Chapter.13 「原魔現る」
その後、俺とコーエンさんはポツポツと話を続けていた。
すでに真夜中になっており、そんな静かな時間、外から迫る足音が聞こえた。
「ん、帰ってきたか」
リンネと小次郎だろうが、それにしては早い帰りだと思った。
もし魔装士協会で調べ物をするなら帰りは朝になるだろうと予想していたし、リンネも街で買い物をして帰ると言っていたので、そのつもりだったはず。なにせリンネが工房を出たのはすでに店が閉まっている時間だった。
もしかすれば、資料を借りられて工房で調べる気かもしれない。
或いは資料自体が無かったか。
足音が止み、扉がゆっくりと開かれる。
と、同時に、人が倒れ込んできた。
「キ、キミ……」
息を切らし、消え失せそうな弱った声。
小次郎だった。ぐったりとしたリンネを背に抱えている。
「なっ、リンネ!」
コーエンさんが慌てて駆け付け、小次郎からリンネを受け取る。
リンネの意識はなく、呼吸も荒い。表情を歪めたままうなされている。
「何があった!?」
「ハァハァ……、魔装士協会に、現れた……」
「何が?」
「……原魔、リンネ嬢は『原魔』だと言っていたのだよ。その後すぐに苦しみ出して倒れてしまったのだが」
小次郎は肩で息をしながらそう言った。
俺とコーエンさんは思わず顔を見合わせた。
「コーエンさん、リンネは?」
「昔、医者からもらった薬がある。もし原魔を見たことによるショックで倒れたのなら効くかもしれん」
コーエンさんはリンネを抱え、二階のロフトへと運んでいった。
「原魔っつったよな。協会はどうなっている?
街にも被害が出ているのか?」
俺はお茶を渡してやると、座り込んだ小次郎はそれを一気に飲み干す。
「ふぅ……、いや、協会内はパニックになったがね、被害は特になかったのだよ」
「どういうことだよ?」
原魔が現れたのに被害がない?
それがどんな状況なのか全く掴めなかった。
小次郎が話すには、協会に保管されていたプロフェッサーの研究資料は意外にもあっさりと閲覧の許可が下りたらしい。だが、書庫でそれを見たリンネ曰く、資料は一般的に公開されているような有り触れた内容の物ばかりで、知りたい情報は手に入れられなかったそうだ。
そこでリンネは大胆にもプロフェッサーの私室に忍び込むことを提案した。
プロフェッサーはフォレノス魔装士協会の長である為、協会建物内に私室があるのだという。
すでに夜も深まり、協会内部には職員も少ない。小次郎に職員たちの気を引かせ、その隙にリンネはプロフェッサーの私室に潜り込んだ。
「僕が受付側に職員たちを集めてね、得意の手品を披露していた時だったのだよ。奥からリンネ嬢の叫び声が聞こえて、駆け付けたら青白い顔をした彼女が部屋の中を指差して言ったのだよ。『原魔が――』とね」
「その原魔、お前も見たのか?」
「見たのだよ。全身が黒光りした――、人の形をした人でないモノ。協会の職員も見た。だからもうその場はパニックさ」
「でも被害は無かった――」
「ウム。すぐにその場から姿を消してしまってね。プロフェッサーの私室は荒らされていたが、それはもしかするとリンネ嬢がやったのかもしれないし……、とにかく人的被害は無かったのだよ」
突如現れ、忽然と姿を消す。まるで幽霊みたいだ。
その時、コーエンさんがロフトから顔を覗かせた。
「とりあえず薬が効きそうだ。うなされていたのが落ち着いてきている」
「そうですか、良かった」
「オレはこのまま様子を見ているから、お前たちは休んでくれ。詳しい話は朝になってからにしよう」
どちらにせよ詳しい話を聞くにはリンネの存在が不可欠だが、何よりも今は容体が心配だ。
休めとは言われたが、俺と小次郎もそのまま、夜明けとリンネの目覚めを待っていた。
「リンネ!」
その声に思わずビクッとした。どうやらウトウトとしてしまっていたらしい。窓から外を見ればすっかり明るい。朝、というよりももう昼頃を迎えているだろう。
