Chapter.08 「予感――妹は今……(後編)」
その後もコルパで聞き込みを続けたが、咲良に頂いた感想は皆一様だった。
もしかするとこのスマホを取りに戻ってくるんじゃないか。
俺はそんな淡い期待を胸に、予定していた日程を滞在した。が、結局咲良は現れず、足取りも掴めずじまい。
俺は馬車に揺られ、とぼとぼとフォレノスまで戻ってきた。
互いに集めた情報を持ち寄ってコーエンさんの店に集合しようと小次郎と話してあったのだが、店はすでに閉まっており、そのまま重い足をリンネの工房へと向けた。
今、俺が行ける場所はもうそこしかなかった。
「あ、おかえり」
工房に着いたのはすっかり夜の帳も落ち切った頃だったが、リンネは外に建てられた炉の前でなにやら作業をしているようだった。
「何かわかった?」
「ん、ああ、まぁ……」
聞いてきたリンネに、俺は曖昧な返事しかできない。
「……どうしたの?」
そんな俺の様子を気にしてか、リンネは作業の手を休めてこちらを向いた。
だが、俺にはどう説明していいのかわからなかった。
帰りの馬車でもずっと考えており、様々な仮説を立てていたけれど、喉に鉛でも詰まったかのようで言葉がうまく出てこない。
「そうだ、アリマ。お腹減ってるでしょ。もうすぐできると思うから、中で一緒に食べよ」
リンネは立ち尽くす俺の手を引き、工房の中へと引っ張っていく。
とても食事なんて気分じゃなかったが、それに抵抗するだけの余裕もなかった。
「お、戻ったか。店の方覗いたか?
留守にしていてすまんな」
「やぁ、おかえりなのだよ」
中にはエプロン姿のコーエンさんと椅子に座った小次郎がいた。
食事の支度をしていたようで、すでにテーブルの上いっぱいに、これでもかといった量の料理が並べられている。
俺とリンネは向かい合って席へと着いた。
俺は小次郎の隣へ、リンネの隣へはコーエンさんが座る。
「それじゃ――」
「いただきます!」
いつぞやのように、またもコーエンさんの話の途中でリンネが皿に飛びついた。
「オマエなぁ、人の話は最後まで……、ん、美味いか?」
「ムグ……、まぁまぁ」
「そうかっ、いっぱい食えよ~」
目の前で繰り広げられる仲睦まじい兄妹のやり取りが今の俺には残酷に映った。
もしかすると俺にはもう、妹とこんな風に笑い合えるような時間は訪れないかもしれない。
そんな不安の渦が胸に巻き起こり、思わず俺は目を逸らす。
それに小次郎が目聡く気付いた。
「キミ、何かあったのかい?」
やはり答えられなかった。
思い浮かぶ言葉を口にすると、それが事実であると認めざるを得ないような気がして怖かったのかもしれない。俺はとんだ臆病者だ。
小次郎はそんな俺を気にしつつも、
「ではまず僕が話そう」
とわざとらしく咳払いを挟んで切り出した。
「まず、僕はヴォルノイン火山討伐隊の生き残りという魔装士に会いに行ったのだよ。実際に咲良さんを見ているはずだからね。当時の様子など何かわかればと思ったんだが……」
生存者は五名と耳にした。内、一人は咲良なので、残る四名を当たっているはず。
何もわからなかったのか。言葉の濁し方からそう思ったが、どうにも違うらしい。
「それがだね……、死んでしまっていたのだよ」
「え、四人全員がか?」
俺は予想外の答えに思わず訊き返していた。
「いや、指揮官だったという人物以外の三人さ。その三人は討伐隊以前から行動を共にしていたようなのだがね……」
小次郎はあごに手を当て、しかめ面で続ける。
「あまり評判は良くなかったそうなのだよ。魔装士としての本職を全うせず、グルになって弱者から小銭をせしめたりと、まぁ悪さをしていたそうさ」
そんなヤツらが討伐隊に志願したっていうのか?
