Chapter.16 「桜」
「実験台にさせられていたんだわ」
炉の前でなにやら作業を進めながら、リンネが言った。
俺たちは老執事から聞けるだけ話を聞いた後、リンネの工房まで戻ってきていた。そして得た情報をリンネに全て話し終えたところだ。
「やっぱそうか」
「ええ。サクラに自分の妹の人格を宿す為の人体実験ね」
孫にもう一度会える。そう思った老執事はプロフェッサーから咲良がしていたのと同じ黒い指輪を貰ったそうだ。おそらくは試作品といったところだろう。本人はそれが魔装と知らず、言われるがままに使い続けていたらしいが、老執事には魔力を具現化させるだけの素養はなかった。
しかし、魔力だけは発動していたのだ。
やがて、夢の中で亡くなったはずの孫と話すことができるようになったという。
「魔装によって人格が生まれたのよ。お爺ちゃんの中にお孫さんのね」
孫の人格と老執事の人格が一時的に共存していたということだ。
しかし、徐々に孫が老執事を抑え込み、そして暴走した。というのがリンネの見解となる。
「お爺ちゃんの素養のせいか、まだ魔装が不完全な物だったのかはわからないけど、形成されたそのお孫さんの人格は元を辿れば瘴気だわ。それが人の形を為し、原魔となった。それを倒したことで、お爺ちゃんは元に戻れたってことだと思う」
「ではリンネ嬢、咲良さんの場合もその別人格を倒せば元に戻るってことなのかい?」
リンネの作業を手伝っていた小次郎が手を休めてそう訊いた。
「それができれば、だけど」
リンネも作業の手を休める。
「お爺ちゃんのは失敗だったからこそ、体内の瘴気が原魔として具現されたのよ。この前に会った時はちゃんと執事の仕事していたし、ちゃんとお爺ちゃんの人格が出ていたでしょ。でもサクラの場合は違うの」
そうだ。咲良はすでに別人格が表に出てしまっている状態にある。その状態で行動し続けているということは、おそらくプロフェッサーの実験は成功したのだ。
これでは瘴気が暴走し、原魔として形を為すこともない。
つまり……。
「咲良はもう、戻らない、ってことか……」
俺がそう呟くと、小次郎が顔を歪ませた。コーエンさんはそっと目を伏せる。
「――けど、一つわかったことがあるじゃない」
しかし、リンネは口を開いた。皆の注目が集まる。
「元の人物の――、つまりお爺ちゃんとサクラだけど、その人格が完全に消えるわけではないってこと。暴走した孫人格の原魔を倒した後、お爺ちゃんがちゃんと自身を認識して会話したのがその証拠になるわ」
確かにそれはそうかもしれないが。
「でも別人格の方を何とかしなきゃサクラは出てこれねぇんだろ?
オレらにできることって何も無くねぇか?」
そう。結局はそれがわかったところで何もできることは無い
「うん。お兄ちゃんとコジローには無いかもね。イヤよね~、役に立たない男って」
リンネの酷い言い草に二人はいじけた顔を見せた。
だが、俺とリンネにはまだできることがある。そう言っているようにも聞こえる。
「フム。有馬くんが訴えかければ咲良さんが反応するかもしれない。そう考えるのはまだわかるのだよ。しかしリンネ嬢、キミにも何か秘策があるのかい?」
「待てよ、小次郎。お前もあの時見ただろ。俺にだってこれ以上……」
プロフェッサーの工房で、咲良は俺が呼び掛けたことに何の反応も示さなかった。オレの言葉は、今の咲良には届かない。
「あ~、アリマ。アナタがそんな弱気じゃダメよ!
サクラのお兄ちゃんなんでしょ?
サクラのこと、世界で一番大切に思っているんでしょ?
なのに、もう諦めるの?
それでも男?
ホントにチンチンついてるの?
アナタからサクラを取ったら何も残らないわよ?」
リンネは息つく間もなく俺を責め立ててくる。
俺は情けなくも、強い口調で言い返してしまった。
「……咲良を想う気持ちでは誰にも負けない自信はある。けどな、自信だけでは救えない。そうだろ?
