Chapter.14 「侵入」
夕暮れ時を待ってリンネの工房を出た俺たちは、日没後一時間ほど経過した頃にプロフェッサーの工房付近まで到着した。ちょうど裏手が森になっており、もし咲良が外出したとしても街までの一本道を確認できる――そんな場所を選んで身を隠した。
すでに外出した後で中には咲良がいないという可能性はあるが、その時はその時にまた考えることになっている。
結局、作戦という作戦は思い浮かばなかったのだ。
もちろん考えようとはした。が、そうすればするほどに、頭の中が不安と怒りで混乱し、それどころではなくなった。
ならいっそのこと、シンプルに。
何とも行き当たりばったりな話ではあるが、咲良がいなければいないで、プロフェッサーを襲撃し、咲良を元に戻す方法があるかどうかを聞き出せばいい。
俺が唯一注意しなければならないのは、情報を聞き出す前にプロフェッサーを殺してしまうことくらいだろう。それに関しては細心の注意を払っておかないと自信がない。
精神統一をしながらじーっと待つこと数時間。その間、工房周辺には一切の変化は見られなかった。
ちなみに今回、突入するのは俺とコーエンさんの二人だけで、残る二人はリンネの工房で留守番をしている。
まだ病み上がりのリンネを一人にしておくこともできず、かといって咲良を連れ出すにも人手がいる。
そこで白羽の矢が立ったのはコーエンさんだ。魔装士としての経験がある分、小次郎よりも荒事には耐性があるだろうとのことで、自ら手を上げてくれた。
俺としても、小次郎よりコーエンさんの方が数百倍心強い。
「そろそろ行くか」
「はい」
俺たちは闇に紛れるようにして、静かに慎重にプロフェッサーの工房へと近付いていく。
月明りだけが照らす夜の闇。そこに三階建の大きな工房がぼんやりと浮かんでいる。
聞こえるのはティアレイクの波音とそよ風に揺れる木々の音。
各階に窓が設置されているが、見える限りでは灯りは灯されていない。
寝静まった後なのか、それとも留守なのか。
一階部分裏手の窓は中央付近に一か所だけ。透明なガラスなので中を確認することが可能だった。
コーエンさんと俺がその窓を挟むように位置取り、中を窺う。
どうやら台所のようだ。流しや食器棚などがある。もちろん人の気配は無い。
建物の造りを考えると、おそらくは二階に上がる階段横にあった扉の先がこの台所へと繋がっていると思われる。俺たちが先日通された応接間は正面から入って右側の扉。つまり裏手から見れば左側の壁辺りがその部屋に当たるはずだ。
玄関入ってすぐの場所に主のプライベートルームがあるとは思えないので、反対側の扉は作業室か、あの老執事の部屋か、そんなところだろう。
プロフェッサーや咲良の私室は二階か三階にあると考えられた。
しかし、よじ登るにしても建物裏手の壁には掴めそうなものもなく、忍び込むにしても台所の窓は嵌めこみ式になっている。
「割りますか?」
ガラスを割れば何とか入れそうではあるが、音を立てずにというのはどう考えても無理。しかも窓枠ごと全部外してようやく通れるか、といった大きさだ。
「いや……、表に回ってみよう」
俺たちは互いに聞こえるだけの小声でやり取りを交わし、身を低くしながら建物の正面側へと移動した。
建物横側の壁に体を付け、顔を少しだけ出した状態で正面側の様子を探る。
「――コーエンさん」
「なんだ?」
俺は一度顔を引っ込ませ、コーエンさんの方を向く。
そして、見たままを伝えた。
「正面扉の前に誰かが立っています」
「なに?」
場所を代わり、コーエンさんもそれを確認すると、その顔を大きく歪ませた。
「……オマエなぁ、あれは『誰か』とは言わねぇ。『何か』だよ、な・に・か」
そして呆れたようにそう呟く。
「まぁそうですね。これは要するに、俺たちの行動が読まれていた、ってことになりますか」
「だなぁ……。アイツもサクラもここにはいねぇってか。やられたわ」
ここに俺たちが咲良を目的として再び来ること予測されていたのなら、すでにもぬけの殻となっているのは想像がつく。わざわざ盗人の前に宝を置いておくバカはいない。
「つかよぉ、昨日のアレもそういうことになるよなぁ?」
「ですね。でも、そうとわかったことが重要です」
正面扉の前に門番が如く佇んでいるのは、見間違いようもなく『原魔』だった。
プロフェッサーは人だけはなく、原魔すらも操っていることになる。
昨晩、魔装士協会内部に現れたのも偶然ではない。おそらく彼の指示に従って現れたのだろう。
そして今は、ここに姿を見せるだろう俺たちを待っているということだ。
「どうすんだよ……?」
コーエンさんが長い溜息をついた。
「せっかくここまで来たんですし、やれるならやっておいた方がよくないですか?
後々になって襲われても厄介ですし」
「バカかっそんな簡単な相手じゃねぇよ、原魔ってヤツは――」
その時だった。
俺たち二人は慌てて身を屈めて、前方へと転がり込む。
ドォォォォォン!!
