Chapter.18 「譲れないコト(後編)」
「キミ、サクラの兄様なんだろう?」
何度目かの打ち合いの後、鍔迫り合いの最中にセシリアさんがそう声を掛けてきた。
俺はそれに小さく頷きで返す。
「サクラが謝っていたよ。心配かけてごめんなさいって」
セシリアさんは力を込めて俺を弾き飛ばし、追い打つように切りかかる。
「話を、したんですか?」
俺はそれを再び受ける。
そうした攻守が続きながら、同時に会話も続いていく。
「ああ、よく会話する。とてもいい子だ。それに優しい」
「セシリアさん、咲良を返してもらうことはできませんか?」
「ボクには何もできない。もしできたとしても……、やはりそれはまだできない」
「まだ?」
「うん。ボクには何かしなければならない、いや、したいと思ったことが一つだけあったんだ。ボクにはそれしかない。ボクの唯一の望みだった。でも思い出せないんだ。それだけを思っていたのに。どうしても思い出せない」
表情が悲しげなものに変わった。
髪も声も太刀筋も全てセシリアさんなのに、その表情にだけは咲良を感じた。
きっと咲良も悲しんでいる。そう直感した。
「サクラはこう言っていた。それをキミなら思い出させてくれる、と!」
セシリアさんはそう言って今までにない動きを見せた。
先までの大振りではなく、ほとんど振りかぶらずに、突きに近いモーションでの腕を狙った一撃。
俺がそれを受けようとすると、すかさず剣を横へ引き、脇腹への一撃。
俺は思わず心が弾んだ。
これは、このコンビネーションは、咲良が得意としていたものの一つ。
咲良の言葉、咲良の想いを受け取った気がした。
俺は一度大きく距離を取り、桜花絢爛の刃を収める。そして呼び掛けた。
「セシリアさん。俺があなたの望みを思い出させられるかどうか、試してみてもいいですか?」
すると、彼女はニコッと微笑んで頷いた。
その笑顔は咲良のものか、セシリアさんのものか。
俺はそれを見て深呼吸をする。
芝生の青々とした匂いと、透き通った湖の空気が全身に行き渡る。
俺はゆっくりと思い出す。初めて剣を握った日のことを。
「――桜花絢爛」
桜色の光に懐かしさを覚える。
今まではセシリアさんの斬撃を受けるか捌くかしていただけだった。桜花とナハトムジークが接触さえすれば、俺の想いを咲良に届けるという目的は果たされる。
もしかすると、もう届いていたのかもしれない。
あの咲良が得意としていたコンビネーション。あれを俺は咲良からのメッセージだと受け取った。
きっと咲良はセシリアさんが言った望みとやらを叶えさせたいと思っている。
自意識を抑え込まれ、自分自身を乗っ取られ、挙句、自らの体を使って人殺しまでさせられた。
なのに、それでも、咲良はセシリアさんを救いたいと思ったのだ。
他のことなんてどうでもよく、今はただ、それだけを目的としている。
だったら俺はそれを手伝おう。
今までだってそうしてきた。これからもそうしていく。
別に咲良の為だけじゃない。
なにより、俺自身がそうしたいと思っているから。
俺が唯一譲れないコト――、それは俺が咲良の『お兄』であることだ。
それが根幹となり、今の俺が構築されている。
だからこそ剣を取った。
その気持ちをぶつけてみようと思う。
桜花絢爛を上段に構えると、セシリアさんも同じくナハトムジークを上段へと構える。
「いきます」
「どうぞ」
両者一斉に大地を蹴り、互いに剣を振り下ろす。
渾身の一撃と共に黒い光と桜色の光が重なり合い、まるで夜桜吹雪のように上空へと舞い上がった。
****
「私の憎しみが形となったこの魔装。貴様らごときでは止められん!」
プロフェッサーの魔装アルマインサニアはやはりただの鎧ではなかった。
その鎧からは常時瘴気が放出され、それはすぐさま鋭い槍状の小さな結晶となり、プロフェッサーの周りに無数に浮かび上がる。
「我が恨み、この手で晴らしてやるぞ!」
プロフェッサーが手を前にかざすと、その結晶は暴風雨のように襲いかかってきた。
それをコーエンさんはナイフ型魔装グラティアスで受ける。グラティアスは黄魔晶石の効果により、元々ついた刃が硬化されている。それに加え、黄色に輝く魔力刃を同時に十本出現させていた。
