--Sakura's Chapter-- 「想いに触れて」
「あっ、あれ……?」
あまりに唐突で驚いてしまいました。
涙を流しているのは私ではありません。セシリアちゃんです。
でも、いつもなら感じるはずの彼女の想いが、今は靄がかかってしまったようでよくわかりませんでした。
ねぇどうしたの、セシリアちゃん。なんで泣いてるの?
「ごめんねサクラ。ボク、これだけは秘密にしようと思ってたんだけど、やっぱりちゃんと話すことにするから……、少しの間、聞いててくれるかな?」
うん、わかった。
私がそう頷くと、セシリアちゃんは少し緊張した様子で話し始めました。
「ダニエラのおばあちゃん」
「はい。貴女がセシリアちゃん、なんですね?」
「うん。ボクが兄様――プロフェッサーによってサクラの中に作り出されたセシリアです。でも、ごめんなさい。おばあちゃんが知ってるセシリアとは別人なの。ボクは、おばあちゃんのことを覚えていないから……」
「ええ、わかっていますよ。これが初めましてですね、セシリアちゃん」
私の手はずっとダニエラさんの手の上に重なっていました。
それをそっと握り返してくれます。でもそれはセシリアちゃんへの握手です。
「……がっかりしてないの?」
「していませんよ」
「ボクがあのセシリアとは別人だってこと、もう聞いてたから?」
「ん~、そうねぇ。確かに、あなたが私の知ってるセシリアさんとは違うという話は耳にしていました。けれどね、もし仮にそのことを知らなかったとしても、きっと私は落胆したりしなかったと思うわ」
「それは……、どうして?」
「サクラさんと皆さんが、あなたのことをとても大切に思っていることがわかったからです。こうしてね、私もあなたとお話しすることが出来て嬉しいのよ」
握手を交わしていた手に、熱がこもったような感触がありました。
ダニエラさんの、セシリアちゃんの――いえ、きっと二人の熱だと思います。
「でもボクは……、人を殺してしまったんです。許されない罪を犯したんです。だから大切に思われる資格なんて……」
「報告には、その当時のあなたは操られていたとありました。プロフェッサーの研究記録の中に、精神支配についての記載があったのも確認されています。私は元よりあなたにも、もちろんサクラさんにもその償いを求めるつもりではなかったのですよ。だからそんなこと言わ――」
「――違うのっ。そうじゃ、ない……」
セシリアちゃんはそう声を昂らせると、ダニエラさんから手を放し、胸の辺りで強く拳を握りました。
私の意志ではありません。セシリアちゃんがそうしたのです。
リンネちゃんにナハトムジークを直してもらって以来、セシリアちゃんが体を動かしたのはこれが初めてのことでした。
「ボクが……、ボクがサクラを操っていたんです!」
セシリアちゃんがそう言った瞬間、私の目に映る世界がガラリと変化しました。
「サクラ。今、目の前に何が見えるか、口に出して言ってみてくれる?」
「……ま、じゅう……が、みえ、る」
ダニエラさんが座っていたはずの場所には、確かに魔獣がいるように見えます。
しかも、上手く喋れないどころか、体を動かすことも出来ません。
「ゴメンね、ありがと。ボクはこうやって、今でもサクラの精神に介入することが可能です」
あ、元に戻りました。ちゃんとダニエラさんが座っています。
「ちょっと待って。ナハトムジークの精神作用は間違いなくこのアタシが取り除いたわよ。リンネ=トルディアの名に懸けて、作業に失敗はなかったと言い切れるわ!」
リンネちゃんはそう言いますが、では今のは一体どういうことなのでしょうか。
教えて、セシリアちゃん。
「うん。リンネの言うようにナハトムジークはもうただの魔装になってる。でもね、ボクがこうして在り続けていられるのは別の要因によるものなんだ」
「別の要因?」
「そう。ナハトムジークが力を失ったことで、これ以上、ボクの人格がサクラを侵食することはない。けれど、そのもう一つの要因が残っていることで、ボクは今でもこうしてサクラを操ることが出来る」
あれ……?
でもでも私、この指輪以外に魔装なんて身に付けてないよね。
「だったらそれもアタシが直してあげるから。出しなさいよ、セシリア」
「無理だよ。キミの魔導技師としての技術は間違いなくプロフェッサーにも匹敵しているけど、これはゼッタイに無理なんだ」
「何言ってんのっ、アタシの方が上だからっ!」
「いや、そうじゃなくて。その要因がそもそも魔装じゃないんだよ」
あ、魔装じゃないんだ。だったらなんだろ?
