江戸時代の天才国学者がハイキングに出かけた結果ww
江戸時代の本居宣長大先生が奈良県の香具山にハイキングにいったときの日記です。
本居宣長『菅笠日記』
ここがあの有名で和歌にも詠まれまくっている香具山か。
実物は小さくて低い山だけど、昔っから名前だけはビッグで知らない奴はいないよね。
ましてや僕たち研究家にとっては、もはやレジェンドじゃん?
本を読んでこの山の名前を見かけるたびに「どんなところだろう?」って妄想してたからさ。
ずーっと前から「いつか登ってみたいなあ」と思ってたんだ。
ああ、感激でいてもたってもいられないよ!だめだ!インスピレーションが止めどなく溢れてくる!
さっそく和歌をメモっておこう。
いつしかと 思ひかけしも久かたの 天の香具山 今日ぞ分け入る
(いつか必ずって以前から憧れていた香具山に、今日ついに突撃します!)
弟子のみんなもどうやら僕と同じ心境だったみたいで、ハイキングというよりは、もはや駆け足になっていた。坂道をダッシュしていると左のほうに、百平方メートルくらいの池がある。
「ヤバイ、あれ日本神話に出てくる埴安の池じゃね?」とヲタトークは謎の盛り上がりをみせたが、よくよく考えてみると、あれはどう見てもただの池だった。何を言いたいかと言うと、つまり、それくらい僕たちのテンションはおかしくなっていたのだ。
僕らの高まる期待とは裏腹に、僕らはあっという間に山の頂上に到達してしまった。まあ、ダッシュしていたのだから当然の結果である。
頂上付近はゴツゴツした急斜面ばかりでなく、ちょっくら平らで休めるところもあった。
実際に5、6人の男達が草の上にレジャーシートをひいて宴会をしている。どうやら地元の人間らしい。
キョロキョロとあたりを見回してみると、キャッキャウフフとワラビ採りをしている娘達の姿もあった。なるほど流石は香具山、大人気である。
残念ながら樹齢数千年!のような、なんだかご利益のありそうな木は見当たらなかったが、そのぶん背の低い若木ばかり生い茂っていたので、曇ひとつない晴天ということもあり、そこからはどの方角の景色も実によく見渡すことができた。
「竜王の家」とかいう何だかラスボスチックな名前の祠の前に大きな松の木が立っていて、その松の枯れ方がとってもオシャレだったので、僕らはそこでしばしの休憩をとることにした。
うーん、伝説の香具山の景色をオカズに食べる昼食…なんという贅沢なんだ。
弟子達はここぞとばかりに歴代の天皇たちが香具山にちなんで作った古い和歌なんかをドヤ顔で披露しあっていた。が、その気持ちも分からなくはない。なにせ僕らは今、当時の彼らと同じ場所に居るのだから!
僕たちはいま、和歌ヲタクたちの聖地にいるんだ!
そうやって僕たちが恍惚の表情を浮かべながら、和歌を読みあってうっとりしていると、先ほど見かけた男達がやってきて「どっから来たんすか?遠くから来たんすか?ヲタクっすか?」と絡んできた。
どうやら僕たちのように聖地巡礼にやってくるヲタクは珍しくないらしい。
彼らは自慢げにこの山の知識を語りだしたが、どれもこれも僕たちディープなヲタクの間では知っていて当然の常識ばかりだったので、彼らのしょーもないウンチクを僕たちは適当に聞き流すことにした。
だが、他の山の名前に関しては、彼らはとても良い博士になった。
「ここから西に見えるあの山のことは、畝傍山っていうんす」
「ほうほう。う・ね・び・や・ま、うーん…純和風でなんて美しい響きなんだ」
僕たちはうっとりした。
「それからあっちが葛城山っす」
「か・つ・ら・ぎ・や・ま、…うーん、たまらん」
「それからアレが金剛山っすね」
「こ・ん・ご・う……ってちょいちょーい!ちょっと待ってくれ、なんだその中国っぽい下品な名前は?」
「へ?ああ、あそこに寺ができてから、みんなそう呼ぶようになったんすよ」
ああ!チクショウ、なんてこった!
なんて憎たらしいんだ。寺ができるといつもそうだ。寺も山も何もかもが、どんどん中国風のキラキラネームになっていく。もちろん未だに和風の名前でがんばっている寺もある。あれは良い、実に素晴らしいことだと思う。
ちなみに、ここから北に見えるあの山のことを二上山というのだが、最近はみんなニジョウガタケと、やはり中国風に呼び始めたらしい。ああ、憎たらしい。