しかし、それは降り注ぐ雨粒に礫を当てるが如く、結晶の雨は防ぎきれない。
一撃一撃は小さいが、あっという間に全身が傷だらけとなってしまった。
だがそれでも、コーエンさんは避けようとはしない。
なにせ真後ろには無防備なリンネがいる。自らが防雨林となっているのだ。
「お兄ちゃん!」
「絶対に、動くんじゃ……、ねぇぞ。オレが、お前のお兄ちゃんが、絶対に守ってやる!」
コーエンさんは再びグラティアスの魔力刃を生み出し、構えを取る。槍が降ろうが、剣が降ろうが、何が何でも動かない構えだ。
「この僕を忘れてもらっては困るのだよぉ!!」
プロフェッサーの狙いは完全にコーエンさんとリンネに絞られていた。アルマインサニアの瘴気の雨もどうやら全方向には向けられないらしく、小次郎はノーマークのまま、死角から突撃を仕掛けた。
小次郎の魔装フリーレンシャフトは小剣、レイピアに形が近い。細く鋭い、突きに特化した形状なので、プロフェッサーの身を固めている鎧の隙間を的確に突くことができる。
――はずだった。
狙い自体は悪くない。肩当てと手甲の繋ぎ目部分。僅かばかりのその隙間には確かにプロフェッサーの左腕が見えていた。小次郎はそこに刃を突き刺したのだ。
いや、正確には刺さらなかった。
刃の先端は間違いなく腕の表面に当たっているが、そこでピタリと止まっていた。
「その程度では、私の憎悪の壁は突き抜けんよ。小僧」
プロフェッサーは腕を振りかざし、小次郎の顔面を殴打する。
「むぎぅ」
手甲が顔に直撃し、鈍い音と共に吹き飛ばされた。
「コジロー!」
コーエンさんが叫びを上げてグラティアスの刃を全て飛ばす。が、フリーレンシャフトと同様に弾かれるだけだった。
「くそっ、原魔並みの硬さだな」
コーエンさんの顔には色濃く焦りの色が滲んでいた。
****
ギィンと音がした。
桜花絢爛はナハトムジークを叩き切り、咲良の首筋に触れる刹那でピタリと止まった。
俺が息を吐くのと同時に、咲良も短く息を吐いた。
「どうでしょう?」
「……うん。キミの想い。確かに感じたよ」
セシリアさんの声。俺は刃を下げる。
「ボクも――、ううん、セシリアも、始まりはそんな気持ちだったんだ。それを伝えたかった。セシリアが伝えられなかった想いを、ボクが伝えたい。そう思った」
俺が強くなりたかったのは、ありのままの咲良を守りたかったから。
咲良もきっと、『お兄』である俺を守る為に強くなり、行動してくれていた。
俺たち兄妹は二人で一つの想いを共有していたのだ。
コーエンさんとリンネもそう。
魔装士になってリンネの作った魔装で戦いたい。
魔導技師としてコーエンさんに魔装を作ってあげたい。
どちらが先とか後ではなく、二人の夢は共有されていた。
「セシリアは自分が兄様の作った魔装で戦うことで、たくさんの人が救われることを願っていた。もちろんそこには兄様のことも含まれていた。でも、兄様は違った。兄様は自分の魔装がセシリアを、セシリアだけを救えればいいと思っていたんだ。その違いが、こんな事態を招いてしまった」
きっとこのセシリアさんは、亡くなってしまったセシリア=ハモニカさんと同じ人格でありながらも、自ら別だと認識しているのだろう。ハッキリとした記憶を持たない、新たに作られた人格だと認識してしまっているのだ。
咲良はきっとそんな彼女を放っておけなかったのだ。
「ボクはどうしても兄様にそれを伝えたい。それがあのセシリアの、最期の願いだから」
セシリアさんはそう言うと、フッと目を閉じた。そしてすぐにまた開く。
「協力するよ。『私たち』が。ね、お兄?」
そう俺に向けられたのは咲良の声だった。
「……ああ」
俺は頷くだけにしておいた。話したいことは山ほどある。聞きたいことは海ほどある。
でも、それは彼女の望みを叶えてからにしよう。それが咲良の願いなら。
「あ、お兄、これも使って」
咲良が手渡してきたのはシンプルな柄形の魔装だ。青魔晶石が付いている。
「武蔵野『二刀流』古剣術。その本気、久々に見せてよね?」
「――いいよ。コイツの名前は?」
「ファミリア」
語感で連想されるのは、家族、だ。
「さては、名前が気に入って買ったな?」
「わかっちゃうかぁ、さすがはお兄。ほらあれ、『サクラ』ダ・ファミリア……、ってアレ?
