Chapter.02 「元S級のグランドマザー」
フォレノス魔装士協会には俺も足を運んだことがある。
一階部分はずらっと一面が受付カウンターになっており、ここではいつも大勢の魔装士たちが依頼を受けたりその報告をしたりと賑わっている。支部長が代わったことでバタバタしているかと思いきや案外そうでもなく、特に慌ただしい様子も見受けられなかった。
協会直属の魔装士を名乗る三人に連行されてきた俺たちはそのまま階段を三階まで上がった。
一階、二階は雑多な造りになっていたのに対し、この三階フロアはやや趣が違う。床には赤い絨毯が敷かれており、廊下に飾られた絵画や花もどこか高級感を漂わせている。
おそらくは支部長室や来賓向けの部屋が用意されているのだろう。
てっきり豚箱のような場所へ放り込まれると思っていただけに、若干面を食らってしまった。
「失礼します。ムサシノアリマ、コガネジョウコジロー両名を連行。加えてムサシノサクラ様をお連れ致しました」
長い廊下の突き当たり。
華奢な装飾が施された扉の前で、目つきの鋭い魔装士がそう声を上げる。
「お入りなさいな」
室内から声が返されると、残りの二人が丁重に扉を開けた。
どうやら三人の中で一番若く見えるこの男がリーダー格らしい。
俺たちはその彼に勧められる形で室内に足を運んだ。
広さはだいたい学校の教室くらいか。
応接間のような、落ち着いた雰囲気の造りになっている。
「さぁ、どうぞ。こちらにお掛けになって」
ボーっと突っ立っていた俺たちに、見るからにおばあちゃんとしか言いようのない女性が部屋の中央に置かれた対面式のロングソファからゆっくりと立ち上がり、そっと手を差し伸べた。
ウェーブ気味の銀髪や右目に付けた鎖付きのモノクルが何とも上品で、一目にその高貴さが伝わってくる。
この人が新支部長とみて、まず間違いないだろう。
「よう」
「あら、意外と早かったじゃない」
そして、差し伸べられた手のその先には、コーエンさんとリンネが座っていた。
その横に並ぶよう俺たちが腰を下ろすと、先ほどの若い魔装士がおばあちゃんの後ろにピシッと構える。その隣にはもう一人、別の若い女性が並び立っており、まるで二人は親衛隊かのようだったが、当のおばあちゃん自身には物々しい雰囲気は感じられない。
「あの、これはどういう……?
てっきり捕まったんだと思ってここまでついてきたんですけど」
俺は小声でコーエンさんにそう聞いた。
「ああ。オレたちもそうだったんだが……、どうにもそれは名目上ってことみたいだな」
「名目上……、罪を問う云々とは別の話ってことですか」
こそこそっと話したつもりだったが、どうやら聞こえてしまったようで、
「じゃあ全員揃いましたし、早速それについてのお話し、始めましょうかねぇ」
と、意外にも耳がいいらしいおばあちゃんがそう割って入ってきた。
しかも、後から来た俺たちの分の冷たいお茶まで自ら注いで差し出してくる。
これがもし、新支部長による対犯罪者へのスタンダードな対応ならば、フォレノスは三日もしない内にカオスと化すだろう。『おばあちゃんのお茶が飲みたいから万引きしてきました』とかいう輩がわんさか溢れかえるに決まっている。
つまり、この連行はコーエンさんの言うように何らかの意図があってのことなのだ。
「改めまして、私がフォレノス魔装士協会の新しい支部長に就任しました、ダニエラ=シャレットです。見た目はこの通り全然新しくないけれど、そこは勘弁してちょうだいね」
ダニエラさんのゆっくりとしたその話し方はとても丁寧で、柔らかい笑みを浮かべているせいか、更に温厚そうな印象を得る。遊びに来た孫に何でも買ってあげそうな、そんなおばあちゃんだ。
俺たちがそれぞれに会釈を返すと、ダニエラさんは話を続けた。
「まずは……、そうね。私個人として、謝罪をさせてもらえるかしら」
「謝罪、ですか?」
頭を下げなければならないのはどう考えたってこちら側だろう。