頭上を何かが掠め、建物の壁が大きな音を立てて崩れ落ちた。
あれだけごちゃごちゃ話をしていれば気付かれて当然か……。原魔はすぐそこまでやってきており、角から腕を壁へと叩きつけたのだ。間近で見るとかなりデカイ。下手すれば俺の倍くらいの身長がある。
「イグニス!」
俺はリンネから借り受けてきた魔装イグニスを発動させる。
そして、コーエンさんもヤケクソ混じりの叫びを上げつつ、魔装を発動させた。
「ああああああっもうっやるしかねぇのかっ、ヴルフブラーゼン!」
魔装士時代に愛用していた物らしく、両手に嵌めるグローブ型の魔装だった。
緑色の魔晶石が光を放つと、両手には三本ずつ、同色に輝く短刀が具現する。
コーエンさんは投げナイフの使い手らしい。
「俺の魔装は近接には向いてねぇ、援護する!」
そう言って、両手六本の光短刀を原魔に向けて投げ放つと、ヒュンと風切り音が耳に響いた。
俺はそれに合わせて一直線で間合いを詰めにかかる。
その動き出しに合わせ原魔は右腕を振り下ろすが、そこで顔面に短刀六本全てが見事に命中した。
無傷。だが、緑魔晶石の効果なのか、霧散した刃が風を発生させ、それによって原魔の動きがやや鈍る。
それでも十分に鋭いが、捌ききれないほどでもない。
俺はイグニスでそれを向かい受けた。
以前、熊の魔獣をいとも容易く真っ二つにしたこのイグニスだが、原魔相手ではやはりそうはいかないらしい。原魔の右腕とイグニスがぶつかり合うと、耳をつんざくギィンという音と同時に火花が飛び散った。
硬質的な見た目通り、相当に硬く、そして重い。ズシリとした一撃にイグニスが押し戻される。まともに受け続ければ俺の腕が持たず、わざと力を抜き、相手の腕を受け流した。
そこに、再び原魔の顔面目掛けてコーエンさんの魔装刃が飛ぶ。
その隙に俺は原魔の流れた右腕に一撃を入れてから後ろに飛んで間合いを取り直した。
図体が大きいだけあって原魔の一撃は鋭く重いが、どうやら小回りは利かなそうに思える。
俺は再び踏み込み新たに切りかかる。原魔は両腕を振り下ろしてくるが、それを身を回転させて避け、その勢いを乗せて横薙ぎの一閃を相手の右脇腹部分に叩き込んだ。
剣道ならば間違いなく一本勝ち。
だが、その渾身の一撃にも原魔はビクともしていない。俺はめげずに返す刀でもう一撃、と思った。
「かっ……!?」
その時、力を込める為に息を吸ったのがいけなかった。
原魔は瘴気を放出する。故にその懐は瘴気の密度が恐ろしいほど高い。
ガスを吸い込んでしまったような嫌悪感に襲われ、俺はまた距離取るしかなかった。
一呼吸の内に叩き込める数に限界がある。かといって渾身だと思った一撃も全く効いている様子がない。
どうしたものか……、と逡巡していると、コーエンさんが上空方向へ魔装の刃を投げ放った。
「一旦下がれ、アリマ!」
その声と同時に、壁が崩れ、その瓦礫が原魔に降り注ぐ。
俺はコーエンさんに続き、原魔から大きく離れた。
「やるな、さすがだ」
「ええ、相当硬いですよ、アレ」
「じゃなくてオマエのことだよ。サクラも強いって話だが、兄貴だけのことはある」
「褒めたって何も出ませんけどね」
原魔を倒す策も――。そういった意味を込めて俺は言った。
やり始めた以上は勝つつもりではいる。が、勝てるビジョンは見えていない。
矛盾しているが、俺の心境はそんな感じだった。
しかし、コーエンさんは違ったらしい。
「次の一撃でオレが楔を打つ。オマエはそこを叩け。いいか、一度刃を引っ込めろ。そして、こう付け足すんだ――」
コーエンさんの指示はよくわからないモノだったが、言われるがままに俺はイグニスの刃を一度消した。コーエンさんも同様にした。
瞬間、瓦礫が飛び散り、その下から原魔が姿を現す。
俺たちは叫んだ。
「フィニス・イグニス!」
「フィニス・ヴルフブラーゼン!」
すると、魔装に飾られた魔晶石がパァンと音を立て、粉々に砕け散った。
その代償なのか、イグニスは今まで以上に濃密且つ目映い光刃を具現する。
そして、今まで六本の刃を同時に具現化していたコーエンさんの魔装は右手に一本だけとなっていたが、イグニスと同じく、その魔力の大きさがケタ違いなのだろうと素人目にも見て取れた。
「続け!」
俺は原魔に向かって走り出すコーエンさんの後ろにピタリとつけた。
すると原魔もこちらに向かって突進してくる。
両者の距離がみるみると迫る中、コーエンさんは右手の魔力刃を投げ放つと、同時に横へ跳ぶ。
今度のそれは消えることなく、原魔の胸元中心に突き刺さると強烈な光と風を放った。
その威力は先程のものとは比べ物にならず、突っ込んでくる原魔をぐいぐいと押し戻すほど。
だが、それでも貫くまでいかない。
楔を打つ、とはこのことだ。
コーエンさんの影から飛び出した俺は、ヴルフブラーゼンが突き刺さったその一点を目がけて突撃を繰り出す。
煌然と赤く輝くイグニスの剣先が緑色の光に触れた瞬間、二つの光は折り重なり、俺を丸ごと包み込んだ。
傍から見れば、それは上空へ飛び立つ流星のようだっただろう。
俺自身までもが一突の刃となったその突撃は、見事、原魔を貫いたのだった。