なぁにその顔?」
「……行くぞ。タイミング合わせろよ?」
「言われなくても合っちゃうよ。家族だし、兄妹だし」
俺たちは全くの同時に走り出した。託された想いを届けるべく相手に向かって。
「桜花絢爛!
ファミリア!」
「ナハトムジーク!」
****
プロフェッサーは狂喜の笑みで顔が歪んでいた。
「貴様ら兄妹だけがのうのうと生きているのは納得がいかなかった。ずっと、ずっとっ!」
足元で膝を突くコーエンさん、そしてリンネに向けてプロフェッサーは吐き捨てる。
「コーエン=トルディア。そこをどけぃ!!
先に妹を殺し、私と同じ苦しみを味わった後に殺してやる!!」
「ハッ、バカ言うなよシルバ。どけと言われてどくヤツがいると思うか?」
そうは言っても、コーエンさんは立ち上がることもできないほど全身に傷を浴びていた。
「フッ、そうだな。では無理にでもどいてもらうとしよう」
プロフェッサーは思い切りコーエンさんの脇腹を蹴り飛ばす。
「ぐぅぅ」
躊躇なく足が振り抜かれ、コーエンさんは苦痛の声を洩らしながらに吹き飛んだ。
その瞬間だった。
「フィニス・グラティアス!」
コーエンさんの陰に隠れていたリンネが高らかに叫んだ。
魔晶石が割れると同時に、手に構えたナイフに光が集まり、まさに光の速さで刃が伸びていく。
それはプロフェッサーの左腕――肩辺りを貫通し、それでも勢い止むことなく、物凄い速度で上空へと飛び立った。
だが、
「ククククククク。やってくれるじゃないか、小娘」
プロフェッサーは笑っていた。
左腕は貫いたところからボトリと落ちた。にもかかわらず、プロフェッサーは笑ってそう言ってのけた。
しかし、その身に纏っていた魔装の鎧が紫色の蒸気のように霧散していく。
「なんなの……」
「くそっ、リンネ逃げろ!」
絶望に満ちたリンネ。驚愕に叫ぶコーエンさん。
「させないのだよ!」
そこに小次郎が割って入る。
「フィニス・フリーレンシャフト!