俺にはそんな役に立たないもんしか残ってねぇんだよ!」
自分で言っていて本当に情けない気持ちでいっぱいだった。何もできない自分に腹が立った。
怒りと悔しさで狂ってしまいそうだった。
そんな俺に向かって、リンネが言う。
「そうよ。言う通り。アナタ自身、一人だけでは救えない。でもね、アナタのその自信と、アタシのこの腕があれば、きっとサクラを救えるわ。アタシにはその自信があるんだもの」
リンネの言わんとしていることがよくわからなかった。
呆気に取られた俺に、リンネは「はい、これ」と言って、脇に置いてあった長方形の木箱を手渡してくる。視線が開けてみろと言っていたので、俺はその三〇センチほどの木箱の蓋を開けた。
「――魔装、か?」
中に入っていたのは、まさに日本刀の『柄』の形を模した魔装だった。鉄拵えされた柄に黒皮が巻かれ、頭部分に赤魔晶石が装飾されている。
「その魔晶石、アタシたちが出会った時のやつよ。売ってもお金にならないけど、素材としては一級品だからね。超天才で超美少女のこのアタシが全身全霊を込めて仕立ててあげたわ。デザインはアリマに馴染みがあるものをってコジローに絵を描いてもらってね。どう?」
どうと訊かれてしまえば手に取るしかない。流されるまま箱を置き、中身を取り出して構えてみる。
「…………」
感触は悪くなかった。長年愛用した自分の刀のようにしっくりきた。
だが、これでどうしろと、何を倒せとリンネは言うのか。
「プロフェッサーは使い手の精神に作用する魔装を作り出す。あの変態にできてこのアタシにできないなんてことないでしょ?
だから作ったわ。もちろん、アタシなりに改良を加えてね」
プロフェッサーの研究成果が書かれた紙をリンネは手に入れていたのだ。おそらくそれを参考にしたとか、そういうことだろうと思う。
「いい?
その魔装にはね、使い手の一番強い想いを更に増幅させるように仕掛けがしてあるの。喜び、悲しみ、憎しみ、不安、愛情、そんな感情の中で、その時最も強くある想いが刃となって現れるわ」
確かにそれはプロフェッサーの作り出す魔装とは違う。彼の魔装は使い手の精神状態をより都合の良いように操作する類の物だ。その点、リンネの作り出した魔装は使い手の感情を第一に考えたものといえる。
「それでアナタの想いを届けなさい。サクラが付けているあの気色悪い魔装を通してなら、きっと通じるはずよ」
想いが刃に現れるといっても、刃は刃。人を切れば傷付ける。
しかし、魔装を狙えば。
「本当に……、これでそんなことができるのか?」
いや、できてもらわなくては困る。
俺がそう確認すると、リンネは髪をフワッとかき上げた。
「あら、心外ね」
その自信に満ちた表情は、俺に僅かな光を見せてくれた気がした。
「ほら、いいから使って見せてよ。アタシはね、作った魔装が初めて使われる瞬間が一番好きなの。だってドキドキするじゃない?
アタシの魂込めた一振りがさ、どんな輝きを見せてくれるのか。あ~、楽しみだわ~」
リンネは無邪気に笑ってみせた。
「わかった。ああ、名前をまだ聞いてなかったな」
魔装を発動させるにはその名を告げる必要がある。赤魔晶石なのでイメージは炎だろう。
「あっ、そうそう。名前はね、オー、ケン……、ん、なんだっけ?」
「え?」
リンネが魔装の名を口にした時、俺の心臓が高鳴った気がした。
「リンネ嬢。『オーカ』ではなく、『おうか』なのだよ。お・う・か」
「ああ、はいはい――。アナタたちの世界の言葉なんだよね。それと、イメージなんだけどね、普通なら炎だけど、さっきも言ったように強い想いが左右するから、今、アリマが伝えたい気持ちを強く膨らましてくれるだけでいいわ」
名付け親は小次郎のようだ。そういえばこのデザインも小次郎が絵を描いたと言っていた。
コイツにしては、なかなかいい仕事をする。不覚にもそう思った。
今、この場で俺が伝えたい気持ち――。
それはリンネ、コーエンさん、ついでに小次郎。その三人への感謝だろうか。
オーカではなく、――おうか――
「桜花絢爛」
俺は溢れんばかりの気持ちを言葉に乗せて、そう呟いた。
手元の魔装はすぐさま反応し、まるで舞う桜吹雪のような華麗で幻想的な淡い光を咲き誇らせる。
ふわりと風を感じ、家の道場に咲く、たった一本の桜の木が頭を過った。
生み出されたのは、桜色の輝きを放つ美しい打刀。
「綺麗~」
リンネがウットリとその刃に見蕩れていた。
リンネだけではなく、小次郎もコーエンさんも、そして俺も。
刃にたゆたう優しい光。それは俺に咲良を思い出させる。
俺はこの魔装、桜花絢爛で咲良を救う。これならできる。そう思った。
「ありがとう」
その小さな声が届いたかはわからない。
が、俺を除く三人は、一様にして優しい笑みを見せていた。
「はいはいはいはーい! それだけじゃありませーん!」
リンネが声高に叫ぶ。
「ハイ、まずこれはコジロー、アナタの」
「ええっ 僕のもあるのかい!?」
その鬱陶しいリアクションで、俺は現実に引き戻された。
リンネは小さな胸を張りながら、小次郎にも魔装を手渡している。それは同じく剣柄のような形をしていたが、中心に向かってやや流線形を描いた細めの物だった。最も細くなった中心部分に青く魔晶石が輝いている。
つか、コイツ、リンネの作業を手伝っていたんだから自分の分が用意されているって知っていただろうに。ウッザ。
「これはアリマのと違って従来の魔装だけどね。コジローが具現化する刃の形はイグニスで一回見たし、イメージは簡単だったわ。名前はフリーレンシャフトっていうの」
「おおっ実に素晴らしい。ファンタスティックなのだよ!