そもそも今日、この場で初めて顔を合わせた人に謝ってもらうようなことはないと思うのだが……。
「ええ。自らの企てにあなたたちを巻き込んだ先代の支部長、プロフェッサー。彼にS級を託したのは、何を隠そうこの私なのです。事の顛末を耳にしたときは、それはもう心が痛みましたよ」
「え、ってことは、ダニエラさんは元S級……?」
魔装士には実力に応じてランクが交付される。
その中でもS級というのは特別で、世界に八人しか存在が許されていないらしい。
聞いた話によれば、A級の者が多額の寄付金を治めることで現役S級への挑戦権を獲得し、試合を申し込む。それに勝つことで世代交代が行われるということだそうだ。
「そうだ。『"グランドマザー"ダニエラ』っていやぁ誰でも知ってる。俺も一度だけ任務でご一緒したことがありますよ」
「はい。コーエンちゃんのことはよく覚えていますよ。ナイフの扱いがとてもお上手でしたね」
「光栄です」
とても強そうには思えないが、A級魔装士として活躍していたコーエンさんが平服するのだから、S級としての実力は持っていたのだろう。
「じゃあ、ダニエラさんはプロフェッサーと試合を行ったんですか?」
「いえいえ、そうではないの」
ダニエラさんは目を閉じると、何かを思い出すように話し始めた。
「きっかけは、やっぱりあの原魔討伐作戦になるのかしらね……」
*****
コーエンさんが参加し、リンネが襲われ、セシリアさんが命を落とした、あの原魔討伐作戦。
当時、S級だったダニエラさんは他の場所で魔獣掃討に当たっていた。
「あの時の八人の中ではセシリア=ハモニカさんが最も戦闘に秀でていました。もちろん、強いだけじゃなくてね、気遣いもできる、ホントに心根の優しい子でしたよ。何度か食事をご一緒したことがあるのだけれど、プロフェッサー、いえ、その頃はまだシルバと名乗っていたわね。彼との面識はそこが初めてだったわ」
シルバ=ハモニカという男は魔導技師としては名高くとも、魔装士としてはそれほどの評価は得ていなかったそうだ。元より、魔獣討伐の場にはあまり顔を出さなかったこともあり、その実力は不確かなものだったという。
「セシリアさんが亡くなったことで空いたS級の座に、シルバはすぐ手を挙げてきました。ですけど、彼は片腕を失っていて、とてもじゃないけどその任を負うことは出来なかったの」
魔導技師としてならまだしも、戦うことが出来ない魔装士などガラクタ同然でS級どころの話ではない。セシリアの後任には別の人物が就いたらしい。
「それからしばらく彼の名を聞くことはなかったわ。でもね、半年ほど経った後かしら」
シルバはダニエラさんを訪ねてやってきた。
山のような数に及ぶ研究資料と、その成果である魔装を携えて。
「負傷したこともあるのでしょうけれど、シルバは自分の戦闘能力がS級に届かないと察していたのでしょう。だから魔導技師としてS級へのアプローチをしてきました」
自身の能力が足りないならば、他人の能力を底上げすることでそれを補えばいい。
魔晶石が持つ瘴気の力を転じさせ、魔装と、それを扱う者の能力を向上させる。
そう。シルバはS級になる為に『魔装による精神作用効果』を実用段階にまで昇華させたのだ。
「最強と謳われたセシリアさんを失ったことで、当時の魔装士協会は不安で大きく揺れていたわ。そこへ持ち込まれた彼の研究成果は、その不安を取り除き、協会を立て直すのに一役買ってくれるんじゃないか――と、私はそう判断したのです」
元よりダニエラさんは高齢による魔装士引退を考えていたらしく、シルバからすると交渉相手として打って付けだったのだろう。当時の情勢も考慮していたに違いない。
「でもそれって結局は精神操作でしょ。その危険性は考えなかったの?」
リンネがやや語調を強めにそう突っ込んだ。
彼女はシルバの研究に嫌悪感を抱いており、過去の話とはいえ、S級という選ばれた立場の人間がそれを認めたことが許せない、といった思いが少なからず見受けられる。