しかし友情は終わらないっ!!」
続いて小次郎もフィニスを発動させた。
青魔晶石が音を立てて飛び散ると、小次郎はフリーレンシャフトをプロフェッサーの足元へと突き刺した。すると、瞬く間に地面が凍り付き、茨の蔦のように氷がプロフェッサーの全身へと巻き付き伸びる。
その隙に、小次郎はリンネを抱え、その場から距離を取った。
「後は任せたのだよ!」
時間稼ぎとしては最高の一仕事だった。
「ああ、任されたっ!」
俺は右手に桜花絢爛、左手にファミリアを持ち、二刀合わせた飛び込み面をプロフェッサーへと叩き込む。
しかし、それが脳天へと触れる直前、パァンと全身に巻きついていた氷が砕け散り、二刀まとめて片手白刃取りの形で押さえられた。
すでに魔装アルマインサニアは消えている。俺は寸止めするつもりだったのだ。
しかし、プロフェッサーは何もつけていない生身の手で二刀の魔装刃を易々と止めた。
「甘いな」
「そうか?」
俺がにやりと笑みを見せたその刹那。俺の背後から現れた咲良が錐揉むように体を回転させてガラ空きとなったプロフェッサーの胴にナハトムジークで一撃を入れる。
本来の作戦では魔装に打ち込むはずだった俺と咲良の一撃。それが無くなった故の寸止め判断だったが、俺の二刀が受け止められた以上、それを見た咲良は容赦なく打ち込んだ。
「セシリア!」
プロフェッサーの叫びと共に、ガァンという、まるで鉄をハンマーでぶっ叩いたような音がした。
「今は咲良ですけどっ、てか硬ったぁ~い」
咲良が声を上げた。どうやらダメージは通っていない。
「下がれ!」
俺は二刀ごと体を捻り、白刃取りから抜け出すと、咲良は大きくバックステップして間合いを取った。
ふと見ると、プロフェッサーの左腕があった箇所から紫色をした靄が薄らと洩れている。
あれはおそらく瘴気。つまりは――。
「アンタ、自分を原魔化させたのか。あの執事さんみたいに」
「あれは勝手に暴走しただけだ。私自身へは意図して行ったがね」
刃の通らない硬い皮膚。体内から洩れ出す瘴気。それはプロフェッサーが原魔と化している証拠だ。
きっと自分すらをも実験台として使ったのだろう。
「……どうした?」
プロフェッサーの動きが止まっていた。視線は咲良へと向いている。
「兄様の左腕は義手だよ。義手自体が魔装なんだ。セシリアが死んじゃったあの時からずっと」
すると咲良が急にセシリアさんの声になり、俺は思わずビクついてしまった。
「あ、そうなんだ。じゃあ私が切っちゃったのも義手だったんだね」
今度は咲良自身の声。一人二役で会話をしている。
「そのセシリアさんって記憶が無いんだろ?」
「いや、あの時、兄様はセシリアを庇って左腕を失ったんだ。だからセシリアはよりこの想いを届けたかった。ボクにある、唯一セシリアと共有している想いの元になったんだよ」
そんなセシリアさんの声に、プロフェッサーが反応を示した。
「セシリアよ……、お前はやはり、私の求めたセシリアではないのだな」
「――ごめんなさい、兄様。ボクはやっぱりあのセシリアとは違う。でも――」
「フッ、失敗作、というわけか」
想いを、人格まで越えた想いを届けようとしたセシリアさんの言葉を遮り、プロフェッサーは自嘲にするようにそう呟いた。そして、全てを諦めたように背を向ける。
「お前それでも――」
頭にキた。確かに咲良の中に宿ったセシリアさんの人格はプロフェッサーの求めていたセシリア=ハモニカさんではないかもしれない。でもあれだけの信頼と、本人と変わらない想いを持って生まれた人格に、自らの手で作り出した人格に、失敗作だと……。その一言で済ませる気なのか、コイツは。
……しかし、俺よりキているヤツが隣にいた。
「お兄、それ貸して。私がやるから」
咲良が怒ったところなど初めて見た。夢中になっているところを邪魔されて癇癪起こしたり、そんなのは過去に幾度とあったが、こんなにストレートにキレるのは初めてだろう。
「ほれ」
俺は桜花絢爛を手渡した。確かに俺がやるよりも、セシリアさんと過ごした咲良がやった方があのクソ野郎には想いがよく伝わるだろう。
「フィニス・ファミリア」
俺は手元に残ったファミリアでフィニスを発動させる。
戦意を失い、更に背を向けた相手を切り付けようというわけではない。俺は万が一に備えたただの保険だ。
「フィニス・桜花絢爛」
そして咲良がそう呟き、直後――、
「ありがとう」
セシリアさんがそう呟いた。