ふとそんな疑問が浮かんだが、それにはコーエンさんが答えてくれた。
「要するに、他人のおこぼれを狙った小悪党だな」
大勢が参加する討伐隊には、そのどさくさに紛れて他人が倒した魔獣の魔晶石をくすねようとする輩もいるらしい。多数の死者を出した討伐隊でも、そうやって姑息に動き回っていたからこそ生き残れたのかもしれない。勇敢さより臆病さが生死を分ける時もある。
「で?」
「ウム……」
結局は情報を得られなかった言い訳話かとも思ったが、小次郎の歯切れがやけに悪い。
「モグ……、サクラを、ムグ……、見たのよ」
そこへ唐突にリンネが割って入った。口一杯に丼ぶり飯をかき込みながら。
「ちょ、リンネ嬢。それは……」
と小次郎が焦り出し、
「こら、ちゃんと飲み込んでから喋れよ」
とコーエンさんが粗相を注意しても――。
「サクラを見たわ」
構わず、リンネは俺の目を見つめてそう言った。
「どこでだ!?」
大声を出して立ち上がる俺に対し、リンネはお茶をズズズと啜り、一呼吸おいてから話し始める。
「アタシね、プロフェッサーって人を見てみたかったからさ、小次郎の後にコッソリついて行ったのよ。旅費をお兄ちゃんの財布からこっそり拝借してね」
その告白にコーエンさんが何やら声を上げたが、リンネは真剣な表情でそれを制して話を続ける。
「その死んでいた三人ね、殺されていたのよ。死体を見て一目でわかった。鋭い刃物でバッサリ、ブスリ」
「なぁリンネ、そんなヤツらのことはどうでもいいから、咲良はどこで見たんだよ?」
じれったさに堪え切れず、俺は声を荒げた。
話の流れ的にわかりそうなものだが、俺は冷静じゃなかった。
「その殺人現場で」
「……な、に?」
だから俺は、リンネが言ったその場所が瞬時にどこかわからなかった。
サツジンゲンバ?
アルマトリカのどこかにある地名かとも考えたが、当然そんなはずは無い。そう思ってしまうほどに混乱しただけだ。
人が殺されていた場所に咲良がいた?
つまり、なんだ。それは一体どういうことだ。
俺を思わず頭を抱えた。
「キミ!
ちょっと続きを――」
小次郎が何か叫んだが、それは耳を素通りしていく。
状況が理解できず、思考は追い付かず、俺の頭は勝手に自問自答を繰り返していた。
殺人現場で咲良を見た?
それは暗に『咲良がその三人を殺した』と言っているのか?
――バカなことを言うな!
だったらなぜ、咲良はその現場にいた?
――偶然だ。
その三人は小悪党なのだろう?
ソイツらが誰かを苦しめ、咲良がそれを助けようと刃を振るった可能性はあるんじゃないか?
――しかし……。
俺はコルパで嫌な予感を抱いたよな?
それに通じる何かを感じていやしないか?
――答え、られない……。
なぜだ?
それは俺自身が、咲良が人殺しをしたと可能性を否定できないからだろ?
「――それでも!!」
俺はその場で立ち上がり、声に出して叫んでいた。
小次郎も、コーエンさんも、リンネも、みんなが俺を見つめている。
「それでも俺は……、俺は……」
続きの言葉が出なかった。出せなかった。
その原因は、もう自分でもわかっていた。
俺は項垂れるように椅子へと腰を下ろした。
「キミ……」
小次郎が俺の肩に手を置いた。
何かを話そうとしているのは察せられたが、俺はそれを遮るように口を開く。
「コルパでさ、話を聞けたんだ……。咲良は、街を襲った魔獣を討伐したらしい。けど、その様子を見ていた人は言ったよ。魔獣よりも、咲良の方が怖かったって。死神のように笑いながら魔獣を倒したって。自分たちには冷たい無表情だったって。何も言わずに立ち去ったって。それが――、それがどういうことか、わかるか?」
誰かに問い掛けたつもりはなく、俺はすぐに言葉を紡ぎ出す。
「俺にはわかる。俺にはわかるんだよ。今、咲良は悪夢の中にいるんだ。悪い夢に堕ちちまってんだよ……」
****
武蔵野咲良――、俺の妹。世界で一番大事な妹。
咲良は子供の頃からある一つの特徴的な性格を持っている。
それは何事かに『夢中になり過ぎてしまう』というモノ。
幼少期はそれこそ見境が無く、ピンと来たものに飛びついていた感じだった。
だが、年を重ねるごとにその性格が発揮される状況に偏りが見えてきた。
簡単に言うと『誰かの為である時』だ。
母の為、飼い猫がいなくなってしまった少女の為、迷子の少年を送り届ける為。
往々にして、最近はそのような『限定的状況』が咲良の性格を呼び起こす。きっと誰かの笑顔を見るのが好きという優しい面もあるとは思う。それが大半を占める感情だとは思う。
けどそれは、こうも言い換えられるのかもしれない。
――咲良は自身が織り成す日常生活に飽きていた?