「考え――られなかったわ。それほどまでに……、厳しい状況だったのよ」
「…………そう」
大勢の魔装士たちが命を落とし、主柱となっていた人物までをも失った。
そんな折に降って湧いたような打開策とあらば、その危険性を十分に考慮する余裕はなかったのかもしれない。
だが、結果としてシルバの研究は魔装士協会を立て直したからこそ、今現在、こうして正常に機能しているともいえる。
リンネはそれ以上、何も言わなかった。
「だからね、その判断を下したことは悔いていません。ただ、シルバ=ハモニカという人物の心の闇を見抜けなかったことについては……、この私の責任です。本当にごめんなさい」
亡き妹の意思を継ぐ兄。
傍から見れば、シルバの行動はそう思えなくもない。
だが、彼にとってS級の座は、妹の蘇生を実現させる為のものでしかなかった。
研究を推し進めるに生じる資金や場所、人材、隠れ蓑となる立場など、S級になることでの利点は大きい。
「サクラちゃん、だったわね?」
「はい」
「あなたと、あなたの中に生まれた新しいセシリアちゃん。二人には特に、どう謝罪をしていいものかわかりません。辛い思い、たくさんしたでしょうね……」
ダニエラさんは咲良のことを真っ直ぐに見据えると、悲しそうに表情を歪めた。
自責の念と、心から二人を案じる想いが溢れ出している。
「おばあちゃん」
すると咲良は立ち上がって、ダニエラさんの横へ座り直した。
そして、皺の入った小さな手に自らの手をそっと重ねる。
「私たちは確かにね、辛いコトもあったの。怪我だってしたし、怒ったし、悲しんだりもした。私の中にいるセシリアちゃんは、今も少しだけ辛そうにしてる」
「……人を手にかけてしまったことね?」
「うん。プロフェッサーさんのしたことは悪いところもあったと思う。けどね、私たちにはその全部を責めることなんて出来ない。もし同じ立場になっちゃったら、私もお兄も、リンネちゃんもコーエンさんも、きっとあの人と同じ気持ちになると思うから」
プロフェッサーの気持ち。
確かにそれは、決して理解不能なものではなかった。
大切な人を失う悲しみは深く、苦しい。
もしも取り戻せるなら、悪魔に魂を売ることなど容易いと感じてしまうほどに。
「あ、あの咲良さん……。そこにボクのことも入れてもらえると嬉しいのですが……」
「あわわっ、ごめんなさいっ。そう、小次郎さんもだよねっ。っていうか小次郎さんが一番すごいかもしれないんですっ。家族の為じゃなくて、友達の為に命を賭けたんだもん。ね、お兄も感謝してるよね?」
「……なんで俺に振るんだよっ。よかったな小次郎。咲良に褒められて」
隣を見ると、普段はもやしのように色白な小次郎の顔が、まるでナムルにされたように真っ赤になっていた。
俺はコイツと咲良が会話することを許したつもりはないが、どう考えてもコイツに脈はないので、こそこそと隠れて会ったりしなければ会話くらい黙認してやってもいい。と、そう思うくらいには感謝していると言えなくもない。わざわざ口に出して言ったりはしないけどなっ!
「こうやってプロフェッサーさんがきっかけで深まった絆もあります。セシリアちゃんと出会えたことも、私にとってはすっごくすっごく嬉しいコトなんです。だからね、謝らないでください。謝られちゃうと、なんかいいコトまで悪いコトみたいに思えてきちゃうよ」
咲良はそう言うと、ニコッと微笑んで見せた。
楽しいコトを心底楽しむ。嬉しいコトは心底喜ぶ。
何とも妹らしい考え方で、思わずこっちまで笑みが浮かんできてしまう。
生まれた人格がこのセシリアだったからこそ、俺は咲良と再会を果たせたし、咲良は咲良で自我を失わずに済んだといえるだろう。
出会いの形は確かに歪だったかもしれない。
でも、それは俺たちにとって、かけがえのない出会いだったのだ。
すると、その瞬間、
「あら、あらあら」
と、ダニエラさんが戸惑いの声を上げる。
咲良の顔は確かに笑っていた。
しかし、左目からだけ大粒の涙が零れ落ちていた。




