Chapter.15 「紫魔晶石」
目の前で起きたことが俺には理解できず、思わずコーエンさんに視線を送った。
すると同時にコーエンさんも俺を見る。視線が重なり、二人同時に首を傾げた。
フィニスという魔晶石に秘められた魔力を全て放出するたった一度きりの切り札を持って、俺たちは確かに原魔を倒した。
事実、足元には紫色の螺旋模様を描いた魔晶石が転がっている。
ただ、それだけではなかった。
先日、ここプロフェッサーの工房を訪ねた俺たちを出迎えてくれたあの老執事。
彼が今、目の前で横たわっているのだ。
幸いと息はある。だが、相当に危険な状態だと一目でわかった。
「コーエンさん。この紫魔晶石で何とかなりませんか?」
紫魔晶石は病や傷を治す『命』が宿っているらしい。
「その爺さん、助けるつもりか?
ソイツ自身の意志で襲ってきたのかもしれねぇんだぞ?」
そう。イグニスで貫いた後、原魔は消滅したかのように見えたが、この老執事だけが後に残ったのだ。
取り込まれていたのか、はたまた変身していたとでもいうのか。
無意識なのか、本人の意志なのか。
何一つわからない。
「わからないから本人に聞くのがいいと思うんです。このまま死なれては何も聞き出せません」
「まぁ……、そうか、そうだな。つか、人の良さそうな人だったしな、この爺さん」
仕事だとはいえ丁寧に応対してくれていたし、そもそもこの人が俺たちを襲う個人的理由はないはず。だとすればプロフェッサーに利用されたと考えるべきだ。この執事も被害者である可能性が高い。
コーエンさんは紫魔晶石を老執事の手に握らせた。
その上から自分の両手で更に強く押さえ、そしてその手を執事の心臓部分へと当てた。
「フィニス!」
その声に反応するように、握った手からは紫色の光が洩れ出し、やがてその淡い光は老執事を包み込んだ。その間、コーエンさんはずっと老執事の手を固く押さえていた。
十秒ほどそれが続くと光は徐々に薄れていき、その光が完全に消えたのを確認して、コーエンさんは手を放す。
「どうですか?」
俺が問い掛けると、コーエンさんは老執事の握られた手を開き、
「ま、なんとかなったかもな」
と呟いた。
見ると老執事の手の中には二つに割れた魔晶石があった。紫色はしておらず、ただのガラス玉のように見える。魔力が正常に発動した、ということなのだろう。
「とりあえず中に運ぶぞ」
まだ老執事の意識は戻っていない。このまま土の上に寝かしておくのもあれだろう。
俺たちは二人で老執事を抱えた。
扉は鍵が閉まっておらず、工房内へと足を踏み入れる。
建物内には灯りこそ灯されていないが、窓からの月明りで見通しは利く。
三つの扉と上へ続く階段。正面は台所だとわかっていたので、俺は左手の扉を開けてみた。するとその部屋は大方の予想通り、この執事の私室だった。現在着用している燕尾服と同様の物が吊るされている。
俺たちはベッドに執事を寝かせ、そこでようやく一息ついた。
「とんだ目に遭ったな」
「はい。コーエンさんがいなければやられていました。ありがとうございます」
あの切り札が無かったら、自分一人だったら、多分俺は死んでいたと思う。
「いや、まぁ原魔の偽物相手だったからなんとかなったって感じだな」
「偽物?」
「だって爺さんが中から出てきたんだぜ?
まぁでも紫魔晶石を落としたってことは半分くらい原魔ってことかもしれねぇけどさ、オレが昔この目で見た原魔の強さはこんなもんじゃなかったよ。今のはなんつうか、素人の喧嘩を相手にしているみてぇな感じがしなかったか?」
そう言われてみれば攻撃も単調でただ力任せに腕を振るっているだけだったように思える。硬さのせいで苦戦した、そんな印象だ。
「ということは、やっぱりこの執事さんを相手にしていたってことですかね?」
「なぁんかオレはそんな感じすんだよなぁ。リンネがいれば何か意見出してくれるだろうけどよ、オレらだけじゃなんもわからん」
コーエンさんはお手上げといったように肩をすくめた。
原魔というのは瘴気が人の形を為した存在と定義されていたはずだ。故に人間が原魔化するというのはそれに外れているように思える。過去、原魔を倒し、その中から人間が出てきたという事例は無かったのだろう。
そもそも、俺たちを待ち構えていた時点で自然現象とは思えない。
俺がそんなことを考え耽っていると、ベッドの上で横になった老執事が呻き声を上げた。
「お、目が覚めたか。紫魔晶石は本物だったみてぇだな」
「執事さん、ご気分はどうですか?」
老執事はゆっくりと目を開き、俺たちを虚ろに見つめる。
次第に焦点が合っていくが混乱した様子は見せず、何かを悟ったような、そんな表情のまま、またゆっくりと目を閉じた。
「……申し訳ありませんでした」
落ち着いた口調。くすんだ声。老執事は自分が何をしたのか把握しているのだとわかった。
だが、その悲壮感漂う表情を前にすると、こちらからは問い質し難かった。
何も言わず黙っている俺たちに、老執事は「お話しさせて頂きます」と自ら口を開く。
「私には孫がおりました――。出来の悪い孫でして、魔装士になったはいいのですが、力を弱い者に向けて悪さを働いていたようです」
老執事の息子夫婦はすでに亡くなっているらしい。その忘れ形見の孫は、いくら悪さを働こうとも愛おしく思えていただろう。
そんな孫からある時手紙が届いたそうだ。
――大きな仕事が入った。それが終わったら温泉に連れて行ってやるから、旦那様とやらに暇を貰えるように言っておけ――
雑で悪びれた文章だったらしい。それでも、唯一の家族と呼べる相手への思いやりが感じられた。二人の関係はまぁ悪くないモノだったらしい。
「ですが、それは叶いませんでした」
魔装士にとっての大きな仕事といえばやはり魔獣の討伐。『孫がいた』という過去形から察せられてはいたが、どうやら死んでしまったらしい。
「悲しみに暮れていた私に、旦那様がこうおっしゃってくださいました」
『もう一度、孫に会わせてやろう』