朝起きて、学校に行き、部活をし、帰宅する。
そんな繰り返される生活の中に、そうそう心を奪われるモノが次々と現れたりなどしない。飽きとはさすがに過剰な表現かもしれないが、少なからずそういった面もあったはずだ。
故に、自身とは違う生活を送り、違う物を見て、違う感動を得る『誰か』に興味を持つようになった。
優しさと退屈、そんな二つの感情を持ち合わせていたのが最近の咲良だったのだと思う。
では、このアルマトリカに来てからの日常はどうであろうか。
知らない人が溢れる知らない街。生活も文化も何もかもが違うこの環境。
それらはきっと咲良の目には全てが新鮮に映り、起こる全てが心を動かしただろう。それこそ子供の頃に戻ったように、無邪気に見境なく興味を示していたと想像できる。
問題は、それに終わりがなく、現在進行形で続いているということだ。
咲良は一度始めたことを途中で放棄したりせず、納得するか、完遂するか、そこまでとことん突き詰める。それは物凄い集中力と心のエネルギーを要するだろう。
一つのことに集中し、それが成し遂げられた時、誰もが悦に浸り、達成感を得て、ホッと一息つく。
だが、咲良にはそんな一時の暇もないくらいに、またすぐに次の興味対象が見つかってしまう。異世界という環境がそうさせている。
夢中になるというのはその文字通り夢の中にいるような感覚に近く、咲良の場合はそれが特に顕著だ。
しかも休みなく繰り返されることで、その内に意識までもが深く深く堕ちていった。やがては何が現実で夢なのか、その区別すらつかなくなってしまうかもしれない。
要するに、咲良は興味のスパイラルに陥ってしまったのだ。そして、それはすでに危険な域にまで達している。
子供の頃、桜の木の傍から引きはがそうとする母に咲良は泣き喚いて抵抗した。その時の咲良は、母のことが母ではなく、ただ自分を『邪魔をするモノ』に見えていただろう。
幼い頃は抵抗する手段が泣き喚くことしかなかったが、成長して高校生になった今、それに『攻撃性』が含まれていてもおかしくない。
今回の場合、自分の為か、はたまた誰かの為なのかはわからない。
だが、咲良がその三人を邪魔だと感じた結果、その攻撃性が凶刃と化した可能性は否定できない。
いや、きっとそうだ……。そうに違いない。
こうなる前に気付くべきだった。俺が気付かなきゃいけなかった。
手遅れ。
そんな言葉が頭を過った。
****
視界が強烈に揺れる。
「待ちたまえよぉ!」
それは、大声を上げた小次郎が俺の両肩を力任せに引いたようだった。
脳が揺れ、強引に思考の海のから引き戻された俺は項垂れていたズシリと重く感じる頭をゆっくりと上げる。
すると、目の前には小次郎の顔があった。
「……どうした、それ?」
座った位置からは見えていなかった、というよりも小次郎の顔などマジマジと見ることが無かったのだが、今、目の前にあるその顔、左頬には大き目のガーゼのようなものが貼り付けてあった。微かに血の痕も滲んでいる。
「そんなことはどうでもいいのだよ!
しかしね、キミ、一人で勝手に話を進めないでくれるかい?」
俺が考える咲良の現状は今話した通りだ。勝手も何も無い。
俺がこの中で一番咲良のことを知っている。
世界で一番咲良のことを知っている。
だから、勝手も何も無いじゃないか。
だから、俺が気付かなきゃいけなかったんじゃないか。
「いいかい?
確かに僕もリンネ嬢もあの凄惨な現場で咲良さんを見た。ただ、咲良さんが三人を手にかけた瞬間は見ていないのだよ」
言い聞かせるように小次郎は言う。が、それでも変わらない。
そんな場に咲良がいること自体がもうおかしい。咲良の精神が危険な状態にあるのは何も変わらない。
「それに、それにだね、確かに見た目は咲良さんに違い無かったが、それでも、その、なんというか……、何かが、何かが決定的に違ったのだよ。話してみて、これは僕が憧れた咲良さんではない、そう明確に感じたのさ。キミの言う性格だとか悪夢だとか、そういうことを言っているんじゃない。もっと根本的な、根源的な……、何かが!」
根本……、根源……。
今まで咲良とろくに話したことも無いヤツに何がわかる?
どう比べられる?
そう、いつもなら苛立ちを覚えていただろう。
だが、今の俺にはそんな活力が残っていない。ただ小次郎の必死の訴えに耳を傾けているだけだった。
「その時のことを覚えている限り詳しく話す。だから、キミに判断してほしい。僕では……、剣道着姿の咲良さんしかよく知らない僕では、ろくに話したことも無い僕では、できないこと……なのだよ」
そう言った小次郎の表情は複雑に織り混じった感情を如実に表していた。
悲しみ。切なさ。無力さ。憤り。
それと、少しばかりの励ましもあるのかもしれない。
「……わかった」
その顔に、俺は力無い一言を返すので精いっぱいだった。