ちなみにその名の由来はなんだい?」
期待するあまりに目がキラキラと輝いていて、そんなコイツを見ていると寒気がする。
「ん~、まぁ最初はキモくてわけわかんないヤツとしか思ってなかったんだけどね。いや、今でもそれは思ってるんだけど~」
嬉々としていた小次郎だったが、それを聞いて泣きそうな顔になっていた。
「見かけによらず、気遣い屋さんなのよね。だからまぁ『友情』みたいな?」
『ハァ?』
リンネの言葉に思わず声が出た。小次郎も同時に首を傾げていた。
「ほら、息ぴったりじゃないの」
「いやいや、リンネ嬢。僕は咲良さんへの愛に生きる男なのだよ?
誰も有馬くんに友情など感じていないし、むしろ愛の障害となるだね――」
「なにぃぃ?
お前こそ俺から見たら妹に集る害虫なんだよ!」
俺たちが「やんのかコラ?」「ここで決着をつけるのだよ!」と騒いでいると、
「オイ、オマエらっ!
オレの妹の言い分が間違ってるとでも言いてぇんか!?」
というコーエンさんの檄が飛んだ。
散々世話になっているこの人には下げる頭しか持ち合わせていない。
『ごめんなさい。妹さんの言う通りです』
俺と小次郎は直角に頭を下げた。またしても行動と発言が被っていた。
「アハハ。ほらほら、いいから使って見せなさいよ」
「フ、フム。では……、織り成せっフリーレンシャフト!」
何を織り成すのかは意味不明だが、小次郎の呼号にフリーレンシャフトは従順な反応を示す。
青色の光が模っていくのはやはり小剣だ。見る者を冷やりとさせるほど、突きに特化した鋭く細い剣先。それでいてしなやかさを兼ね備えて形成されていく。
まぁ、コイツの見た目繊細な部分に合ってるんじゃないの?
つか、友情とか言われちゃうと何か直視し辛いんですけど。
俺の複雑な心境はともかくとして、それでも小次郎は満足そうだった。
「うん。いいみたいね。で、最後にこれがお兄ちゃんのね」
リンネは続けてコーエンさんに魔装を手渡した。それは刃まで作られたナイフ型で、柄に黄色の魔晶石が装飾されている。
コーエンさんは予想外のことに口をぽかーんと開けたまま、それを受け取っていた。
「黄色の魔晶石はさ、基本的に物の硬度を上げてくれたりするじゃない?
だから刃も作ったの。名前はね――」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってくれ。なぁ、リンネ。なんでオレにも魔装を、なんでナイフ型?」
リンネの話を遮るように、コーエンさんは焦った様子丸出しでそう尋ねていた。
それもそのはず。リンネはコーエンさんが魔装士であるという記憶を失っているはずだった。にもかかわらず魔装を用意し、しかも用意した魔装がナイフ型である。それは明らかにコーエンさんが具現化する魔装が投げナイフだと知っていなければできないことだ。
「え、なんでって……、あれ~そういえばなんでだろ~?
徹夜続きだったからよく覚えてないんだけど……、何か、こう、自然にそうしちゃってた。ま、別にいいじゃない」
リンネは首を左右に傾げている。本当にわかっていないのか、それとも実は記憶が戻っているのか、どちらかはわからない。
「あ、ちなみにその魔晶石ね。お兄ちゃんがいつも隠し持ってたヤツだから」
「……は?