すると、ロフトからコーエンさんに支えられたリンネがゆっくりと降りてきた。
「大丈夫。もう大丈夫だから」
心配そうなコーエンさんにリンネはそう言っていたが、パッと見た限り、リンネの顔色はまだ優れない。足元も覚束ないようで、昨夜の出来事のショックがまだ残っているのは明白だった。
「二人ともごめんね。心配かけたかも」
リンネはエヘっと力無い笑いを見せながら椅子へと腰掛けた。
「まだ無理するなよ」
俺がそう声を掛けると、リンネは口角をニッと上げた。
弱々しかった微笑みが一転して不気味な企みでも思いついたかのような怪しいものへと代わる。
「フフフフフフフフ」
続いた笑い声まで怪しかった。
もしかしたらショックで頭がイカれてしまったのか。
俺だけでなく、小次郎とコーエンさんもそう思ったようで、不安が顔に滲んでいた。
更にリンネはおもむろに着ている服の裾を掴み、バッと捲り上げる。
「おいっ」
コーエンさんの焦った声が飛ぶがお構いなし。
だが、そこに見えたのはリンネのおへそではなく、紙束のようだった。
リンネは腹のそれをバサッと取り出してテーブルの上に叩きつけた。
「これに、プロフェッサーの研究成果が書かれているわ!」
その高らかな声に反して、一同の目が点になる。
リンネはそれを気にすることなく、一方的に話し始めた。
「これによると、プロフェッサーは『死者の蘇生法』を研究していたようね。紫魔晶石の持つ魔力を最大限に発揮させることで、失われてしまった命を取り戻す。そこが始まりだったみたいだけど、どうにも無理そうだと判断したようね。そこである種の方向転換を図った。それがね――」
「ちょちょちょちょ、ちょっと待つのだよっ!」
小次郎がそこへ割り込むが、しかしリンネは止まらない。
「質問なら後にして!
いい、紫魔晶石には傷や病を治す力があるんだけど、一度離れた精神をまた肉体に宿すことはできないとプロフェッサーは研究結果から判断した。精神は蘇らないと結論を出したの。そこでアイツは、蘇らないなら一から作り出そうと考えを変えたわけ。とんでもないし、馬鹿げているわよね?
うん、アタシもそう思った。でも、アイツは真剣に考え、実験を繰り返し、一つの形としてしまったの。その際に着目したのが瘴気ね。瘴気は動物や植物が持つ本能に影響を与え、魔獣と変えてしまう力がある。要するに別の存在に変えちゃうのね。ならそれをコントロールできれば望む人格を生み出すことも可能なんじゃないかってことよ!
でも、人間は魔獣化しない。それは本能以外に明確な自意識という耐性を持ち合わせているからなんだけど、逆に言えば、自意識さえ取っ払っちゃえば人間も魔獣化するってことよ。それだったらプロフェッサーの得意分野。なにせアイツは魔装を通して精神を操作することができるんだから。
全く、とんでもないことを考える男だわ。やだやだ、根暗な研究者には倫理とか常識とか通用しないんだからさ。あ、お兄ちゃん、一杯喋ったからのど乾いた。お茶入れてよ。キーンって冷えたヤツ」
怒涛の勢いに、やはり一同は目を点にするしかなかった。
「……お、おう」
唯一コーエンさんのみが動き出し、そそくさと台所へお茶を入れ、そっと差し出す。
「ありがと。ング、ング――、プハァ~。で、何か質問ある?」
リンネはそれを一気に飲み干し、満足そうな笑みを見せて言った。先程まで優れなかった顔色もツヤツヤしており、まるで体内に溜まった膿を全部出し切ったかのような、すっきりとした顔をしていた。
「あ……、えっと……」
「むぅ……」
「お、おう……」
誰も何も言えなかった。三人が三人共、呆気に取られるばかりだった。
「何よ、聞いてなかったの?
じゃあもう一回説明するわ」
リンネがコホンと咳払いをしたのを見て、俺は咄嗟に声を上げた。
「あっ、あっ、あ~、っとだな。え~っと、つまり、そう!
咲良がしていたあの黒い指輪だ。リンネはあれが怪しいって言ってたけど、結局正体はなんだ?
