Chapter.17 「譲れないコト(前編)」
緑も多く、優しい夜風が吹く。レンガ造りの家々が並び、彩り豊かな花々が咲く。
そして、満月が映り込む穏やかな湖。
ハルモアはとても静かで美しい街だった。
ティアレイクに比べるとやや小さな湖だが、どこか雰囲気は似ているように思える。
なぜプロフェッサーがあの場所に工房を構えたのかわかった気がした。
畔からは一本の橋が渡されており、それは湖に浮かぶ小島へと続いている。
半径百メートルほどの小さな島。芝生が敷き詰められ、ベンチや花壇もある。
そこに二人はいた。並んで夜の湖を眺めている。
「兄妹の静かな時間を邪魔立てするのは、少々無粋ではないかね?」
プロフェッサーは振り向きざまにそう言った。この場ではもう顔に布を巻いていない。
正体を隠す必要が無くなった、ということだろうか。
初めて見る素顔は想像していたよりもずっと若いが、真っ白な髪と世の全てを憎むような鋭い目つきが、その印象をすぐに消し飛ばした。
「シルバ、それはオマエの妹、セシリアじゃねぇだろ。コイツの――、アリマの妹のサクラだ」
コーエンさんが言い返す。
「フッ……。コーエン=トルディアよ、貴様にだけはセシリアの名を軽々しく口にしてほしくはないものだな」
コーエンさんからすると、そう言われてしまえば何も言い返せない。もちろんそれをわかってプロフェッサーは口にしているのだろう。
そこに割って入ったのがリンネだ。
「じゃあ、代わりにアタシが言ってあげよっか。ねぇ、プロフェッサー?」
「――コーエンの妹。貴様とて同罪であろう」
プロフェッサーは声を荒立て言い放つ。
「何がアタシの罪だっていうのかしら。美少女な部分?
それとも、天才な部分?」
「やめろ」
リンネが挑発的に食って掛かろうとするのをコーエンさんが止める。これはリンネの失ってしまった過去に関する話だ。むやみに触れられたくは無い――そんな気持ちが垣間見られる。
しかし、プロフェッサーは言う。
「貴様ら兄妹がいなければ、私のセシリアは死なずに済んだのだ。セシリアを見殺しにした兄。セシリアの命を奪い取った妹。私が貴様ら兄妹をどれだけ憎み続けてきたかわかるまい」
「……やめろ」
コーエンさんの悲痛が洩れ出す。
だが、リンネは黙ってプロフェッサーを睨みつけていた。
「リンネとかいったか。貴様を襲った原魔を、命と引き換えに倒したのは私の妹、セシリアだ。その場で紫魔晶石を使っていれば救えたかもしれないものを、コーエンはそれを奪い、貴様に使った。感謝してくれたまえよ。今ある貴様の命はセシリアの命も同然だ」
コーエンさんは決して無理やり紫魔晶石を奪ったわけではない。だが、プロフェッサーからすれば同じことだ。
「やめろっつてんだろうが!」
コーエンさんが叫ぶと同時に、ナイフ型魔装グラティアスを抜いた。
だが、それをすぐさまリンネが止めた。
「わかったわ」
そして、そう一言呟き、プロフェッサーの隣でジッと佇む咲良の方を向いた。
「アナタ、今はそのセシリアさんの人格なのよね?
本人の記憶はあるのかな?」
リンネがそう尋ねても、セシリア人格の咲良はほんの僅かな反応も示さない。
「わかんないけど、ま、いいわ。ありがとう。アタシ、全然知らなかったけど、アナタのおかげでこうして生きていられてるみたい」
リンネは丁寧に頭を下げた。
「リンネ、お前、もしかして記憶が?」
コーエンさんが恐る恐る聞くと、リンネは微笑むだけ。
しかし、その行為はプロフェッサーの逆鱗に触れてしまったようだ。
「セシリア、その女を殺せ!」
プロフェッサーは迷いもなく、そう告げる。
妹の人格を持つ存在に向かって、さも当然のように。
「――ナハトムジーク」
そう声がした。俺は一瞬、誰の声かわからなかった。
咲良の右手に魔装の刃が現れたのを見て、その声の主がようやくわかった。
咲良の声が変わってしまっていた。
髪もそうだ。先日は黒髪にやや金髪が交じり合っていたが、今は完全に金髪のみに染まっている。おそらくは体までセシリアさん本来の姿へと変わりつつあるのだ。
コーエンさんもその声を聞き、確信したのだろう。
「セシリア、やめてくれ!
オレだ、コーエンだ!」
リンネを下がらせ、必死にそう訴えかける。
「貴様の声など、セシリアの耳には届かんぞ!」
「シルバ、オマエは妹に人殺しをさせるのか!
セシリアはそんなこと望んじゃいない。オレは……、確かにオレ自身は虫にも劣る。だがな、あの時の彼女は紛れもなく高貴な意志を持っていたんだっ。だからオレに魔晶石を託してくれた!」
「虫にも劣る貴様如きに、妹の高貴さがわかるはずもなかろうっ、やれ!」
激情の応酬の末、魔装を構えた咲良、いや、セシリアさんはリンネを目掛けて地を蹴った。
「――桜花絢爛!」
俺は間に割って入るように立ち塞がり、発動させた桜花でナハトムジークを抑える。
キィンと音がした。
セシリアさんはすかさず刃を引き、一振り、二振りとナハトムジークを振りかざす。
それを俺は全て桜花絢爛で受け止めた。
打ち合うとわかる。これは咲良の太刀筋ではなく、セシリアさん本来の剣技なのだろう。
しかし、セシリアさんの魔装は斧型だと聞いたにもかかわらずナハトムジークが剣の刃を具現しているのは、やはり咲良本来の意識が影響しているのかもしれない。が、それ故、セシリアさんにとっては使い慣れない武器ということになる。斧を使えばS級魔装士の実力なのかもしれないが、これなら十分に対応できる。
俺は何度も何度も振りかざされる刃を受け切った。これこそが狙いだ。
発動させる際、俺は咲良を救いたい一心を想いのままに込めた。桜花絢爛を通し、ナハトムジークを介し、俺の想いが伝わるまで打ち合う。何時間でも、何日でも、俺は決して手を休めるつもりは無い。
一方、やはりそれをプロフェッサーが黙って見ているはずが無かった。
俺とセシリアさんの打ち合いが続いていくのに業を煮やしたかのように、
「アルマインサニア」
と、魔装を発動させる。
手には何も持っておらず、どこに魔装を付けているのかはわからなかったが、その名を告げると同時にプロフェッサーの体全体が紫色の霧に包まれた。やがてそれは形を為してゆき、禍々しい鎧へと姿を変える。
「リンネは下がっていろっ、グラティアス!」
「出番が来たようだね。輝きたまえっ、フリーレンシャフト!」
プロフェッサーがリンネの元や俺の方へと近付かないように、コーエンさんと小次郎はそれぞれ位置を取る。
「一見ただの鎧だが、魔装で防具ってのは聞いたことがねぇ。迂闊に手を出すなよ、コジロー」
「了解なのだよ、コーエン氏。あくまで有馬くんの時間を稼ぐのが目的ということだね」
こうして戦局は二つに分かたれた。