オマエ、あれは大事な形見で――」
コーエンさんは目を丸くしつつも、そこまで言い掛けて口を噤んだ。
しかし、リンネはあっけらかんとして言い放つ。
「あっそ。じゃあ大切に使ったらいいでしょ」
「……んで、名前はなんて言うんだよ?」
すでに魔装になってしまった物は仕方がない。そんな諦めた物言いでコーエンさんは呟いた。
「グラティアス。一応、感謝とか尊敬とかそういう意味」
プイッとそっぽを向いてリンネは言った。
「……そうか」
コーエンさんは慈しむような瞳を魔晶石へと向けている。
これは俺の勝手な想像だが――、その黄魔晶石はもしかするとセシリアさんが使用していたものなんじゃないだろうか。形見と聞いてなんとなくそう思った。
そして、リンネも記憶としてか感覚としてかはわからないが、何か思う所があったのだ。
兄への尊敬と感謝もきっとある。けど、コーエンさんが抱く、セシリアさんへの想いも汲まれているような気がした。
「で~、アタシはイグニスを使います。アリマ、返して」
リンネはそう言って両掌を俺に向かって差し出した。
そういえば、諸々の報告を優先したせいでイグニスの件はまだ伝えていなかった。
ヤバイかもしれない。
「あ、あの、リンネさん……、実は、そのぉ……」
俺はしぶしぶポケットからイグニスを取り出し、リンネの掌に乗せた。
「あ……」
リンネはすぐさま気付いてしまった。イグニスの魔晶石がないことに。
「あのですね……、原魔を倒す際にフィニスというのを……」
「フィニス!?
アリマ、イグニスでフィニスしちゃったの!?」
「あ、ああ……。ごめん」
素直に謝るしかなかった。
危ない状況だったとはいえ、借り物をぶっ壊した張本人は俺だ。
「弁償……」
俯いたリンネが低い声で呟いた。
「弁償して」
「するする。出世払いで」
生憎と今は一文無しだ。俺が出世できるかどうかは不明だが、働いて返す他ないだろう。
「フン、絶対だからね!
でも、原魔を相手にフィニスして勝ったってことよね?」
リンネはプンスカと頬を膨らませながらそう聞いてきた。
「ん、ああ。ですよね、コーエンさん?」
「おうよ。リンネの作った魔装は原魔も一撃で倒したぞ!」
さすがはコーエンさんだ。実際はコーエンさんの手助けあってのことだし、あの時、本物の原魔の強さはこんなもんじゃないとか言っていたが、空気を読んでくれたらしい。
「ふ~ん、一撃、ね。やっぱアタシって天才だわ。フフフフフフフフフフフフフフ」
マッドサイエンティストのような不気味な笑いではあったが、機嫌を直してくれたようで助かった。
「つかさ、なんで全員分の魔装を用意していたんだ?」
咲良を救うのは俺の役目だ。桜花絢爛を用意してくれたことに関しては感謝もしているし、対応策を考え、実行に移し、実現させたことには驚愕すら覚える。
が、まるで全員が何かと戦うことを想定しているように思えた。
「アリマがサクラを相手にしている間、プロフェッサーが黙って見ているとは思えないし。S級相手に足止めしなきゃいけないんだから魔装はどうあっても必要でしょ」
リンネは「そんなこともわからないの?」というように首を傾げている。
言われてみればプロフェッサーが大人しくしているはずは無い。が、小次郎ならまだしも、二人にまで危ない橋を渡らせるわけにはいかない。
俺がそう口にしようとした時、
「アリマ、オレだって無関係じゃないんだ」
俺の気持ちを見抜いたようにコーエンさんが呟いた。それはセシリアさんについてのことを言っているのだろう。
「アタシはプロフェッサーの考えが気に入らないだけ。いいのよ、アリマはサクラのことだけ考えてれば」
リンネに言われてハッとした。確かに俺はいつの間にか咲良のことばかりを考えており、つい先程までのプロフェッサーに対する殺意など忘れてしまっていた。
多分、桜花絢爛の光を見た時くらいからだろうか。咲良を彷彿とさせるこの魔装に、そんな想いで振りかざしてはいけないと言われたような気もする。
「よし、じゃあ日の出まで少し休もうぜ。どうせ朝にならねぇと馬車は走れねぇしさ」
コーエンさんはその場を締めるように手を叩いた。
馬車というのは夜道を走れない。街中ならともかく、遠征となると悪路も通らねばならず、車輪が溝に嵌ったりなど、夜間はそういったトラブルが起きやすいのだ。
では、翌朝、馬車に乗ってどこへ向かうのか。
当然、咲良とプロフェッサーを追いかけるのだ。
老執事から行き先は聞いている。
ヴォルノイン火山を越えた先、更に一日ほど行った湖に面した街『ハルモア』。
そこがプロフェッサーとセシリアさんの故郷だそうだ。