簡単に一言で頼む」
また長々話されても理解に苦しむと思い、俺は最後の部分によりアクセントをつけた。
「一言……、そうね、『自意識抑圧兼人格育成魔装』ってとこかしら」
自意識抑圧。人格育成。
つまりあの指輪型魔装で咲良の自意識を抑え込み、且つ、別の人格を宿らせる、ということか。
「プロフェッサーは魔装に人格を生み出した。そういうことなのかい?」
「正確に言うと、その魔装を使った人物の中に、プロフェッサーが仕組んだ人格の種を植えちゃうって感じかな」
咲良はそれを使用したせいで自意識を抑え込まれ、今はセシリアさんの人格が表に出ている。そういう状況となる。
「それ……、元に戻るのか?」
となると、俺の一番の気がかりはこれだ。
リンネは首を傾げながら答える。
「う~ん……、ってか魔装はさ、イメージを膨らませて、名を呼んで、初めて発動するでしょ?
要するに普段は別に魔力なんて出てないの。だから発動時以外に影響が出るのはおかしいわけ」
だが、プロフェッサーの工房で顔を合わせた時、咲良は魔装を発動していなかった。その話でいくと、あの時は咲良本人の人格だったということになる。
「考えられるのは、あの魔装を使い過ぎたせいで発動時以外にも影響が出始めてしまっているってこと。瘴気で作用していることだし、そういった事態が起こっても不思議じゃない。更に言うなら、プロフェッサーの目的が最初からそこにあったのかもしれない」
いや、きっとそうなのだろう。プロフェッサーの目的は咲良を完全にセシリアさんとすることにあるのだ。しかもその計画はかなり終盤まで進行していることになる。
「なにか解決策のようなものはそこに書いてなかったのかい?」
「ないわね。プロフェッサーにとっては必要の無いことだもの。とにかく、これ以上サクラにあの魔装を使わせないこと。これが最優先事項だと思う」
それくらいしかできることが無いとも言えるが、事は一刻も争う。
「わかった。行ってくる」
俺が勢いよく立ち上がると、すぐにリンネによって止められた。
「白昼堂々行ってどうするのよ?
乗り込んできたと思われたら、サクラは魔装を使って応戦してくるかもしれないわ。それじゃ本末転倒でしょ」
「……う~、そうか、つまり寝込みを狙うってことだな」
俺はしぶしぶと席に着く。
「ええ。サクラを攫っちゃえれば一番いいけど、最低でもあの指輪だけはなんとかしたいわね。さすがに量産まで漕ぎつけていないだろうし」
確かにどちらでもプロフェッサーの計画は滞るはずだ。俺としては咲良を何とか連れ戻したいが、単純に盗みを働くだけなら小さいもの、つまり指輪の方がまだ簡単かもしれない。
「じゃあとりあえずは今晩って話だな。でよ、リンネ。お前は、その、昨晩見た、アレのこと覚えてんのか?」
コーエンさんが言葉を選びつつ、そう話を振る。
「原魔のこと?
そりゃ覚えてるわよ。初めて見たし、ビックリして気絶しちゃったみたいだけど、そこだけはちゃんと覚えてる」
どうやら過去の記憶は戻っていないようだ。コーエンさんがホッと息を付いたのが見えた。
「アタシがあの部屋でこの紙束を見つけてさ、読みふけっている時だったわ。人の気配がして振り返ったら、もうそこに立ってたの。思わず叫んだわね。急いで部屋を飛び出した」
「そこに僕や職員たちが駆け付けたのだね?」
「そうね。そこから先はわかんないわ。どうなったの?」
「何もせずに消えたのだよ」
小次郎が答えると、リンネがキョトンとした。
「えっそんなことってあるの……?
もしかしてアタシが隠したこの研究資料が目当てだったりして?」
突然現れた原魔。しかも場所が魔装士協会、プロフェッサーの私室だ。なにもせずに消えていったというのは明らかに異常なことで、逆に何かの目的があったのではないかと想像させる。
リンネが上手く資料を隠したおかげで、原魔はそれを見つけられず消えた。そう考えられなくもない。
「てか、フォレノスって聖樹があるから魔獣は近寄ってこないんだけど、原魔には通じないんだね」
「まぁ前代未聞なのは間違いねぇけど、とにかくリンネが無事でよかったよ。お前が担ぎ込まれてきた時、すっげぇ汗かいたんだぞ」
「あ~、だからか。お兄ちゃん、ちょっと臭いと思ってたのよ」
「……風呂入ってくる」
俺はそんな二人のやり取りを見ながら考えていた。
どうやったら上手く咲良を連れ攫えるか。何か良い作戦は無いだろうか。