その疑問に答えたのはセシリアちゃんではなく、意外なことにずっと黙っていたお兄でした。
「咲良自身の想いとか、そんなところだろ?」
「……やっぱり。アリマならいつか気付くと思ってた」
そう言ったセシリアちゃんはどこか悲しそうでしたが、私にはさっぱりです。
「なぁリンネ。リンネは前にナハトムジークのことを分かり易くなんつったっけか?」
「自意識抑圧兼人格育成魔装」
「ああ、今聞いても全然分かり易く思えないけどそうだったそうだった。要するにそれはさ、セシリアの人格を育成する為には咲良本来の自意識を抑え込む必要があったってことだよな?」
「そうね。自分の中に異物が紛れ込めば、誰だってそれを拒絶しようと自意識が働く――って、あ~、そういうこと」
リンネちゃんもわかったようですね。
でも、私にはまださっぱりピーマンです……。
「ああ。ナハトムジークが力を失った今、普通なら自意識による拒絶が起こる。そうなれば、きっとセシリアは何も出来なくなるんだろ?」
「そうだね。ボクは声を出すことすら出来なくなると思う」
ふむふむ。ふむふむ。
「でも、今は咲良自身がセシリアの存在を強く肯定しているから、何でもかんでも好き放題ってわけだ」
「うん。視覚野に記憶からの映像を流して魔獣の姿を見せることだって出来てしまう」
ほうほう。ほうほう。
「だからあの三人を殺した時も……、ボクがサクラを操っていた――」
「ま、一応はそういうことになるな」
そういうことになりますか。なるほどなるほど。
「あのさ、サクラ……。ホントに分かってる?」
うん、わかってるよ。つまり私がセシリアちゃんの存在を受け入れているから、セシリアちゃんは自由に振る舞えるってことでしょ?
「ま、まぁそうだけど……。ねぇ、アリマはなんで怒らないの?」
「ん、怒る理由がないが?」
だよね。私もそう思う。
「だって、ボクはサクラを騙してたっ。サクラを操ってたんだよ!?」
「騙してたっていうか黙ってただけだろ。しかもそれは咲良の生活に支障が出ないようにしてたとしか思えないし。操ってたっていうのも、咲良に人を殺すところを見せたくなかったからじゃないのか?」
だよね。私もやっぱりそう思う。
「……でも、それでもっ、ボクが殺したことには違いないじゃないっ!!」
「だな。けどそれはセシリアの『意思』じゃなかった」
「違う。ボクの『意志』だった」
「それこそ違うな。選択肢が与えられていない状況では考えも志なんてモノも存在しないんだよ。あの時、プロフェッサーはお前にそれを選ばせたのか?
そうじゃないよな。お前はその道を進むしかなかったし、言われたとおりにやるしかなかった。疑うことすら許されてなかったんだよ。人を操る、人に操られるっていうのはそういうことを言うんだ」
お、お兄が難しいコト喋ってるっ!?
「……アリマ。サクラがもっと分かり易く一言でまとめてって言ってるけど」
「セシリアは悪くない」
それそれっ。ずっとそう言ってるじゃん!
「じゃあ……、リンネはボクのことどう思ってる?」
「え、アタシ?
アタシはプロフェッサーの研究が気に入らない。だから、アナタの生まれについては否定する」
リンネちゃんはそう言うと、ちょっと照れ臭そうに、
「でも――、生まれたアナタまで否定するつもりはないわ」
と付け加えました。
「コーエンは?」
「……オレはシルバの心に闇を生んだ張本人だからな。キミがあのセシリアと違うことは理解しているが、過去に受けた恩を返したいって気持ちはどうしたって持っちまってる」
「……そっか」
セシリアちゃんはそう頷くと、一つ大きく深呼吸をしてから、意を決したように小次郎さんへと向き直りました。
「前にボクは、コジローに怪我をさせた」
「初めて会った時のことなのだね」
「……うん。だったらコジローはボクを恨んでいるでしょ?」
「いいや、この小金城小次郎はそんなケツの穴――おっと失礼。肛門の小さい男ではないのさ。あの程度は傷の内に入らない。アナタという女性が負った心の傷に比べれば、ね」
「ほっそいウンコしそうな顔してよく言うよな、お前」
「有馬くん。それは確かに事実だが、キミはもう少し空気を読むべきなのだよ?」
ほ、ほらっ、みんなセシリアちゃんが悪くないって言ってるよ?
「……みんなおかしいよ。ボクは悪いコトした。だから罰を受けなくちゃいけない。だよね、ダニエラのおばあちゃん?」
そう言ったセシリアちゃんを、ダニエラさんは優しく抱き締めてくれました。
そして、
「セシリアちゃんは、どうしたいと思っていたのかしら?」
と、優しく尋ねます。
すると、再び左の瞳から涙が溢れ出しました。
「……サクラを巻き込むくらいなら、消えちゃいたいって思ってたよ。もし重い罰が下るなら、その時はここでサクラに嫌われるようなことをして、消えちゃおうって思ってた」
「そう……」
「でも、でもね、ホントは優しいみんなと一緒にいたいの。みんなの優しい想いに触れてから、もっとずっと一緒にいたいって、生きてたいって思ったのっ」
「いいのよ、いいの。皆もそれを望んでいるんだから」
「だけど……、ボクの手は汚れちゃって……」
そこまで言って、セシリアちゃんは泣き崩れてしまいました。
右目からも左目と同じくらいの涙を流して。
ダニエラさんは頭を撫でながら、しばらく抱き締め続けてくれていました。
それから、私たちの気持ちが落ち着いた頃合いを見計らって、こう言ったのです。
「フォレノス魔装士協会支部長ダニエラ=シャレットの名において、以下の償いを命じます」




