしゃぎっぷりに困惑するダニエラさん。本来なら兄として止めるところなのかもしれないが、知りたいのは俺も同じだ。
ここは咲良に倣って、俺も耳を傾けた。
「サクラちゃんは『聖皇家』についてご存知かしら?」
「全然知りません!」
「あらまぁ。では、そこから少しお話ししましょうかしらね――」
「わぁい!」
皇国アルマトリカ。
それはここ『聖樹の街フォレノス』や『温泉街ヴァルカン』を始めとし、たくさんの街と広大な領地を有する、何でも世界最大の国らしい。
それを代々治めてきたのは『聖皇家』と呼ばれる一族だとのことだ。
「国を治める『聖皇』の座を継ぐのは普通なら一人だけ。それが男の子でも女の子でも、一番最初に生まれた子が後継するの。でもね、ずっと昔に一度だけ聖皇女様が二人だったことがあるわ」
「それが『双聖皇女』?」
「そう。双子でお生まれになったのね」
たとえ双子だったとしても、取り出された順番によって長女次女は決められるだろう。
だが、先代皇女は娘二人共を次期皇女としたらしい。
「う~む、それは権力とか派閥争いとかが起きそうな展開なのだよ……」
小次郎の懸念はまさに定番ともいえる。
泥沼の権力争い。熾烈な派閥争い。その果てに待つ暗殺や戦争。何とも想像しやすい展開だ。
「ええ、そう心配した人も多かったそうね。でも、実際は揉め事なんて一切起きなかったの。しかもこのアルマトリカが最も豊かに発展を遂げたのは、その双聖皇女即位の時代だった――」
なんと驚くべきことに、その双子の皇女はまるで同じ人格が宿っているかのように意見の食い違いが一度もなかったらしい。それでいて優秀とあらば、頭も体も二人分なだけ自ずと成果も二倍になる。
「互いを尊重し合い、認め合い、支え合う。そんな仲睦まじい御姉妹だったそうよ。そのお二人の名がセシリアと――」
「『エリシア』だったんだねっ!」
「はい、そうです」
これはその話を知っている人からすると確かに納得いく名だ。
むしろこれほどまでにしっくりくるものは他にないのかもしれない。
「エリシア……、それが新しいボクの名前……」
興奮する咲良とは打って変わり、噛み締めるように彼女はそう呟いた。
「気に入ってもらえるといいんだけれど、どうかしら……?」
「……うん。嬉しい。なんかホントにセシリアと姉妹になれたみたいで」
エリシアは授かった宝物を慈しむように腕を抱き、そしてニコッと微笑んだ。
「ありがとう。おばあちゃん!」
「いいのよ、私もそう言ってもらえてとっても嬉しいわ。では早速だけど、エリシアちゃんとサクラちゃんにはお墓参りに行ってもらおうかしらね」
「あっうん。でもボクその場所知らないんだけど、サクラはわかる?」
「ううん、わかんにゃい」
自問自答のように二人が言うと、そこへ手を挙げる者がいた。
俺たちをここまで連行した、あの目つきの悪い魔装士だ。
「グランマ。宜しければこの私目がお二人をご案内致しますが」
「ええ、そうね。そうしてちょうだい。まだこちらの方々にはお話が残ってますから」
「かしこまりました。では参りま――」
「ちょ、ちょっと待ったっ」
トントンと話が進んでいく中、俺は咄嗟に声を上げた。
ダニエラさんのいう『お話』とやらが、例の機密奪取の件であることはわかっている。それ故、俺たちが咲良とエリシアに同行するわけにはいかないのもわかっている。
だがしかし!
この俺がただでさえ得体の知れない男へ大事な妹を託すはずがないだろ?
見くびってもらっては困るし、そもそもこの男の高圧的な態度は始めっから気に食わない。
「いくらダニエラさん直属の魔装士でも、そう簡単に妹を任せるわけにはいかないんでね。ちゃんと名乗っていってもらおうか」
ソファから立ち上がり、男に詰め寄る俺。
すると小次郎がそれに便乗してきた。
「うむ。見ず知らずの男に咲良さんのエスコートは任せられないのだよっ」
俺たちは腕を組み、さっきの仕返しと言わんばかりに男を囲む。
だが、
「私はトーマス=シャレットだ。これで宜しいか」
と、男は意外にもあっさりと名乗りを上げた。
……ん。シャレット?
「あらまぁ、愛想のない孫でごめんなさいねぇ」
「え。ダニエラさんの……お孫さん、なんですか……?」
「はい、トーマスは私の孫なんですよ。こっちのリュミエールは孫の奥さん」
「あ。ご結婚もなさってる……」
ダニエラさんの後ろにいた女性が丁寧に「妻のリュミエールです」と頭を下げる。
「なんか、その、お二人とも誠実そうな方ですね……」
「今までは夫婦揃って故郷の方で仕事をしていたのだけれど、私が急にこの街に来るって決まったから、心配して一緒についてきてくれたの。優しいし、腕も確かなのよ」
「そ、そうですか……あはは、あはは」
ダニエラさんの血縁者ならば素性は確固としている。
しかも既婚者で、どうやら高圧的に感じたのもただの堅物な性格というだけの。
これは俺の勇み足だな、完全に……。
「なんというか……、すみませんでした」
「いい。慣れている」
頭を下げる俺と小次郎に、トーマスは平然とそう言った。
ホント愛想はねぇな。ま、俺としては咲良に手を出さなければそれでいいけど。
「では、参りましょう。ご案内致します」
「あ、はい。じゃあお兄、行ってくるから」
「ああ、気を付けてな」
そうしてトーマスの後に続き、咲良とエリシアは応接間を出て行ったのだった。




